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魔術のない遊戯盤と勝者の問い


「……ああ、びっくりした。君、大丈夫か?」

「いや。襲われたのはあんたなんだが」

「私は意外と頑丈だからね。ふむ。もしかして………………暗殺しに来たのかい?」

 ルカ王は首を傾げ、どこか他人事のような口調で続ける。

 

「それは困るなあ。いや、本当に困るべきなんだけどね。うん……どうしようか?」

 そんな猫のように首を傾げられても。愛嬌があるわけじゃない。

 むしろ視界の害で、心が鮫肌のようになるのでやめてほしい。

 

「そうだ、賭けをしよう。

 この遊戯盤で君が勝てば、首を差し出そう。

 だが私が勝てば、襲撃の理由を教えておくれ」

 

 ルカ王はサイドテーブルの上の遊戯盤を指してあっけらかんと言う。

 魔術の深淵に精通し、最強と言われている魔術師だ。何か仕掛けがあるに違いない。

 

「……その駒はなんだ」

「これは栗の木だな」


 誤魔化すつもりか。

 やはりなにかあるに違いない。

 敗者の命を供物にするような魔術だろうか。あるいは勝敗や点差によってなにか運命の一石の因果が決まるような類いかもしれない。


「いや素材じゃなくて……なんの魔術が込められ、紐付けられている?」

 

 この魔術全盛時代、子ども用の遊戯盤だって、知恵や力、菓子や玩具といった小さな報酬の魔術と紐付いている。


「紐づけ? そうだな……遊戯の中で完結し、他に影響を与えない因果律に」

「なんだそれ」


「魔術の構成要素を全部除去した。高位の人外に呆れられた、自慢の一品だ」

 それが本当なら、この遊戯盤は子ども用にすら劣るあきれるほど原始的なもの、ということになる。

 

 とても嬉しそうだが、何故なのか全然分からない。

 かと言って騎馬の世話役と同じで、素直に言ったら、長いこと話を聞く羽目になる気がする。

 だって魔術王だ。詳しくない訳がないだろ。

 

「もういい……なあ、報復しないのか?」

「別に問題なかったからね。君に怪我はないな?」

 

 ルカ王は軽く手を振ると、捕縛の陣の力が霧散し、竜が溶けるように消えていく。

「なら、そこに座って」

 

 遊戯するには座らないといけないようだ。

 

 もしや……このふたつのどちらかに椅子に座らせるのが目的か……? 

 こちらで魔術の流れを見極めて、サイドテーブルに備え付けられた椅子の片方に座る。

 

「交代で駒を指しあって遊ぶ遊戯盤だ。遊戯盤ははじめてかい?なら簡単な一杯式にしようか。一杯式の場合はこれが王の駒になる」

「一杯式?」

「紅茶や珈琲一杯で終わる簡単なやり方のことさ」

「一杯式でない場合はどうなるんだ?」

「攻防戦は今からだと……そうだな。大体夜明け前までかかる。互いの駒を取り合って、最後まで駒が残っていた方が勝ち。一杯式は王の駒で決まる。王の駒を取られたら負けだ。」

「一杯式でいい」

「攻防戦も面白いけどね?」

「時間が惜しい。簡単な方でいい」

「それは残念だ」

 

 磨かれた盤面には、深森で好まれるような緩い編み込みを幾つもした氷香の男と砂海の黒装束の篝海の男が映り込む。

 まるでこの地方の状況を表しているようだ。

 何の対処もしなければ、いつかこの地方は東西の大国同士の代理戦争の場となってしまうだろう。


 かつかつと、駒を置き合う音が響く。


「……はい、おしまい。私の勝ちだね」

 技量差を枷としてつけたルカ王に、俺は気付けば負けていた。

 悔しい。手が震えて迷うことが多かった。分からないことに気づいて、ルカ王が助け船を出してくれたこともあった。盤上で本当に魔術がないのか、下手に警戒してしまったのもあった。

 ルカ王の駒運びは美しかった。あれだけ優雅で鋭い流れに、悪意を疑うのは無粋だった。

 

