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胸騒ぎ Side S

 修道院に入るなんて考えたことも無かった頃は、修道院とは只管神に祈りを捧げ、静かで穏やかで変化のない日常を送る場所だと思っていた。

 実際の修道院での暮らしは、想像とは違い、一言で言って慌ただしい。


 何しろ、日々の生活を送る上で発生する炊事洗濯、畑の世話に孤児達の世話、バザーの準備に部屋の掃除――と、やることはこれでもかとあり、神に祈りを捧げる時間など朝起きてすぐと、食事の時くらいだ。だから余生を静かに過ごしたい裕福な人達は修道院ではなく療養所や静養地へ行くのだ、とその理由が、此処に来てからよくわかった。


 それでも、此処に来てよかった、とセレナは思う。

 ノースマルゴの修道院にやって来た当初、セレナは心身共に傷付いていた。元々は貴族令嬢として生まれ育ったセレナは、修道院に来た当初、家事炊事はろくに出来ず、先輩シスターや手際の良い孤児たち(彼らは生まれてほんの数年しか経っていないというのに!)に教わりながら、毎日の仕事をこなすので精一杯だった。

 華やかな王都で蝶よ花よと育てられている普通の貴族令嬢だったら三日と経たずに逃げ出しただろう。


 けれど、それが傷付いていたセレナには良い方に働いた。余計なことを考える暇のない忙しい日々は、時と共にセレナの傷ついた心を少しずつ癒していった。

 このままこうして年を重ねて、一人のシスターとして辺境の地に骨を埋めることになるのだろう。それは、セレナにとっては漸く手に入れた穏やかで控えめな幸せだ。



 珍しく空いた午後の時間に、趣味を兼ねた花壇の手入れを終えたセレナが食事の準備を手伝おうと食堂へ向かうと、何やら常とは違うざわめきが広まっていた。


「フェリシアがいない?」


 その場にいた孤児のひとりに尋ねると、フェリシアの姿が何処にも無いのだという。


 子ども達が騒ぎ始めたのは、夕食の準備を始める時間が大分過ぎてからのことだった。

 この孤児院では料理や配膳、洗濯、畑の世話など日々の労働は週替わりの当番制になっており、フェリシアは今週料理当番のグループだった。包丁捌きはイマイチだが味付けは上手い彼女が料理当番の週は、皆密かに楽しみにしているのだ。


 お調子者で時折抜けているフェリシアだが、与えられた当番の仕事をサボることはない。フェリシアと同じく当番の他の子ども達は、大方、他のシスターかネイサン院長あたりに用事を頼まれて少し時間に遅れているのだろうと考え、先に作業を始めることにしたのだという。


 ところが、一時間経っても二時間経ってもフェリシアが現れない。不審に思った子ども達が騒ぎ始めたところにセレナがやって来た、という訳だ。


 既に外は日が落ちて気温もグッと下がり始めている。孤児院の周囲は結界のおかげで静けさを保っているが、街の方は夜が深まるに向け、これからより一層騒がしくなる筈だ。当然、柄の悪い人間も昼間より増えてくる。

 ひとりひとり子ども達の話をよく聞いてみると、昼寝の時間、何時ものように小さい子ども達に付き添っていたのを最後に、その後フェリシアの姿を見た者はいなかった。


「一体何処に行ってしまったのかしら。まさか院の外に……?」


 そこでふと、セレナは花壇をいじっている最中、視界の端に映った人影を思い出す。その時は長身で遠目からも筋肉質と分かる体型から、ルークがまた出掛けるのだな、と横目で見送った。近所の住人から少額の小遣いと引き換えに雑用を引き受けるのはよくあることだし、近頃のルークは卒院の準備があるとかで何やら外に出かける頻度も増えていたから。


 けれど――よくよく思い返せば、あの時ルークの影に隠れてもう一人。そう、誰か――少年がいたような気がしてくる。


 平民にはいない、美しいピンクブロンドの髪色を隠させるため、フェリシアには外に出るときは必ず深く帽子を被るように幼少期から何度も言いつけていた。


 ――あの時ルークの隣にいた少年は、もしかしたら帽子を被り少年の格好をしたフェリシアだったのでは?


