38.骨と肉とで身体を支える変態的な作り込み
避けられたのは、偶然だった。
背筋に走った悪寒に従い銅鑼の音と同時に屈めば、眉間のあった位置を雷光が迸るように何かが貫き徹した。
頭上を通過した1本の線。
その動きは、全く見えなかった。
「「よくぞ躱した」」
写し身はこちらを褒めるが、それに反応する余裕は無い。
写し身の方を見れば、纏った布がはためいて端からふわふわと紐が伸びていた。宙に浮かびくねるそれは、今しがた虚空を駆け抜けた1本とよく似ている。
たかが紐と侮るなかれ。
ここはゲーム。極めずとも人体を破壊するくらいは容易かろうて。それが仮にも神格なればなおのこと。
それが2本。するすると主の元へ戻される1本も合わせて、トータル3本の紐が私に焦点を向けていた。
ごくり、と唾を呑む。
出しているのが3本だからと言って、それで全てとは思えなかった。
そもそも、1本だってどうにか勘で避けたのだ。それが増えたとあれば、どこまで保つか。
蛇が鎌首をもたげるように、3本の紐が撓む。狙いを定めるそいつらと睨み合いだ。
刹那、弾けるように放たれたそれらを盾で受け止めた。
一点を穿つように、同時に同じ場所へ飛んできた攻撃は、容易く私の身体を押し飛ばす。
紐を受けた盾は軋みを上げて、貫通した衝撃が左腕に鈍い痛みとHPバーのわずかな減少を寄越してきた。
恐ろしく速い。
だが直線的で軽い攻撃だった。
ゲームとして攻略されることが念頭に置かれているのだろう。
理不尽さはそれほどでもない。
思い返せば、最初にライツィと一当てした時の方が余程酷いものだった。
あれと比べれば、本体は動かずに軽く直線的で読み易い攻撃を放つばかりの写し身はまだ戦いになる。
距離をとった戦い方をされて間合いを押し付けられているが為に、私の大半のスキルは腐っているが、パッシブのものや防御用のスキルは十分役立っていた。
手札の数は同じくらいでも、戦闘力で見ればあの時とは比べ物になるまい。
これは乗り越えるべきであり、乗り越えられる障害だ。
エンドコンテンツの、やり込みが前提条件でいてそれでも安定しないような理不尽ではない。
そんなことをつらつらと考えながら、再度放たれた刺突を防ぐ。
口には出さないが、その攻撃には少しずつ慣れてきていた。
動きに起こりが少なく唐突に放たれるものだから初めは面食らっていたが、何度も見れば目も追い付いてくる。
受け止める動きだって、繰り返していれば自然と出来るようになるものだ。洗練されてくるとも言う。
紐を受け止めても吹き飛ばされないようになってきた。
もう何度になるだろうか。
私は私の予想よりも随分と長持ちしていた。
ありがたいことに3本を一纏めにして放たれる攻撃は、バラバラに襲い来れば瞬く間に私を穴だらけにしただろうに。3本も同じリズムで動いていれば、攻撃の放たれるタイミングは猿でも読める。ゲームバランスのせいだろうね。
紐の刺突を防ぎ、わずかにでも踏み込む。そこを目掛けて自在に曲がる槍が襲い来て、盾で阻み足を止める。
受けては進んで、近付いては防いで。その繰り返し。
距離が狭まったことで主観的な速さが増して苦しくはなったが、それでも掠り傷までで凌いでいた。
──このペースなら、いけるか?
