残したいもの、渡したいもの
かつり、ことりと音がする。
木の盤面に駒が触れる、馴染んだ感触。
これは……駒遊びか。
「……ここは…………夢か」
今はもう改装され、この書斎のビリジアンベルベットはなくなってしまった。
「……懐かしいな」
静かに呟いた後、雪月はふと苦笑する。
「いや、懐かしすぎるだろ……」
この時間、この空間。
この静寂を破る声が、あの頃と同じように響いた。
思わず若葉の目を見開いて、振り返る。
「やあ、放浪者。久しぶりだね」
「幻覚か……紛らわしい」
閉じた声は随分と温度がない。
「いや、どうやら私と君の見る夢が繋がってしまったようだよ」
気づけばかつてのように、盤面を挟んでふたりで座っていた。
遊戯盤の横には紅茶と焼菓子。
放浪者には珈琲とチョコレート。
甘く優しい夜の香りがする。
盤面ごしの姿は懐かしいのに随分と、大人の貫禄を持つようになった。
無駄を排した黒服に刈り込まれた蜂蜜髪は変わらずだが、瞳の南洋色は随分と深みを増したようだ。
「……本当に……雪月、なのか」
放浪者の声が僅かに熱を帯びて震えた。
「ああ。昔魂の裏側に増設した予備記録から、記憶の欠損を復元したよ」
「復元……はは……なんだそれ。さすが雪月だな……」
じわり声がうるむ。
「息災のようで何よりだ」
雪月は安堵を吐き出した。
どうやらそこまで変わってはいないようだ。
「雪月……すまない。俺は……っ!」
放浪者の声は詰まり、言葉にならない。
雪月はふっと小さく笑い、首を横に振った。
「大丈夫だ……お互い中々上手くはいかないな……さて、折角だ。一戦しないか」
放浪者は目を細めた。
「……こんな時にか」
「こんな時だから、さ」
「俺はあの時もう、一生でこれが最後だと思ったんだ」
「ふむ……じゃあ――やめておくかね?」
放浪者は目をさ迷わせた。
雪月がとん、と盤を叩けば、駒はあの頃同様に整列する。
覚悟を決めて、珈琲を一気にぐいと飲み干して言い放った。
「――いや、やる」
最初の一手は放浪者が指した。
「君のお兄さんが随分と頑張ってくれた」
「……兄上が国の整備をしてくれていたおかげで、準備が楽だよ」
「このまま嵐の先が安寧な時代になればいいのだが……」
一手、また一手。駒が進む。
雪月はふと顔を上げ、別の話題を持ち出した。
「ああ、そうだ。放浪者、国内で革命屋を見かけたよ」
「あいつが現れたのか?!」
こん、と駒を動かして、雪月は続けた。
「国全体にかけた防衛線上にな。だがすぐ消えた。しかし、以前の証跡は忘れようもない。この地方に触れれば、魂が身体に拒絶される呪いを残滓から送りつけておいたよ」
「何を言っているかよくわからないが……さすが雪月。頼りになる」
「呼吸困難、意識障害、魔術免疫の暴走……魂にかけたから、身体を乗り換えても消えない。次はそう簡単には動けまい」
喉の奥でくつと笑う魔術王に、放浪者は息を呑んだ。
「……えげつな。だが溜飲は下がる」
雪月は肩をすくめた。
長い沈黙の後、放浪者はずっと言いたかった言葉をこぼし、手持ちの駒を撫でた。
「……アルペジオを……すまない」
雪月は盤面を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……うん……別の世界で上手くやってるといいんだが……」
「え?」
放浪者は動揺して思わず手を止めた。
「待て。待ってくれ……死んだんじゃないのか?」
「ああ。うちの家系にはな、よくどこか遠くに行ってしまう者が出るんだ。そんな者たちが、郷愁にかられて送る『瓶入りの手紙』というものがあってね」
「瓶入りの手紙?」
「一方通行のおまじないのような魔術さ。届く場所も、誰の手に渡るかもわからない。もしかすると全然違う世界に行ってしまうかもしれない。それでも送らずにはいられないものらしい。この辺りは特異点らしくてね、運良く辿り着くものがよく見つかるんだ」
「……それがどうアルペジオに絡むんだ?」
「そのうちひとつにまだ向こうと繋がっていた花弁があったからね。花弁を辿ってその元の本体の花とアルペジオを交換した」
放浪者は絶句する。
「……違う世界なのに、そんなことが可能なのか?」
「たまたま上手くいったものでね。できたのはこのとっておきだけだ。花が咲く環境なら……まぁ、あの子のことだ。アルペジオならきっと大丈夫だろう」
