37.邂逅
サービス開始1か月を記念するイベントも、あと3日で開催というところまで近付いて来ていた。
レベルも上がりスキルも増えて、装備も新調した。ついでに体調も整えて、今日は万全と言える状態だ。
何故、そんな風に気を遣っているのか。
それは、レベルが50に到達したことで解放された『成身の儀』に挑むためだ。
これをクリアすることでランキング戦に挑戦できる。
スポンサー殿から聞いているため、確かな情報だ。
イベントとどちらが先になるのか読めなかったが、休日にかけた追い込みが功を奏した。
レベルが上がれば要求経験値が増えるものだが、量で賄えたわけだ。
元々対戦相手は同格以上が選ばれがちなため、質についてもカバー出来ていると考えればそこそこ頑張ったくらいのラインになるだろうか。
掲示板を見れば何人かは既に挑んだようだが、書き込みは愚痴ばかり。負けたようだ。
さて、二の舞を演じるか。
はたまた、前車の覆るは後車の戒めと成せるのか。
高鳴る胸を抱えて、『成身の儀』をメニューより選択する。
気分は討ち入りにござい。
やってやるぞと意気込みながら、転送が開始した。
♦️
光が収まる。
普段の試合会場との違いに、思わず息を呑む。
あちらはイメージ通りのコロッセオと言おうか。どこかスポーツ染みた、歓声に満たされた明るいものであった。
だが、こちらはどうか。
舞台が石だか土だかで固められている点は変わりない。四方が開けているのも良い。
問題は空気感だ。
雰囲気がまるで違う。
重い。
暗い。
鬱々とした視線が舞台を取り囲み、低くぶつぶつとした声が客席でさざ波を立てている。
値踏みをされると言うよりも、観察をされていた。
使えるか否か。
良いか悪いか。
強いか弱いか。
……美味いか、不味いか。
高揚していた気持ちに冷や水をぶっかけられたようだ。
「ハハハッ……。ゲームが変わりすぎだろう」
乾いた笑いしか出なかった。
この探るような気配を私は知っている。
あの時、ギーメル家の廊下、あそこで感じたものと同質だ。
ただ、あちらは歓迎してくれていたが、このコロッセオではそうでも無さそうである。幸いなことに、拒絶もされていないが。
また、背筋が粟立つ感覚は、『OIG』ではない他のゲームで味わったものと近い。
上位存在だ。
コズミックホラーなアイツらと邂逅する時、決まって正気を失うことになったものだが、それと似ている。
掲示板にはこんな報告をされていなかった。
確かに『居心地が悪かった』『雰囲気が違う』『戦いにくい』なんて書き込みはあった。
試練なんて言われているのだ。
普段とは違うと聞いて、当然だと感じていた。
思い当たる節はある。
『エヘイエー』だ。
称号かあるいは本体か。とにかく『エヘイエー』が何か働いている。それがどんな結果をもたらすのかまでは分からないが。
私はされるがままでしかないようだ。
身構えていると、試合会場の、いや試合という言葉は相応しく思えない、選別会場の一角に赤黒い靄が集まり始めた。
ここには私しか立っていない。
人間という意味合いでは、ただ1人しか存在していない空間だ。
……まあ、なんだ。あれは、お相手のお出ましになると言うことだ。
乾いた血のような色の靄から、ゆっくりと人影が歩み出してくる。
ザリザリと土を踏む音が聞こえた。それから衣の擦れる音も。
姿を現したそいつは人に近い外見ながら、大きな違いが1つあった。
角だ。
捩じくれて曲がり枝分かれした、鹿のそれに似た立派な角が側頭部から一対生えていた。
角とは権威の象徴だ。何時だかそんな話を聞いたことを思い出した。誰が言ったかは忘れたが、力の証にして隔絶を示すのだとか。
排斥される王は角を、新たなる王は髭を蓄える。そんな風な話をしていた。
ああ、そうか。だとすればその正体は……。
長く伸ばした髪を揺らめかせ、そいつは悠然と立つ。
背は高くも低くもなく、そこにいるというのに気配が希薄であった。
少年とも少女ともつかない透明感のある美貌は、どろどろとした澱のような空気の中で冴々とした輝きを放つ。その美しさが恐ろしい。
その正体が私の予想通りであるのなら、わざわざ外見を人の範疇に納めずとも良いからだ。だというのに、手間をかけて人に理解の出来る領域に落とし込んでいる。いっそのこと、触手の集まりや虹色の巨虫、脈動する内臓の塊のようないかにもな見た目であってくれたら良いのに。
そうであれば一目で見切りがつく。理解が出来ないと判別が出来る。なまじっか人に近いが故に、その辺りの判断が誤作動を起こしている不具合が感じ取れた。
角の生えたそいつは糸のような目をこちらに向けて、蒼白な顔は無表情に、唇が言葉を紡いだ。
「「人間」」
声が二重に聞こえた。
ガラスを擦ったような甲高さに眉をしかめる。
わずかにズレているのが不快感を煽った。
「「これより儀式を執り行う」」
そう言いながらもそいつは、とてもこれから戦うとは思えない姿のままだった。
布を幾重にも重ねた見慣れぬ衣装は、動くのに適した格好とは思えない。
十二単のようでありながら色のくすんだ襤褸切れは、かつては豪奢な装いであったのだろう。
だが今や見る影もなく、この瞬間にも唐突に崩れ去るのではないかとすら思わせてくる。
ふと思う。
魔法を使うのだろうか。
あり得ない線ではない。
無手のそいつは、格闘をするような体格ではない。
『OIG』はゲームでありながら、執拗に現実らしさに拘っていた。
それは住人の体格にも現れていて、彼らはそれぞれ肩幅から腕の長さ、左右の筋肉の付き具合までデザインされていた。そのデザインの基準は、住人自身の能力と生活だ。
鍬を握る、弓を引く、金槌を振るう、煮炊きをする、物を運ぶ。
現実のように、それらの動き方に最適化される。
逆に言えば、住人を相手にした時は見た目からどんな戦い方をするのか類推出来るのだ。
そしてそれを当てはめると、角の生えたそいつは華奢で肉体労働に向いているとは考えられなかった。
身体の線が出にくい格好をしているものの、手首や首筋は見てとれる。細く腱の浮いたそれは、まるで棒のようだ。簡単に折れてしまいそうであった。
「「用意はまだ終わらぬのか?」」
私が押し黙って観察していたのを、準備と捉えていたのか。
淡々と質問してくるそいつに、コミュニケーションがとれるか試してみることとした。
「……戦う前に、1つ教えてくれないかい。
他の住人と少し見た目が違うようだけれど」
「「知りたいか?」」
糸目が弧を描き、無表情だった顔が愉しげに歪む。
「「知りたいのなら教えてやっても良いぞ。
だが人間。そのためには相応の力を示せ」」
──我はエヘイエー、その写し身。構えよ人間、語らうのは後だ。これよりは闘争の時ぞ。
待っていたかのように、銅鑼の音が響き渡った。
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写し身の見た目は、グロテスク判定を回避して対象年齢を引き上げさせないための運営の工夫でもあるのでした。




