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伝承リストと保護の約束



 酒あての会の翌日、ノートは兄王の執務室に呼ばれた。

 今日の用件は公式なものに違いない。

「兄上、およびでしょうか?」


「うん。知っての通り、先王時代の軍事改革で軍部が疲弊していて、人手が足りないだろう?だから、悪いがメイを近衛隊に返してもらうことにした。本人も了承している」


「……それは困ります」


「残念だが、王命だ。代わりに、君の護衛としてレトロと、あとニハル・ジュストが君をサポートすることになる」


「レトロと申します」 


「オーバーノート殿下、ニハル・ジュストと申します。王城で快適に過ごせるよう努めますので、どうぞ遠慮せずお申し付けください」


 心の中で不安が募った。

 だが、この決定が覆ることはないだろう。

 ここで無理に抵抗しても、結局何も変わらない。


 とはいえ、彼らが悪いわけではないと分かっているのに、どうしても気が進まなかった。


 

「ああ、よろしく頼む。兄上、メイは傭兵部隊の管理もしていましたが……」


「その所属はそのままだ。ただ、今のままだと彼の負担が大きすぎる。君の護衛、諸雑務、側近業務……確かに有能だが、使い潰したくはないだろう?」


「ですが、その分補助人員も入っています」


「君の負担が前王時代の影響で増えていたのは理解している。そのため、一時的に僕の方から助けを出していたが、そろそろ独立した体制にする時期だ」


「王弟として……ですか。それ、本当に必要なんですか?」


「必要なんだよ。君と僕が互いに頼り切るのではなく、対等な立場として機能していることを周囲に示すためにもね」


「……分かりました」


 ノートは言葉を絞り出したが、まだ納得しきれない自分がいる。

 理解はできる。

 それでも、すぐに受け入れられるほど大人ではないと自覚した。


「なに、メイと個人的に会うのは自由だし、彼が君を支え育ててきたこともよく分かっている。ただ……そろそろ巣立ちの時だ。引継ぎ期間も設けたし、君への影響は最小限にする。それでも、彼の負担を少し軽くしてやるべきじゃないか?」


「……分かりました。後ほどメイと話をするのは構いませんか?」

「もちろんだよ。さて、ニハルとレトロは業務を引き継いできてくれ」

 ノートが微かに息を吐くと、ニハルとレトロが軽く礼をして退室した。


 部屋に静寂が戻ると、ルバートはふっと息をつき、弟に向き直った。

 

 どうやら今日の兄上はお説教の日らしい。ノートは心の中で身構えた。


「ノート……君が王族を好きじゃないのは分かっている。だから、放浪しようが馬追いしようが、ある程度は大目に見てきた」


「理解のある兄上で俺は幸いだな、と」

「だがね? 国の民から見れば、君はどうしても王弟なんだ」


「出先でも良き王弟を目指して努力はしてる」

「確かにね。だからこそ、そろそろ王族としての役割ももう少し担ってほしいんだ」


「王族としての役割……」


「うん。知っての通り、即位してからの数年で、第三者に任せられる業務は可能な限り振り分けてきた。それでも、どうしても私が処理しなければならない執務は多い。そこで、君にいくつか代理でこなしてもらいたい案件がある」


 ルバートが差し出した手紙を、ノートはしぶしぶ手に取る。

 パラパラとめくった瞬間、動きが止まった。


「…………兄上、これは……縁談のようだけど?」

「縁談?」

 

 ルバートが手元を覗き込み、あからさまに眉を寄せた。

「すまない、余計な手紙が紛れ込んだようだ……へえ」


 彼の視線が一瞬、手紙の内容に留まる。

「……まだノートには早いな。これは私が断っておこう。他にも紛れていたら、こっちに渡してくれるかい?」

 

 ノートは手紙をもう一通手に取り、ざっと目を通した。

「……崖崩れの修復依頼? 領主や軍部は対応してないのか?」


「していないようだね。おそらく、君が手にしている手紙の山の中には、同じような嘆願書がまだまだあるはずだ」


 ルバートは淡々と告げると、ノートに視線を向ける。

「君にはこれを頼みたい。現地へ行き、実態を確認し、王族として裁定を下してきてくれ」


「……は?」


「もちろん、領主や軍部の判断が妥当で、手をつける必要がない場合もある。その場合は、どこに問題があるのかを調べ、こちらへ報告してほしい。父の時代に好き勝手をした貴族たちのせいで、監査院をどこに派遣するかの優先順位をつける必要があるんだ」


