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異世界派遣社員の渇望  作者: よぞら
花の章
22/41

花氷

「アーロン。」


 委縮されながらも睨み上げるライネ。表情こそ崩さないもののアーロンの取り巻く空気が更に重くなる。アーロンは笑みを浮かべながら近づきライネを蹴り飛ばすと肩を掴んで自分のほうを向かせた。そして崩れそうになる身体を安定させるために植物の壁に押し付ける。

 アーロンが展開する強制恐慌の能力で体がうまく動かせない。

 すっとライネの頬をアーロンは撫でた。虚ろに開いたライネの瞳に光が戻る。

 ライネは予備動作なしでアーロンを蹴り飛ばす。難なく避けたアーロンは驚いた顔をしたが口元を吊り上げた。


「俺を蹴ろうとするなんていい度胸だな。」


 余裕の表情を浮かべるアーロンはぐんと踏ん張りをきかせ、ライネの下腹に膝を埋めた。くぐもった呻き声を上げて倒れるライネを支えるが、その手を跳ね除けてアーロンから離れる。


「触るな。」


 痛みに立っていることもままならないはずなのにライネの威圧感は息苦しいほどに重い。膝を突いて凭れ掛かり荒い息の中、瞳孔がきつく見上げる。


「ライネさん、いい加減諦めろよ。」


 必死で呼吸を整えるライネ。楽しそうにくつくつと笑いながら見下すアーロン。


「何が可笑しい。」


 答える代わりに右手を差し出すとライネの周りに雨が球体となって留まった。アーロンが指を鳴らすと同時に弾け、全身の液体が揺さ振られる。


「かっ」


 平衡感覚が狂い、全身に激痛が走った。アーロンは見下しながら何かを言っているようだったが幾重にも耳鳴りが響き、ライネには何も聞こえない。


「これで終わりだ。」


 アーロンは腰に帯刀していた刃物を静かに抜刀するとライネの胸部へと突き刺した。 

 地に倒れ伏す前に蹴り飛ばされてヨウを守っていた氷の壁にぶつかる。ライネの網膜は必死に叫ぶヨウの顔を映しながら虚ろに淀んだ。

 ライネの力で形成されていた氷の壁が崩れる。


「ライネさんっ。」


 拘束の解けたヨウは血だらけのライネに駆け寄るがピクリとも動かない。


「ライネさんっ。ライネさん!!」


 呼んでも揺すっても何の反応もないライネ。失神しているだけならば呼吸で上下するはずの胸元すら動いていなかった。泣きそうな表情を浮かべながらヨウはライネの瞼をなでて何も映さなくなった目を閉じた。


「どきなよ。最弱勇者。」


 いつの間にかアーロンが背後に立っている。事切れたライネに何かする気がしてヨウは思わず身構えた。いくら裏切り者だとしても亡骸まで傷つけるなどという非道を許したくなかった。


「やだっ。」

「あっそ。」


 ライネをかばうヨウを鼻で笑うとアーロンはライネの血が付いた短剣を向ける。白刃を光らせながら頭上に掲げると躊躇なく振り下ろした。


 ガキィィィィン。


 甲高い金属音が木霊する。


「何のつもりだよ?ヒメちゃん。」


 アーロンの刃を受け止めたのはヒメの杖だった。凍結されて消されていたヒメの付与もライネが力尽きたことで戻ったのだ。白髪交じりの黒髪は桃色かかった灰色に、黒い瞳は緑色に戻っている。

 受け止めた刃をそのままにヒメは体を捻りアーロンを掌打で飛ばす。


「俺はこの子の護衛だ。」

「…ヒメじいちゃん。」


 ヒメはそのままヨウをかばうように立ちふさがった。


「貴様の任務はライネの破壊。今の俺の任務は貴様の補助だがもともとはヨウの護衛だ。次にこの子に手を出してみろ、叩き潰すぞ。」

「短気なジジィだな。いちいち怒るなよ。」


 吹き飛ばされたアーロンは苦もなく起き上がると服の汚れをわざとらしく払った。


「任務が済んだらさっさと戻るぞ。一刻も早くこの子を安全な場所に移す。」

「はいはい。統括?終わりましたよぉ。ライネさんの身体どうしますぅ?」


 アーロンがティスクを通じてシドに連絡を入れたときだった。回りから不自然に音が消える。

 嵐の前の静けさと称されるような不気味な沈黙に緊張が走った。全員が視線を泳がして得体のしれない事態の状況を探る。


 トクン。


 神経を研ぎ澄ます中、アーロンは自分の中で同じリズムを刻む鼓動が二つ聞こえた。己の心音と誰かの心音。高鳴る心臓が全身を震わせる。鼓動と呼吸が重なり、血液が冷たく全身を駆け巡った。