 はじめての駒遊び。

 そこには知らない世界が広がっていた。


「さて、訳を話してくれるね?」

「……西の小国煙鋼から火薬の輸入を止めたのは何故だ?」

 負けた腹立たしさに話題をずらした。

 

「おや、問うたのは私のはずだが。……まあいいか。久々に遊べて、気分がいいからね。あの件は確か、硝石不足から煙鋼が砂海の輸入品を使い出してね。過剰反応で幾つか暴発連鎖事故が起きたんだ。だから、しばらく輸入停止にしたんじゃなかったかな。うちは特にあの気候と相性が悪いから」

「へえ……だから篝海への輸出も妨害してるのか?」

「それはなんの話だろうかね。むしろ輸入停止になったものは、優先して篝海の商人に渡るよう手配していたはずだ。彼らは火の扱いがうまい。あの誘発を無効化できて、有効活用できるはずだからね」

 

 これは商人側を確認しなければ駄目だろう。

 場合によっては国際問題になりかねない。

 

 さて、水晶宮には侵入できた。

 従属の印が命じたことは達成したことになるだろう。ルカ王を殺すまで戻るな、と命じられなかったのは幸いだ。

 

「なるほど。邪魔をした」

 つま先に調停の魔術を重ねがけし、陣を無効化して外へ飛び出す。

 

 窓の外、建物の死角となる隅に先程の火竜が身を小さくして待っていた。どうやら俺が結界に入った後侵入したようだ。

 多分、火竜に害意がないから通したのだろう。

 火竜は元の姿に戻ると、俺を乗せて飛び立った。

 

「……ふむ、うわさに聞く調停の魔術かい?興味深いね。君はいい目をもってる。……また遊びにおいで。雪月と遊ぶって言えば結界は許すだろう。この遊戯に付き合ってくれる人がいなくて困ってたんだ」

 部屋の内から声が掛かる。

 変なやつだ。

 暗殺しに来た相手へ、そんなことを言うやつがいるか。 

 


 水晶宮を飛び出して、しばらくすると火竜が低い声で言う。

「……飛行中の落下事故は、俺の評判に関わるから二度とするな」

 竜達の間では飛行技術が低い、と蔑み対象になるらしい。

 

「水晶宮や人間の国同士のやり取りに介入したら、あんたが周囲から咎められるかと思ってな」

「大袈裟だな。やっと成人したばかりの小さな人間が、俺の評判を落とせるとでも?」

「……成人認定を受けたら人間はもう小さなものではなく、立派な大人なんだよ。未遂になったが、俺は水晶宮の主を暗殺する為にお前に動いてもらったんだぞ?」


 スルツェは一瞬間を置き、それから喉の奥を鳴らして笑い出した。

 竜の大きな身体が揺れ、落ちまいと必死にしがみつく。


「なんだ、やはり大したことないな。竜でもよくあることだ。それで……敵わなかったのか?」

 盤上での敗北を思い出し、つい指に力がこもる。

 

「はっはっ!残念だったな。また爪を研いで挑むといい。あいつは面倒見の良さそうな強者だから、また相手をしてくれるだろう」

「……そうだな」

 負けたというのに、不思議と胸が軽かった。

 あの王のように、敗者にも余裕を持って接することができる存在になりたい。そう思えた。

 

「また挑むなら俺が連れて行ってやろう。海底火山にスルツェを訪ねろ。お前はなんと呼べばいい」

「ノートだ。ありがとう、スルツェ」

「また鉱石炭が入手できたら頼むよ、ノート。俺は燃費が悪いんだ」


 水晶宮から生還したとはいえ、すべてを正直に王に報告する必要はない。

 早馬で報告したと思わせるため、時間の調整が必要だった。


 一瞬、前線に立ち寄ることも考えたが、スルツェの姿を見られたら疑われる可能性が高い。……無理だな。


 

 スルツェに篝海と氷香の国境近くの森におろしてもらう。

 

