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遠い伯父君と無垢な眠り


 

 潮騒が響く。


 最上階の執務室で、ルバートは静かに書類をめくっていた。

 灯火が揺れる。夜明けにはまだ遠い。


 突然、扉横の開かずのワードローブががちゃりと軋み――男たちを吐き出した。


 金髪のどこか人相の悪い弟。

 もう一人、朱金の髪を結い上げた武官。

 見覚えはあるが、名は思い出せない。


「ノート?」

 執務机の向こうから、ルバートは目を細める。


「水晶宮に行くのをやめて、城内探検でもすることにしたのかい?」

「…………ルバート兄上?」


「こんな遅くに、一体何をしているのか、聞いてもいいかな?」


 ノートが答えに窮する側で、執務机の上で防犯鐘を取り上げる。


「おや、この弟は幻覚?」

「……本物です。だからその防犯鐘はしまって!」


 ノートが慌てて手を伸ばすと、ルバートは少し残念そうに鐘を戻した。


「じゃあ、これ」

 代わりに、怪しげな人形を手に取る。

 

 途端に、ノートが後退する。

「その人形は……!」


 ルバートが独特な古びた人形の髪をつまむ素振りを見せると、ノートは壁にぴたりと張り付いた。

  

「幻覚じゃなくて、本人のようだね?」

「だから、それもしまってください……」


 ルバートは小さく肩をすくめると、人形を元の場所に戻した。それから、ふたりにソファをすすめる。

 ノートは、うとうとしているスルツェをそっとソファに寝かせた。


「僕の幻覚なら、君はこの子をきらきらした目で見つめて、僕のうんちくを延々と聞いてくれたのに」

「幻覚でもそんなことは起こらないから。それに……随分と資料が増えてない?」

「いや、大したことないよ」


 ルバートが手をひらひらさせると、机の上の資料がどさっと崩れた。

「……どのあたりが?」


 咳払いが聞こえ、アルペジオが口を開いた。

「兄弟仲が良さそうで何よりだ」


 ノートは姿勢を正し、ルバートに向き直る。

「兄上、こちらは――氷香の王弟殿下です。今夜、窮地を助けていただきました」


「アルペジオだ。我が父フェローチェ王の遠い血筋の者たちよ、どうぞよろしく」


 ルバートは目を見張り、ひとつ頷く。

「……かの伝承は受け継いでいます。遠い伯父君、ようこそ岸壁城へ。此度はどのようなお話でしょうか」


「今夜は兄貴に頼まれて、遠い甥っ子を家まで送り届けただけだ。話があるのは、むしろこいつらだろう。可能なら、裏取りのために私も同席して話を聞きたい」


「それは構いませんが……ノート?」

「いいけど、遠い伯父君ってなんだよ? 彼は氷香の王族じゃ?」


 ルバートとアルペジオは視線を交わした。

「遠い甥っ子、話してなかったのか?」

「篝海では、継承者のみに伝えられることばかりでしてね」


「兄上は先王から何か伝えられていたのか?」

「いや。先々代が僕へ様々な知識と力を継承してくれたんだ。遠い伯父君の話だが――」


 ルバートは一度間を置いてから続けた。

「彼は篝海の王の隠し子だ。僕らの先祖の異母兄なんだ」

「隠し子……え、あの父上の?!」


「いや、違うから! もっと前、僕らの先祖の話だ」

「先祖の異母兄? ……ちょっと意味がわからないんだが?」


「900年くらい前だから……5代前かな。当時の王の異母兄弟だったんだ」


 ノートが混乱しているのを見て、アルペジオがため息をついた。

「誤解されやすいから、私が話そう」


 彼は静かに息を吐き、少し遠い目をした。


「俺の母は氷香の高位貴族だった。篝海の王と一時婚約していたが、政治的な問題で解消された。そのあと妊娠が発覚したらしい。……母は俺を篝海の王に認知させるつもりはなかったんだ。篝海に俺を引き取られるのを嫌がってな」


