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異世界派遣社員の渇望  作者: よぞら
雪の章
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水槽

 スパイ顔負けの身のこなしで行きと異なるルートで再び建物の外にでたヴィクトルは体の主導権をヨウへと返す。


「あああああああ、久々のマイボディ!」

≪久々ってものの数時間じゃないか。≫

「あのね、数時間でも数分でも数秒でも自分の思い通りに体が動かないって苦痛だから。」


 雪の結晶を模するヴィクトルにヨウは詰め寄った。


「ポンポン人の体使うのやめてよね。」

≪じゃあ、ヨウの底辺は運動能力でなんとかなったの?≫


 鋭い刃物のような返しにヨウは黙るしかない。何も言えなくなったヨウは口を閉ざしたまま吹雪の中を歩きだしたのだった。

 足場の悪い雪道を何日か歩き続けて誰一人ネブリーナ皇国の国民に会うことなくヨウとヴィクトルは供犠のいる中心部へとたどり着いた。

 直径3千メートルに及ぶ巨大な竜巻が瓦礫となった建物を巻き込みながら吹き荒れている。1キロメートルは離れているというにの何かに捕まっていないと飛ばされそうだ。実際何回か飛ばされて高層ビルに激突した。


≪巨大竜巻起こすなんて気性が荒いコラリーにぴったりだね。≫

「こんなところどうやって入るの?」


 アルド公国は植物の浸食、ジュビア東方連邦国は重力を無視した水泡、イエロ連合王国は濃霧、パイロープ帝国は炎であったため入ることは容易であった。しかし、竜巻となるといくら不死身の体を持っていたとしても物理的に風の壁を超えることはできないだろう。


≪風に乗って頂上まで行って、風が静止している中心部に落ちればいいよ。≫

「そんな無茶苦茶な。」


 そんな無茶苦茶な事をヨウは数分後に実現することになったのだった。風速100キロメートルを超える旋風に乗り高度1万メートルまで数秒で吹き上げられ、ヴィクトルの作った氷の滑り台で中心まで移動させられ45秒のパラシュート無しスカイダイビングをしたのだった。

 イエロ連合王国での4千メートルのコードレスバンジーが軽視される体験であった。


「無茶苦茶だ。本当に無茶苦茶だ。」


 見るも無残にぐちゃぐちゃに折れた足が修復してもヨウは立ち上がる気になれずに座っている。風の凪いだ竜巻の数百メートル圏内の中心部は静かだった。

 緑豊かな水草のような植物、クラゲのようなゼリー状の生物が宙を泳いでいる。


「ヨウ、さっさと歩かないと俺が歩くよ。」

≪もう歩いてるだろクソジジィ。≫


 いつまでも座り込むヨウに焦れたヴィクトルが主導権を奪って歩き出す。風もないのに揺らめく植物。ふわふわと軽い体。本当に水の中のような感覚だ。


≪あれ?そういえば竜巻の中心って下降気流があったり真空だったりするんじゃなかったっけ?≫

「本物の竜巻ならそうだろうけど、コラリーの起こした人工的現象だからねぇ。竜巻っていうよりは風の壁って言った方が正しいのかな?」


 よくわからない現象に首を捻りながら歩くと大きな巨大戦艦がオブジェのように置かれていた。朽ちた人工物の建物には藻のような植物がありアクアリウムの中のような空間だ。


≪あれって、宇宙船だったりする?≫

「800年ほど前の宇宙飛行型の戦艦だね。お偉いさん用の惑星移動に使われてたよ。」

≪ファンタジーとSF混ぜるな危険。≫

「妄想と現実混ぜるな危険。」


 脳内で憤慨するヨウを無視してヴィクトルは全長550メートルの巨大戦艦の側面に設置された梯子を上った。甲板に降りると藻のような植物と黄色の花が咲いている。

 ヴィクトルが一歩踏み出した時だった。風を切る音が耳を劈く。危機を察知したヴィクトルが体制を変更するが数か所の四肢の肉が裂かれた。

 再び風を切る音がする。次は二種類の音だった。

 風の刃に肉が裂かれ、弾丸のようなものが四肢を貫通する。


「なるほどね、サミュエルの造ったセキュリティ装置ロートケプヒェンと狙撃能力を持った調律師で遠距離戦に持ち込むわけか。」


 瞬時に作戦と調律師の配置を理解したヴィクトルが手を翳すと、風の刃で足止めしていた黄色い花を凍り付かせて封じる。

 弾丸の嵐が降り注ぐ中、数人の調律師が現れて襲い掛かるがヴィクトルが冷たい息を吹きかけるだけで次々と戦闘不能へ陥った。

 再び静寂を取り戻した甲板。ヴィクトルの回りには氷像となった幾人もの調律師が苦悶の表情を浮かべている。

 船内へ入り、船底へと足を進めた。

 降り立った瞬間に何かが体を切り裂く。服に覆われていない部分の四肢が切り落とされた。


「襲い掛かるなんて酷いじゃないか、コラリー。」


 欠損した部分が再生するとカツンと靴底を鳴らしてヨウから身体の主導権を奪ったままのヴィクトルは大きな角と鬣を持った碧色の鹿に対峙する。


≪ヴィー、おいたが過ぎるんじゃないかい。≫

「アデルを利用した君たちほど狡猾じゃないさ。」


 供犠となった浄化の始祖コラリーの依代である碧の鹿は鋭い眼光で睨みつける。しかし庇護する依代専門護衛の補助調律師と警護に回された調律師達が氷像にされたコラリーにはもう成すすべがない。更に下肢は凍結されて地面と一体化されており動きすら封じられていた。

 対して、ヴィクトルは先制攻撃にて体をバラバラに切り裂いたというのに血の跡を残して無傷だ。


「ねぇ、コラリー。あいつらと結託して俺と姉さんを陥れたのは保身のため?」


 こてんと首を傾けて問うヴィクトル。仕草はかわいらしいが射貫く様な冷たい瞳が場を凍り付かせる。


≪誰でも自分が一番かわいいさ。≫

「メルビンみたいに今更自分が悪いなんて思ってなくてよかったよ。」


 ヴィクトルはコラリーを通り過ぎると背後にある透明な蝶々羽根を生やした女性へと近づく。ネブリーナ公国を浄化する旋風の箱庭の供犠コラリーの本体だ。


≪ヴィー、何を企んでる。≫

「この世界には俺の守りたい人も大切な人もいない。」

≪まさか、オリガの真似事でもしようってんじゃないだろうね。≫


 コラリーの低い声に、ヴィクトルは声を出して笑った。


「俺は姉さんみたいに世界を憎んでないけど、レイモンドや君達みたいに世界を支配しようなんて馬鹿な考えもないから。」

≪やめろっ、ヴィクトル!≫


 ヴィクトルはコラリーに触れてクリスタルのように結晶化させる。口惜し気に見ていたコラリーの依代は土くれとなり砕けた。


「残念だったね。君たちはこの世界の神になんてなれないんだよ。」


 冷たく言い放ったヴィクトルは巨大竜巻が消えて澄み渡った空を見上げる。雲もない青空から花弁雪が落ちてきた。

◆ロートケプヒェン…藻型の水草のような黄色い花をした旧時代のセキュリティ装置。目に映らないレーザー光線が切り裂く。

◆旋風の箱庭…ネブリーナを浄化する供犠が起こす異常気象の中心部。

◆コラリー…ネブリーナを浄化する供犠。透明な蝶々羽根を生やした女性。依代は角と鬣を持った碧色の鹿。

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