「……ミ」

 火竜がいなくなると、レントが顔を出した。頬が少し火照っている。暑かったのかもしれない。

 

「ああ、よく頑張ったな。水飲むか?」

「ミッ!」

「悪いが魔術精製水しかない」

「ミィッ……」

 

 露骨にがっかりした顔をするが、文句を言われてもこれしかない。魔術で簡易的な器を作り、水を飲ませる。

 ついでに自分も口をつけると、喉の奥がひどく渇いていることに気づいた。火竜との飛行で、思った以上に体内の水分を消耗していたらしい。無意識に水の魔術を使っていたのかもしれない。

 


「いいか、レント。これからしばらく旅をする。お前と俺だけの旅だ」

「ミ!」

「人の多い場所では顔を出すな。お前みたいな小さいやつは攫われてもおかしくない。宿に入るまでは懐の中で我慢してくれ。休憩はできるだけ街の外でする」

「ミ……」

 

 レントは素直に頷くと、ふわりと胸元へもぐりこんだ。言葉は話せなくても、人語と状況をしっかり理解してくれる。助かるやつだ。

 


 王都へ向かう道すがら、煙鋼産と砂海産の硝石を少量購入する。

 宿のサイドボードの上に並べて比較すると、砂海産の硝石にはわずかに怨嗟の反応があった。

 取り除くことは可能だが、火薬の精製段階での除去は環境を整えないと難しい。特に、熱源魔術に反応するのが厄介だ。魔術暖房すら使えないとなると、氷香では作業場所の確保が課題になる。


 硝石の処理に思考を巡らせつつ、メイとドゥール宛に魔術密書を送る。傭兵団の立て直しの進捗、火薬関連の情報、そして遊戯盤に関する資料の収集を依頼する。


 ヴァンスの手前には、世界中に拠点を持つ鑑定人たちの街がある。

 彼らは様々な物品の価値を測ると同時に、各地の情報も集めている。情報収集のために立ち寄る価値はある。

 

 購入した高価な情報紙をながめる。どうやらあちこち不安定になっているようだ。

 数年前、西の煉峰から独立した煙鋼は、三つの自治領からなる。それぞれが異なる得意分野を持ち、バランスを保っていたが、新技術の普及で希少鉱石の争奪戦が激化し、隣国・深森にまで波及している。自治の安定も揺らぎつつあるようだ。

 東の信仰の中枢である信赦も不穏だ。

 隣国・睡烏は経済資源に乏しく、信赦教主国の支援で安定していたが、数年後には保護条約が切れる。それにもかかわらず、睡烏中央は国内に投資せず、信赦から商業許可や各種権利を買い漁るのに忙しい。

 

 数十年前、突如現れて去った革命屋と呼ばれる奴が、この独立を支援したと言われている。

 彼は、この混乱を見越していたのだろうか。

 

 このままでは、あの地域は治安が悪化し、通行すらままならなくなる。峠が封鎖されれば、新たな道を拓くしかない。

 開拓自体は構わないが、野盗がこちらに流れてくるのは厄介だ。

 

 気が滅入ってきた。やめよう。

 情報紙を放り捨てる。

 深いため息をつき、額を指で押さえた。

 こんなことばかり考えていても、何も変わらない。

 

 目の前を見る。交易都市ヴァンスだ。

 カード遊びを好む商人たちが、小さな組合を作っていた。

 彼らの扱う商品は様々だが、カードそのものは売らない。純粋に遊びを楽しむため、また不正を防ぐために、カードを商品として扱わないのだという。面白い奴らだ。

 

 俺は遊戯盤のほうが好みだが、カード遊びも悪くはない。

 ただ、賭け事は遊戯そのものよりも、金や情報のやり取りが主になる。

 だから面白くない。


 火薬に関する情報を得るには役立ったが、それとこれとは別の話だ。 

 宿で遊戯盤を広げると、レントが楽しそうに俺の周りをうろちょろするようになった。

 俺の感情で動く魔術を追いかけ、食べているらしい。

 満足げに小さな口をもぐもぐと動かしているのを見ていると、何故か落ち着く。

 