小さくため息をついて、放浪者は思いを口にした。
「違う世界に紛れ込んだ生還者の話を聞いたことがある。魔術の原理が根本から違うと」
「そうだねぇ……その原理関連の研究に飽きて宿雪に手を出したんだったなぁ。……懐かしい」
雪月は遠くを見つめるように呟いた。
放浪者は半ば呆れたように、小さく笑う。
「……雪月らしいな」
「そうかい?」
雪月は楽しげに微笑む。
「ほら、君の番だよ」
「ああ」
盤面に視線を戻し、放浪者は駒を掴んだ。
「そうだ。スルツェはやはり約束にしがみついていた。酷い嘆きだったから、あの夜の記憶は眠らせたぞ」
かつり
「そうか。少しは楽になるといいのだが……。あの子が一番楽になるようにしてやってくれ」
ことり
こつ
「俺、みんなが居なくなって……これからずっと独りだと思っていた。…………でも、気づいたら子どもがいた」
かっ、と駒が弾ける音が響いた。
「……すまない、放浪者。今なんて?」
先ほどまで冷静に並んでいた駒が、一瞬で形を崩していた。
雪月はしばし黙し、盤上の駒を静かに直す。
「……君の子だって……?」
「発端は事故だったらしいが……」
ことり、と駒を置き、放浪者は続けた。
「やましいことは何もしてない。ただハーナが他国の罠にはまり、育成の小瓶を落とし、俺が拾ったんだ」
「なんと……」
「彼女はたった一人で育てていた。……俺は何も知らなかった。最初は執事や乳母と一緒だったが、魔術膜の性能が良すぎて事故が起きたそうだ。それで、高原で二人きりになった、と……雪月、俺はどうすればいい?」
こん、と駒を打つ音。
「ふむ。まずは、おめでとう、と言っておこう。子がいることでしか得られない経験がある。だが、当然やるべきこともある」
雪月は盤上を見つめたまま、淡々と続ける。
「そうだねぇ、……彼女と子どもと共に過ごす時間を作るといい。買い物、洗い物、料理も主体的にやるんだな。もちろん、彼女に確認を取ってからだが」
かつん
「雪月。俺たちは血族をつないではいけないだろう」
「そうだったな。だが、国名を持つ血族でなければ、まだ回避はできる」
「あの歴史書が終わるまで、あの子……アンダンテを国内に入れるつもりも、籍に入れるつもりもない」
「順当だな。それですむならその方が安全だ」
「嵐の先の旗印は俺ではなく、あの子がいいだろう。……でも、俺は継承の儀式はしたくない」
「継承の儀式?」
「篝海の継承の儀式は、前王を殺してその力を取り込むんだ」
「なるほど……それで? 本当に大事なものだけ、取り出せないのか?」
「大事なもの……?」
放浪者は考え、ぽつりと口にする。
「兄上は敵を排除し、魔術と記憶を継承して王の力を増すのが目的、と言っていたが……」
「彼にとっても、辛い儀式だったのだろう。だが、その手の儀式は往々にして切り札が隠されている。見誤らなければ、別の継承方法はあるはずだ。今なら身体から離れている分、探しやすいはずだ」
「……ああ、これか。『彷徨者』……?」
「おや……どこかで聞いたことあるような響きだな?馴染みやすい魔術なら、共に何度も使えば譲渡できるだろう」
こつり、と駒が動く。
雪月は盤上の駒を見つめ、しばし沈黙した。
「……そうだな。子どもが生まれることは、新しい可能性を生むものだよ」
ぽつりと呟いた後、顔を上げる。
「レトロが言い置いていった。まだ影も形もないが、孫が生まれるらしい」
雪月の盤上を見つめる視線が和らいだ。
「孫?」
「ああ。……その日に終わるよう来てくれないか」
「終戦夜の生誕の特例か……お前はそれでいいのか」
「…………今までの孫には、幸福な生となるよう言祝ぎを施してきた。だが……その子が少しでも生きやすくなるなら、それがいちばんの言祝ぎだろう。そこから先は……皆に頼むしかないな……」
雪月はゆっくりと息を吐いて、駒を動かす。
「そうだ、私も継承に必要なものを残し渡すべきだったな。……おそらく継承者は遥か先になるだろう。……そうだな、トラッテンタリアに預けるか」
放浪者は何か考え込みながら確認するように駒を眺めた。
「ずっと悩んでいた…………だが、腹をくくるべきだな」
ふっと息を吐き、駒を一つ指で押し進める。
