霖雨
暗い水中を抜けて身体が浮上し水圧のような圧力から解放されて目を開くと、ヨウは遺跡のような建物の中にいた。天井は覆われておらず、しとしとと雨が降り注いでいた。
不思議な事にヨウは水面に立っている。水底には機械と融合した歪な金髪の男性が見えた。これがレイの本体だと知識が入っている。
先ほどまで居た場所は地球とR-0009の間の水鏡の中で、ココは水鏡の箱庭と呼ばれている場所だ。レイの能力は水を媒介としている為、転移も能力の付与も水が関係していた。
「変な感じ。」
今まで知らなかった事が知識として脳に記録されているとは不思議な事だ。これが洗礼の力。どうせなら大学卒業に必要なくらいの教養知識も付随してほしいという考えは卑怯だろうか。
状況を整理しているとコツコツと高いヒールの音を鳴らしながら、ダイナマイトセクシーなどと呼ばれていそうなスタイルの女性がやってきた。同性のヨウすら顔を赤らめてしまう程、お色気全開の布面積の少ない服装で。
「ようこそ。始まりの街へ。」
「始まりの街?」
魔王退治かお姫様救出の冒険でも始まりそうな言葉に気持ちがざわつく。
「シドさんとボスがヨウちゃんは患っているからそう言ったら喜ぶって聞いたけどお気に召さなかった?」
レイの洗礼といい、彼女といい期待させてから落胆させるなど趣味が悪い。そもそも現在進行形で患っている黒歴史を抉らないでほしい。
「ではでは今からお勉強の時間よ。」
「お勉強??」
首を90度に捻ったヨウだが雨に打たれているわけにもいかないので彼女の案内で、あれよあれよという間に別室へ通された。瓦礫のような古い街並みの中にも幾つか綺麗な建物がある。調律師の教育の場として整備されているとの事だ。
広い石造りの部屋で座り心地の良い椅子に向かい合って座っている。ヨウの前にはタブレットくらいの大きさの透明な板と箸の様な透明な棒、シドに飲ませてもらった桃のジュースがある。透明な板も棒もタッチパネル式の液晶版とタッチペンと同様の機能の道具だとやはり使用方法がわかる。
「私は管理調律師で統括補佐の通称チル。本名は野々山 満。2015年から来た29歳。スリーサイズは上から95・64・88のGカップよ。」
さらっと色々と必要のない個人情報が出てきた気がする。自己紹介は識別名の通称だけで良いのではないだろうか。
「私は22年ここで調律師の教育訓練をしているの。シド統括が会社説明で私が研修担当と言ったところかしら。」
「22年も……。」
「私の任務は100年間の統括補佐。嫌になれば年に一回の更新時に帰れるわ。でも私は人生をやり直したいから。任期を全うするの。」
チルはどこか淋しそうな笑顔で己の飲み物を口に含んだ。29歳ともなれば人生をやり直したいと願うほどの後悔があったのだろう。安全を保障された100年の労働で人生をやり直せるなら、快諾する人は多いのかもしれない。
「では、始めましょうか。まずは救済措置の使用言語及び文字の翻訳能力。一般常識及び世界知識の付与が正しく行われているかの確認よ。筆記試験ね、そのガラスプレートはタブレットと同じ機能があるから出題される問題を解いてね。」
「異世界に来てテストとか……。」
それからガラスプレートに文字が浮かんだ。見たこともない文字だが読めている。食べ物や地球に無い道具、有名人の名前、物価の相場などが出題されたので解いていく。言語や知識の付与に問題はないようだ。
「問題なさそうね。そしたら次は国についてね。」
ガラスプレートに地図が浮かび上がる。明るい配色で円形に記されている個所が人の領域と呼ばれる直径数千キロメートルの浄化地帯。
「α元素変異種は浄化地帯外でも生存できるからいくつかの街や集落が複数存在するわね。流石に調査しきれないから把握できてないけど。文化的な生活ができる人類の生存圏である6ヶ所の浄化地帯が主な国となっているわ。」
常に雨が降り注ぐ機械技師のジュビア東方連邦国。機械工学に優れ技師や職人が多い。
花が咲き乱れる鎖国的な豊作のアル公国ド。畜産、農産物の輸入源となっているが自国愛が強く閉鎖的だ。
異常海面上昇している信仰的なウォール諸島共和国。観光や水産業盛んな島国だ。
灼熱砂漠の軍事国家パイロープ帝国。世界中から武勇が集まり、国民の殆どが軍に所属する。
万年氷雪に覆われた高層ビル群の探求の国ネブリーナ皇国。科学研究が行われ学者や博士が集う。最高峰の医療機関がある。
深い霧に沈む世界樹の森に建つイエロ連合王国。α元素変異種と人が共存する理想郷。
すべての浄化地帯は常にそれぞれ異なる異常気象や異常な自然現象が起こっている。
