狭間
「682代目ってすごいですね。」
色々と聞きたいことも疑問も多かったが、一番初めに処理できた内容の感想を述べるなどというどうでもよい事が今できる唯一の反応であった。
「この仕事は入れ替わりが頻繁なんですよ。基本ワンオペですし暇ですし、孤独に負けて契約更新前にリタイアする方がほとんどでしてね。プログラマーの初代を除いたら殆どが1年未満のリタイアらしいです。私は引き籠りレベル魔王クラスみたいなんで200年程務めていますが。」
彼、もとい通称シドと言われた男も男で葉湖の場違いな質問に飄々と答える。答えた内容に耳を疑うような言葉があったが悪い冗談か場を和ませるための気遣いだろうと自己完結した。
「さてと、ここには見知った景色で居心地良いとおもいますが落ち着いて話すには不便ですから移動しましょう。」
そう言ったシドが雨に濡れる事も構わず、傘を閉じ水気を掃うように振るうとテレビのチャンネルを変えるように景色が切り替わった。オフィスの会議室の様な場所で葉湖は座り心地の良いソファーに座っている。
景色どころか姿勢まで変わるとは驚きの連続である。ローテーブルへ用意されたスイーツビュッフェのようなお菓子とジュースに目移りしていなければ混乱に混乱を重ねて叫ぶくらいはしていただろう。
「改めまして私はシド。先ほど申した通り682代目管理調律師統括です。今この場では先生と呼んでもよいですよ。こちらはレイ。地球とR-0009をつなぐ転移装置を付随した合わせ水鏡の箱庭の核であり我々のボスです。」
6枚の翼が生えた赤ちゃんの頭の様な物体がふわりと飛んで現れてシドの肩に止まった。ゲームで似た形状の天使を見た記憶がある。知識として知っている空想生物が実在し何らかの組織のボスとは酔狂なことだ。突っ込みどころ満載である。
「ここは合わせ水鏡と呼ばれる次元の狭間です。今まで貴女が暮らしていた地球とこれから転移予定の世界R-0009 との道の間にあります。サービスエリアみたいなものですよ。あ、質問は後で受け付けますから飲食しながらで構いませんのでご清聴願います。」
14歳の平均学力で情報処理が終わった事柄より質問しようと手を上げかけたら牽制されてしまったので、葉湖はジュースを手に取って口に付けた。父のお中元で届いた某有名菓子店のお高い桃ジュースの味がする。夢ならここにあるお菓子を食べ終わるまで覚めないでほしい。
幸せそうにお菓子を食べだした葉湖を見てシドは微笑ましいとばかりに笑うと説明を続けた。
「地球からR-0009と呼ばれる世界へ目的があって不定期に人員を転移させています。転移者は総じて調律師と呼び、与える任務によって管理・実働・補助・特命の4つの役職へ分かれます。因みに貴女は特命の役職が待っていますから胸を弾ませていてください。」
「スキルボードとか見れてレベルアップしたり、チートスキルがバンバン出てきて、なんか、こう凄い事になるんですね。」
胸を弾ませろと言う琴線を刺激する言葉に葉湖の期待値が高まり静聴も忘れて語彙力乏しく発言するが、シドの見惚れるような笑顔の圧力で黙らされた。
「現実的にあるわけないですね。」
現在進行形で非現実的な事が発生している中で現実を説かれても理不尽である。納得できずに不貞腐れ気味の葉湖をよそにシドは説明を続ける。
「ボスのレイは世界への転移と任務遂行に必要な能力の支給。統括の私は調律師の適正者探しと基礎知識の教育、送り出した調律師のサポート等を担当しています。」
話を聞いた限りシドは基本暇と言いつつも多忙なのではないだろうか。孤独に負けてリタイアではなく過剰業務に負けてリタイアと言う方が正しいような気がする。
「現在の転移者もとい異世界派遣社員の調律師は150名程います。年代も年齢もバラバラですが日本人は100名近くいますよ。」
150人中100人など7割が日本人だ。大人の都合や御都合主義にも程がある。今の状況は毎晩夜更かしに勤しむ過程で得た知識と妄想が織り成した夢なのかもしれない。
「随分日本人が多いんですね。」
「そりゃ自国民の方が人選楽ですし。」
現実逃避を始めた葉湖の質問に返された答えに時が止まったような錯覚に陥る。
「え?シドさんは日本人なの?」
「紫藤 夕弦。2022年から来た48歳です。これでも大手企業の課長だったんですよ~。あ、調律師同士では問題ありませんが現地の人とはこれから与える通称を名乗ってくださいね。個人情報の保護が厳しい風習ですから。」
ハーフでもあり得ない容姿に日本人と言われても納得できない。そもそも10代後半から20代前半の見た目で48歳とは耳を疑う。それ以前に2021年ということは葉湖の知りえない未来を知っているはずだ。あのゲームの続編やナンバリングなど聞いたら教えてくれるだろうか。
「何でそんな恰好なんですか?ゲームの続編聞いてもいいですか?」
