散花
振り出した雨は数分で止み、ヨウとヒメはユキと別れてセーフハウスへと向かっている。出鼻を挫かれたため、体制を立て直す必要があった。
「無駄足になっちゃったかなぁ。」
「そうと決まった訳ではない。下手に動かず様子を見よう。」
引退したとはいえヒメは元警察特殊部隊。不測の事態の判断を委ねて損はないだろう。それでなくても8年もR-0009にいるのだ。純粋に14年しか人生経験のないヨウより英断を下すはずだ。
「はーい。取り敢えずチルさんに連絡だけしてみるよ。」
「管理のユキが粗方報告しているだろうがな。」
無力感に苛まれたヨウは情報が入るか指示が来るまで待とうと地図が示す先のセーフハウスへと急いだ。
藤に似た薄紫の花咲く小道を通った時だった。一瞬、不可解な寒気がして怖い話を聞いた後の様な焦燥感と恐怖が背筋を撫でる。
「ヒメ爺ちゃん。今変な感じしなかった?」
背後に居る筈のヒメに話しかけるが返事がない。
「ヒメ爺ちゃん?」
振り返るとそこは誰もいないどころか、歩いてきたはずなのに見覚えのない景観が視界に映る。
慌てて起動中のティスクのナビ機能を見るがゲームで地図のないダンジョンに入り込んだかのようにアルドの地図上に現在位置は記されなかった。地図がゆらゆらと揺れて現在位置が不明の状態になっている。
「ここ何所?」
通話機能でヒメに連絡をとろうと操作するが圏外のように発信すらしない。途方にくれながら空を見上げるとぽつぽつとリズム的に水滴があたり出した。
雨だ。
進行方向の空は雨雲が赤みかかっているので日暮れが近いだろう。ここに居るわけにも行かないので、取り敢えず人のいる場所へ行こうとヨウは歩き出した。
小雨だった雨は次第に強くなり、あっという間にヨウの全身を濡らした。付与のおかげで寒くはないが濡れた服が貼りついで不快だ。
「は-。」
自然と溜息が出た。早く行動しなければいけないのに気が重く足が進まない。立ち止まって空を見上げると朝は満開だったであろう花の木が雨に流されて、もう見る影もない姿となっている。
保護者と逸れた上に、悪天候とは運が悪い。仕方なく枝に残った花を見ながら歩き出す。
「うわっ。」
突然、何かに躓いて足を捕られてヨウは真正面から転んだ。
「痛い…痛くないけど痛い。」
あまりに突発的なことにヨウは受身も出来ず無様に転んだ。自身のふがいなさに消沈して起き上がれない。服は泥だらけになってしまった。擦り剥いた膝や掌から血が滲んでいるが傷はすでに塞がっている。
どうせなら怪我をしないように皮膚を鋼鉄のように強化してくれればよかったと悪態吐く。痛覚もなく直ぐに再生すると言っても怪我をすれば精神的に辛い。
何に引っかかったのかと気だるそうに後方へ視線を流したヨウは目を丸くする。そこには青年と思われる人が転がっていた。
ヨウと同じ見慣れた日本人の容姿と真っ黒な髪をした小柄な青年だった。
「え?誰。」
行き倒れの浮浪者だろうか。力尽きて倒れているような転がり方だ。
「生きてますか?……返事がない屍のようだ。」
「……殺すな。」
「ぴぎゃっ」
恐怖を押しのけるように話しかければ掠れた声が青年から聞こえ、ヨウは心臓が飛び出るほど驚いた。まじまじと見てぎょっとする。薄暗くて影かと思っていたものは血のようで破れた服の下に大きな傷がのぞいていたのだ。
「え?だ、大丈夫ですか。119番ってここ救急車存在しないじゃん。医者はいるはず。えっと、もう病院が来い!」
慌てふためき立ち上がるヨウの腕を青年は掴む。
「放っておけ。」
「でも……。」
ヨウを睨むような青年の視線に怖気ずく。余計なことをするなと目て言っているようだった。若干の怯えを孕んだヨウを見て青年は長い溜息を吐いた。
「俺は調律師だ。最弱勇者。」
「……嘘。」
ヨウからしたら青年はとても調律師には見えない。
アルドへの移動中、暇を持て余して現在派遣されている調律師のデータを行方不明者含めて5回は見たのだ。さすがに100名を超える調律師の顔を全て覚えたわけではないが倒れている青年には見覚えはない。
とにかく何とかしようとヨウは上着を脱ぎ、袈裟懸けに切られている傷に持ちうる知識を捻りだして応急処置を施した。傷に衣服を当てて止血になるか分からない止血をすることが精いっぱいであったが。
応急処置擬きを施すとヨウは青年の身体を起こして腕を肩に回し立ち上がる。脱力した人間は重くて通常ならばヨウに持ち上がるはずはないが付与のおかげか立たせることが出来た。