「身体を原子分解し、自らを浄化装置に作り替えた始祖は生命エネルギーを使い、空気・水・大地をα元素より浄化するの。でも浄化の副作用として数百メートル圏内は空間が歪み、数十キロメートル範囲内は奇怪現象が起こってしまうわ。装置から数百メートル圏内の歪んだ空間は立ち入ることすらできない国もあるの。立ち入れても調律師が立ち入らせないけどね。この歪んだ空間は神域や地獄の門と国によって名称がことなるわ。」
浄化装置を中心に歪んだ空間状況は始祖によって異なる。許しがなければ調律師であっても入れない箱庭と呼ばれる絶対領域だ。
「因みにここは雨に沈んだ街の水泡の中よ。」
レイの本体を中心に数百メートルは降りしきり雨が流れることなく溜まっていて水没しており3分の1は空気の入った半球体状の空間らしいが言葉だけでは想像に難しいのでわかったフリをした。
「次は調律師と現地人で解釈と呼び名の違いをおさらいよ。」
絶妙なタイミングでガラスプレートに【800年前の災厄】とでた。R-0009でも調律師達からも終末日と呼ばれている未曾有の災害だった。
終末日を起こした存在は破壊神と呼ばれ神の領域を侵したテクノロジーを持った人間に科だった天罰など諸説ありな伝承として伝わっている。
科学文明の進んだ世界で、人間を模した何かが解析不能な力で世界を壊すなど理解し難い事だ。
「実際は転移装置を作り始祖を召喚したことで起こった不始末の責任を問われないようにするためにでっち上げた言い訳ね。始祖達が転移した経緯は各国の上層部しか知らなかったから言い伝えることもなく真実を闇に葬れたのよ。」
世界を危機に晒してまで保身とは権力を持った大人は汚いモノだとヨウはげんなりとした。
次に出たのは【汚染地帯】。これは神が人間から取り戻した大地であり神の領域などと言われている。
「破壊神の残留エネルギーのα元素密度の濃い地域ね。α元素が物資を変異させて荒れた状態になっているのだからね。」
続いて【α元素変異種】とでた。異世界生物を夢見るヨウの一縷の望みだ。
理性のない凶暴的な生き物も、理性があり意思疎通が可能生き物も総じて神使と呼ばれている。
「今はだいぶ緩和されて来たけどほんの数年前までは軍による神使狩りが存在したわ。だから今でも差別が絶えないの。」
そして【α元素汎用術】とでた。魔術もしくは神術と呼ばれていて期待値が高い。
「α元素変異かα元素を多く体に取り込んだものが使える異能力ね。国によっては差別や粛清の対象になってしまっているの。現地では魔術と呼ばれているけど列記とした数式からなる化学現象よ。」
「調律師で保護したりしないの?」
「私達の任務は世界の浄化と調和。国勢や風習にはなるべく関わらないようにしているの。」
秩序や均整を保つために徹底しているのだろう。必要に応じて必要なだけの援助。復興が終わり国が再建された今となっては手助けなど要らないのだ。
「ふーん。あれ?始祖とか調律師とか箱庭はなんて呼ばれているの?」
「現代のR-0009では始祖と調律師の存在は知らされてないわ。破壊神の災厄から500年くらいは復興支援の為に関わっていたけど、今では供犠になった始祖も調律師も表立った行動は謹んでいるもの。」
色々とチルに補足され、ふと疑問が過ぎった。
「必要な知識は付与されているんじゃないの?」
「付与されているのは物価・通貨・地理・現存する動植物の名詞・道具とかの一般常識よ。だから私が補填しているの。」
どうせならレイが持ちうる知識の全てを付随してくれても良いだろうに。これでは二度手間ではないだろうか。
「なんでレイさんの知ってること全部全部付与してくれないの?」
「世の中には知らなくて良いこともあるの。任務によっては補足説明も異なるしね。一番の理由としては人から逸脱した始祖なら別だけど、人の記憶力には限界があるのよ。調律師も例外じゃないわ。ボスの持ちうる知識を全てを付与したら壊れちゃうわ。」
そう言って飲み物を口に付けるチルに倣ってヨウも納得できない疑問を飲み込むように桃ジュースを喉へ流した。
◆チル…管理調律師統括補佐。本名野々山 満。2015年の29歳+22歳。スリーサイズ95・64・88のGカップ。ダイナマイトセクシーなお色気お姉さん。
◆ジュビア東方連邦国…常に雨が降り注ぐ機械技師国。
◆アルド公国…花が咲き乱れる鎖国的な豊作の国。
◆ウォール諸島共和国…異常海面上昇している信仰の国。
◆パイロープ帝国…灼熱砂漠の軍事国家。
◆ネブリーナ皇国…万年氷雪に覆われた高層ビル群の探求の国。
◆イエロ連合王国…深い霧に沈む共存の国。
ゲームなら適当に読み飛ばす始まりの町のチュートリアルその①