78.ならば民を生もう。王は行動で示した
部屋一面を埋め尽くした泥が宙へ解けるように消え去っていく。
黒き濁流は、跡に何も残さなかった。
まるでマジック、いや幻覚のようだ。
身体を起こしてエヘイエーの方を見やる。
そこには布の塊が浮かんでいた。
紐がぐるぐると巻き付き繭のようになっているのだ。
あるいは何かの卵のようにも見えるそれは、低い唸り声にも似た音を吐き出しながらゆっくりと降下してくる。
呆気にとられて、繭が床へと降り立つまでを見守ってしまった。
床に下端が触れた瞬間、布の塊は一気に開きその中身を露わにする。
それまで外殻を形作っていたことが嘘のように、力をなくした紐がだらりと垂れ下がりそれらを引っ掛けた立派な角が覗く。
幾重にも枝分かれした王たる証は、鈍い全色に輝き威圧感を放っている。
角を生やすエヘイエー自身も様変わりしていた。
少女と見紛う少年は筋骨隆々たる体駆を誇る偉丈夫となり、その裸身を惜しげもなく晒している。精悍な肉体に腰布一枚という彫像を思わせる姿は、目にした者に畏敬の念を抱かせた。
強者の圧に、口の端が吊り上がるのを自覚でき
た。
ここからが本番だ。
先ほどまでの姿は、言わば蛹。
羽化を経た今、奴は真に王たる力を得た。
「思考が……」
エヘイエーが何とはなしに呟く。
声もまるで変わっている。
見た目相応の低い声だ。
「思考が冴え渡るのが分かる。なるほど、先の私は目を開けて夢を見ていたのか」
舐めたことを言いやがる。
しかしそれが虚言の類でないことは、四肢に満ちる力と爛々と輝く瞳が物語っていた。
モノが違う。まさに大人と子ども。
このエヘイエーこそが真なる王なのだ。
「父は我らがお気に召さなかったらしい」
「何?」
「要は失敗作なのだよ、私は。お前たちのな」
そう言いながら、エヘイエーは床に手を向けた。失敗作だと嘆きながら、しかしそれを気にしているようではない。
散乱していた布や紐が蠢き、緩やかに持ち上がっていく。
それらは一つにまとまり、柱のようになった。
「剣とは権威の象徴だ。武器としてだけ見れば、槍の方が活躍の場は多い。長さとはそれだけで優位性に繋がるからだ」
エヘイエーが布の柱を掴み取ると、それは一振りの剣となった。
混じり合う様々な色や模様が、剣の出自が金属でないことを物語る。だが甘く見てはいられなかった。
エヘイエーの手にあっては、例え紙の一枚であっても恐ろしい武器となるに違いない。
そう予感させるだけの威圧感を放っている。
「証たる王冠に権威たる剣。だがまだ足りぬものがある。分かるか? 王を王たらしめるモノ。それは臣民だ」
背筋が粟立つ。
奴が何をしようとしているのか。
次のアクションを止めようと立ち上がる。
「私はここから国を始めよう。父に与えられし王ではなく、父を討つ王として」
床が、居室の絨毯がまくれて立ち上がり、人の形をとっていく。
それも一つや二つではない。
十も二十も、エヘイエーの民が新たに生み出されていく。
「おいおい……」
その光景に足が止まった。
新たな兵が、軍勢がエヘイエーに跪く。
「手始めにお前たちから片付けよう。父の同胞たる客人よ」
王を頂く無貌の騎士たちが一斉に動き出した。
指揮を執る者がおらずとも、乱れることなく並びだし盾に槍とを構え立つ。
二十一の戦士が槍の石突きを床に打ち鳴らした。
「行け」
壁の如く聳える六枚の盾と、その隙間を埋めるように突き出された無数の槍。
正面から立ち向かえばその場で死に、迂回をしようにも部屋の広さが足りない。
敵を虫のように踏み潰す。まさに必殺の行進だ。
必死の運命を覆すには、ここで切り札を使う必要があった。
「〔宙天返礼歌・不基〕」
名を呼べば、手にする戦槌に淡い紫の燐光が宿った。
ふわりと輝くエフェクトは、エンチャントが発動した合図だ。
武器に属性や追加効果を宿らせるエンチャントには多くの種類がある。麻痺、燃焼、氷結、呪詛、固定に乾燥、光や闇といったものまで。
一度限りのエンチャントとして見れば、【衝撃貫通】系のスキルも仲間だと言えるかもしれない。
〔宙天返礼歌〕シリーズの武器は、共通してエンチャント能力を有している。
付与する能力は『無空浸食』。
継続ダメージを発生させる無空状態と浸食状態の二つを、同時に相手に与えることが出来る。
そして、ダメージ計算式が異なるこの二つの状態異常は、互いに上書きされることなく並列して効果を発揮するのだった。
強力な状態異常攻撃のエンチャント。そこにさらにスキルを上乗せする。
「【衝撃侵略】」
一撃に限って殴打の衝撃を内部に伝播するスキルは、研鑽の果てに広範囲に効果をもたらすようになった。
振りかぶった一撃が床を叩き、迫る無貌の騎士たちの足元を震動が浚う。
乱れる足並み。
陣形が崩れ、槍衾が開く。
「……そぉら、よう!」
機を見逃さずに踏み込んだ。
最も体勢が悪い一体に狙いを付けて、掬い上げる軌道で盾を叩く。
実数値にして400を超える筋力が、バフによって更なる高まりを得て躍動する。
────ゴッ!!!
高々と打ち上げた騎士に目もくれず、次の獲物に飛び掛かる。
既に槍の間合いの内側に入り込んだ。一気呵成に攻め立てる。
一振りで騎士を沈めていく。
いい調子だ。
退く動きも押し込もうとする考えも、全てが見てとれた。
付かず離れず、戦槌の間合いを強要する。
乱戦だ。
四方八方から突き出される槍に叩きつけられる盾。それらを時に手で払いのけ、時に槌で迎え撃つ。どうしても凌げない時には、身体で受け止めてHPの消費で乗り越えた。
そうして、二十一の騎士を真っ向から削っていく。
消耗がないわけではない。
アイテムでの回復、特にMPの管理をしながら戦闘を続ける。
強力な分、エンチャントの消費MPが大きいのだ。二重の状態異常は騎士たちのHPをガリガリと減らし、その挙動にも影響を与えて隙を生み出す。
攻撃が直撃せずとも、エンチャントの効果だけで敵を弱めてくれるのは、対多数の戦闘でとても役に立つ。一対一の決闘では当てた時点で勝敗の天秤が傾くため新鮮だ。
「──どうだい王様?」
ぐしゃり。と最後の騎士の頭が潰れた。
「また、一人だねえ」
「……王とは」
エヘイエーは気にした素振りをまるで見せない。
「王とは臣民あってのものであるが。臣民は王の後を追うのではなく、王の道を敷くためのものだ」
我こそが覇道。この道こそが正道。
そう言わんばかりの自信に満ちている。
議論に付き合うつもりはないが、それでも一言言ってやりたくなった。
「勝手な話だねえ。そんな王様は引きずり下ろされてお仕舞いさ」
「そうだろうか? 客人の世界ではどうか知らないが、私たちの世界は強さを指針にしている」
どうあれ私は揺るがない。
エヘイエーは、床に刺した剣を引き抜きながらそう言った。
舌戦の無意味さは十分に理解した。
結局、奴の流儀に則って力で決着をつける他ない。
「それはそれで認めるみたいで癪だけどねえ」
「……なんの話だ?」
「こちらの話さ」
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