 この街は広く、選択肢が多い。

 身を潜めるにも、情報を集めるにも都合がいい。取引相手も選べるし、ここから王城に早馬を飛ばせば、後で調べられても足がつかないよう細工しておける。

 砂海の装束を密かに手に入れ、一度売ったことにしておくか。


 メイ達からの報告書には、新しい指揮官が派遣されたと記されていた。

 だが、内容のほとんどは『ケチで使えない』という不満ばかりだった。

 『立て直しは進めるから、無理をするな。王族なんてやめて、傭兵団に戻れ』

 軽口を叩いてくるあたり、まだ余裕はありそうだ。


 指揮官の姓を確認するが、聞き覚えがない。

 おそらく国王派が中立派の公爵家を取り込むために派遣したのだろう。

 だが、軍の『平民』を指揮する程度の経験しかない人間が、傭兵団を扱えるとは思えない。


 軍の平民兵は、指揮官に従うことで保護と食糧を得る。

 だが、傭兵は違う。彼らが求めるのは、活躍の場と秩序、公平な評価、そして金だ。

 俺が指揮していた時は、軍に干渉されないよう、資金は個人で集め、戦場の秩序を保つのに腐心した。軍の連中に振り回されずに済む環境を整え、ようやくまともに戦えたのだ。

 

 今思えば、あの頃の金策は渡り狼の副頭領が随分助けてくれた。あいつと資金集めに奔走した日々は骨が折れたが、今の俺のやり方に活きている。そう考えれば、少しは報われる気もする。

 

 二週間を過ごした後、五日かけて早馬で王城へ戻った。


 

「商人が火薬を不正に高騰させている?火薬は国防に関わってくる軍事機密だ。他に漏れないよう内々で対処しろ」

「………………は」


 王が命じる。従属の印が雑な命令にも逆らえないよう、じりじりと痛みを刻む。

 本来こういう案件は監査院の仕事のはずだ。

 なんで俺なんだ。

 

 もしかすると、越権行為を行わせ、それを理由に排除するつもりか?

 厄介な立場に置かれた。立ち回りに気をつけなければならない。

  

 監査院に向かうと、建物の中は慌ただしい空気に包まれていた。

 上層部の監査官が指示を飛ばし、下の者は次々と書類を抱えて駆け回っている。

 その中の一人を引き止めて尋ねると、監査官は眉をひそめながら答えた。

 

「ひと月前の海軍と大手造船所の不正調査で手一杯です。そちらの件に割ける人員など――」

 なるほど。対応に追われて人手が足りないのか。

 

 だが、それが俺に回ってくる理由にはならない。

 ……そうか、もう後任の指揮官を派遣しているのか。

 軍の指揮権を新しい者に渡した以上、俺を前線に戻せば、立場がぶつかる。

 それを避けるためか。

 

 

 監査院は人手不足を盾に渋ったが、なんとか一人引き抜いた。

 

 痩せぎすで神経質そうな男だが、経験はあるらしい。

 だが……本当にこいつひとりで大丈夫か?

 

「王子、違法火薬の流通ルートを特定しました!」

「よしすぐ押さえる。どこだ?今すぐ向かうぞ」

「いえ、まずは王城に捜査申請を出し、軍部の許可を取らないといけません。それで大体ひと月ですね。その後、査問会にかけるので、さらに一月……」

「ふた月もあったら、証拠もろとも雲隠れされるだろうが! ……軍部への手続きは俺が話をつける。それに、ここはもう査問会の段階を何度も踏み倒されている。今さら形式にこだわる意味があるのか?」

 

「ああ……そこは上から圧力がかかりましてね。すぐ解放されちゃうんですよ」

 なるほど。これは意図的に捜査を遅らせる策略か。

 

「……分かった。これは王命だ。お前が何をしても、俺が責任を取る。だから動け」

「やっていいんですか?」

「ああ」

「ああ、こういうの、一度やってみたかったんですよね……!」


 ……なんだか嫌な予感がする。

 

