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異世界派遣社員の渇望  作者: よぞら
雪の章
38/41

小島

 最後の平穏のような白い砂でできた小さな島でヨウとヴィクトルは波の音を聞いていた。

 波がシーグラスと貝殻を転がしている。島の真ん中には流れついた木の身から生えた小さな木。根元には白い花が咲いていた。

 見上げる紺碧の空には白い筋が一直線に走り、空を割っている。


「ああ、久々の地上、サイコー。」


 鏡面の遠浅の海域を抜けると海底は深くなり暗い海底を何日も歩き続けて数日ぶりに海面に浮上した先で見つけた砂の小島でヨウは小休止をもぎ取った。

 陽の光を浴びないと精神衛生上よろしくない。いつもなら急かすヴィクトルだが心洗われるような南国の景色にしばしの休憩に同意したのだ。



 夜風に揺らぐ青色の花のように

 海に星が出ている時に出かけましょう


 水夫を惑わす海姫のように

 静かに打ち寄せる波と歌いましょう


 恋する私の頬のように

 紅色の貝を拾いましょう


 水面に煌めく魚のように

 足を擽る小波と踊りましょう



 強い恒星の日差しに輝く雪の結晶が透き通るテノールで優しい旋律を口遊んだ。


「綺麗な歌。性格悪いのに。」

≪姉さんが唄ってくれたこの世界の唄だよ。そして歌唱力と性格は関係ないから。≫


 稀にヴィクトルの話に出てくる姉さんという人物。初めはそれが誰なのか判らなかったが、旅をして始祖との会話でなんとなくの検討がついた。


「姉さんってオリガさん?」


 世界を滅ぼした元凶である始祖オリゲネア・ウルバーノ。オリガの通称で諸悪の根源のようにシドに教えられた人物だ。


≪うん。虫も殺さない慈愛に満ちた優しい人だったよ。≫

「過去形なんだ。」

≪過去形だよ。壊れちゃったし、いなくなっちゃったし。≫


 転移装置と一体化したオリガはレイに呑みこまれた。吸収されて消えたのか、消滅せずに残っているかは定かではない。残っていたとしてもレイはクリスタル化しており調べる術などないのだ。


「ヴィクトルは地球に帰れたら帰りたい?」

≪昔過ぎてあんまり覚えてないし、今更かな。≫


 ヴィクトルがR-0009に来たのは約1000年前。しかし地球とR-0009の一日の長さは1.5倍の差があり1年の長さは2倍近くの差がある。地球にいたころなど思い出すことも困難なほど遠い遠い記憶なのだろう。


「悪だくみとやらが終わったら貴方や、始祖さんたちはどうなるの?」

≪さぁね、俺達より自分の心配したらどう?≫

「考えないようにしてるんだよ。畜生。」


 ドロシーとライネに説明された全てのα元素を根こそぎ使い破壊神(アポック)を返送して世界を戻すという理論上のみ可能だった仮説。その仮説を実証するための準備としてヨウとヴィクトルは各地の始祖をクリスタル化させていた。術式を世界中に展開するための中継点として利用するために。


≪なんにせよ要になるのはヨウの能力だし、君がどうなるかも君次第だよ。≫

「うわぁ、普段は役立たずとか脳無しとか言うくせに。」

≪結局のところ俺たちがやろうとしていることは複雑な計算式を要する化学現象じゃなくて空想を現実に展開させる魔法みたいな術式なんだ。妄想は得意分野だろ。≫


 憂鬱な気持ちを振り払うようにヨウは海を見つめる。水平線には船が見えた。もう人の領域である浄化地帯の中なのだ。人の住まう場所が近いのだろう。

 無心で海を眺めていると体に微弱の電気が走ったような違和感がした。


「……寒気?悪寒?何これ心霊現象?ほんとにイヤなんだけど何これ。」


 原因のわからない現象に狼狽えるヨウをヴィクトルは笑った。


≪君も感じ取れたみたいだね。思っていたより鈍感じゃなくて良かったよ。≫

「いや、気持ち悪いから鈍感でいたいっす。」


 母親の低周波マッサージパットを興味本位で使った時に体験した電気が流れる感覚と酷似する現象など何度も味わいたくない。


≪もう一つの悪だくみがうまくいったんだよ。≫

「悪だくみってネブリーナの?」


 2人はネブリーナ公国で供犠の始祖に会う前に寄り道をした。その寄り道で成し遂げた仕掛けがうまく稼働すれば本来の目的の成功率が上がるのだとヨウはヴィクトルから説明を受けていた。