「なあ、雪月。俺決めた」
その指で静かに拳を握った。
「ん?」
雪月は添えるように駒をずらす。
「隣国の王族暗殺、兄王の殺害、国の改革、戦争――どうせ俺のやることは悪行ばかりだ」
放浪者の指が不意にわずかに震えた。
「だったら、徹底的に悪役を貫く。怨嗟も呪いも、全部俺が引き受ける」
ぎゅっと駒を握り込んでからとん、と駒を押しこむ。
「可能な限り背負えば、残った者たちは少しでも楽になるだろう。俺にはスルツェの守護がある。形代になり切るくらいの頑丈さはあるはずだ。修正した年まであと24年。それまで準備を重ねつつ怨嗟を集める。統合から20年もあれば、地方のおおかたのものはなくなるだろう」
放浪者は静かに笑い、雪月の視線は鋭くなった。
「……放浪者、それは君が苦しみ抜いた末に、怨嗟や呪いに飲み込まれる結末になると分かっているのか?」
「分かってるさ。……でも、それでアンダンテがそこから自由になるなら、それでいい」
放浪者の声は低く、迷いのないものだった。
だが一拍置いて、ふっと目を伏せる。
「いや……もしあの子がそれを拒むなら。……その時は考えなきゃな」
雪月はしばし沈黙し、目を閉じると静かに口を開いた。
「…………では、こちらも少し調整しよう。残す者たちには、新しい都市を擬似的に作成させる。王都近隣がいいな。極秘の擬似魔術結界で隠し、そちらから見えないようにする」
「……なあ。失敗するわけにはいかないんだ。俺は……どこまで壊せば、あの未来を防げる?」
放浪者の声は、微かにかすれていた。
雪月は目を細め、静かに答える。
「ふむ。……そうだな。以前なら王族全員の処理で足りていただろうが……思わぬことが起きたからな。今は影響力が増しすぎた。…………水晶宮までは必須だろう」
彼は盤上の駒を優しくそっと摘みあげて除けた。
「球状結界を反転させるといい。制御権……この形見の駒を持ってくるんだ」
そう言って、懐から駒を差し出した。
「待て、それはお前の大事なお守りだろう……?」
「ああ。……だから、あまり苦しまないようにしてくれると助かるよ。内と外を入れ替えるんだ。その日までに出せる者はすべて出す。その為の都市作成だ。ここを陥とせば指揮系統もろとも、すべてそちらの掌中に落ちるだろう」
「……分かった」
放浪者は雪月の手の内を大切に受け取り、決意を込めて一度ぎゅっと握りしめると、そっと懐にしまった。
雪月は放浪者を見て、ふっと静かに息を吐く。
「…………なあ、放浪者」
「ん?」
雪月は一瞬だけ目を伏せ、淡く苦く微笑んだ。
「………………酷なことを頼む。どうせ最後なんだ。スルツェに、私の最後を頼みたい」
静寂が落ちる。
放浪者は何も言わず、ただ雪月を見つめた。
その若葉色の目の奥で、決して口にはしない何かが揺らいでいた。
「……それは、スルツェに水晶宮を焼け、と言うのか」
「そうだ。他の悪意が入らないように、彼なら私の最後を、私の孫を、守ってくれるだろう」
放浪者は長く息を吐いた。
それがどういう意味を持つのか、よく、分かっていた。
「…………近いうちにスルツェをそちらに行かせる。そこで説得できたら、だな。スルツェが言ってきたら、その段取りで進める」
「頼む。感謝するよ」
沈黙が一瞬流れた後、放浪者が静かに息を吐く。
「……さて、これで俺の勝ち、だな」
「ふむ……なかなか腕を上げたな、放浪者」
「久々に楽しかった。そうだ、レトロから紙切れを預かっているんだが」
「ああ、私もだ。……おそらく、何かを共有できるものなのだろうな」
「試してみるか?」
「目覚めたら、な」
雪月――ルカは目を覚ますと、サイドチェストにしまっていた紙片を取り出した。
常備しているペンを手に取り、静かに書き込む。
『新米パパ、おめでとう。頑張れ』
*
「ジュドロ。どうして、こんなことをしたのかね」
朝の執務中、王宮を移動していたルカは、突然の襲撃を受けた。
襲撃と言っても、大人の暗殺者ではない。
まだ幼い甥が小さな短剣を手に飛びかかってきたのだった。
護衛がすぐに取り押さえ、ルカに怪我はなかった。
国を治めている身としては小さな甥といえど、問いたださない訳にはいかなかった。
「父様が帰って来ないのは、伯父様のせいだってききました」
アルペジオの子の言葉に、一瞬ルカは言葉を失ってしまった。