 ノートは眉をひそめる。

「認知しないで済むものなのか?」


「母は最初から氷香の貴族として俺を育てるつもりだった。篝海の血を引いていると知られれば、どちらにしても政治に巻き込まれる。それを避けたかったんだ」


 アルペジオは目を静かに細めた。

「……それを知った当時の氷香王は、事情をすべて承知した上で、母を側室に迎えた。だが――」


 彼の視線が、一瞬だけ翳る。

「ある事件で、王室の直系……それに母も失った」


 ノートは思わず息を飲む。

 ルバートは無言で視線を落とした。王族として、彼もまたそうした権力の影を見てきたのだろう。


「……それで」


 アルペジオはわずかに目を伏せ、言葉を選ぶように口を開いた。

「篝海から、私宛にこのワードローブが贈られたのは、ちょうどその頃だ」


 ノートは部屋の隅にある大きなワードローブを振り返る。

「まさか、それが……?」


 ルバートが横から補足するように言う。


「篝海の王は母の意志を尊重して認知しなかった。だが、万が一の時のために 『鏡合わせの術を施した双子のワードローブ』を贈った。王とその息子のみが魔術を発動できるようになっていて、互いのワードローブを行き来できる仕組みになっている」


 ノートは半信半疑のまま、ワードローブに手を触れた。

思ったよりも冷たい。まるで長い時を超えてここに存在し続けているかのようだった。


「そんなものが、ずっとここに……?」

「知っての通り、魔術膜は寿命に関わるからね。魔術膜が老化を抑えるとはいえ、我々ではどんなに長く生きても2、300年が限界だ。でも――」


 ルバートはアルペジオを見た。 

「両国の王族の血を受ける遠い伯父上は、850年の時を生きてこられた」


 ノートは息を呑み、改めてアルペジオを見た。

「実感はないけどな。気づいたら、生き続けていただけだ」


「850年……ルカ王とほとんど変わらないじゃないか」


「私は1000年生きる兄貴には及ばない。それに長く生きた分、しがらみも複雑だ。いいことばかりじゃないな」


 アルペジオは肩をすくめる。

「篝海の王は、人より寿命の長い子どもが心配だったようだ。だから篝海の子孫に、氷香の子どもの亡命を可能な限り受け入れるよう指示を出した」


「その証として、この執務室にこのワードローブが置かれ、ここからあらわれたものを永久保護対象としました。僕が受け継いだ限り、今夜がはじめてですね」


「そうだな。両親は私が篝海に行くのを望まなかった。そしてその必要がない国を兄貴が造った。だから使うつもりは一生なかった」


 アルペジオは、少しだけワードローブを見つめる。

「それを使ったのは、兄貴からお前を頼まれたからだ」


 彼はノートを真っ直ぐに見据えた。

「さて、それじゃ今夜何が起きたか語ってもらおうか?」


 遠い伯父君の鋭い視線を受け、ノートは背筋を伸ばした。

「……ああ、スルツェの体調が悪かったから、助かったよ。何があったか……説明……できる、のか……?」


「ノート、一体何があったんだい?」

「兄上、ちゃんと話すから! その不気味な彫刻をしまってくれないかな。嘘は言わない。魔術誓約に触れない限り、ちゃんと話すから!」


「……誓約があるのか。了解、言える範囲でいい」

 ルバートは一拍置いて、惜しむように椅子の後ろの飾り棚に謎の木彫を戻す。

 

 ノートは肩の力を抜き、改めて口を開いた。

「今朝、中庭でエルダーの巫女に遭遇したんだ。託宣を受けて、それは兄上に報告したはずだよな?」

 

「報告は受けてないよ? 君が僕に訊いたのは、『託宣の巫女というものがいるかどうか』だけだね」

「……すみません。遭遇して託宣を受けました」


 ルバートが小さくため息をつく。

「次からそういうことはすぐに言うように。……それで託宣の内容は?」

「確か——『今日死んではいけない。水晶宮の主も死んではいけない。革命屋の懐から未来を取り返せ。時の渡り人を従わせない限り、革命屋はこの地方を森と砂の遊び場にする』だったかな」


