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異世界派遣社員の渇望  作者: よぞら
雪の章
35/41

疾風

 猛烈な台風に匹敵する風力の吹雪の先にはニューヨークのような高層ビル群が聳え立つ。極寒であるが一番広い国土を持つ科学研究大国、風の都ネブリーナ皇国。

 数百メートルはあろう高層建築物だというのに分厚い雪雲がかかり頂上は見えず、ホワイトアウト寸前の吹雪で景観どころではない。晴れていれば建物の中からも外から見ても絶景であっただろう。

 街中へ入ると道路らしきものは氷と雪で埋もれ、人の気配すら感じられなかった。時折、除雪作業をする無人の機械が行き交うのみだ。


≪平均気温マイナス50度。中心地に向かうほど気温が下がって人が生身で往来できる場所じゃないからね。人の移動は地下通路のみなんだよ。≫

「ネブリーナには詳しいんだ。海底2万マイルにいたんじゃなかったの?」

≪40年くらい前に海で拾われて30年程モルモットになってたから。≫


 返ってきた答えにヨウは顔を歪めた。モルモットという言葉の選択が悲惨な状況を想像させる。


「30年もいたのに調律師に見つからなかったの?」

≪正確には俺の本体はまだここにあるから。研究施設内は厳重だったから、入れなかったんじゃないかな。レイモンドを裏切った古い調律師の手引きもあっただろうし。俺が外に出れたのはネブリーナに加担する旧式の調律師を処分した調律師を利用したからだよ。≫


 その辺はミチにもシドにも聞かされなかった調律師達のいざこざだ。本当にヨウは必要最低限の事しか知識も情報も与えられていない。


≪アナステスアス・キルガーロン。ユーレを殺した調律師に懲罰を与える調律師である彼を媒介に色々と渡り歩いてユーレに会ったんだ。彼はそれなりに便利だったよ。≫


 数秒かけてアナステスアス・キルガーロンがライネを処分した調律師でありユーレが通称ライネのことだと行き着く。ヨウは初対面でライネが本名を名乗った事を思い出した。


「ライネさんね。本名で言われても誰だかわからないよ。」

≪俺はレイモンドが付けた名称なんて知らないよ。真名を名乗れないなんて不憫だね。≫


 ヴィクトルはどこまでもレイを嫌っているようだ。色々と徹底しているがヨウのことはレイの付けた通称のままであるし中途半端だ。


「どうして、ヴィクトルはライネさんを見捨てたのさ?」


 ヴィクトルほどの力があれば、どれほど強かったとしても調律師など簡単に追い払えたはずだ。なぜ、ライネが事切れるまで姿を現さなかったのかとヨウは問いただす。


≪見捨ててないよ。≫

「見捨てたじゃん。」

≪そう見せた方が都合がよかっただけ。適材適所ってあるでしょ?俺は陽動。≫


 含みを帯びたヴィクトルの言葉に、一つの可能性が浮かぶ。


「それってライネさんは生きているってこと?」

≪言葉の意味によっては死んでる。≫

「何言っているのかわからないし。」


 顔を歪めるヨウにヴィクトルは楽しそうに笑った。見た目は雪の結晶だというのに意地悪そうな笑顔が容易に想像できる。


≪生命活動が続いているかと問われれば肯定するし、人として生きているかと問われれば否定するしかないかな。≫

「そんなん調律師なんて皆そうじゃん。」


 人らしい生活を送っている調律師など誰一人としていないだろう。休息もエネルギー補給も必要なく、苛酷な状況下でも平然と動き命令を遂行する便利ロボットだ。


「ってゆーか話変えないでよ。結局ライネさんはどうしたのさ?」


 睨みつけるヨウを無視してヴィクトルはとある建物へと進んだ。雪の被った換気口の蓋を凍らせて砕かせる。


「うっわ、脳筋な開け方。」

≪頭の悪い感想はいいから速く入りなよ。≫

「入るってここから?」

≪他の国と違って正式な入り口から入ろうとすると審査が厳重すぎて入れないからね。≫


 今まで何のセンサーにも反応せず楽々と不法入国を繰り返してきたが、この国ではそうはいかないらしい。ヨウは意を決して暗い換気口へと入る。

 先導するヴィクトルを匍匐前進で追いかけるヨウの脳内にはスパイ映画で有名な5拍子の曲が流れていた。


「わぉ。」


 金網の隙間から見下ろすと東京駅地下街のような地下都市が広がった。アップテンポな音楽が流れ、多くの人々が薄着で闊歩している。吹雪で凍り付いている地上とは別世界だ。


≪ヨウ、この先にエレベーター通路に出るからそこから一気に下まで行くよ。≫

「下ってどのくらい?」

≪52階。≫


 ヴィクトルの返しにヨウの動きが止まった。

 52階とは単純計算180メートルくらいだろうか。その高さをワイヤーに沿って降りるのか飛び降りるのか定かではないが恐怖体験が待っている事だけは確実だ。


「嫌な予感しかしないんだけど。」


 ヨウの嫌な予感は悪い意味で予想を超えるのであった。


「なんじゃこりゃ。」


 換気口から出た先でヨウが見た空間はコンクリートで固められた薄暗い空間だった。速さの異なるエレベーターの籠が5つ行き来している。言わずもながら上も下も真っ暗で果てしない。