 

「火薬仲介商会の東火屋、監査院である!神妙にお縄につけ!」

「あー……おい?なんでそんなに高圧的なんだ」

「シッ!部外者は黙ってください」

「いや、俺の管轄だからな?!」 

「監査院だと?ふん、今は造船所の調査で手一杯のはずだ。……お前、偽物だな?」

「ええい、監査院を騙るのは重罪だ。そんなわけなかろう!」

「フン、王城の上の方に親しい方がいるんだぞ!お前らなど潰してくれるわ!」

「なに?お前、この方をどなたと心得る!傭兵団の守護者、オーバーノート様だぞ?!」

「守護者?そんなもんになった覚えはないが?!」

「は?!っ……ははー!!」

 

(……ちょ、待て!なんで俺の名前を出すんだ。俺は王城には詳しくないぞ?!)

(はったりで充分です。現場ってのは使えるものはなんで使わないと!)

 

「いや、だとしてもだ」

「責任をとるんでしょう?さっきからちょっとうるさいですよ。黙っててください!」

「お、おう……」

 

 あまりの勢いについ従ってしまった。それが悪かった。

 結果、王都の火薬を扱う商人をほぼ総浚いされる事態になった。

 

「監査院の名において貴殿らを貴殿らを査察する! 異論は認めん!」

「勝手に決めるな!」


「火薬違法販売の現行犯で逮捕します!」

「……はいはい、お前らはこっちで捕縛な……って、待て!そいつを捕まえ」「はいどうぞ」

「おう……あんた中々強いんだな」

「監査から逃げたい奴らは多いですからね」


「監査院である!逃げるならお宅の火薬庫を押収する!」

「そんな権限――」

「王命だ」

「な……こうなりゃ……ヤケだ」


「火?!まて、早まるな!間に合わない……くそっ!」

 俺は王族権限を行使し、強制的に火を回収する。

 同時に、たまたま近くにいた火にまつろう存在を、回収と反対の手で引き離して抱え込み、引火を防ぐ。


 危なかった。

 あれが火薬庫に引火していたら、王都の1/4が吹っ飛ぶところだった。

 今回は人の魔術の火だったからこそ回収できたが、もし薪や呪いに紐付いた火だったら、完全に抑えきれなかっただろう。


 それがなくても、もしこの金の小鳥に引火していたら、王都は呪いで長い間使い物にならなくなるところだ。


「……火薬にまつろうお方とみうける。此度は迷惑をおかけした。損失はなかっただろうか?」


 金の小鳥は衝撃に固まっていたが、やがて我に返ると、じっとこちらを見つめてひとつ頷くと、さっと飛び去った。

 どうやら、怨みを買わずに済んだらしい。


 俺は無事に火の脅威から解放され、ほっと肩の力を抜いた。

 

  

 あまりにも危なっかしい。監査院に抗議し、さらにふたり短期で増員してもらう。

 人員を補強できたことで、少しは不測の事態を減らせるはずだ。

 

 ……が、問題はまだ終わっていない。

 

 幸い、押収した火薬のほとんどは貴族たちへの予約状態で、まだ売却には至っていなかった。

 しかし、暴発防止の処置はされておらず、保管状態は劣悪だ。

 倉庫を巡って火薬を回収するが……おかしい。

 想定の倍どころか、いや、10倍――?

 火薬の輸入、売買には国への申告が必要なはずだが、形骸化していたようだ。

 

 これがもし引火すれば、王都どころか半島ごと吹き飛ぶ規模だ。

 冷たい汗が背を伝うのを感じた。

 いっそすぐ防止処理してしまうべきか。


 王都の火薬製造業者に尋ねると、少量ならすぐ処理できるが、大規模な処理には専用の設備が必要で、その準備には数ヶ月かかるとのこと。

 すぐに処理もできず、一時保管先を確保しなければならない。


 倉庫の名義を変えるのは難しいし、俺の側近はまだ前線から戻っていない。傭兵団の伝手ならあるが、信頼できて即動ける相手はいない。


 軍部に掛け合うのも手だが、手続きに時間がかかりすぎる。

 そこで、王都の財務部に協力を求めた。

 彼らは軍部より融通が利き、貴族たちとの取引で使う民間船の手配が可能だ。


 鋼鉄運搬用の頑丈な民間船を一時倉庫として利用する案を出してもらい、急ぎ契約を取り付ける。

 


