残花
急激に下がった気温に吐く息は白く、血の匂いがする。再生能力により怪我はすぐに治るが、流した血や汚れた服までは綺麗になることはない。ガイに苦戦を強いられるアーシーとルカは自身のボロボロの風体を見て感じるはずのない疲労感に襲われていた。
「チャラ紳士、そこどけよっ。」
アーシーが糸でルカを操作し、ルカ単体では成しえない動きでガイに攻撃を加える。
ガイは楽しそうに笑いながらワイヤーアクションのように重力を無視したアクロバティックな動きをかわし、自身をとらえようと死角から拘束で忍び寄るアーシーの糸をナイフで刻んだ。
「何度やっても同じですよ?」
「てめぇをへし折る未来しか見えねぇなっ。」
止むことのないアーシーのアシストを受けたルカの猛攻。ガイが避けることで攻撃の的となった地面や植物に浸食された建物は不自然な凹みが数多くできている。
地面に1メートルほどのクレーターのような凹みを作ったルカの拳にガイは口笛を吹く。そんなガイからふと余裕の笑みが消えた。
ひらひらと大きな雪片の花弁雪が落ちてきたのだ。
「もう少し遊んでも良かったんですが、俺には時間がありません。そろそろお暇させてもらいますよ。」
足止めのみに徹していた汚れ一つないガイはそれだけ言うと音速移動を使い消える様に走り去った。
「待ちやがれっ。」
≪やめなさい、ルカ。≫
追いかけようとするルカに、焦慮に駆られたシドの声が届く。
≪ルカ、アーシー。任務は中止です。直ちに撤退しなさい。≫
「統括っ。」
≪ルカ、撤退です。≫
シドの強い口調にルカは地面を蹴り飛ばす。石造りの地面は陥没してひび割れた。
「ゲームオーバーみたいだねぇ。」
空から落ちる雪を見て血に濡れたのアーシーは笑う。皮肉を込めた不機嫌な微笑と溜息。
「ちっ。」
舌打ちするルカの頬に一筋の血が流れた。忌々しげにガイの去った道を一瞥する。
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音に乗ってガイは走る。
一抹の不安があった。ヨウのことではない。彼女がどうなろうとガイにとっては関係のないこと。それよりも心配なのは今も尚、降り続けている雪だ。
早く、早く確かめなければと気が焦る。
ドロシーの所へいく道すがら、荒れた廃墟がさらに荒れている個所があった。所々に飛び散った赤黒い液体に白い塵。
「ヒメちゃん?」
氷の彫刻のように凍てつくヒメの姿をとらえる。そこから転々と続く白い足跡。かがんで触ると冷たく、ガイの体温で氷晶が解ける。
首を傾げたガイは立ち上がると道標の様な氷の跡を辿る。
墓標に見える朽ちた建物の柱。美しく、不気味に咲き乱れる花。舞い散っているのは花弁なのか雪なのか。全ての情景がこの世とは思えない。
気持ちが急ぐほど、焦るほど眉間の皴が深くなる。
この街には人がいない。
供犠となった始祖の起こす異常現象で住めなくなったから離れたのだ。
倒壊した建物の中には現在のアルドに存在しない建築物も多く含まれている。それを見れば、かつては機械文明の栄えた先進国だったことが予想できる。コンクリートを突き破って出てきた草木が空虚さを物語っていた。
悲劇が生んだ無人の街。半分は水に沈んでいた。それは雨水が瓦礫に流れ込んで出来た小さな湖とも大きな池とも言えない、出来損ないの水溜り。
一際大きな水たまりの周りを満開のシュコウが空を飾り、雨に流されて散った花弁が水面を飾る。
水溜の中心には大きな半球体のガラスドームが建っている。瓦礫の中に綺麗な状態である姿は異様だった。
「いつ来ても不気味だな。」
何処からともなく幾重にも重なる歌が聞こえる。何処の言葉なのか歌詞は聞き取れず、音調は畏怖を感じるほどの美しさだった。
点々と水面に見える瓦礫を渡ってドームへとたどり着くと中には多くの植物で満たされていた。しかし床は外と同じように水没している。
「ドルンレーシェン?」
中に入ろうと足を踏み入れた瞬間、蔦が襲い掛かる。設置されたセキュリティ装置だ。よく見れば蜂蜜色の猫が拘束されていた。
調律師は襲われないようにプログラミングされているはずだが、管理者が裏切り者だ。
「ネオちゃんの置き土産かな。」
四方八方から高速で襲い掛かる蔦をブレイクダンスをするように避けながら、ガイはドーム内を走る。
中心には幹の太い木があった。橋のように生える根を蔦って渡ると木の根元の幹には大樹と一体化した女性がいる。彼女がアルドを浄化する供犠の始祖ドロシー、ヤモリを依代としていたドロシーの本体だ。