「……何のつもりだ?」
「ここに居ても仕方ないでしょ。人のいる所に行って助けてもらうの。」
己を助けようとするヨウに青年は目を丸めるとある方向へ指さした。
「あっちだ。俺のセーフハウスがある。」
案内を始めた青年にヨウは歩き始めた。
人ひとり支えて歩くことがこんなに大変だとは思いもよらず、するはずのない息切れを起こしかけてふと顔を上げたときヨウの背筋に悪寒が走る。
無人化した廃屋の建ち並ぶ区域。明かりのない冷たく淋しい世界だった。壁には植物が蔓延り、窓からは木の枝が飛び出して植物に飲み込まれたような廃墟が並ぶ。朽ちた建物の突き出した柱が墓標のようで、墓場を思い浮かべる。ヨウはお化けや幽霊といった類のモノも出そうな場所も苦手な方だった。
ホラー映画など見てしまったらトイレもお風呂も一人で寝るのも怖い。恥も外聞も捨てて母親に泣きついて付き添ってもらうほど怖い。
「ここ。」
案内された家を見てヨウは息を呑む。それというのも、この家は西洋造りの豪邸のような家だが壁には蔦が這い重々しい雰囲気のベタなお化け屋敷のようだったからだ。額にかくはずのない冷や汗が浮いた気がする。
「ここ?マジで?ここに入るの?」
「カスタムしたから色々、便利だぞ。」
玄関の前に立つと大きな扉がひとりでに開き、家の中は暗闇に包まれていて静まり返っている。青年が一歩踏み入れると壁のキャンドルが手前から順番に灯った。
目を見開いて後退りをしたヨウに向き返り手を差し伸べる。先ほどまでは自身で立つこともおぼつかなかった青年の足取りが軽くなっていた。
「入れば?」
仄かな蝋燭の明かりに照らされた青年の顔を見たヨウは、あっと声をあげた。
「俺の顔に何か付いてるのか?」
はっとしてヨウは首を横に振った。顔には何も付いていない。しかし、容姿や身長が先ほどと一変していた。
黒い髪は蜂蜜色の髪へ。黒い瞳は黄金の瞳へ。日本人特有の肌色は褐色の肌へ。ヨウより10cmほど高い小柄だった身長は見上げるような長身に。
ヨウはこの変貌した人物を知っていた。
「どうした?」
固まっていたヨウは青年の声に体を震わすが、知りえる人物への安心感からか吸い込まれるようにその青年の手をとった。
廊下を通って大きな暖炉の部屋に入る。先ほどの蝋燭と同様に二人が部屋に入ると小さな照明と暖炉の火が自然と点いた。絨毯の上に青年は腰を降ろす。
照らしきれない暗闇にヨウは何かの気配を感じる。霊感などという特殊能力などないし第六感などというものも当たった事がないため恐怖による気のせいだろうと推測する。
「あの、傷の手当とか。」
ヨウは休む青年に悪いと思いつつも聞いた。何故なら支えていた手に血がべっとりとついているのだ。傷口からは今もなお、鮮血が流れ出ている。
返事が無かったのでもう一度尋ねようと口を開いたとき、ノックが聞こえた。誰か他に居るのかと恐る恐る扉を開くが誰もいない。視線を下げると床にタオルと着替えが置いてあった。ヨウは息を呑んでそれらを抱えるとそっと扉をしめる。こんなこと普通ではない。これでは本当にお化け屋敷ではないか。
青年はヨウの手からタオルを一枚取ると乱暴に頭を拭きながら暖炉の前の椅子に座った。
「医者に診てもらわなくて良いの。」
「必要ない。もうすぐ治る。」
真剣に聞くヨウをよそに、青年はケロリと答えた。
「うっそ。」
「調律師だっていっただろ?」
自信たっぷりに答える青年。しかし傷が治るには遅い。ヨウは怪我をしたと認識した時には治っている。しかしこの青年の傷は少なくとも数十分は癒えないのだ。
「お前こそ、自分の事気にしろよ。」
質問の内容がヨウには理解できず頭上にクエスチョンマークを浮かべながら首を90度傾けた。。ヨウは怪我をしているわけではないし心配されるような事が思いつかなかった。分からないと言う顔をするヨウに青年は溜息を吐きながら補足した。
「ガキに興味ねぇが目のやり場に困る。」
言われて視線を下げた瞬間、ヨウは悲鳴にならない悲鳴を上げて手に持つ着替えとタオルをばらまきながらしゃがみ込んだ。
青年の応急処置に上着を使ったためブラウスが透けてその下の花柄でスポーツタイプの下着がくっきりと見えている。
何もいえずに酸素不足の魚のように口を開閉するヨウを見て、青年は長く息を吐いた。絨毯に散らばった着替えを一枚拾い、ヨウの頭に被せて着せる。サイズはだいぶ大きいが無いよりはましだ。