 監査官たちに回収と処罰を任せ、俺は彼らが作った売却先リストを元に、不正な火薬の流通経路を追う。

 どの貴族がどれだけの量を予約していたのか、背景を洗い出さなければならない。

 

 調べを進めるうち、第一王子の側近の名が浮上した。

 兄に報告すると『公平な処置の後、尋問のために身柄をこちらに引き渡してほしい』とのことだったので、そのように手配する。

 どうやら単なる不正ではなく、もっと大きな陰謀に関わっているらしい。


 さらに、王国派と中立派の貴族数名の名がちらつくようになった。

 確認を取ると、それぞれの派閥内で対応を決めた。王国派の貴族は爵位の降格と罰金、中立派の者は家督を継ぐ権利を剥奪された。


 こうして表向きの処理は済んだが、処罰された者たちの動向には注意が必要だ。


 俺の母は罪人だ。当然、後ろ盾はいない。利権目当てで近づく者もいたが、利用価値がないと判断されれば簡単に切り捨てられる。

 そんな状況だからこそ、今は派閥の均衡を崩さないよう慎重に動くしかない。


 特にここ二、三年、王城では数日に一度、不審者が現れるようになっていた。それが最近では、ほぼ毎晩にまで増えている。


 王城内では攻撃魔術も防御魔術も禁止だ。

 可能なのは禁止することが難しい呪いか、物理的な攻撃のみ。


 俺は王城では常時微弱な調停を発動させている。

 これは攻撃でも防御でもない交渉魔術だ。おかげで大抵の呪いは無効化できる。だが、相手が武器を取るなら、こちらも応じるしかない。

 暗殺未遂が常態化している今、戦い方を間違えれば即座に命を落とす。


 今はメイもいない。護衛が手薄な分、慎重に行動する必要がある。できる限り人目を避け、単独行動を控え、確実に安全を確保してから動く。


 それでも夜の屋内はひとりだ。

 レントがいてくれたおかげで助かった。風向きという種族は悪意に敏感だ。俺が寝ている間に危機があればすぐに起こしてくれる。

 おかげで毎晩来客があっても、被害はせいぜい朝寝坊程度で済んだ。


 

 

 監査が落ち着いた頃、休戦となった国境からメイと傭兵たちが帰還した。

 状況を確認すると、やはり俺は死んだことにされ、傭兵部隊を中立派の貴族が取り込もうとしたらしい。


 そいつは上から命令ばかり出し、傭兵たちを支配しようとしていたが、メイの逆鱗に触れた。

 結果、最前線に放置され、砂海の捕虜になったそうだ。

 砂海に捕まるということは、捕虜として金になるか、生贄として対価にされるか、そのどちらかだ。


 メイの逆鱗――?……ああ。

 傭兵部隊でも最強格のメイを召使扱いし、『女は引っ込んでろ』などと口にした、と。

 ……命があっただけ、優しい処置だな、それは。


 

 

 

「……そろそろ動く頃合いでは?」

 

 メイが俺に問いかける。

 俺はレントにやる花を手に取ったまま、動きを止めた。 


 明日、兄が成人を迎える。


 従属の印を得てから知ったことだ。

 本来兄のために、やはり俺は王に処分されるはずだった。

 

 俺はまだ生きている。

 でもそれもいつまで許されるのかわからない。

 

 兄は俺を生かそうとするかもしれない。

 だが周囲がそれに従うとは思えない。


 

 俺の未来は、この六花地方と同じように行き止まりだ。

 