あまりにも正しく、なにも言い返せなかったからだ。
「……なるほど」
ルカは静かに息をついた。
「ジュドロ、もしそうだったとしても、だ。こんなことをしたら、捕まってしまう。そうしたら母上を誰が守るのだ?」
「……あ」
幼子の顔に、不安が広がる。
「アルペジオなき今、お前と母上はふたりきりの家族だろう?お前が家を守らねばならない」
「でも……」
「アルペジオは国やお前達を守るために、遠くで戦っている。今度はお前が母上を守る番だ。できるな?」
「……うん」
「いい返事だ。頼んだよ、小さな騎士くん」
幼子は真剣な顔で頷いた。
そして、彼の母が迎えに来る。
「いいかい、ジュドロ。世の中には、見えていないところで動いていることがたくさんある。聞いたことをそのまま信じるんじゃない。その裏に何があるのか、考えるんだ」
「……うん」
「よし、行きなさい」
少年が去ると、ルカの瞳から温かさは消えた。
小さな甥は唆された。
まだ片手で年が数えられる子供が、王宮の奥深くまで侵入し、武器を持っていた。
大人の手がなければ、絶対に不可能だ。
おおかた、あの男か、あの女だろう。
王族への配給金を削減した不満か。
今は放置する。
最後まで王族の誇りに縋る者は、国の礎となってもらおう。
だが……これで大方の逃してやりたい者たちは王族から逃がせたか。
「ジュドロ達を平民へ籍をうつす。彼らが城下町に馴染めるよう、段取りをしてやってくれ。以後アスタルテ家とノルドラント家がこの件について私へ問い合わせても取次は不要だ」
事務的に側近へ指示を出すと、彼らは淡々と書き留め、手配に移った。
平民への移籍とその補助業務は、すでに慣れた作業だった。
*
アンダンテはうんざりしていた。
山羊たちをおいながら、いつもの帰路についた。
日が落ち始め、夏の高原の草いきれを風が少しずつ奪い去っていく。
だけどもやもやした心はそのままだ。
メイさんや、ルバートさんが俺の父だったら良かった。
それなら母に見合う人だと納得できたのに。
実際にはあの愛想と目つきの悪い、口数の少ない奴が自分の元らしい。
あいつには大人の事情があり、今まで俺たちのことを知らなかったそうだ。
けれど、それを差し引いても、連日のように母との熱愛ぶりを見せつけられるのは正直きつい。
最初は、絶対に許すつもりはなかった。
けれど、母の仕事に口を出して叱られたり、こっそり手伝ったことで逆に怒られたりしているうちに、なんだか調子が狂ってきた。
しかも、毎日決まった時間に現れては、夜には帰っていく。
一日中いるわけでもないのに、存在感がすごい。
そんなある日、あいつが焼いたパンケーキを食べた。
ただ焼いただけのはずなのに、驚くほど美味しかった。
母さんは、それを食べながら嬉しそうに笑っていた。
それを見たとき、もうどうでもよくなった。
結局、あの夫婦は一緒にいて飽きないんだな、と思う。
それに、護衛がいたとはいえ、母さんはずっと一人で家を切り盛りしてきた。
だったら、母さんが幸せなら、それくらいは呑み込むしかない。
朝が来て、夜が来て。
変わらないように見える日々は悪くなかった。
だがある日を境に、母さんの体調は坂を転がり落ちるように悪くなった。
最初は長引く風邪だったが、やがて肋骨が折れ、動くことすらままならなくなった。
回復したころには筋肉が衰え、段差も越えられず、無理に魔術で補えば痛みが走る。
そうして、とうとう寝たきりになってしまった。
その日、静かな部屋で彼は切り出した。
「アンダンテ、一つ話がある」
低く響く声に、思わず背筋が伸びる。
父は椅子に腰掛け、指先でテーブルを軽く叩いた。
小さな音が少し息苦しい。
「なに?」
「今はまだ無理だが、いつか正式に俺の子として迎えたい。嫌ならそれでもいい。ただ、お前の将来について考えを聞きたい」
「僕の将来……?」
「ああ。お前は何になりたい?」
彼は真っ直ぐにこちらを見ていた。
「俺には家業がある。それに関わるなら、選べる道は限られる。だから聞いておきたい」
「……羊飼いか、魔術師」
口にした瞬間、今までは気がつかなかったが、妙な違和感があった。
それは、本当に『自分の言葉』だっただろうか。
いつか母が言っていたことを、そのまま口にしただけ……?
