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65.弱きもの


 呼気を整え、肩に入る力を抜く。


 ここからが本番だ。

 意識を研ぎ澄まし、反射を加速させる。それくらい容易く出来なければ、ツバメの前に立つことなど叶わない。



 闘気が揺らめく。ツバメの身体を覆うように、空気のベールがひらめいた。

 チリチリと肌を刺すような感覚が襲い来る。

 彼はようやくスキルを起動させたのだ。パッシブの強化系、それすら使っていなかった今まではお遊戯みたいなものである。

 その考えを、ふとおかしく感じる。ゲームなのだからお遊戯で当たり前だと言うのにね。



 一挙一動を見落とすまいと、目を皿にしてツバメを観察する。

 彼はゆるゆると刀を脇構えにすると、ピタリとその動きを止めた。彫像のようにまったく動かない。


 ピンと糸を張りつめたような沈黙が訪れる。


 動かない彼と動けない私。

 ああ、やはりこちらが挑戦者なのだと思い知らされる。と、同時にそれで良かったと思う。

 彼は気の抜けたライオンなどではなかったのだ。恐るべき捕食者で、牙を隠せど覇者と呼ぶに相応しい男であることに変わりなかった。




 ジマーマン、シフ、セイロン。

 NPCでは騎士ヨアヒムなど記憶に残る試合の相手は多くいる。


 だが、こいつは。ツバメは別格だ。


 何度も戦った。

 その都度敗れ、助言を受けた。

 屈辱だった。ゲームなのにと思わないわけではなかった。一面では、苛立たしく思っていたのもまた事実だ。

 それと並行して、尊敬をしていた。


 ああ、そうだ。


 私は彼に憧れた。その強さに、余裕ある態度に、積み上げたであろう努力や助言を与えていく姿勢に憧れていた。

 格好良さを見出だしていたのだ。


 だから先ほどまでの彼には、正直なところガッカリさせられた。

 幻滅したとまでは言わないが、失望に近い念は抱いていた。ヒーローの汚い面を見た、そんな心持ちと言えば分かりやすいだろうか。


 そんな余裕の無さを見せないでくれ。成長を喜ぶ姿勢を捨てないでくれ。その強さを汚さないでくれ。

 認めたくないがそんな思いを抱いていた。同時にやるせなさも。



 だが、その祈りは通じた。


 ツバメは今、以前の彼に立ち戻っている。私の知る彼へと。……あるいは、私の知る以上の剥き出しのツバメになっているのかもしれない。


 眼前の敵を切り捨てることに特化した刃のごとき空気を纏い、澄み切った泉のような目で私の心までを見透かそうとしている。

 余裕の無さも苛立ちも、全てを飲み込んで彼はようやく私と向き合っていた。





 ゴクリと唾を飲む。


 まだ間合いは遠い。それなのに喉元に鋒が突きつけられているように思えた。

 届くのだと直感で理解できた。彼がその気になれば、私が隙を見せればその瞬間に首を刈る。

 ツバメにはそれが出来る。

 ゲームだと言うのに冷や汗が流れる。緊張に呼応して額に汗が浮かび、滴り落ちた。





 ──刹那。



 眼前に迫る刃。


「なっ!?」


 仰け反りそれを何とか躱す。鼻の頭を刃が掠めた。軌道が全く見えなかった。

 閃く銀光が即座に切り返し、右肩を撃ち据える。

 一歩踏み込み肩を入れて骨で受け止め、拳でスキルを放とうとするもひらりと避けられた。



 三度、間合いが開く。



 (まばた)き。

 汗に気を取られてわずかに目を閉じたその瞬間を、ツバメは逃さなかったのだ。ほんのわずかな一瞬を。

 そこで気付く。今までに汗など流したことはなかったと。だが今は流れている。これは何故か。

 答えは簡単だ。それはツバメの持つスキルによるものである。相手にプレッシャーをかけるスキル。ただそれだけの効果が、使い手と合わさって恐ろしい力を発揮したのだ。

 そして、これまでの試合では手加減されていたそれが、今この時は全開となっていた。


 心の奥底から、静かに喜びが浮かび上がってくるのを我慢できなかった。

 手加減無用と意気込んでいても、結局それは相手の胸三寸。こちらが本気であっても相手も同じとは限らない。

 今までの試合では軽くあしらわれていた。ツバメはまだ本気でなかった。


 だから嬉しく思う。

 全力かは分からない。本気であるのかも。だが間違いなく、彼は真剣であるのだ。



 喜びを噛みしめて、攻勢へと移る。

 勝利のためには前へ出る他ない。防御に回っていては押し切られるのが目に見えていた。

 活路は一つ。選択肢も一つ。

 力強い踏み込みとともに、ウォーハンマーが唸りを上げる。

 呼気を鋭く吐き出しながら、担ぎ上げたそれをツバメの胸元へと振り下ろす。




 ──ガギィンッッッ!




 けたたましい音を立てて〔大地讃頌〕が弾かれた。刀によって打ち払われたのだ。

 だがその威力は互角。いやわずかにこちらが勝っていた。

 ツバメの姿勢が後ろへ流れる。


 逃すわけにはいかない。

 続けて攻め立てる。

 ここで抑え込み、そして。…………殺す。


 互いに雑じり気無しの殺意を乗せて、槌と刀を振るい合う。


 火花が無数に散り、金属を撃ち合わせる音が鳴り響いた。

 十ではきかない。二十、三十と瞬くように()ぜる。


 今、この瞬間。そこに全神経を集中させて、限界を超えて何よりも早くあろうとする。

 全身全霊を傾けて、目の前の男を打倒せんとした。





 だが。





 だが崩れない。崩せない。


 揺らいだはずのツバメの身体は、いつの間にか確たる芯を取り戻していく。流れた姿勢が立て直された。

 武器を打ち合わせるほどに力が増していき、より正確に迎撃を当ててくるようになるのが分かった。


 アドバンテージが容易く食い潰され、イーブンへと持ち込まれる。

 すぐに追い込まれるだろうことは、未来予知が出来なくともはっきりと理解できた。


 ならば。


「【衝撃(インパクト・)侵入(イントルージョン)】!」


 打開の一手を放つ。

 受ければ衝撃が伝わり、避けようにも迎撃体勢に入っていて無理に避ければそこを狙い撃ちだ。


 これを起点に一気呵成に攻め立てる!


 スキルの起動。

 衝撃を伝播させるそれは、防御を正面から踏み砕く。高いSTR値による破壊力と合わせて、耐久にふったプレイヤーでも耐えられないだろう。

 ましてや、軽装甲な技量特化であるツバメであれば当たりさえすれば粉微塵である。








 そう、当たりさえすれば(・・・・・・・・)の話であるが。








 思いもよらない手応えに、瞬間的に思考が空白となった。


「は?」


 手に伝わるのは虚空を叩く感触。

 すり抜けたかのような虚無。水面相手でも、もう少し反動があることだろう。


 受けられたのでも避けられたのでもなく、いなされた。

 そっと優しく添えられた刃によって、槌の頭を誘導されたのだ。豆腐を刃で撫でて切らないかのような繊細さ。ツバメはまさに腕の、いや指の延長かのように刀を扱い、乾坤一擲の一振りは宙を泳いだ。


 理解は後から追い付いてきた。

 だがそれよりも早く、返しの刃が振り下ろされる。完全に空かされた戦槌を戻すのは間に合わず、凶刃からは逃れようがない。








 威力を殺すことも、逃がすことも出来ずに袈裟に切り飛ばされた。











ご覧いただきありがとうございます。

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