 アルペジオが眉を寄せる。

「革命屋が、地方を森と砂の遊び場に?」

「どういうことだ?」とルバートも問いかける。


 ノートはゆっくりと、朝の出来事を語り始めた。

 ——革命屋の襲撃と言語魔術で書かれた歴史書の文言。

 ——時の渡り人と、やり直しの結晶の障り。

 ——調停のペンを前にした苦悩と、天象儀の対価と約束。

 ——そして、除名と蘇生の札。


 時折、スルツェが片目を開けて補足する。

 

 話を聴き終えたルバートは机に肘をつき、組んだ手に額を押し当てた。

 手紙を読んでいたはずのアルペジオも、ソファに身を預け、天井を見つめながら考え込んでいる。


「まとめると――」

 ルバートが顔を上げ、静かに言った。

 

「鑑定人の街の手配者がこの地方を狙い、氷香国王の襲撃事件を仕組んだ。君たちはそれを未然に防いだけれど、手配者の魔術書から滅亡の言語魔術……呪いが見つかった。そして、その呪いには『逆巻の時の怪物』が絡んでいて、やり直しの時の結晶を使い、何度もやり直したが、結局どの道を選んでも統一するしかなかった、と。そしてその猶予は100年……」


 ノートは黙ってうなずき、懐から前掛けの包みを取り出し、執務机の上に置いた。

 

 ルバートがそれを手に取る。

「ああ、やはりこういう書物か」


 手袋をした手で包みを開くと、手慣れた動作で机の引き出しから硬質の薄紙を取り出し、歴史書の大きさに合わせて素早く折りたたむ。そのまま手帳に折り込んで、ブックカバーに仕立て上げた。

 最後に月と鯨とゆりかごの透かし彫りの栞を挟む。

 すると、歴史書が放っていた禍々しい気配は、ふっと薄らいでいく。


 ノートは思わず息をのんだ。

「あの……魔術王も苦戦してたんだけど……?」


 ルバートは歴史書を軽く撫でた。

「この子は呪具じゃなくて、ただの書物だからね。伝承研究ではよくあることだよ。強力な魔術が宿っていても、扱いを間違えなければ、そこまで荒ぶるものじゃない」


「……はあ」

 ノートが半信半疑のまま頷く。


 アルペジオが腕を組み、歴史書を見つめた。

「核ではない、ということか?」


「そう。術者の執着と魔術の方向が一致していない。これは呪いの核そのものじゃなくて、ただの『土台』にすぎないんだろう」

  

「で、記載は確認したが、これは本当にそうなるのか? ここに記されたことが、すべて現実になったわけではあるまい?」

「雪……ルカ王と確認した時は、睡烏の独立、800年前の球状結界、父が乱心した時の件、それに昨日の球状結界突破――そのあたりの記述は、確かにその通りだった」

 

「ふむ……」


 ルバートは指で栞をなぞりながら考え込む。

「ノート、もしよければこの資料を僕に預けてくれないか? もちろん、確認したくなったらいつでも返すよ。この記述の内容と魔術を研究して、成就の条件と回避方法を調べてみよう」

 

「兄上、それでいいのか?」

「100年の猶予を得たようだからね。なるべく早く調査するつもりだけど、過度な期待はしないでくれ」


「……分かった。じゃあ、もうひとつ相談があるんだが――」

「それは明日にしようか?」


 ルバートは少し微笑み、机の引き出しを開ける。

「今日は大変な一日だっただろう。いい安眠のお守りがあるんだ。心が軽くなるから、今夜はこれを枕元に置いて眠るといい」


そう言って、白い花をかたどったお守りを手に取ると、ノートの手にそっと載せた。

「兄上からお守りをもらうのは……久しぶりだな? ……っ……」


 途端にノートの体が揺らぎ、その場に崩れ落ちる。


「――ノート!?」


 ルバートはすぐに弟を受け止め、そのままソファへ横たえた。


「スルツェ、大丈夫。この子には少し眠ってもらっただけだよ。今夜は随分と辛い思いをしたみたいだからね」

「ルバート……そのお守り、ただの安眠の魔術ではないな?」

「さすが火竜。これは民間伝承を強化した『無垢な眠り』。思い出を眠らせる術具だ」

 