「萎れたオッサンに異世界の説明をされても困りますしヤル気でないでしょう?合わせ水鏡の間では転移者に合わせて姿を変えているんです。私の仕事は見た目も大切なのですよ。中身が大切なんて綺麗事ですからね。第一印象ってかなり大切ですから。あ、あと未来は無数にありますから私の2022年の話を聞いても無駄ですよ。きっと存在する時間軸が別ですからね。」
シドが200年もの間、異世界派遣管理調律師統括を務めていたことは事実なのかもしれないと葉湖は思った。随分見た目の事を気にしているようだが、低身長、肥満、薄毛の三本柱でも揃えていたのだろうか。
「少し脱線してしましましたね。話を戻しましょう。」
失礼な事を考えている葉湖の思考などつゆ知れず、部屋が薄暗くなりシドの背後にあるスクリーンに地球とよく似た青い星が映った。
「この星はR-0009。我々の住んでいた地球と同じ宇宙にある星なのか、異次元の宇宙に存在する星なのかは調査する手段がありませんので不明です。ただ天体の物理法則が異なりますので異なる次元の宇宙に存在する惑星である可能性が高いです。」
地球とよく似た惑星であり、海と陸、大気があり生物や植物も現存する。
多少、星の質量や直径、大陸の位置、酸素濃度などの違いはあるがR-0009に生身の地球人を放りこんだとしても生きられる程度だという。
「なんとビックリ。R-0009には土星のように環があるんですよ。日中も夜間も見えて絶景です。」
衛星や周辺の惑星が異なる為、夜空の星の配置は地球とは全く別。もちろん1日、1か月、1年の周期なども異なるが惑星自体はもう一つの地球と呼んでもよい程に酷似していた。
更に、人間と全く同じ進化を遂げた知的生命体が高度な文明を築き葉湖の生きていた2013年の地球よりも文明は100年、200年どころか数千年~1万年単位で進んでいるらしい。
ほとんどの病気は治り、管理された移動手段が利用されて街には事故など起こらない。天候すら管理され自然災害は発生前に処理されるほどだ。
犯罪思考を持つ者は投獄され一生眠ったまま仮想現実の世界で生かされる為、人災的な犯罪も皆無だった。
貧富の差もなく完成された機械的な平和な世界。
惑星間の移動が可能であり、地球の現代人が夢見る宇宙旅行も実現している。
まるで理想的未来の地球の姿の様だった。
「800年程前までの話ですけどね。」
そう前置いてシドはスクリーンを切り替えた。映ったのは先ほどの美しい青い星とは似ても似つかない赤と黒と灰色の混じった不気味な星だった。
「現在のR-0009は見る影もありません。箱庭と呼ばれる複数の浄化地帯を覗いて陸も海も空も汚れてしまい、突然変異を起こして異常進化を遂げた動植物しか生き残れない不毛地帯となっています。」
退屈な異世界情勢から不穏な内容に変わり、葉湖は込み上げてくる苦い気持ちを消すように薄桃色のマカロンを口に入れた。
「困ったことにR-0009の9割を不毛地帯にしたのは地球の人間です。当然現在進行形で浄化しているのも地球人ですが。」
「これは……某ホテルの苺タルト……。」
「逃避したい気持ちはよく分かります。」
シドは飲み干して空になった葉湖のグラスに桃ジュースを継ぎ足してくれた。
「ここまでで質問はありますか?」
「異常進化しているんですよね?その中に妖精やエルフやドワーフやドラゴンっています?」
キラキラと夢見る少女の眼差しに、シドは心を鬼にした。質問内容が内容なだけにシドは1ミリも悪くないのだが。
「存在しません。常識的に考えましょうね。私の説明が変でしたかね?」
「地球人が異世界を不毛地帯にしちゃったから浄化活動か何かを手伝うために私が呼ばれた感じですよね。エルフ達がいないなら質問ないでーす。」
趣向が過ぎてお年頃特有の病気を重篤に患っている葉湖の理解は早かった。異世界トリップして神子や勇者として魔王を倒す話など異世界と検索するだけでネット上にゴロゴロと出てくる。チュートリアルというシステムは異質であるが。
「では話を続けましょう。」
すんなりと信じがたい異世界の説明を受け入れた葉湖へシドはスクリーンを切り替えて説明を続けた。
◆レイ…赤ちゃんの頭に6枚の羽根が生えた不思議な生物。ボス。地球のアカシックレコードと転移装置を付随した水鏡の核。
◆シド改め紫藤 夕弦…2021年から来た48歳+200歳。転移者の為に萎れたオッサンが綺麗な青年に化けている。
◆調律師…任務によって管理・実働・補助・特命の4つの役職があるシドが管理する地球からの転移者。
◆合わせ水鏡…地球とR-0009の間にある次元の狭間。
◆R-0009(アール・スリーゼロナイン)…地球と同系統の生物が生きる星。人間に似た知的生命体が文明を築いている。
ゲームなら読み飛ばすチュートリアルその①