「最弱勇者っつっても普通の女の子だな。」
悪意無き言葉だったが蹴りたくなった。誰もかれも出会い頭に最弱勇者と呼ぶなど誹謗中傷だ。しかし、ここで逆上すれば彼の思う壺。からかいの材料にされかねない。
「私は特命調律師の通称ヨウ。最弱勇者って名前じゃない。実働調律師の通称ウメさん。じゃ、お大事に。」
名を呼ばれたことで固まるウメに構わず手を振りながらヨウは部屋を出ていった。
暫く呆けていたウメは我を取り戻すと、複雑な顔をしながら濡れた衣服を脱ぐ。先程まで流血していた傷が血痕を残して跡形も無く消えていた。
「まさか、こんなに早く会うとはな。あんな普通の子が違式の調律師なんて信じらんねぇ。」
タオルで体を拭いて新しい服のボタンを留めながら独り言のように言葉を発すると壁の蝋燭が揺らいだ。
「おい、盗み見は関心しねぇぞ。」
まるでその場所に誰か居るような素振りをするウメの視線の先には不自然な影が浮いている。指を鳴らすと同時に全ての蝋燭の明かりが灯った。壁や家具の上に並べられた何百本の蝋燭。目が眩む様な灯の中に大きな鏡が浮かんだ。白いロングコートを纏った小柄な誰かが映っている。顔はフードを深く被っていて分からない。
「怪我は大丈夫?」
気遣う言葉と裏腹に高めの声は豪く不機嫌だ。
「ここに来たら傷は塞がった。全ての付与が消えて危なかったけどな。」
言いながらウメは煙草を銜えた。対する誰かは更に肩を落とす。
「あの女、意外と感がいい。見つかるかと思った。」
「隠れん坊は得意だろ?っつーか調律師同士なんだから挨拶でもすりゃよかったじゃねーか。」
言いながらマッチを擦るが火は点かずに折れた。軽く舌打ちしてその場に抛る。
「そうだけどぉ、依怙贔屓に会うつもりないよぉ。」
うんざりと溜息を吐きながら誰かは深く被ったフードを取った。出てきたのは少女のような愛くるしい見目の少年。童顔であるがゆえに年齢は不詳だ。硝子の様な白に近い水色の瞳をクリクリさせて怒っている。
「お前が御機嫌斜めなんて珍しい事もあるんだなぁ。」
「新入りの癖に“研修”もしないで特別扱いなんてふざけてるね。しっかりいじめてやろうとおもったのに。」
ヒステリーでも起こしたように少年は声を荒げた。
「鬼教官様は授業免除が気に喰わねぇってか?ガキが。」
「最初に依怙贔屓って言ったのはウメでしょ。僕はウメの感性に触発されただけだもぉん。」
飄々と返された言葉にウメは呆れ返った。そしてイライラと火の点かない煙草を指先で玩んでいる。
「で?そっちはどうなの?」
横目で少年を見ながらウメは壁の蝋燭で煙草に火を付けた。深く吸い込んで煙を吐き、再び吸い込んでから吐く煙と共に口を開ける。
「身を持って思い知った。あれはやっぱり始祖の力だな。中には入れそうか?」
「僕じゃ無理。」
少年はわざと眉を寄せて困った顔をする。
「やっぱり俺が潜り込むしかねぇか。」
ウメの固有特殊能力は『抜』。猫の姿に化けどのようなところでも潜り込める偵察に適した能力だ。
「ゴリカちゃんにも伝えとけよ。余計なことはするなってな。」
「えぇええええ。シド統括にもミチ統括補佐にも結果に支障がなければ過程で何してもいいって言われたじゃん。ボスだって目的の為なら好きにしていいって言ったじゃん。」
ウメは吸い終わった煙草を灰皿に押し付けるとソファーに座り、たっぷりと時間を置いてから少年を見据えて言葉を発した。
「……力加減のバグったお前ら2人のやり方は結果に支障が出るんだよ。」
その言葉に少年は困ったように首を傾げる。いじけたようにそっぽを向くが諦めたように小さく頷くと手を振った。すると再び影に溶けて消える。ウメは再び煙草に火をつけると煙を吐きながら目だけ動かして窓を見た。
「急がねぇとな。」
蝋燭に照らされる窓に伝う雨を見ながら火をつけて間もない煙草を握りつぶした。
◆ウメ…統括直属部隊の実働調律師。『抜』の能力で猫に化けて偵察する。
◆白い少年…調律師。白い銀髪、白い肌、水色の瞳に白いロングコートを着ている天使のように可愛い少年。
◆ゴリカちゃん…任務遂行過程で結果に支障を出す人物。
◆依怙贔屓…調律師達が使用するヨウの呼び名。
◆ウメのアジト…西洋作りの豪邸だがお化け屋敷を連想する不気味さ。
シドがコンプライアンス委員会を立ち上げないから悪口のオンパレード。悪口言っても咎められないけど悪口言った奴に倍返ししても咎められないアウトロー企業。