一瞬の沈黙のあと、彼は低く呟くように言った。
「そうか。では、こうしよう」
静かに手にした書類こちらに渡す。その指の動きすら無駄がない。
受け取った書類はとある学校の説明書と受験申請書だった。
「ずっとサボっていたのだろう?今の教師が合わないようだから、新しい教師を呼んできた」
「え」
「3ヶ月以内に煙鋼のフォグテリア学園に合格しろ」
「なんで?」
「合格しなければ、羊飼いになる。お前の意思を尊重し、ここで暮らせるよう手配する。だが、その場合、ここからは出られない。俺の関係者も、お前に一切関与しない」
「は?」
「一切の接触の痕跡を排し、転移門は撤去する。俺の周囲の連中がお前やこの地域に手を出さないよう、対策を取る」
冗談ではない、という静かな圧力があった。
「合格したら、寮に入るんだ。……もう、オルロも長くない。彼女を安心させろ」
「さすがに、横暴すぎるだろ!」
思わず叫んだ。
あまりに一方的すぎる。まるで遊戯盤の駒を動かすように、僕の進路を決めようとしている。
「……合格したら、機を見てお前の進路を再度問おう。魔術師になりたかったら、それだけの素養を示せ。だが、もし家業に関わる場合、社交や経営は避けられない。アンダンテ、これは俺の子として生まれてしまった以上、俺は親として、お前に最低限の知識を持たせる義務がある。これはその最低限の装備だ」
淡々とした声。
それが余計に腹立たしかった。
「……そんなの、勝手すぎる」
「嫌なら縁を切り、羊飼いになる道もある。お前がそう望むなら、いつでも手配しよう」
「……は……」
混乱する頭の中で、考えがまとまらない。
「今すぐ決めろとは言わない。3日やる。それまで、新しい教師の指示に従え」
「……新しい教師……?」
ようやく顔を上げた僕の目の前に、懐かしい顔があった。
「え……メイ、さん……?!」
「よう、アン。久しぶりだな」
にやりと笑う美しい顔は、まったく変わっていなかった。
高原の風が吹き抜けるなか、メイに愚痴らずにはいられなかった。
「……そうか。ノートはお前にそんなことを言ったんだな」
「横暴だと思いませんか?母さんとの熱愛っぷりで、あの人が父親なのは納得しました。でも、それとこれとは別です!ここまで人の人生を勝手に決めるなんて……!」
「……なぁ、アン。君は『自由を奪われるのは理不尽だ』と思ってるんだろ?」
「当たり前です!」
「じゃあ聞いてくれ。君が『自由』だと思っているものは、本当に自由だったのか?」
さわり、風が抜けた。
「……そいつは生まれてすぐに戦場に出された」
メイの声が、ふっと低くなる。
「母親は育てる気がなく、傭兵たちが交代で世話をした。戦場で生き延び、やっと家に帰った時、母親に毒を盛られた。……父親は知っていても助けなかった」
風が吹き抜ける音だけが、耳に残る。
「それでも、そいつは大人たちを信じ続けた。何度も、何度も」
そう言いながら、メイは軽く目を伏せる。
「……本当は草原を駆け回るのが好きだったのにな。王族だからって理由で、その自由を諦めた」
メイの声が風にのってとんでいく。
「そいつに比べたら、君には随分と優しい選択があるとは思わないか?」
「……それって、誰の話ですか。メイさん?」
言葉にするだけで、喉が少し詰まった。そんな過去を生きた人間がいるなんて。
いるのかもしれない。
でもそれは僕の知る世界とは違いすぎる。
「いや、俺じゃない。ただそんな奴を隣で見てきたからね。選択できる自由があるなら、悔いのない自分の人生を決めて欲しいな。……ってことで、説教はこれでおしまい」
一瞬風がやんだ。