 篝海を含む六花地方は、砂海帝国と深森皇国から度重なる侵攻を受けている。

 地方統一の必要性は、傭兵団と共に戦った戦場で痛感していた。

 貴族たちは軍需品の高騰で利益を得たが、いざ命のやりとりとなると、及び腰になる。

 

 しかし、六花のどこかが陥落すれば、そこを拠点に一気に戦乱の絶えない地域になってしまう。

 

 だが俺と違い、この地方は統一すれば、東西と同等の勢力になる。

 そうすれば、東西の大国の代理戦争の舞台とならないよう、うてる手が増える。 


 本来であれば、第二王子として己の派閥を使い、勢力と影響力を増してその道を行くのだろう。

 だが、貴族たちとはそれなりにやりとりはあるが、あの両親のおかげで、俺には後ろ盾となる勢力はない。

 軍部は功績のおかげで多少の融通は効くが、国王派が動けば、そちらになびくのは目に見えている。

 

 だから俺は反乱軍を決起させ、地方統一を進めるつもりだった。

 本来なら、もっと早く動き出せたはずだ。


 フタを開けてみれば、従属の印の件で俺本人がほとんど動けず、周りに負担を掛けた。

 さらにこの前の前線で戦力を減らしてしまい、期を逃した。

 情けない。


 戦力は不足している。

 それでもやるべきことは変わらない。

 

 それなのに――躊躇してしまった。

 

『僕の弟を守りたいんだ』

『また遊びにおいで』


 優しい言葉が、今でも棘のように胸に引っかかる。

 あのふたりなら、きっと違う道を見つけるだろう。


 「……すまない、少しだけ時間をくれ」


 決断を下す前に、かの王が何を考えているのかを知りたい。



 

 火竜と篝海の契約は、先王の時代に結ばれた。

 異なる価値観を持つ者同士の交流を促すものだった。


 しかし、初対面の印象が最悪だったため、長らく最低限の契約履行に留まっていた。

 それを変えたのが、ルバート第一王子の啓蒙活動だ。

 彼の尽力によって『火竜と人間は異なる価値観を持つ隣人である』という認識が広まり、ようやく少しずつ交流が増えつつあった。


 そんな状況下では、あまり火竜を巻き込むべきではないと理解している。

 とはいえ、水晶宮まで火竜が一晩で往復できる利便性は何ものにも代えがたい。輸送費は高価だが、必要な時にはそれだけの価値がある。


 だからこそ、スルツェの提案は有り難かった。


 今回も火竜スルツェの力を借り、夜更けの水晶宮に足を踏み入れる。

 あの時と同じ窓が開いていた。迷いなく忍び込む。


「火薬の件、うちの商人が迷惑をかけた」

 静かに近寄って声をかけると、既に気づいていたのだろう。

 雪月を名乗る王は、穏やかに微笑んで応えた。


「誤解が解けたなら何よりだよ」

「なあ、もう一度挑戦させてくれないか。俺が勝ったら、あんたに訊きたいことがある」

「挑戦者はいつだって大歓迎さ。じゃあ、勝者は敗者に質問できる、そういう条件にしよう。互いに回答を拒絶することもできる。ただし、嘘や禍根、『この場でおさまらない話』はなしだ」

「それでいい」


 聴きたいことを判断材料にして決めるだけだ。


 商人達に取り入るために流行りの遊戯盤を試したこともあったが、俺にはこの原始的な遊戯盤のほうが性に合っていた。

 駒を泳がせるように動かし、予想と現実の誤差を埋めていく。


 ──楽しい。


 何も背負わず、ただ目の前の盤上に集中する。こんなにも軽やかで、心が動くものだったとは。

 夢中になり、手を進める。駒を取られる。だが、その駒を囮にして新たな攻め筋を見つける。

 