「ノートに忘れさせるのか?」

「ルカ王も忘れたのなら、ノートだって忘れていいはずだ」


 ルバートの口調には、静かに燃える怒りが滲んでいた。


「……遠い甥っ子? お前、どういうつもりだ。あいつの言うことを信じないのか?」

「この歴史書を見て、信じない訳にはいきませんよ。レトロ」


「……うわっ!?」

 突如、天井から落ちてきたレトロに、アルペジオが思わず腰を浮かせる。


「――から聞かされたのと一緒でしたしね。……呼ぶと落ちてくるんだね、ごめん。用はなかったんだ」

「……うわ、ひどくない? ……いえ、失礼します」

 

 ルバートの言葉にすぐさま退室するレトロを見送りながら、アルペジオが小さく息をついた。


 スルツェはルバートを見据えて言った。

「……なるほど。結晶の話あたりから、魔術誓約で話せなくなるはずなのに、すべて話せたのは――氷香の王弟だけでなく、ルバートも最初から知っていたからか」

 

「時の渡り人……!遠い甥っ子、 どういうことだ。お前はあいつと共犯者だったのか?」


「共犯者はそちらでは? ほんの少し前に彼が現れて語ったことは、ノートの話と一致しすぎている。逆に、あやしいくらいです。篝海へ手を出すなら、現王の権限で遠い伯父君の権利を剥奪させていただきますが」


「それは違う。ルバート、今夜の件は、誰もが必死で動いた結果だ」

「……スルツェ、君が共犯者ではないという証拠もない。むしろ、君が主犯の可能性もあると思っているよ」


「俺か? そなたら篝海と我々は契約を交わしているではないか。火竜は、それを裏切るようなことはしない」


  

「遠い甥っ子。目が曇っているなら、晴らしてやろうか?」


「……可能性があると言っただけです。違うのは分かっています」


「じゃあ、なんでそんなことを言った」


「…………八つ当たりです。すみません。でも、腹が立って仕方ないんですよ。この状況も、それを選ばせた者たちも、二人が出した結果も。なにより、大切な家族にしなくていい判断をさせた無力な自分に」


 ルバートは弟の頭に優しく手を置き、震える声で呟いた。


「……そうだな。好き勝手に決めて、忘れてしまった。……お前はそれでも彼らの尻拭いをするのか?」


「尻拭いじゃありません、それは本来、王である僕の責務です。……ノートは、幼い頃から無数の戦場を見てきたんです。そのどれもが、心を引き裂くようなものだったでしょう。だからこそ、彼は六花統一を渇望していた。でも、ルカ王と僕が言った言葉で、それを手放してくれたんです。『安心して暮らしていける』と信じて。それなのに、今になってその必要性を感じるなんて……」


 ルバートは短く息を吐いて、撫でた手をぎゅっと握る。

「彼が統一を成す必要はない。そんな重荷を背負わせる理由がない。必要なら、僕がやればいい。それが僕の、王としての役目だ」


「だからってお前も、そう長く生きているわけではない。まだたかだか50年、成人したばかりのひよっこだろう。それに、長年同盟を望み、統一派の前王の目をかいくぐり、その道が閉ざされないよう密かに手を回していたのはお前だろう?」

  

 ルバートは静かに肩をすくめて答える。

「そうですね。それで平和が守られると考えていましたから。でもその道が閉ざされているならば、方向転換は当然でしょう」

 