「……つまり、俺の評価にも関わるってことか?」

 

「そういうこと。だから、不正や賄賂、癒着は絶対に駄目だよ」

 ルバートはさらりと言い放つと、わずかに笑みを浮かべた。


「もしそんなことをしたら、君の傭兵票は没収だから」

「……それってつまり、俺は城に縛り付けられるわけだな?」


「君は大空の下が好きだからねぇ」

「さすが兄上。俺が嫌な点をよく押さえてらっしゃる」


 

「さてと」

 ルバートが懐から分厚い紙束を取り出した瞬間、ノートは嫌な予感を覚えた。


「……なんですか、その分厚いリストは?」

「視察に行くなら、ついでにここに載っている伝承の品も探してきてほしい」


「……また面倒事が増えてない?」

「1000個あるけど、全部持ち帰れるはずだ。君が頑張った成果が、僕への最高のお土産だよ!」


「兄上、それが本命だろ!」

「いやいや、可愛い弟の成長を見守るのが本命さ。レトロがメイから引き継ぎを受けたら、すぐに出発するといい」


「絶対違う。兄上のその顔、完全に俺を使って遊んでる顔だ……!」

 ノートは渋々紙束を受け取り、ぶつぶつと文句を言いながらページをめくる。


「……いいだろう。兄上め……土産の凄さで感涙にむせぶといい!」


 

 ノートはレトロとともに、まず崖崩れの現地へ向かった。


 領主や軍部が修復に手をつけなかったのは、単なる怠慢ではなかった。別の道があり、そちらを使えば大きな支障はない。

 崖崩れの影響を受けるのは、道沿いの小さな集落だけ。限られた予算の中で、より多くの人に利益をもたらす選択をした結果だった。


 視察を終えたノートは、その判断を理解したが――納得はできなかった。


 崩れた道を見下ろしながら、彼はふと昔を思い出す。

 この道は、かつて傭兵団『渡り狼』の一員として通った場所だった。


 夜明け前の出発、冷えた朝の空気、仲間たちの笑い声。

 あの日。ノートは、仲間は、確かに『生きていた』。


 かつてこの先にあった戦線で、仲間と肩を並べ、焚き火を囲んだ夜を思い出す。

 けれど、もう彼らの声を聞くことはできない。


 崖崩れに埋もれた道を見下ろす。

 まるで、あの頃の思い出ごと閉ざされたように感じられた。

 ……違う。彼らが歩いた道を、なかったことにはさせない。


 ノートは理由をつけて領主や軍部に掛け合い、崖崩れの修復を提案した。

 王弟の立場を振りかざさぬよう慎重に言葉を選び、彼らの機嫌を損ねぬよう説得を重ねる。

 時間はかかったが、最終的に了承を得て地元の民を雇い、自らも復旧工事に加わった。


 土埃にまみれ、汗を流し、道をならす。

 作業が進むうち、ノートはすっかり労働後の酒を酌み交わす仲間となっていた。


 ようやく工事が完了した頃、彼は嘆願を送った小さな集落のまとめ役を訪れ、改めて言葉を交わした。

 村人たちは修復された道を踏みしめ、名残惜しげにその先を見やる。

「これでまた、出て行った連中も帰ってこれる」


 彼らの目の奥に、遠い日を懐かしむ光が揺れていた。

 ノートは、それを見届けるように目を細める。

 ほんの少しだけ、肩の力が抜けた気がした。

 

「さて、次の目的地だな」

 ノートはレトロを見やり、馬を進めた。

 


  

 たどり着いた場所で、ノートは思わず声をあげた。

「最初が大鷲竜の冠羽とかおかしいだろ」

「静かにしてください」

「……悪い」

 