 爽やかな葡萄の香りに我にかえる。

 どうやらいつのまにか紅茶ももらっていたらしい。すっきりとした味わいが美味しい。


 気づけば、勝っていた。


「おめでとう、君の勝ちだ」


 雪月の言葉が、静かに落ちる。

 あまりにも自然に、するりと勝負が終わってしまった。


 ふと肩に重みを感じる。レントがいつの間にかそこにいた。

 メイ達の前ですら姿を見せない警戒心の強いレントが、こうして寛いでいるということは──


 ここは、少なくとも敵地ではないのかもしれない。


 だが、問題はそこではない。


 俺がここに来た理由は、ずっと保留にしていた判断を下すためだ。

 決起するのか、まだ力を蓄えるのか──

 この選択には、あまりにも多くのものがかかっている。


 だというのに、口を開こうとすると、何かが喉の奥に引っかかった。


 ……いや、迷っている場合じゃない。

 この為に来たんだろ。

 

「あんたはこの六花地方をどう思う?」

「そうだね。南の篝海と北の氷香は広大だ。工業の要、煉峰と信仰の灯、信赦。それに紐付く小国は煙鋼と睡烏。みんなで手を取り合えるといいと思っているよ」

 

 優しく柔らかな言葉だが、その視線はまるで剣のようだった。

 必要ならば、切る。

 それをためらわない意思を、隠すことなく突きつけてくる。

  

「煉峰と信赦を押さえれば、他の小国は地理的に追従するしかなくなる。地方統制もぐっと楽になる。そうは思わないか?」

「対等にやり合うため、東西の大国を相手取るために?だからって内側から腐らせる害虫を飼う趣味はないなぁ」

 

「あいつらには虫になるほどの知恵があると思うか?」

 雪月は苦笑した。その笑みには、うんざりした色が滲んでいた。

「自らの利益よりも、他人の損失を望む者はどこにでもいる」

 

 小国とのやりとりに、辟易しているのだろう。

「そんな連中に惑わされずに、価値観も環境も違う相手と向き合い、寄り添うためには揺るぎない覚悟が必要だ」

 若葉色の目がどこまで背負うのかと、問いかける。


 だがだからこそ、俺には回りくどく見えた。

「覚悟ね……。それで同盟だけで自国を守って行けると?森の支配が及ばない土地や、豊かな緑を際限なく欲しがる、深森や砂海の長い手から?」

 

「だからこその同盟だろう?」

「……綺麗事だ」

 俺の言葉に、少し冷たい空気が流れる。

 

「国は綺麗事だけではまわらない。でも、それすらなくなったら—— 一体、誰が信じてついてきてくれるんだい?」

 不思議そうに問うその声に、思わず言葉が詰まった。


『僕は、みんながみんなのまま、協力しあえたらいいと思うよ』


 ——雪月も、兄も。

 人々を引き寄せ、信じさせる力を持っていた。

 その指さす先に、望む光を見せてくれる。

 あと少し手をかせば、必ず成してくれると信じさせてくれた。


 俺には、そんなものはない。

 みっともなく生きていたい、と我欲を主張することしかできない。

 出来る限りの対価で、なんとか力を貸してもらえても、そこまでだ。

 

 ドゥールとメイが育てた俺を見捨てないでいてくれたから。

 なのに俺はそのふたりにおんぶにだっこの情けない奴だ。

 希望を見せることも、あと少しで成せると信じさせることもできない。


 今、俺が生きていられるのは、王の従属の印があるから。

 父が、まだ処分を保留にしているだけだ。

 もしかすると——あの父もまた、人を信じさせる力を持っていたのかもしれない。

 従属の印がある限り、父は俺を殺さない、かもしれない。

 そんなの信じられない。


 ……こんな意志では、地方統一など到底できるはずがない。

 俺は指さし導けない。光なんて見せられない。

 ——それが、俺の現実だ。

 

「誰かなんて——必要ない。……紅茶ありがとう」

 

 吐き捨てるように言い、竜の背に飛び乗った。

 振り返ることなく、ただ、帰る。


 ——今のままでは、勝てるものも勝てない。


 感傷に浸る暇はない。

 状況を見極め、動く。

 そのために、俺は——


「ミィ、ミィ!」


 レントの声が耳元で響く。

 だが、今は。


「……悪いが、後にしてくれ」


 そっと懐に押し戻し、その場を後にした。

 

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