「……さぁ、羊飼い以外の道を諦めたくなかったら、死ぬ気で頑張ってくれよ……?」
草原を強い風が吹きぬける。
美しい顔が笑みを形づくるが、その向こうになにか違うものがみえる。
「……え? メイ、さん……? なんかこう……めちゃくちゃ圧が強いんですが……?」
「俺もな、やるべきことを放り出してきてるんだよ」
聴いたことがないくらい低い声がする。
「だから……お前を甘やかす余裕はない。びしばし行くぞ?」
「……ひぇ」
満面の笑みというのが、実はかなり怖いものだと知ってしまった。
だが、そうして鬼教官のおかげで、学園には無事入学し、寮に入ることができた。
けれど、合格通知を手にしたとき、不思議と嬉しさはなかった。
ここに至るまでの時間が、あまりにあっという間で、ただ流されてきたような気がして。
でも。
ここからは、自分で決めなければ。
母は父と部下の人達が面倒を見てくれたから、僕は安心して寮に入り、休みの度にあの高原の山羊小屋に帰った。
2年もしないうちに、母は天寿をまっとうした。
穏やかな顔だった。
ただ、山羊小屋に帰っても、もうあの声は聞こえない。
それが、少しだけ不思議だった。
母がいた頃は、もっと風が優しかった気がする。
だから最初のうちは夜にどこからともなく現れる父に付き合ってあちこち彷徨い歩くのも、寂しさを紛らわせるのにちょうどよかった。
だが、それが単位に関わる程度に頻度が増え、度を越してきた時には、思わず怒りをぶつけた。
「ちょっと! せめて試験前くらいはやめてください!」
「……すまん」
父は眉を下げ、視線を落とした。その姿は、まるで叱られた犬のようだった。
いや、知らないからな!? そんな顔されても!!
「……仕方ない。週一なら付き合います」
「本当か……?」
「その代わり、試験前は絶対に邪魔しないでください!」
すると、父は何かを考えたあと、小さく頷いた。
「わかった。約束しよう」
なんだろう、この変な達成感は……。
そもそも、なんで私が慰める側になってるんだ?
留学が決まって仲間と喜んでいると、祝いだとまた父が連れ去ろうとしたので、全力で拒否した。
流石に仲間達の前で姿を消す趣味はない。
だがそのせいでうっかり知ってしまった。
篝海の暴君。
それが私の片親だという。
一瞬、何かの冗談かと思った。
けれどその時に国としてやっていることを見る限り、どうやら本当にそうらしい。
ただ噂は兎も角、その政策を見る限り、暴君のふりをしたまともな人だ。
(……いや、それはそれで厄介じゃないか?)
ふと気づいた。
羊飼いの仕事って、要するに群れをまとめ、外敵から守り、時には犠牲を選ぶことじゃないか?
それって、結局、経営や外交――王様業と、大して違わない。
羊飼いなら、悪くない。
だからそちらへの留学を決めた訳だけど、だんだんと本当の暴君になっていく姿をみるにつけ、ああはなりたくない、と思ってしまった。
まだ、血縁関係を正式に発表していないから、逃げようと思えば逃げられる。
もし今、父が私のことを公表すれば、一気に国中の注目がこちらに向くだろう。
そうなれば、私の将来は勝手に決められてしまう。
でも、逆に言えば——今のうちなら、まだ自分で選べる。
だが、父よりマシな人間であれば、周囲が受け入れやすいのは、悪くない。
それなら……少しは考えてみても、いいかもしれない。
あれと同じと思われるのは遠慮したいが。
『留学おめでとう。これは留学祝いだ』
そう称して手渡された魔術は、一目で分かるほど、異質だった。
ただの魔術じゃない。
これはおそらく、とんでもない秘術だ。
けれど、この『彷徨者』があれば、羊飼いの息抜きに困ることはなさそうだ。