 大鷲竜の巣は、人の家ほどの大きさで、峻厳な山の崖上にあった。


 レトロは腕を組み、じろりとノートを見た。

「巣の主が不在とはいえ、随分と余裕ですね?」

「だから謝っただろ」

「命が惜しくないなら、ご自由にどうぞ。僕はそろそろこの辺で」

「……レトロ、今月の給料を楽しみにしておけ」

「危険手当は多めにお願いします」

「はぁ……」


 レトロは溜息をつき、遠くの山並みに視線を向けた。

 それを見て、ノートは首を傾げる。

「何をしてる……?」

「メイ先輩は本当に偉大だったと、改めて尊敬の念を送ってます」

「兄上といいお前といい、俺に冷たくないか?」

「冷たかったら、こんな命知らずの仕事しませんよ」

「お前なぁ……」


 言いながら巣に敷かれた羽根を一枚ずつひっくり返す。

 大鷲竜は、自分の生え変わった羽根を何枚も重ねて巣に敷き詰める習性があった。


「お、冠羽みっけ」

「竜の気配が近い!もう時間切れです、撤退しますよ!」


 子どもより大きな羽根を抱え込むノートの首根っこを掴み、

 レトロはできる限り遠く、森の外へと転移した。


 

 *



 ルカが気づくと、執務室のバルコニーから、小さな燠火色の小竜がこちらをのぞいていた。

「やあ、スルツェ」

 ルカが声をかけると、バルコニーの欄干に尻尾を巻きつけていた小竜が、小さく羽を広げた。

「暇だったから、来てやった」

「そうか、今なら誰もいない。こっちへ来ないか」

「いいだろう」


 とてり、と歩いてきた竜を抱き上げ、共に大机を眺める。

 そこには、はみ出るほど大きく長い紙が広げられていた。


「何をしていたんだ?」

「これかい?私の一族の系譜図さ。長く生きた分、子孫がずいぶん増えてね。分家する者たちの名前を決めていたところだよ」

「そうか。……確か、王族を名乗れるのは三代までにしていなかったか?」

「さすがスルツェ。君がそこまで詳しいとは知らなかった」


 ルカは紙の端を指でなぞりながら、少し目を細めた。

「七百年前の子の子孫は、もう五代ほど進んでいてね。でも、この子やあの子の子どもたちは市井に行ったから、系譜図も随分と賑やかになった。でも、生存しているこの子たちはまだぎりぎり三代だ。彼らを自由にしてあげないとね」

 

「こいつらが、それを望むかね?」

「これからの国は、小さくなった方がいいからね。だから義務をなくして、自由にしてやった方が彼らも楽なはずだ」


 スルツェはしばらく沈黙し、細い尾を揺らした。

「……本当に、小さくなった方がいいのか?」


「ああ、確信があるわけじゃなくて、これは勘なんだけどね」

ルカは、紙の上の名をゆっくりと指でなぞった。

「ここから百年くらいは、荒れるんじゃないかって気がするんだ」

「……そうか。お前がそう思うなら、そうするといい」


 スルツェは大きな翼を軽くたたみ、ルカの腕にすり寄ると、その手袋に額をこつんと押しつけた。

 

「……撫でろ」

ルカは笑って、素直にその願いに応えた。

 

 

 *


 

「報告ご苦労。委細承知したよ。手配しておくから、引き続きあの子の記憶に注視しておくれ」


 ルバートは近衛騎士のノックに手をかざし、遠話魔術を切った。


 記念式典を終えた国王の執務室には、ここ数日、祝辞を述べる客が引きも切らずに訪れていた。


「ルバート王、即位二十五周年おめでとうございます。お忙しい中、貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」

「ハーナ・アルガネロ、祝福の言葉をありがとう。あなたのなしてきたことを思えば、時間くらいいくらでもさきましょう……それは?」


「陛下、これをご存知ですか?」

「育成の魔術瓶ですね」

「ええ。身体に問題のある方が子を授かるための術具です」

 

「民間魔術から少しずつ改良され、今では立派な高等魔術に育ちましたね。確か、いまでは二人の魔術が流れるだけで発動するとか」

「お詳しいですね」


 ルバートは目を細め、魔術瓶を指で示した。

「……それで、何故そこからハーナとノートの魔術が立ち上っているのか。説明を願いましょうか?」

  

「申し訳ありません。私の不注意です。誓って、あの方とは何もありません」

「どういうことですか」

「半年前、近隣諸国会合で信赦の大司教から、発動しない不良品の術具があると相談を受けて、調査のために預かりました」

 

「また大司教ですか……本当に余計なことをしてくれますね」

「……ええ、さすがにそんなことはしないと思っていたのですが。それを持ったまま、うっかりノート殿にぶつかってしまって。彼は落としたこれを拾っただけ、なんです」


「まさか……!? それが稼働するには、教会に属する第三者が最初を解かないといけないはずだ……。最初から解かれていたのか?」

「……預かった術具が稼働状態になっているなど、恥ずかしながら私には感知できなくて」

 

