タバコとリスカ
「先生タバコ臭いですよ」
喫煙所から出てきた俺に、教え子からの声が届く。
「そりゃ、今吸ってきたばかりだからな」
あからさまに鼻を摘まんで、俺のにおいを強調してくる教え子。
嫌なら離れればいいのに。
「先生は臭くないんですか?私なんて喫煙所側の廊下通っただけで嫌になっちゃう」
「だったら、無理して俺のところに来なきゃいいだろ」
俺だって、タバコのにおいを嗅がせたいわけではない。
「そういうわけにはいかないです。用事があるんですから」
そう言った教え子は、手元にあるファイルからプリントを取り出し、俺に手渡してきた。
「・・・今回は早いんだな」
「前回は女の子の日と重なっただけですから!」
「ってことは三週間後のは遅れるってことか」
「計算すんなセクハラ教師!」
先に仕掛けてきたのはそっちだろうが。
「ほら、もう用事は済んだだろうが。こっちは忙しいんだ」
その場を立ち去ろうとする。
「先生は、いつからタバコを吸い始めたの?」
話聞けよ。
「だって、こんなに臭いうえに体にも悪いんでしょ?」
・・・じゃあ、お前の腕の腕のそれは体にいいのかよ。
「先生?どうしたの、そんなに怖い顔して」
顔に出ていたらしい。
「忘れたなぁ。就職してからすぐだった気もするし、それよりずっと前からだった気もする」
「タバコで脳がやられてるじゃないですか」
「ほっとけ」
そう言って頭を指さし笑う彼女の腕に、無数の切り傷が見える。
・・・また増えてるんじゃないか?
「きっかけは忘れたけど、吸う量が増えた原因ははっきりしている。ストレスだよ」
「ストレス?」
「誰かさんがちょっかいばっかりかけてくるからな」
そのくせ、傷のことを何にも言っちゃくれない。
「誰だろうな~」
嬉しそうな顔しやがって。
「あれ?先生どこに行くの?」
「忙しいのはホントなんだよ。これでもクラス持ちなんだ」
彼女が露骨にさみしそうな顔をするから、俺はつい、言わなくていいことまで言ってしまう。
「休み時間は、大概ここにいるから」
何かあったら、いつでも来い。
「・・・うん」
お目当てのあの人の場所へ待ち伏せをする。
「先生タバコ臭いですよ」
「そりゃ、今吸ってきたばかりだからな」
知ってる。外からずっと見てたから。
「先生は臭くないんですか?私なんて喫煙所側の廊下通っただけで嫌になっちゃう」
嘘。先生を待つ幸せに比べたら副流煙なんて屁でもない。
「だったら、無理して俺のところに来なきゃいいだろ」
「そういうわけにはいかないです。用事があるんですから」
こんなものがなくたっていくらでも会いに行きたい。
あなたが先生で、私が生徒でなかったなら。
「・・・今回は早いんだな」
「前回は女の子の日と重なっただけですから!」
「ってことは三週間後のは遅れるってことか」
「計算すんなセクハラ教師!」
よし。安全日と危険日は伝えられて損はない。
「ほら、もう用事は済んだだろうが。こっちは忙しいんだ」
先生が行ってしまう。なんでもいいから話題を繋げなくちゃ。
「先生は、いつからタバコを吸い始めたの?」
先生の過去ならすべて知りたい。
「だって、こんなに臭いうえに体にも悪いんでしょう?」
何より先生のにおいがタバコに打ち消されて恨めしい。
「先生?どうしたの、そんなに怖い顔して」
・・・きっと、お人好しの先生のことだろうから、『体に悪い』で、私の手首の傷でも思い出したんだろうな。
先生が私のことを心配してくるだけで、体の傷なんて少しも気にならない。
「忘れたなぁ。就職してからすぐだった気もするし、それよりずっと前からだった気もする」
「タバコで脳がやられてるじゃないですか」
「ほっとけ」
頭を指さす際、わざと腕の傷を見せる。
「きっかけは忘れたけど、吸う量が増えた原因ははっきりしている。ストレスだよ」
「ストレス?」
「誰かさんがちょっかいばっかりかけてくるからな」
それが、今の私にとっては、全てだ。
「誰だろうな~」
他のことは、今はぜんぶ、どうでもいい。
「あれ?先生どこに行くの?」
「忙しいのはほんとなんだよ。これでもクラス持ちなんだ」
不登校の私には、まだまだ知らない先生の顔がある。それを知れるのがうれしくて、知らないことがあるのが、とても苦しい。
「休み時間は、大概ここにいるから」
「・・・うん」
喫煙所にいる理由が、願わくば私の傷の理由と同じことを、心から願う。