極寒
「なんじゃこりゃ。」
進行方向の斜め右側に聳える氷の山にヨウは驚愕した。山頂からは絶えず無色透明の液体が吹き出し、水に浸したドライアイスのように白い靄を出しながら流れていた。
赤い雪から白い雪へと変わり浄化地帯に入ったというのに異世界の景色だ。
≪氷の火山だよ。水とかメタンとか揮発性の物質を火山みたいに噴出してるんだ。≫
「氷の火山?」
≪そんなことも知らないの?地球にはないけど太陽から遠い天体にはあるでしょ?≫
「そんなことは知らないよ。どう考えても中学生に備わってる教養知識じゃないでしょ。」
話しているうちに遠くないところに存在する氷の火山が大規模に噴火する。超低温の透明な溶岩は流れながら個体となる為、普通の溶岩よりは遅いがこのままではこちらに届くのは時間の問題だろう。
≪氷の溶岩に捕まったらいくら君でも凍って動けなくなると思うよ。≫
「早く言ってよっ。」
呑気なヴィクトルの忠告にヨウは走り出した。
夢中で走っていると何かを踏み、走りながら振り返って顎が外れそうになった。
全長20メートルはあろう長い首としっぽ。コウモリのような翼。肉食恐竜のような顔。明らかに怒っている唸り声を喉から鳴らしている。
「ドラゴンいないって言ったじゃんか、シドさんの嘘つきっ」
叫びながらヨウは走行速度を上げる。今なら世界最速の記録を余裕で更新できる気がした。
≪自然発生したドラゴンはいないけど人工的に作られたドラゴンモドキは存在するんだよ。≫
「聞いてないっ。」
≪君みたいな妄想世界で生きる旧式の調律師がネブリーナの研究員たぶらかして造ったんだろうね。≫
ネブリーナはここ800年の間に科学技術の発展が群を抜いていた。一番力を入れている研究は不老不死。その過程で遺伝子組み換えや異種交配により新たな種を作り出していたのだ。
≪不老不死は人類の夢だけど苦楽は終わりがあるから耐えられるし楽しめるんだよ。永遠なんて人の精神には耐えられるもんじゃないんだ。≫
「1000年超えのジジィの言葉は深いですねぇ!私は不老不死に憧れる若者なんでわかりませんわー。あーあ、一生夜型生活でも構わないからヴァンパイアに噛まれないかなぁ!!」
≪君みたいな性格だと人生楽しいだろうね。≫
「どうゆう意味!?」
無駄話をしている間にも緩慢な動きでドラゴンモドキは追いかけてくる。
「もうやだっ。しっぽ踏む前に戻りたい。」
≪戻れるけど過去は変わらないよ?≫
「え????」
あっさりと不可能な現象を可能と肯定されヨウは目玉が落ちるほど見開いた。
≪800年前のR-0009でタイムトラベルは一般人も気軽にできる娯楽の一つだったよ。今でも第1衛星基地にはタイムワープ装置が残ってるんじゃない?≫
過去に戻れる装置が衛星基地とはいえ現在も残っているなど晴天の霹靂である。霹靂が1万発くらいの威力ではあるが。
「それ使って800年前に戻って終末止めればいいじゃん!!」
≪ヨウの頭でもわかるように説明すると時空連続体には歪みを補正する動きがあって、パラドックスを引き起こす可能性のあるものの周辺を再調整するイベントが起こるから結果的にパラドックスは発生しないんだよ。≫
目的の過去の人物を殺そうとしても邪魔する事象が起きて殺せず、死ぬはずだった人間を助けても別の要因で命を落とす事象が発生する。更に未来へ行って有益な情報を手にして人財産儲けようとしても必ず失敗する事象が発生した。つまり過去へ遡っても未来の知識を手にしても大きく歴史を変えることは出来ないのだ。
そこでヨウはある考えに行き着いた。
「じゃあ、調律師が報酬で過去に帰っても意味ないんじゃない?」
≪君って頭悪いの?5次元的にものを考えなよ。≫
「4次元も理解できないのに5次元がわかるわけないでしょっ。」
ネットや専門書の説明を見ても3次元以上は理解しがたい。4次元にいたっては某猫型ロボットのポケットのイメージが強すぎることが原因の一つだが、そもそも著書によってヨウの存在する次元が3次元と言う者と4次元と言う者に二分するから余計に混乱を招くのだ。
≪君の話を聞く限り、調律師が行うのは過去へ戻るんじゃなくて過去の自身に転生するんだよ。異なる時代の人間が未来の知識で歴史を改ざんするわけじゃないからパラドックスは起こらない。無数にある平衡時間軸の枝分かれの先にあるより良い未来へと選択して進むことが出来るってこと。まぁ、未来の知識をもって過去からやり直したとして全て都合のいい方へと好転するなんて甘い考えだけどね。≫
「もう異次元過ぎてわけわかんないよ。」
≪ヨウの脳内が異次元なんだよ。≫
がっくりと項垂れながら走る先でヨウの足元が崩れて一瞬の浮遊感を感じ垂直落下した。
「うそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ。」
肺活量の限界を通り越した叫び声を上げながら、ヨウは底の見えない絶壁へと落ちた。
≪大怪我しても次のコマで綺麗に治ってるギャグマンガみたいだね。≫
着地した先で負った大怪我が瞬時に治る姿を見たヴィクトルの感想は少しだけ場を和ませる。
「右腕がないんだけど。」
飛び出た絶壁の岩にぶつかってちぎれたヨウの右腕が遅れて落ちてきて綺麗にくっつく。神経や筋肉などの細胞が触手のように結びついて再生する様は悍ましいものだ。
≪視覚の毒だね。≫
「……うるさい。」
≪もっと喜びなよ。君の大好きなファンタジーを経験してるんだから。≫
泣きべそをかきながらヨウは歩き出した。痛覚がなく即時に再生するといっても引きちぎれた腕が元通りにくっつくなど精神安定上よろしくない。
「もうヤダ。」
≪あ、見えてきたよ。≫
ホワイトアウト寸前の吹雪の中、赤外線カメラの如く人の目で見える可視光線域を凌駕したヨウの目に高く聳える人工建造物が見えたのだった。高層ビル群のような建造物の大きさを見る限り道のりはまだ遠い。
「せめてスノーモービルとか無いの?」
≪ヨウには二本の足があるじゃないか。≫
落ち込むヨウに構わず先導するヴィクトルを下唇を出しながら睨みつけてヨウは重い腰をあげたのだった。
◆氷の火山…異常気象により超低温地帯となった区域で発生した水の火山。活発な活火山であり噴火の感覚が短い。
◆ドラゴンモドキ…遺伝子組み換えや異種交配などで造られた生物。巨体が故に鈍足。
◆タイムワープ装置…過去の遊覧目的で試用されたタイムトラベルを可能とした装置。
現在地の気温摂氏マイナス60度。