 そして、少し微笑んだような表情を浮かべながら、言葉を続ける。

「だとしてもだ」


 ルバートは目を鋭く細め、冷静に伯父を見つめた。

「……遠い伯父君、あなただってそうでしょう。むしろ腹立たしいから、ルカ王が忘れているうちに頼まれた事をやり遂げるつもりでいますよね?」


 アルペジオは一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに表情を引き締めて言う。

「なんのことだ」


 ルバートは静かに、言葉を慎重に選びながら語る。

「あの道を使わなければ怪しまれない。あえてノートを秘密の道を使ってここに連れてきたのは、段取を早めるつもりだったからでは?」


 アルペジオの顔にわずかなひきつったが、すぐに睨むように返した。

「遠くても同じ血が流れているということか……お前は時の渡り人はどうするつもりなんだ?」


 ルバートは静かに、しかし決然と答える。

「どうにもしません。ノートの調停を経由して、国王の直属として絶対服従で契約しましたから。もう彼の意志で時の障りをおこしたり、怪物になったりできません。彼はただの猫の手ですよ。人手不足の時に少し手を借りるだけ。障りになりそうなものや場所には近づけさせないつもりです」


 アルペジオは黙って考え込んだ。

「そうか。少し考えさせてくれ……」

 

 呟いたきり考え込んだアルペジオをそのままに、ルバートは視線をスルツェへと向けた。

 

「スルツェ、君ももう一度考えてくれ。本当に核を与えたい相手は誰だ?」


 スルツェはわずかに目を伏せ、口を開きかけて、そして閉じた。

 短い沈黙の後、かすれた声で答える。

「……ルカだ」


 ルバートは静かに頷いた。

「分かっているなら、そうするべきだろう?」


 スルツェは歯を食いしばる。

「そうだな……でも、そのルカが守りたい一線を考えれば、俺はお前たちに核を渡すべきだ」


 ルバートはふっと目を細めた。

「そうか。後で後悔するかもしれないよ?」


 スルツェは、ゆっくりと肩を落とした。

 だが、その目に迷いはなかった。

「後悔しても、ルカの守りたいものを守れない方が嫌だな」


 その言葉に、ルバートは少しだけ微笑んだ。

「……分かったよ。まずは準備だ。100年の猶予がある。その間に、君は心のままにルカの側にいればいい。こちらも様々な下準備が必要だからね。何しろ、僕たちはあのルカ王に勝たなければならない」


 スルツェは息を飲み、眉を寄せる。

「……俺はルカの隣に行っていいのか?」


 ルバートは軽く肩をすくめた。

「むしろ君の種族は、そうしなければ生きていけないじゃないか」


 スルツェはしばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。

「……ああ、そうだな。でもルカの大事な一線を守れるのは、俺しかいないだろう。だから、準備ができたら声をかけてくれ。こちらに舞い戻るから」


 ルバートはわずかに笑みを浮かべた。

「仕方ないね。目処がついたら連絡しよう。その時、戻るかどうかを決めればいい」


 

「よし決めた。甥っ子、お前の計画を教えろ」


 アルペジオは腕を組み、椅子にもたれかかった。

 ルバートを試すような目が、じっと彼を見据える。


「先程も言いましたが、まずは力をつけます。ただし、それが許されるのは50年、最長で60年です」

 ルバートは指を組みながら淡々と続ける。

 

「その期間を国家縮小の準備段階とし、様々な法制度を施行します。また、縮小の条件を設定し、その条件に従って段階的に国土を縮小、分離し、同時に軍事費の拡充を進めます。その後、20年で軍備を整え、さらに20年で統一を目指します」


 彼の言葉は理路整然としていたが、その中に込められた決意は重く響いた。


「ノートはそのままか?」


 スルツェが口を開く。

 僅かに表情を曇らせながら、慎重に言葉を選んでいた。


「いよいよとなったら、除名の呪いで傭兵達に押しつけます」

 ルバートは短く言い切った。迷いはなかった。


「ルバート……」

 スルツェが息を詰まらせた。眉をひそめ、どこか責めるような視線を向ける。


「それは流石にオーバーノートが可哀想じゃないか?」


 ルバートはゆっくりと目を閉じ、そして再び開く。

「スルツェはそう思うか」


 彼は静かに言った。

 その声には、微かな苛立ちと諦念が滲んでいた。

「僕はもう、あの子にいらない苦労はさせたくないんだよ」


 そう言うと、ルバートは指先で机を軽く叩いた。

「君は、あの子にとって茨の道も用意すべきだと?」


 スルツェは唇を引き結んだ。

 しばらく沈黙が落ちる。

「……それを選ぶかどうかは、ノートが決めることだろう?」


 重い空気の中、アルペジオが低く笑った。

「甥っ子……私もそれは過保護が過ぎると思うぞ」


 

