63.悪魔と怪物
──黒潮丸がツバメになりたいと試合をするのは、これが初めてのことになる。
コロッセオに活動拠点を置いているものの、黒潮丸はそのステータス構成の面で対人戦に特化をしていない。
もちろん出来なくはないのだが、彼のビルドは個人間よりも多人数での戦闘に寄っていた。
だからこそ黒潮丸は、舞踏会イベントで後方に陣取っていたのだ。それに、指示役を担っていたのも他のメンバーの方が戦闘に向いていたからである。
本人の気質自体は対人戦に積極的で、前向きである。ただ、その気質以上に協調性や相手に指示を聞かせられるという点が勝り、黒潮丸が周囲に頼られる環境を作り出した。また、話を聞くのが苦にならない彼はプレイヤー間のみならずNPCとのやり取りでも仲間から頼られている。舞踏会イベントの時にダウメル・ベートに苛立っていたのは、状況が悪かっただけだ。あの場面でベラベラ喋り続けていた奴のことを、黒潮丸含めて皆許していない。
とにかく、黒潮丸の能力はパーティとして上手く動ける要因となったし、実際彼らのパーティは情報を集めて考察を進めたりベート家からクエストを受けたりしている。掲示板でも存在感を発揮し、ゲームの攻略において間違いなく最先端に立っているのだ。
しかしそれを黒潮丸が望んでいたかと言えば、また別の話となる。
彼が好きなのは対人戦である。
誰かを打ち負かすことに、そうした強さを持つことに憧れを抱き、自身もまたそうであることを求めていた。
欲しているのは孤高の強さ。手にしているのは群れとしての力。
理想と現実の食い違いは、ゲームと言えど彼を苛んだ。
いや、ゲームであるからこそか。
現実よりも理想を追うハードルが低く、手が届くかもしれないと思えるために、黒潮丸は自身の理想を体現している者たちをひどく妬んだ。それはつまり、ゼンザイやツバメのことである。
決して本人は認めないし明かすこともないが、あんな風になりたいと内心で羨んでいた。
これはチャンスだ、と黒潮丸は思う。
ツバメと試合をする機会が訪れなかったのは、単純に黒潮丸が弱かったからだ。
彼と戦えるステージに上がることが出来なかった。
コロッセオはシステム上、対戦相手がある程度ランダムに選ばれる。だがそれも、一定の範囲での話だ。
ツバメとゼンザイは試合をしているが、ゼンザイと黒潮丸で試合は行われていないように、内部レートで選出される相手は絞られる。
黒潮丸は、ツバメと対戦出来るまで内部レートを上げることが出来なかったのだ。
そしてそれに彼自身が気付いている。具体的にどれくらい足りなかったのかは分からないが、足りなかったことそのものは理解していた。
なんと悔しいことか。
黒潮丸の握り締めた拳が震えた。色が白くなり、筋が浮く。自然と力が入り、歯を食いしばっていた。
これはチャンスだ、再度黒潮丸は思う。
黒潮丸がツバメと戦う機会は、これを逃せばそう簡単に訪れないだろう。
これがゼンザイなら、頼めばまだ何とか出来る。なんだかんだ彼は押しに弱い。嫌がられても頼み込めば折れる。PVPをすることはそこまで難しくないだろう。
だが、ツバメは違う。
頼む云々の前に接触が出来ない。
極端に少ないフレンド、コロッセオに姿を表すのは不定期で、一度のログイン時間も短いとくればまずコンタクトをとることが困難だ。今回出会えたのも、偶々ゼンザイが約束をしていたからで、黒潮丸だけでは無理な話であった。
だからこそ、チャンスである。
これを逃せば訪れないということは、今ここでしっかと掴めば良いだけのこと。
この機会に、己れが理想に負けていないと実証して見せるのだ。形は違えど、確かに迫ることが出来ていると、誰よりも黒潮丸自身に証明する。
そのために、秘策を曝す。
ゼンザイもツバメも、わざわざ言いふらすような真似はしないだろう。シフについても口止めをしておけば大丈夫。
多くの目に触れず、かつ相手はトップクラスのプレイヤー。
ここで使わずしてどこで使うかと言うくらいに整った条件に、黒潮丸の口元が三日月のように歪む。
「ぶちのめしてやるよ」
そう呟くと、黒潮丸はインベントリを操作した。
♦️
銅鑼が鳴った時、ツバメはすぐに動かなかった。動けなかったのだ。
ゆるりと構えた長剣が、その戸惑いを表すようにわずかに揺れた。
「……なんだ、それ?」
試合開始と同時に目映い光に包まれた黒潮丸。
罠を疑い踏み込まずにいたツバメは、そこで見た。
「変身した!?」
外野で見ていたシフが驚きの声を上げる。
そう、変身だ。
両の側頭部から生えた黒い角。光沢のある黒い翼に、ふさふさした毛で覆われたこれまた黒い尻尾。指先からはかぎ爪が伸びて、皮膚の色が浅黒く変わっている。
黒潮丸の姿は明らかに人ではなくなっていた。
これこそが黒潮丸の秘策。
舞踏会イベントの後に受けたクエストで、ダウメル・ベートからせしめた報酬である。
まだ仲間内でも情報共有を済ませていない、正真正銘誰も知らない秘密のアイテム。それを用いて肉体に悪魔を降ろしたのが、今の黒潮丸の姿である。