「え?」
中心の木に辿り着くとドルンレーシェンの追跡が止まった。止まったというよりは一定の距離に近ずくと蔦が凍って朽ちるのだ。
「なんだ?これ?」
追跡不能となったセキュリティ装置よりも目に映ったものに驚愕する。ガイが見たのもはクリスタルのように透明な結晶となったドロシーの姿だった。
その前にはヨウの姿がある。銀髪だった彼女の髪は真っ白になっていた。ヨウの変わりようにライネやドロシーから聞いていた策が成功したのだと察する。
始祖であるが長い間、破壊神を封じ込めて力を使い果たしたヴィーはライネと融合して彼の中で眠っていた。ライネとドロシーはずっとヴィーの依代となる器を探していたのだ。
なぜヨウが選ばれたのか定かではないがヨウでなければならなかった理由があるはずだ。そうでなければヴィーの依代は波長が合い融合を可能にしたライネで事足りたはずなのだ。
ガイにはヨウを依代としたヴィーがドロシーに何をしたのか分からない。しかし、人間でない者には人間の理を破ることは容易いのだろう。
「ヴィーさん?」
背後から聞こえたガイの声にヨウの姿をしたヴィーはゆっくりと振り返る。その瞳は赤い。
「誰?」
声色はヨウのままなのに冷気が伝わるような冷たい声。ガイは敵意がないことを示すために両手を上げた。
「闘う気はありません。俺はライネさんの味方です。」
「そう、ユーレの。」
震えるガイを見ながら気怠そうにヴィーはうつむく。
「ライネさんは?」
「眠った。もう苦しむ事も悲しむ事もない。」
それだけ言うとヴィーは歩き出す。その足跡にはもう氷晶は出来ていなかった。
「どこへ?」
「レイモンドに用がある。」
「少しだけ時間をください。」
言ってガイは池を渡って平らな場所へ出ると指を嚙み切って血を出し地面に複雑な文様を描きだした。二重の円に絡むように正三角形と逆三角形を描き。逆三角形に絡むように三枚翼のプロペラ型の文様を描く。更に象形文字のような古代文字のような文様を描き足していった。
「これは?」
「空間転移術。ワープと言ったほうが解りやすいですか?」
「ワープ?夢物語に付き合う暇はないよ。」
ワープの原義は歪み。
空間を歪ませる事で近道を作り上げ、光年単位の遠方さえも一瞬で移動する手段である。地図上の二点を繋ぐ最短距離は地図を折り曲げて0距離にする原理だ。
地球では相対性理論により質量を持つ物体が光速以上になる事は不可能と言われた挙げ句、三次元空間を歪めるために必要なエネルギー量が全宇宙内包出来るだけの分量を上回っている為に不可能と議論されている。
重力で時空を歪ませる新しいワープ航法の理論モデルが発表されるが理論上から出ることはない。
「地球でも800年前のR-0009でも実現不可能だった事象は現在のR-0009なら可能になるんですよ。破壊神の置土産であるα元素はわかりますね?」
「だいたいは。ドロシーとユーレに聞いたよ。」
ヴィーがアルドに来たのは11年前。それからライネと融合するまでの数か月間、ドロシーに自身が海に沈んでいた800年の出来事を聞いていた。
「ではα元素学のα元素汎用術もご存知で?」
「なるほどね。α元素は実現可能な空想を具現化できる元素。理論上でも可能である現象なら実現できるってわけか。800年で破壊神の残滓を使いこなしてるとは思わなかったけど。」
「では、術式を展開します。」
ガイの描いた文様がオレンジ色を帯びて発光する。ゆっくりと旋毛風が巻き起こった。それと同時に塩の結晶のように白色を帯びた半透明の鉱物にガイは指先から変化していく。
「気にしないでください。α元素汎用術の反動です。耐性のない者が使うと対価を伴うというだけの事ですから。」
「あまり自身の命を軽んじるもんじゃないよ。」
ヴィーの言葉にガイは笑った。
「馬鹿な酔っ払いが川流れで死ぬより人の役に立ったほうがカッコいいでしょう。俺はヒーローでいたいんですよ。片道切符ですいません。」
ヴィーが光に包まれると同時にガイは全身が白い結晶となり砕けた。調律師であっても人の理を外れた能力を使用すると真面な死に方すら出来ないようだ。
◆ドロシー…供犠となった始祖の1柱。巨木と一体化している紅茶色の髪をした女性。
◆オーブリオリース…かつて世界主要国の中心都市だったがかつてのコンクリートジャングルは植物に飲まれて本物のジャングルになりつつある。
ガイよ。貴方は勇敢でした。