 ルバートは肩をすくめながら、どこか呆れたように言った。

「……分かりました。レトロ」


「うわっ!? あいたっ!」

 不意に黒衣の男が落ちてきて、床から悲鳴があがる。

 どうやら突然呼ばれて、引き落とされたようだ。


 ルバートは気にも留めず続けた。

「――を監視につけて、力をつけさせましょう」


 レトロが転んだまま、こちらを見上げる。

「ちょ、ちょっと待ってください、話が見えないんですけど!」


 ルバートは冷静に微笑んだ。 

「大丈夫、君はただの『猫の手』だよ」

「なんで猫の手扱いなんですか!?」


 アルペジオが小さく嘆息しながら、呟いた。

「レトロは、猫の手としてか」


「そう。猫の手として、です」

 そう言うと、ルバートは改めてレトロに向き直る。


「レトロ」

「……お呼びですか」

 すでに覚悟を決めたのか、レトロは観念したように応じる。

 

「うん。後で契約を調整しよう。名を呼ぶたびに飛んで来られても、互いに困るからね。せめて意思確認の余地は残しておきたい」


 レトロは肩を落とした。

「確かに……僕もどこにいても強制召喚されるのは困ります」


「この件は君にも噛んでもらおう。今夜の出来事は、スルツェと君だけが覚えている。そして君にはノートの監視としてついてもらう。ただし――」


 ルバートは一拍置いた。

「君の特性は使わないこと。あくまで護衛、監視の範疇の魔術のみ使ってくれ」


 レトロはしばらく考えた後、深く息を吐いた。

「……わかりました」

 

 

「それで、弟はどうするんだ?」

 アルペジオが問うと、ルバートはわずかに目を伏せ、静かに答えた。


「50年待って、思い出さなければ除名して、蘇生して傭兵の子になってもらいましょう。思い出したら……継承の儀式を行います」


 一瞬、場の空気が張り詰める。

「僕より強くなって継承したノートなら、統一できない、ということもないでしょう」


 アルペジオはゆっくりと息を吐いた。

「……残念な話をしよう」


 そう前置きすると、彼は静かに事実を告げる。

「蘇生はまだ入手できていない。ノートから在処を聞く前に、お前が忘れさせてしまったから、どこにあるのか不明だ」


 ルバートの眉がわずかに動いた。

「おそらく、兄貴の研究の品だから、厳重に隠されているだろう」


 ルバートは短く息を呑み、数秒沈黙した後、苦笑交じりに口を開いた。

「それは……分かりました。私の落ち度ですね」


 落ち着いた声色だったが、その奥には微かな悔恨が滲んでいるようにも聞こえた。


「50年の間に、その蘇生の代替となるものがないか、あるいは私の方で再現できないか探しておきます。遠い伯父君も、状況を見ながら探してください」


 アルペジオは眉間に皺を寄せると、わずかに肩を落とした。

「また無茶を言う……」

 深い溜息が漏れる。

 

 それでも、ルバートは静かに彼を見つめたままだった。

「ルバート。お前はそれでいいのか?」


「もっといい方法があるなら、喜んで切り替えますよ」

 ルバートはわずかに肩をすくめ、穏やかに微笑む。


「でも、現状僕にできる最善はここまでです」

 その声は淡々としていたが、どこか決意を滲ませていた。

「これ以上は……一緒に考えてくださいよ」

 