≪成功率は低かったけどこれで俺も探し物ができる。≫


 楽しそうに笑うヴィクトルをヨウはジト目で見ていた。ヨウとしては面倒ごとが増えてやるべきことが先送りになったのだから当然の感情だ。


≪というわけで旅は一時お預けだ。これから進む先の国はウォール諸島今日わっこく。人の領域が誇るシーリゾート地だよ。存分に羽根を伸ばしたらいいよ。≫

「羽根を伸ばしたくても先立つものがないんだけど。」


 ヨウの支給されたティスクは壊れたまま沈黙している。ティスクに内臓された身分証明書兼財布である個別コードがなければ買物どころか正規ルートでの入国すらできないのだ。


≪アブラカダブラ~。≫


 ヴィクトルが意味のない呪文を唱えるとヨウの腕にあるティスクが雪に包まれる。


≪ワン、ツー、スリー!≫


 マジックのような掛け声と共に雪が霧散すると、青色だったティスクが薄桃色へと変化した。するとあら不思議、今まで沈黙を保っていたティスクが起動したのだ。


「どうやったの?」

≪ネブリーナでアキシオンっていう特殊魔導部隊が使う身分偽装用のティスクと入れ替えたんだよ。≫

「え?」

≪こんなこともあろうかと、地下に潜った時に拾ってきて良かった。電動式魔道具とかもいくつか拝借してきたけど使ってみる?≫


 ヴィクトルは拝借と言ったが、無断で持ち出したなら窃盗ではないだろうか。盗んだものを嬉々として使用するなど罪悪感が許さない。


≪また小心者めいた事考えてない?≫

「…いや、だってドロボーじゃん。」


 桃色に切り替わったティスクを恐ろしいモノであるかのように見つめながらヨウは恐々と呟く。


≪ドロボーじゃないよ。ネブリーナにおいて俺は防衛軍事機関の最上級パスを持っているからね。あらゆる軍事用品の使用が許されているから。上層部達は俺が動けないと思ってA-00なんて無駄に最高権力与えているんだよ。≫

「言っている意味がわかりません。」

≪R-0009の現在の俺の所属はネブリーナ皇国。階級は防衛軍事機関のトップクラス。だから格納庫にある支給品は無許可での使用権限が与えられてます。お判りいただけましたか?≫


 とどのつまり一国ではVIP級の特権を持っているということだろう。自由に動けるならば顔パスなどという特権も持っていそうだ。


「マジか、すげぇな。」

≪敬い称えてくれてもいんだよ。≫

「調子に乗るなクソジジィ。」

「それじゃ、悪だくみが終わるまでバカンスといこうか。」


 夏休み前の少年のようにうきうきとヴィクトルは砂の島から出た。ヨウは重い腰を上げて後を追いかける。


「今更、異世界観光って気分じゃないんだけど…。」


 ジュビア東方連邦国からの旅立ちは鉄道の豪華客室から始まりアルド公国では食べ歩きから始まった。初めこそ観光気分の緩い異世界であったがその後の怒涛の鬼展開を考えると今更楽しめる気分ではないのだった。

◆宵闇の戯れ…R-0009で歌われる三拍子の小夜曲。

◆アキシオン…ネブリーナの特殊魔導部隊。

◆A-00…ネブリーナに身を置くヴィクトルの階級。防衛軍事機関での最上級の権力。


ハワイ行きたいニューカレドニア行きたいグアム行きたい。でも海外怖いから沖縄……飛行機怖いから家で寝てよう。

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