「……もう育てるしかないのですね」

「ええ、幸せになるよう私が育てます」

 

 そう言い切った女塔主の声には、静かな決意が宿っていた。

 長い年月、数え切れぬ策略と駆け引きの中を生き延びてきた彼女だが、今回ばかりはただの計算ではなかった。

 

「私は伴侶は得られませんでしたが、幸い資金と子どもの環境を整えるくらいの力は持っているつもりです」 

 ハーナはふと、己の手を見下ろす。

 指先に刻まれた細かな傷は、長年の知略の証。

 彼女が築いてきたものは、富と影響力。

 しかし、それらがどれほど積み重なろうとも、個として寄り添う存在は得られなかった。


 だが、それでよかった。

 彼女はただ、この子に不自由なく生きる道を与える。

 それが、自分にできる唯一の償いであり、最後のやりたい事だった。

  

「そうですか……。失礼ですが、あなたが育てるのですか?信赦ではなく?」

「そもそもあちらの狙いが、私の子だった可能性が否定できませんので。乳母も執事もいます。必要な人材は揃えました。私だけでも問題なく育てられるかと。……しかし、私も300才を越えました。身寄りない老い先短い身、万が一私に何かあった時、この子の助けになってくれる方が必要なのです。それ以上は望みません。この子にもそのように教育します」

 

「……お話は分かりました。その万が一は手配しましょう。ただしあくまでも内々で。もちろん必要最低限は保障しますが、それ以上は対応しかねます。……ところで、何故ノートのところではなく、私のところへ来たのですか?」

 

「ええ、最初は彼のところへ行くつもりでした。……でもあなた、彼を除名し、蘇らせるつもりでしょう?」 

「まさか……革命屋?」

 ルバートの硬い声色にハーナ・アルガネロは煌めくように笑った。

 

「違いますわ。あの革命屋はノワールの塔には絶対近づきません。ですが私達の邪魔をするのが趣味のようでしてね。塔でもあれは要注意対象として監視しております。その余波を観測したんですよ」

 

「なるほど。除名すれば記憶も共に削ぎ落とされる。記憶すらない傭兵に子どもは預けられない、と?」

 

 

「いいえ。この子はあなた方など関係なく、自分の道を行きます。でもだからこそ、今、会わせてはいけないのです」」



 

 ルバートは塔主との会見を終え、深く長く息を吐き、震える手をじっと見つめた。

「……なんであの人、あんなに怖かったんだ」


 塔主本人で間違いない。確認した。記録とも一致する。

 なのに、あの圧は何だ。


「あそこまで恐ろしいと、ノートがよく語っていた女性と同一人物とは思えないぞ……」

 彼女は冷徹な策略家であり、知略に長けた人物であることは知っていた。

 だが、今日の彼女は違った。

 ただの計算ではない、何か切羽詰まったものがあった。

 母としての本能とでも言うのか。


「……あの子、感性がズレてるところがあるからな……まあ、あれがいいっていうなら仕方ない、か」

 ルバートは顔をしかめ、頭を軽く押さえた。


「とりあえず、彼女を捕まえたいなら胃袋を掴めるよう料理でも勧めておこう……いや、本気でやりそうだな、あいつ」

 

 気が重い。

 だが、もっと気が重い問題がある。


「ああ、そうだ。スルツェにも連絡しないといけないんだった……」

 篝海の王は憂鬱そうに執務机へと戻り、伝書をしたためると魚型の伝書魔術を氷香に向かって泳がせた。

 


 *


 

「やっと捕まえたぞ、野良の王冠め!」


 泥と汗にまみれたノートは、全身で暴れる王冠を押さえ込みながら叫んだ。


「殿下、眠り袋!」

 レトロが素早く革袋を差し出す。

 