 不意に、セレナの中に疑念が浮かんだ。

 普通に考えれば、有り得ない考えだ。あれから十年経ったとはいえ、()()フェリシアをネイサン院長が特別な理由なく、自由に外に外出させる訳ない。

 先日フェリシアがマーケットの同行メンバーに選ばれたのは、そろそろフェリシアも同行させなければ、他の孤児との兼ね合いが取れないから仕方なくだろう。


 だから、マーケットから一週間しか経っていないこのタイミングでフェリシアに外出許可が出ることなど考えられない。

 もしあれがフェリシアだったのだとすれば、ルークが無断で連れ出したということになる。

 それこそ、真面目なルークの性格からすれば有り得ない。


 なのに、どうしてかその有り得ない可能性が頭から離れなかった。

 妙に胸がざわめき、セレナは食堂内を見回す。


「ねぇ、そういえばさっきからルークが見当たらないようだけど……」

「ああ、ルーク兄なら部屋にいるよ。夕方真っ青な顔で帰ってきてからずっと部屋に籠ってる。具合が悪いみたいで、夕飯もいらない、って」

「そう……」


 教えてくれた少年は、確かルークと同室だったはずだ。


「ねぇ、夕方帰って来たってことは、昼間何処かに出かけていたのよね。誰かルークと一緒に出かけた子はいるかしら?」


 セレナの問いに名乗り出る子はいない。皆首を振り、顔を見合わせた。


「とりあえず、先ずは敷地内をもう一度見てみましょう。私は一度ルークの所に寄った後、修道院に戻ってフェリシアを見なかったか他のシスターに声を掛けてみるわ。あなた達は院長に知らせた後、何人かのグループに分かれて院内を探してくれるかしら」


 その場にいた子どもたち全員が頷いたのを確認し、セレナはルークの部屋へ向かった。



******



「ルーク。シスター・セレナよ。ここを開けて頂戴」

 

 程なくして着いたルークの部屋の扉を何度かノックをしても、中からは何の反応もない。子ども達には数人ごとに部屋が与えられているが、扉に鍵はついていない。プライバシーは可能な限り尊重されるが、此処はあくまで孤児院なのだ。

 返事が無いのを無言の肯定と見なし、セレナは強引に扉を開け室内に入った。念の為、扉は開けたままにしておく。


 セレナの暮らす修道院同様、石造りの床と壁に簡素な家具が置かれただけの飾り気ない部屋だ。ルークの姿を探すと、部屋の左右の壁に沿うように置かれたベッドのひとつで、布団が丸く震えていた。


「ルーク? 具合が悪いと聞いたわ」


 つかつかと遠慮なくベッドに近寄り声をかけるが反応はない。セレナは大きく息を吐き出すと、仕方なく強引に布団を剥ぎ取った。

 無理矢理剥かれた布団の中から出てきたルークは、見たこともない程真っ青な顔でガタガタ震えていた。口元からはカチカチと歯が震えてぶつかる音が漏れている。


 尋常ではないその様子にセレナは目を瞠った。直感がセレナに、目の前の青年は何か知っていると告げる。


 外は先程よりも更に暗くなり、窓の外は真っ暗で室内からは何も見えない。もしもセレナが見た少年がフェリシアで今も孤児院の外にいるのなら、かなり危険な状況だ。

 逸る気持ちを抑え、出来るだけ冷静に話しかける。


「フェリシアがいないの。今日の午後から誰も姿を見ていないの。ルーク、フェリシアの居場所を知らない?」

 

 蒼褪めながらも目を見開いたルークは、唇を引き結んだままそれでも何も答えない。セレナは気にせず、ルークの目をじっと見つめながら質問を続ける。


「……ねぇルーク、あなた昼食の後何処に出かけていたの? 私、見たのよ。あなたがフェリシアと門の外に出て行くのを」


 本当はルークと共に出掛けたのがフェリシアだとは、遠目からは確認できていない。それどころか、彼が誰かと一緒に出掛けたことさえハッキリと目撃した訳では無いのだが、言わなければ分からない。