そんなことを思ってはいけなかったのだろう。
「「……人間」」
写し身が何事かを呟くと、紐の動きが止まった。揺れることなく、凍りついたように停止していた。
静寂と硬直が訪れる。
私からは動かない、動けない。
下手に口を利くことも出来なかった。
刺激を与えて何かを引き出した時、それがろくでもない何かになることはありありと予想が出来た。
写し身はただこちらを眺めるばかりだ。
やがて、一言呟いた。赦さぬ、と。
冷たい美貌はそのままに、圧力だけが熱を帯びていく。焚き火に、あるいはヒーターに寄り過ぎた時のように、肌が張ってヒリヒリと焼けるような感覚があった。
ゲームの中だと言うのに感じられる、胃の腑を引っ張り上げられたような居心地の悪さ。
威圧に感情が乗せられ、より真に迫ったものへと変じていく。それまでの人形染みた様子が一変する。無表情ながら、その顔には確かな怒りが浮かんでいた。
その怒りの色を見て、私は己れの失態を悟った。
そりゃ、怒るよね。下等存在が気を抜いていたら。ましてや、試しの場であるというのに。
好意的な態度に忘れていたが、ゲーム的な制限が課せられていることが確実な写し身の側からすれば、私が攻撃を防ぐ様は面白いものではないはずなのだ。
一度や二度ならともかく、何度も繰り返せば不興を買ってもおかしくない。仏様でも終いには怒るのだから、ゲーム内の神格だって怒って然るべきだろう。
紐は不自然なほどに刺す動きを繰り返していた。それが制限からくるものであったならば……。
調子に乗った人間風情はさぞ腹立たしいことだろう。
空を切る音が連続する。高さも拍子もずらされた風切り音は、思い思いに好き放題な調べを奏でていた。
写し身の周り、漂う紐がそれぞれ別の軌道を描いて振り回される。人の掌ほどに小さな円、顔くらいの円、背丈ほどの大きな円。
それらが互いに触れ合わぬように更なる大きさの円を描く。
妙技と言えば良かろうか。美しくすらある。
写し身は身動ぎ一つせずに、ただただ純然たる殺意を投げかけてきていた。
大気の弾ける音が一つ二つ、三つ。
連続して撃ち出されたそれは、これまでと違い別々の部位を狙っている。直感に従い突き出した盾に一つ、振り払ったメイスでもう一つ。避け損なって右の太ももを抉ったので三本目。
骨までは届いていない。
肉を裂いただけで済んだが、現実ならば動脈辺りで致命傷だろう。
まだ踏ん張れるのはゲームならでは。力が抜けてバランスが悪いが、そこはご愛敬だ。
どれだけの速度で振り回しているのか。紐にしては甲高い音を立てて中空に綺麗な円が刻まれる。
纏った衣は波打てど乱れることなく、豊かな髪はそよ風に吹かれているかのようだ。
そしてまた。
拍子をずらして放たれた伸びる紐の槍。
まだ加減はされている。
点での攻撃ばかりで面制圧はおろか、線での攻撃もしてこないのだ。写し身は全く本気で無い。
それでも堪えるものはある。
半ば勘とは言え、気張っていなければ対処出来ない音にも匹敵する速さの一撃に、こちらの神経はガリガリと削られていく。
HPバーもまた同じ。
スキルによる自動回復は雀の涙。いや、焼け石に水が正しいか。
一発掠れば2割近く吹き飛ぶのだ。
まともに食らった時のことなど考えたくもない。
鎧の金具がバラバラと零れる。
腰の甲片を繋ぐ鎖が、擦れた勢いに負けて千切れたのだ。
盾に亀裂が走る。
ブーツが裂ける。
右肩には穴が開き、メイスを持ち上げるのも一苦労だ。
動く度に至る所から悲鳴が聞こえた。装備に限界が来ているのだ。
散りゆく花のように薄片をバラ撒きながら、それでも抵抗を続ける。
景気よく吹き飛んだHPバーは残りわずかになった。
目算で1割あるかないかと言ったところ。
あと少し。ほんの少しなのだ。
もう二歩。
それだけで写し身を、このメイスで捉えられる。
だが、その二歩があまりにも遠い。
鎧とともに零れ落ちていくHPにもう少しだけと語りかけながら、踏み出した足は地に触れることなく虚空へと落ちる。
力無く傾く視界に映ったのは、地面に転がった私の右足。綺麗に肉を抉られて剥き出しになった骨は、ポッキリと折れていた。
なるほど、自重に耐えられなかったか。妙に冷静な頭が顛末を悟る。
地面が近付いてくる。
ああいや、近付いているのは私の方か。
視界一杯に土が広がり、鼻先まで迫ったところに上からポソリと呟きが降ってきた。
「「見たか」」
その勝ち誇った声色に、内心で白旗を揚げる。
いや、ダメだろう。このタイミングで親しみやすさを出してきては。
姿形はおろか、名前も知れぬ戦神に肩入れなど出来ようか。
軽々しく身の振りどころを決めてはならない。
そうは理解していても、この仰々しい口調で繕いながら子どもらしさの透ける神に転びたくなってしまう。
──存分に目に焼き付けましたとも。次は無いから、覚悟をしてくれ。
ポリゴンに砕け光に飲まれる。
死亡エフェクト。
転送が始まる。
唇を三日月に歪めて内心で宣戦布告をしながら、得られた情報を基に次の戦術を組み立てるのであった。
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