 ノートは暴れる王冠を袋に押し込み、力任せに口を締めた。

 袋はバタバタと跳ね回ったが、次第にその動きが鈍くなり、やがて静かになった。


「ふぅ……終わった……」

 ノートは肩で息をしながら草むらに仰向けに倒れ込んだ。


 ──最近、レトロより自分の方が強くなってしまった。

 各地を巡り、伝承の品を回収するうちに、戦うのはもっぱらノートの役目になり、レトロは補助に回ることが増えた。


 レトロが差し出した水筒を、ノートは一気に飲み干す。

「これでいくつ目だ?」

「806個目かな」

「……残り194……次は?」

「野良シリーズ第656弾、野良の棺だよ」

「また暴れ道具か?!」

「場所は……深森と氷香の隣の辺境領。境界線で揉めてるらしいよ」

「ここはほぼ睡烏だぞ?! ほとんど地方の反対側じゃないか。兄上め……。じゃあ、水晶宮の近くを経由して…………っ……」


 ノートの動きが止まる。


「殿下?」

 レトロが声をかけた瞬間、ノートは頭を押さえて蹲った。


「……大丈夫だ……」

 息が浅い。最近、妙に頭痛が多かった。

 ――なるほど、記憶のせいだったか。 


「少し疲れてるね。宿で休もう?」

 レトロの提案に、ノートは懐の奥で眠るレントを指先で撫でながら、静かに首を振った。

 

 原因不明の眠りから目覚めないレント。

 世話役に見せたら「今は回復の眠りにいるから、ずっと一緒にいるのが一番」と言われた。

 何故目覚めないのかと思っていたが……あの時の障りのせいだったのか。


「……いや、いい。それより次に行く」

「分かった。水を汲んでくるから少し待ってて」


 

「……あれは夢じゃなかったんだな」

 

 レトロが水場に向かうのを確認すると、ノートは隠しから結晶を取り出して眺めた。 

 ここ数年よく夢を見ていた。

 誰かと駒を交わす夢。

 火竜に乗る夢。

 幻のように美しい遊戯場の夢。

 

 降り積もる夢を見続けるうち、気づいた。あれはただの夢じゃない。俺の記憶だ。

 それも――とても大事な記憶。


 記憶は無作為に、場面ばかりが降り積もる。

 前後の繋がりも、詳細もない。

 ただ感情だけが暴れ、もどかしくなる。


 理由も分からず胸が張り裂けそうな時は、流石に病気を疑った。

 でも……違う。


 ――とうとう、夢は核心に辿り着いた。


  

「お待たせしました……殿下?」

 水を汲んで戻ったレトロは、険しい表情のノートを見て足を止めた。


「あれからもうすぐ35年か……。すぐに始めないと間に合わないよな、時の渡り人?」


 レトロは言葉を継げなかった。

 従属の腕輪の力が静かに彼を縛るのを感じる。


「この腕輪を嫌いなのは知っている。でも、今兄上に報告されても困るからな」


 ノートは淡々と言いながら、懐のレントを撫でる。

「思い出したんだね……ノートはどうしたいの?」

「まずは状況を整理させてくれ。あの夜、兄上からこのお守りを受け取ったところまでしか記憶がない。……でも、兄上もあの革命屋の事件に絡んでいたんだな?」


「違う。あの夜、僕が君たちに会う前に、王様に伝えていたんだ」

「……どういう意味だ?」


 レトロは少し息をつき、慎重に言葉を選んだ。

「今は抜け道を使っているから、僕は過去から未来へ進んでいる。でも、元々の流れでは、僕は未来から過去に進む。つまり……未来を知る者の指示で、僕は王様にあの日の記録を読んできかせた」


「それがどういう意味を持つ?」

「さあね。そのあとの未来は不安定すぎて行けなかったから、僕にも分からない。ただ――その後、陛下は国を小さくまとめ、君を旅に出した。君の魔術濃度を上げ、記憶を取り戻さなければ、『除名』と『蘇生』で全てを忘れて傭兵の子になる予定だった」


「兄上はそんな線を描いたんだな……」

 ノートは懐で拳を握りしめた。


「……では、札を使われる前に雪月の方を片付けないと」

「それ……今である必要があるの?」


「俺は雪月に約束した。この地方を革命屋の好きにはさせない」

 ノートはレトロをまっすぐに見た。


「……レトロ、従属の力が必要か?」

「………………分かったよ」

 レトロが静かに目を伏せた。


「遠い伯父上にも連絡しないとな。蘇生のありかを伝えていなかったはずだ」

 

 *


 

「やあ、火竜殿。憂鬱そうじゃないか」

 低い声が聞こえて、スルツェは足を止めた。

 