 セレナはまるで自分の発言が真実であるかのように堂々と鎌を掛けた。その程度、かつては社交界の荒波を優雅に泳いでいたセレナには容易いことだった。


 セレナの言葉にルークが肩をびくりと震わせる。その瞳の奥には確かな恐怖が滲んでいる。

 それでもセレナは追求を止めない。


「けれど、あなたはひとりで帰ってきた。出かける時は確かにフェリシアと一緒だったのに。それはどうして? 言いなさい、フェリシアは何処? 彼女に一体何をしたの!」


 セレナに勢いよく襟元を掴まれたルークは喉の奥でひぃっと叫ぶと、ぶるぶる震えながら狂ったように呟き始めた。


「し、知らない……知らない。俺じゃない……俺はなにも知らない……」


「いい加減になさい! それならどうしてそんなに脅えてるのよ! フェリシアに何をしたの! 言え!」


 セレナはルークを窓際まで無理矢理引き摺って窓の外を指差した。


「見なさい! 外はもう暗くなっている。この暗さの中で見目のいい幼い少女がひとりでいること、それがどんなに危険なことか、あなたにも分かるでしょう?!」


 外はすっかり日が落ちている。今こうしている間も灯りもない暗闇でひとり危険な目に遭っているかも知れないフェリシアを思うと、焦燥感が襲ってくる。


「だ、だめだ、やめてくれ、殺される……」

「それがわかってるなら――」

「連れて来ないでくれ……俺はきっと殺される……化け物(シア)に殺される……」


 ルークの呟きにセレナは眉を顰めた。


 ――()()()()()()()()()()……?


「ルーク、今のはどういう意味なの」

「し、知らない、知らない……俺は何も知らないんだぁっ!」

「ルーク! しっかりしなさい!」

「うわああああああああああ!」


 ルークが腕を滅茶苦茶に振り回し、獣のような喚き声を撒き散らす。

 突如暴れ出したルークの力は年下といえどセレナより遥かに強く、とてもセレナひとりでは抑えることが出来ない。どう見ても正気とは思えないその瞳の奥には恐怖がありありと浮かんでいて、その言動は狂人のそれだった。


「シスター・セレナ! 一体何が……」


 ルークの声を聞きつけ、駆けつけた修道院のシスター達数人掛かりでやっとルークを抑え込むことに成功するも、とても話を聞けるような状態ではない。

 結局、ルークは稀に盗みや暴力事件を起こした問題のある孤児やシスターが一時的に入れられる拘禁部屋に一晩留め置くことになった。


 ずるずると引き摺られていくその後ろ姿を眺めながら、セレナの蟀谷を汗が滑り落ちていく。


 フェリシアが急に姿を消した何らかの事情をルークが知っているのは間違いない。

 妙なのは、ルークの態度だ。


 ルークは男児で一番、フェリシアは女児で一番長く孤児院に滞在している。そのため、普段のルークとフェリシアはまるで本当の兄妹の様に仲が良かった。他の子ども達の前では必死にお姉さんとして振る舞っているフェリシアが、唯一甘えた態度を取っていたルークだ。ルークの方もそんなフェリシアを可愛がっていた。

 少なくとも、セレナの目にはそう映っていた。


 けれど、先程のルークの様子は――。


 最初は、大事な妹分であるフェリシアが危険な目に遭っているかも知れない状況への恐怖に怯えているのかと思っていたが、それは違う。

 ルークは、明らかにフェリシアの名前に反応し怯えていた。


 ルークは孤児とはいえ、卒院も間近に迫り既に身体は殆ど成人男性と変わりない。騎士になると決めてからは、身体も鍛えているため、平均的な男性よりむしろ身体は大きく力も強い。おまけに彼を捨てた親が貴族の血を引いていたらしいルークは、微量ながら魔力持ちで、身体強化の魔法まで使えるのだ。

 フェリシアとルークが何らかの対立をしたとして、まともに立ち向かったところでフェリシアに勝ち目はない筈。


 しかし、ルークのあの怯え様は尋常ではなかった。


 立派な体格の男が、自分より身体も小さく力も遥かに弱い年下の女の子に怯える理由――嫌な予感がする。

 セレナの背中を汗がじとりと濡らしていく。

 

 ――兎に角、フェリシアを捜さなくては。


 自室に戻り身体を追おうローブを引っ掴むと、頭に浮かんだひとつの可能性を振り切るようにセレナは駆け出した。



 

読んでいただきありがとうございます。

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