「え?」


 何かがひび割れる音にアーロンは体を見ると白く凍り出した右腕に亀裂が入っている。植物の根が張るように青い筋が浮かび上がり白い氷に浸食されていくのだ。


「なんだ、これ。」


 突然の体の変化に戸惑うアーロン。所々、凍りだしひび割れが生じ皮膚が剥がれ落ちる。

 右手に入った亀裂は秒刻みで全身に広がっていく。

 このままではアーロンの体は数十秒以内に破壊されるだろう。


「…ライネさん?」


 ヨウの声にライネをみると彼の流した血が沸騰している。もう治るはずのない傷が瞬く間にふさがっていく 異常な事態にヒメはライネからヨウを離した。


「やってくれたな。死にぞこないの分際で。」


 アーロンは心底悔しそうな笑みで睨み上げる。もう抵抗する力など残っていないと思い込んでいた自身の詰めの甘さだと自嘲した。

 ゆっくりと起き上がるライネを中心に気温が急降下した。

 髪が無風の空間で揺れ、漆黒から透き通った白髪へと色を変えた。ゆっくりと顔を上げ、閉じた瞳が開眼する。琥珀色ではなく蘇芳色の瞳。卵の殻がはがれる様にライネの綺麗な皮膚が崩れて息をのむような美しい顔が現れた。

 調律師達の探し物はライネの中にいたのだ。

 眠っていた始祖が目を覚ます。彼が白い吐息をついただけで凍りついたように動けなくなる。吐く息が白い。空気さえも凍て付き、溶け込む水分が結晶となって輝きだす。


「……ヴィー。」


 掠れた声でアーロンはその名を呼び、全身が凍り付いてバラバラに崩れた。人型に残った青い筋の先には氷のような透明の花が咲いている。その花びらが散るとビー玉のような実ができてライネの身体から真っ白に変貌して現れたヴィーへと吸い込まれた。

 ヴィーは祈るように眼を閉じて胸に手を置く。

 俯く顔が再び上がるとき、その無表情の瞳には悲しみと怒りの色が混ざっている。


 オヤスミ、ゆーれ。ドウカ安ラカニ。


 無声音の言葉が紡がれると同時に嵐が吹き荒れる。風は生き物のようにうねり、ヨウを庇うヒメへと襲い掛かった。

 凍った空気を身軽に避けるが着地と同時に足元から凍り出す。まるでブライニクルに触れたヒトデのようにヨウも足元を凍らされて動きを封じられた。二人に始祖の摩訶不思議で滅茶苦茶な攻撃を破る術はない。

 瞬く間にヴィーの体が粉雪のように白く崩れ丸い形に渦巻いたかと思うと獲物を捕食するクリオネのように広がり、ヨウを飲み込んだ。


「ヨウぉぉぉぉぉっ。」


 ヨウが丸呑みにされるされる姿を見ながらヒメは全身が凍り、氷の彫刻のように固まった。

 渦巻く粉雪の集合体がヨウを模した人の姿となり、氷の欠片となったアーロンの中に光る物を見つけて拾い上げる。

 ライネが奪われた指輪だ。

 右手の人差し指に嵌めると歩き出す。行き場所を教えるように地面が結晶のように凍っていた。




。+・゜・❆.。.*・゜hunger゜・*.。.❆・゜・+。




「やられた……。」


 シドは立ち上がり、水鏡を叩く。水面に波紋が広がり、水が飛び散った。


「ライネさんの中にヴィーがいたなんて。始祖は何でもありってことですか。」

≪ヴィーだからこそですね。我々は畏怖を込めて幽霊と呼んでいましたよ。それにしても、まさかヨウを喰らうなんてね……。私がオリガを喰った意趣返しでしょうか。≫

「何を悠長な事を……。アーロンがあんな風に崩れるなんて、そもそも違式の調律師が凍るはずがないのに。」

≪シド、調律師の付与は私の力の欠片に過ぎません。始祖を止められるのは始祖だけですよ。だからこそ、破壊神(アポック)を処分するための協力者としてヴィーを探したんです。≫


 シドは力が抜けたように椅子に座る。破綻した計画を嘆いてはいられないが落胆が大きすぎた。能力すら開花していないがヨウは切り札だったのだ。


≪ヴィーと融合したヨウなのか、ヨウの姿をしたヴィーなのか……。お手上げです。我々は数十年かけて用意した手段を失いました。≫

「レイ、諦めないでください。」

≪浄化を中断してでも私が動くべきでした。≫


 発せられる声が低い機械音のせいか淡々と話しているように見えるが、抑えきれない激情が伝わる。


≪こんな時ですが、私の懺悔を聞いてもらえますか≫


 レイは己の罪を清算する時がきたと悟り、シドへ伝えていなかった全てを語った。

◆ヴィー…破壊神(アポック)を封じ、行方知れずとなっていた始祖。ライネの中で眠っていた。


目立たず、役に立たずな主人公が消失しました。

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