悪魔と呼ぶに相応しい、黄色く濁った瞳で驚くツバメを見据えると彼は言った。
「……いい顔だ。それを見れただけでも、やった甲斐はあったぜ!」
黒潮丸は叫ぶや否や、右腕をツバメへと差し向ける。
空気が爆ぜる。一度ならず、二度三度と繰り返して。
「なんだと!?」
その場の誰もが驚いた。
ともすればそれは変身以上の驚愕だ。
発声を伴わないスキルや魔法の行使。
ゲームとしてのシステム故に、皆が挑戦して諦めざるを得なかった。
特殊な能力をアクティブにするには意識の切り替えが必要だ。それが『OIG』では声を発することで為されていた。
黒潮丸はその根幹を覆したのだ。
戦いにおいて発声は隙に繋がる。呼気が乱れることも技を放つ上でご法度なのだ。ましてや声を上げるなど、生まれた力みは不自由となり滑らかな動作を阻害するに余りある。
もちろん、現実であれば威圧や鼓舞を目的にするのは悪くない。集団であるのなら、連携面を補強してくれるだろう。
だがここはゲームで、かつコロッセオに味方はいない。
余計な動作であるスキルの発動を、無駄に力の入る発声という形で行うことは、弱みをさらけ出しているのに等しくなる。
対人戦に真剣な連中はなるべくその隙を小さくしようと工夫を重ね、ズラシや透かしといった技術を開発し、ツバメのようにスキルを頼らずとも自前の技量で事足りる者は極力不確定な要素を排する方向へと舵を切った。
それら全ての前提を黒潮丸は覆して見せたのだ。
風の塊を放つ魔法を無言で連発する彼を見て、シフは反則だろと呟いた。
知れば全てのマジックユーザーが怒りを露にするだろう。
詠唱時間の制限もなく、トリガーとなる発声もなく、ノータイムで魔法の連続投射をする姿は、魔法使いの理想像の一つに違いなかった。
魔法の速度が上がる。
いや、スパンが短くなったのだ。
撃ち出しまでの速度が増して、放たれる弾幕の密度が高まる。
だが。
「っ、何でだ!?」
黒潮丸が戸惑いの声を上げる。
「当たらない……!」
シフが感嘆の呟きを漏らす。
弾き、反らし、ずらし、いなし、躱す。
撃ち込まれる風の弾丸を、ツバメは悉く対処して見せる。
風に揺れる柳の葉が如く、ゆらゆらと芯をとらせない。
ツバメは速さではなく巧さによって、無数の弾丸を凌ぎ死地を切り開いていく。
一歩ずつ、確かな歩みをもって、ツバメは間合いを詰めていく。
対する黒潮丸は焦りに心を焼かれて、攻め手を増やした。風の弾丸に加えて、小さな竜巻をばらまき鎌鼬を飛ばす。
恐ろしい数の攻撃だ。
もはや壁のようにも思える密度に、しかしツバメは正面から立ち向かう。
力強く踏み込み、流麗な剣捌きはいささかも衰えない。
辺りの空気は乱れて、風の魔法は視認性が悪くなっているはずなのに、過たずに撃ち落としていく。
「くっ、このぉ……!」
黒潮丸の顔に余裕は無い。
MPのみならずHPと経験値すら注ぎ込んだ秘策が、徐々に追い込まれつつあった。
有り得ないという思いが彼の脳内で大きくなる。
悪魔の身体はそのスペックを遺憾無く発揮し、暴風、いや濁流のように魔法を放ち続けている。
だというのに、ツバメはその中を切り裂いて進むのだ。
さすがに全くの無傷ではない。HPはわずかに削れているし、風によって切れた痕がいくつも見える。
だからなんだ。それでも歩みは止められない。
ツバメが黒潮丸に迫る。
あと二歩も進めば、彼は黒潮丸を間合いに捉えることだろう。
しかしそれは、今さら黒潮丸を動揺させない。
事ここに至っては、ツバメが自身の元に辿り着くのは予想の範囲内であったからだ。
「<マナ・フラッシュバースト>!」
全方位への魔力解放。MPがゴソッと減り、HPが半分を割った。
風ではなく無属性の魔法だ。射程は短いものの死角はない。
地面を抉り飛ばす魔法の一撃が、今度はきちんと命中した手応えがあった。
この時間で体勢を立て直す。
黒潮丸は翼に風を纏い、空中に飛び上がろうとした。
地を蹴った瞬間に、彼はようやく自身に何かが起きていたことを把握した。
飛び上がれずに、よたよたとたたらを踏む。
視界の端にあったはずの翼が失われていた。
「なんっ……!」
一閃。
横一文字に走り抜けた銀の光が、黒潮丸の口元を薙ぐ。
スペルキャスターは喉を潰すのがセオリーだ。発声を封じれば、彼らのほとんどは無力になる。
ツバメは基本に忠実に、長剣を振るった。
機動力を落とし、抵抗力を削ぐ。
まずは翼を、次に口を。それから足を、さらに目を。一撃で仕留めようと欲はかかず、確実に仕留めるべく場を整える。
やがて黒潮丸は動きを止めた。
抵抗が無意味であることを悟り、そもそも反抗するだけの力を奪い去られてしまったからだ。
敗けを認めたのである。
敗者には慈悲深く。
ツバメは残り少ない黒潮丸のHPを、首への一撃で刈り取った。
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「え、次アタシが戦うの?」
シフは困ったように呟いた。