「こんなところ飛び降りても何しても挽肉になる未来しか見えないんだけど。」

≪君の運動神経と反射神経じゃそうだろうね。≫


 言うと同時にヴィクトルはヨウの体の主導権を奪い飛び降りた。


≪せめて行動を説明して許可とれクソジジィっ、うぎゃっ≫


 文句を言うヨウだが突然の衝撃に叫び声をあげる。高速で降るエレベーターの下部分に着地したのだ。落下速度より速く降りるエレベーターなど信じたくない。

 本来であれば、最下層に着くと同時に叩きつけられて挽肉になったであろうがヴィクトルは両手両足でバランスよく力を分散させて着地したため骨が少々折れた程度で済んだ。流石といったところだろう。


≪エレベーターの中じゃなくて底に乗るなんて、こんな生活。もう、イヤだ。≫


 ヨウの嘆きを聞きながらヴィクトルは手動で扉を開いて中へと入る。真っ白な床と壁と天井に青翠っぽい電飾の着いたSF映画に出てくる宇宙船のような廊下だ。約10メートル置きに扉が付いており、電子音と共に自動で開いていく。


≪ここって地下なの?宇宙船とかじゃなくて?≫

「元は地下施設に格納された複数の宇宙船だったらしいよ。それが災害で地下施設がつぶれて残った宇宙船の上に街を造っていったって事だね。」

≪崩れた地下施設の上に街を造るって地盤とか大丈夫なの?≫

「大丈夫だから造ったんでしょ。いくら文明が衰退したとしても技術者だって馬鹿じゃないんだから。」

≪そうですか、それでいつまでヴィクトルは私の体使っているつもり?≫

「危険だからここを出るまでね。」


 言いながらヴィクトルは体を屈めて目に映るはずのないセンサーを避けた。


≪なんで避けるの?何にも反応しないでしょ?≫

「センサーはセンサーでもレーザー切断型のセンサーだから当たったら切断するよ。」

≪全力で避けてください。何その技術怖すぎる。≫


 怖がるヨウを笑いながらヴィクトルは仕掛けをよけつつ目的地へと進む。そしてそれ自体が機械でできたような大きな扉の前に辿り着く。

 静かなモーター音をさせながらゆっくりと扉が開いた。

 部屋の中心に置かれた卵型のカプセルに満たされた水溶液の中、真っ白い少年が眠ってる。その顔はチルに見せられた800年前のヴィクトルだ。


≪うっわ。本当に顔だけは綺麗。綺麗すぎてキモイ。≫

「この顔で結構苦労したよ。平々凡々なヨウが羨ましいなぁ。」


 ヴィクトルの顔をじかに見たヨウの嫌味は倍の嫌味で帰された。しょぼくれて黙るヨウに構うことなく、ヴィクトルは自身の入ったカプセルの前に立つ。

 体から雪の結晶があふれだし、複数の青い球体が形成された。そして青い球体はカプセルの中にいるヴィクトルが吸収した。

 アルド公国にてアーロンの血管が青く浮き上がり、胸に銀の花が咲くいて花弁が散って出来た青い実だ。たしか実が形成されたあとのアーロンの体は白く崩れて灰のようになって朽ちたはずだ。


≪ねぇ、貴方の悪だくみで何人犠牲になったの。≫

「いちいち覚えないよ。」

≪うっわ、極悪。≫

「君が今までに食べた家畜の数と潰した虫の数を覚えてないのと一緒だよ。」


 一緒にするなと喉まででかかった言葉をヨウは飲みこむ。ヴィクトルとヨウでは状況も経験も生きた長さも違うのだ。常識や価値観が一致することは少ないのだろう。


「さて、悪だくみの寄り道も終わったし本命の悪だくみに戻ろうか。」

≪世界をまともに戻すなんて言っているのに悪だくみなんだ。≫

「少なくない犠牲が出てるし、これからも出るし善行なんかじゃないでしょ。俺は博愛主義の完璧主義者じゃないから一番確実で簡単な方法でいくよ。」

≪うわっ、悪ぶってキモっ。齢1000年超えで患ってるとかないわ。≫

「現在進行形で患ってる君がそんな事いうなんてね。」


 ヨウの非難を笑うとヴィクトルは自身の眠る装置の前から離れた。


「悪事が転じて善事になることもあるし、英雄は敵勢力からすれば大悪党。善悪をはかる存在が人である限りこの世に完全な悪も善も存在しないんだよ。」


 どこかで聞いたような安い言葉を並べながら扉をくぐるとヴィクトルは来た道を戻った。

◆ネブリーナ皇国…風の都。平均気温マイナス50度の極寒地。地上は高層ビル群、地下には巨大な街や研究施設が広がる。

◆アナステスアス・キルガーロン…ライネを処分した調律師を懲罰する調律師。通称アーロン。

◆ヴィクトル…ネブリーナの地下52階の施設にある卵型カプセル装置の中で眠る始祖。調律師に居場所はバレていない。


ある程度成長すると悪役に魅了されることがあったりする。

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