「乗っかった以上は仕方ないか……」

 アルペジオが小さく息を吐きながら言う。


「それはそうと、あのふたりの記憶が消えた影響を、本人たちはあまりに軽く見ていた気がする」


 ルバートは軽く頷いた。

「……伯父君もそう思いますか」


「当然だろう。記憶を忘れるということは、それに関連する情報や記憶の整合性が崩れるということだ。ただの記憶喪失ではなく、意図的に消した となれば、なおさらだ」


 彼は指先で机を軽く叩きながら、思案するように続ける。

「どうにかして確認しながら適当に調整しないと、精神が参ってしまうだろうな」


 アルペジオは静かに頷くと、少し考えた後、慎重に口を開いた。


「であれば……伯父君、あのワードローブはもう少し目立たないところへ移動してもいいですか?」


 ルバートは軽く眉を上げると、しばらく考え込み――そして、あっさりと同意した。


「ああ。こちらとしても、その方が人目に触れなくて助かる」

「では、こうしましょう」


 ルバートの提案を聞いたアルペジオは、露骨に顔をしかめた。


「……本当にそれで?」

 しばらく逡巡していたが、最終的には渋々頷くしかなかった。 


 *


 夕食後、ルカは書斎でひとり考え込んでいた。


 昨晩の爆発事故で抜けた記憶が、昨日だけでないことに気がついた。

 記憶が途切れるのは、決まって書斎で過ごしていた夜。

 なぜか、いつも途中からすっぽりと抜け落ちている。


 ――何かの影響か? それとも、最初から何もなかったのか?


 思考の渦に沈みかけたとき、扉がノックされた。

「兄上。今ちょっといいですか?」


「どうしたんだい、アルペジオ」

 ルカが顔を上げると、アルペジオは少しためらいがちに立っていた。


「あの……今日はどうしますか?」

「今日は?」

 ルカは眉をひそめる。何か予定があっただろうか。


「……何か約束をしていただろうか」


 そう尋ねると、アルペジオは一瞬、残念そうな顔をした。

 しかしすぐに笑みを浮かべ、慎重に言葉を選ぶように続けた。


「……ああ、やっぱり。もしお忙しくないようであれば、ちょっと息抜きに行きませんか?」


「かまわないが……息抜き?」

 ルカがいぶかしげに尋ねると、アルペジオは「こっちです」と手招きし、自室へと向かった。


 そこにあったのは――昨晩、ルカが覗いた時、アルペジオが隣国の王弟とともに消えたワードローブ。


 即位したばかりのルカが篝海の王と『問題にしない』と密約を交わした品だ。彼は一瞬、足を止める。


「アルペジオ……」

「大丈夫ですよ」


 アルペジオは悪戯っぽく微笑むと、ワードローブの扉を開いた。そして、そのまま中へ入る。

 ルカは一度躊躇したが、結局、彼の後に続いた。


 ワードローブの扉が静かに閉じる。

 ――そして、次の瞬間。


 アルペジオが背面の扉を開くと、そこには見知らぬ空間が広がっていた。


「……ここは?」


 足を踏み出したルカは、息をのむ。船着場のような洞窟の先に広がるのは、どこまでも続く青。


「まさか……海、か?!」


「兄貴、静かにしてください。人が来ますよ」

 アルペジオは苦笑しながら、そっと手を引いた。


「ここは 岸壁城 です。さ、行きますよ」

 彼に促されるまま、ルカは歩を進めた――。

 そうしてアルペジオの後を追う。


 彼は慣れた様子で城を抜け、城下の港町へ向かう。人通りの少ない路地をすり抜け、やがて外れにある 小さな酒場 の前で立ち止まった。


 扉が開く。


「やあ、雪月。遅かったじゃないか」

 カウンターに腰掛けた青年が、親しげに微笑んだ。


「……ルバート王?」

 ルカは目を見開く。

 つい最近即位したばかりの王が、こんな場所にいるとは思わなかった。


 ルバートはルカの表情を見て、小さく息をついた。

「……やはり、伯父さんの言う通りだったようだ。忘れてしまわれたのですね」


「忘れた……? 失礼だが、私は何を忘れたのかね」

 

 ルカが眉をひそめると、ルバートはゆっくりと首を振った。


「ここでの僕は 研究者 で、この弟は 放浪者 。そしてあなたは――雪月 。」


「……?」

「伯父さんが繋いでくださった輪です。何か思い出せることはありませんか?」

 ルカは言葉に詰まる。


 ――夜の息抜き。雪月。放浪者。

 頭の奥で何かが引っかかる。

 だが、すぐに霧がかかったように消えていった。


「甥っ子兄、事故だったのだ。許してやれ」

 アルペジオが静かに言った。


 ルカはその言葉に目を向ける。

「……事故?」


 何のことだ? 何を忘れた?