 銀や黒の髪が多い中で、ひときわ目を引く朱金の髪――アルペジオか。

「ふむ、ルカの弟か」


 彼がそう呟くと、周囲が遠巻きにこちらを見ていることに気づく。

 ――大きく乱れていた身の魔術を、そっと鎮めた。

「あまり不機嫌そうにしていると兄貴が心配する」

「そうだな、分かっている……篝海から連絡がきた」


 スルツェの言葉に、朱金の青年は目を細めた。

「そうか……決めたのか?」

「あと十年は一緒にいられると思ったのにな」

「……居たい方を選べばいいだろう」


 スルツェは少し目を伏せ、かすかに唇を歪めた。

「あのふたりに頼まれたんだ。いくら忘れているとはいえ、自分の安寧のために反故することは俺にはできない」

 

「……お前は、そう考えるのか」

 アルペジオは僅かに眉を寄せた。


「ほう、そうか?お前にもルカとの約束があるだろうに」

「兄貴の心にかなう働きができること。それが私の安寧だからな」


「それを実行すれば、どういう事になるか分かっているだろう?」

「……あとを頼まれ、おいていかれるよりは、よっぽどマシだ」


 スルツェは短く息を吐き、空を仰いだ。

「では――あとを頼む者たちが、息のしやすい世界にしないとな」

「……ああ、そうだな」

 アルペジオは静かに頷き、目を伏せた。


 


 アルペジオの胸に、焦燥が募っていた。

 あの日――ノートから蘇生の札の在りかを聞き出す前に、彼はすべてを忘れてしまった。

 その間に、時は無情に過ぎ去った。

 

 大体の位置には目星をつけているが、慎重な兄のことだ。口には出さないものの、除名の札が消えていることには気づいているだろう。

 もしかすると、兄はすでに蘇生の保管場所を変えているかもしれない。

 少なくとも、慎重な兄のことだ。

 確実に警戒している。

  

 ならば確認できるのは一度きり。それ以上は後々の影響が大きすぎる。

 

 その時、微かな魔力の揺らぎを感じ、窓に目を向けた。

 そこには、魚型の伝言魔術が静かに窓の端を泳いでいた。

 

「……思い出したのか」

 伝言魔術を展開すれば、蘇生のありかが記載されている。

 

 伝言を読み終え、アルペジオは無言のまま魔術を指先で砕いた。

 細かな光の粒が宙に散り、跡形もなく消える。

 それを見届けると、彼は静かに段取りを考え始めた。

 

 三日後、近隣諸国の会合が開かれるはずだ。

 それまでに、準備を整えねばならない。

 ――狙いを悟られぬよう、あらん限りの笑顔で。


  

 長い3日が過ぎた。アルペジオは適当な言い訳をつけて、ルカを乗せた会合行きの馬車を見送った。

 そのまま普段に戻ろうとしてふと思い出した風を装い、国王の執務室へ向かった。

 

「やあアルペジオ。何か用かな?」

 

 書斎の扉を開けた瞬間、聞こえてきたのは――見送ったはずの国王の声だった。

「……っ、兄貴?!」

 思わず足が止まり、アルペジオは目を見開いた。

「先程、出発したはずでは……?」

 

「ああ、事務作業が片付かなくてね。だから、形代を馬車に乗せたんだ。後で置換魔術を使って、入れ替わる――キャスリングするつもりさ」

 ルカは淡々と説明する。

 

「そうでしたか。……では失礼します」

「……なにか用があったんじゃないかい?」

「いえ……つい足が向いてしまっただけです」

 

 回答しながらも、アルペジオは兄の疑惑リストに自分が載ってしまったことを覚悟した。

 兄が800年もの長きに王座を死守してきたのは、不穏分子を的確に管理してきたからだ。

 

「そうか………………アルペジオ」

「はい」

 鼓動が早まる。

 返事をしないわけにはいかない。


  

「君の探し物はこれだろう」


  

 机の端には小さな札が置いてあった。

 手を出しかけ、引っ込める。

 躊躇したのち、そっと札を取り上げた。

 

 それが探しているものかは分からない。

 なにしろアルペジオにとってこの手の魔術とは兄が使うものであって、自分はその魔術の及ばないところをおぎなうつもりで生きてきた。


「大丈夫、蘇生の札だよ。……私は君の好意を利用する最低な兄だ。すまない」

 低く静かな声には悔恨が滲んでいた。

 

「……兄貴、記憶が戻って……?」

 ルカは微笑む。

 だが、逆光に照らされ、その表情はアルペジオには読めなかった。

 

「さて、なんのことかな」

 ふっと目を伏せると、彼は短く告げる。

「……娘を頼むよ」

 

「…………ルーセントはかならず幸せにします」

 



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