 ルカの胸の奥に、言い知れぬ不安が広がっていく――。

 

「……私が忘れたのは、この夜の会だろうか」


「さて? 私は民間伝承なら専門ですが、高等魔術についてはさっぱりなんです。あなたが何を忘れたかは分かりませんが――」


 ルバートは酒瓶を軽く回し、微笑んだ。

「酒あての挑戦者は、いつだって大歓迎ですよ。勝者は敗者に質問できます。ただし、嘘や禍根、『この場で収まらない話』は禁止 。回答を拒んでもかまいません。……どうです? この時を楽しみませんか」


「……その言い回し……っ?」

 ずきん、と頭に鋭い痛みが走る。


 ルカは思わずこめかみに手を当てた。何かが引っかかる。

 思い出せそうなのに、霧がかかったように逃げていく。


 ルバート――研究者は、静かに手を伸ばした。

「無理はなさらない方がいいでしょう」


 彼の指先が触れた瞬間、心地よい冷たさが広がる。

 鎮痛の魔術が、ルカの頭痛を和らげていく。


「……まずは、せっかくですから一杯いかがです?」

 渡された品書きを開く。


 並ぶ文字を目で追いながら、ルカはふと唇を引き結んだ。

(この店の品揃え……まるで、僕の好みを知っているようじゃないか)


 赤みを帯びた琥珀酒。スパイスが効いた蒸留酒。ほんのり甘い蜂蜜酒。

 どれも馴染みがある気がする。しかし、思い出せない。

 

「ふむ……おお、月夜酒があるのか」

「ここの月夜は仕入れが日替わりですから、確認した方がいいですよ」


「確か今夜は、煉峰の3番目の頂に落ちた月光を発酵させたものだ」

「山の月光酒なら好みのものが多い。期待できるな」


「それならつまみは、この辺の山菜もいいですが……案外、深海のフリットも合いますよ」

「む……両方いただこう」

 

 ルカは満足げに頷き、視線を研究者――ルバートに向ける。

「……それで、研究者と言ったか。君は何を研究しているのかな」


「もっぱら伝承ですね。それと、弟のかわいさ」

「……やめて」


「放浪者、弟のかわいさは大事だよ。僕のやる気に関わる」

「その顔やめろ。いいこと言ってないからな?」


「……うちの弟も昔は可愛かったんだがなぁ」

 遠い目をするルカ。

「兄貴……やめていただきたい」


  

 ちりんと鐘が鳴ると、鮮やかな松明色の髪をなびかせた人ならぬものが、ひょっこりと部屋に現れた。


「お、みんないるな」

「君は……昨日の火竜かな?」


「違う」

「違う?……ああ、スルツェ、だったか」


「そうだ。様は不要だ」

「スルツェ?」


「そうだ。月夜酒なら、氷頭なますが合うだろう」

「そうか。じゃあ、ひとつもらおう」


「いや、ふたつと俺も月夜酒を」

 スルツェの言葉に、ルカは少し驚き、また心の中で安堵するのを感じた。


 そうだ、スルツェの名前。大事な名前だったようだ。

「……私は君を忘れてしまったのだろうか」


「……仕方なかったんだろう。それに、またこうして共に過ごせるだけでも、ありがたい」

「そうか。そうだな」


 その後、気まぐれに開かれた酒あての会は賑やかな夜となった。

 5人の会話が、夜の息抜きとなり、しばしの安らぎをもたらすようになった。


 

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