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『お母さん』


 マーケットの日から一週間経ち――フェリシアはいつも通りの日常を送っていた。

 毎朝早く起き、朝食の支度を手伝い、食べた後は当番の洗濯や掃除、畑の仕事をこなし、午後は年下の子達の面倒を見ながら読み書きの勉強と、来月のバザーのためにハンカチや巾着に刺繍をする毎日だ。


 あの日、孤児院に帰って来た後もなんだか元気のなかったルークは、翌朝にはすっかり元に戻っていた。この一週間の間も何度か忙しそうに外に出かけて行く姿を見かけたが、孤児の間で割り当てられる自分の仕事はきちんとこなしていたため、ルークが外に出掛けることを止める人はいない。ルークに懐いている孤児院のチビ達は、「最近あまり遊んでくれないの」と少し寂しそうだったが。


 今朝いつものように早く起きたフェリシアは、相変わらずフェリシアの布団に潜り込んでくるリリーを起こさないようそっと布団を抜け出して身支度を整えると、いつもなら真っすぐ朝食の支度を手伝いに行くところを今日は教会を通り過ぎ、更に進んで修道院の裏手に回った。途中で教会の花壇に生えている花を少し拝借するのも忘れない。花に関しては、一応修道院の院長も務めるネイサン院長に許可を取ってあるので見咎められることは無いのだが、何と無く気が咎めるので出来るだけ花壇の端に生えてる花を少量だけ摘むことにしている。


 四、五分程修道院の裏手に足を進めると、少し奥まったところに頭上を鬱蒼とした木の枝に覆われ湿った土がむき出しになっている空間がある。地面には間隔を開けて木の十字架が立てられており、その下には所々に花が供えられていた。

 此処は身よりのない亡くなったシスターたちの墓地だ。殆どのシスターは、修道院に来た時点で家族との縁が切れている場合が多く、亡くなっても遺体を引き取りにくる人がいないらしい。

 だから日当たりの悪い裏庭ではあるが、こうして墓地に埋葬される。所々、十字架の下に花が置かれているのは、恐らくそこに眠る亡くなったシスターと生前親交のあったシスターが供えているのだろう。

 生憎というべきか、フェリシアはこの墓地に自分以外の人間が花を供えに訪れているのを見たことはない。


 フェリシアが目指すのは、墓地の中でも最も端。そこに、フェリシアの母親の墓がある。墓といっても、フェリシアの母親の遺体はそこに眠っていない。


「お母さん、おはよう。今月もまた来たよ」


 名前の無い、木で出来た十字架の下に花を置き、話しかける。麻糸で縛られただけの、簡素な十字架がほんの少し華やいだ。



 フェリシアの母親は、元々王都に住む貴族令嬢だったそうだ。なんでも成人するかしないかの年頃に“大変なこと”をしてしまい、当時の第二王子――今の国王陛下らしい――の指示によって捕まえられた。

 そのまま罪を償う筈だったけれど、その時既に母はフェリシアを懐妊していて、お腹の子どもを出産する間まで、という約束で、このノースマルゴの修道院に入れられた。十か月程修道院で過ごした後に無事フェリシアを出産すると、母はそのまま王都に連れて行かれ、間もなく亡くなったそうだ。


 この話は、当時母の世話役を任せられていたという、シスター・セレナから聞いた。

 生まれた直後から孤児院で過ごしていたフェリシアは、『親』という存在を知らなかった。シスター達がいて、孤児たちがいて、あまり見かけないネイサン院長がいて、それがフェリシアにとっての普通だったから、子ども向けの絵本を読んで初めて知った『お母さん』や『お父さん』なる未知の存在には驚いたものだ。


「ねぇ、『お母さん』てなぁに?」


 近くにいたシスターに訪ねた。


「………子どもを大切にして、守り育てる人のことよ」

「ふーん」


 その時、答えたシスターの表情は思い出せないが、きっととても困っていただろう。


 『お母さん』は子どもを守り育てる人。


 幼いフェリシアは考えた。


 物心つく前から、シスター・セレナは特別フェリシアを気にかけてくれていると感じていた。それは今思えば、フェリシアの母親と曲がりなりにも親交があったからだ、とわかるのだが、その時の幼いフェリシアにはわからなかった。


 そこで、思った。

 だったら、わたしの『お母さん』はシスター・セレナのことだ!


 そうしてシスター・セレナのところまで駆けていって、大きな声で叫んだ。「お母さん!!」と。


 その瞬間のシスター・セレナの表情は、今でも覚えている。驚きに目を見開き、洗濯したシーツを干したままの体勢で固まっていたシスター・セレナの顔色がみるみる青白くなっていったかと思うと、そのまま大事なお客様が来た時にだけ使う部屋に連れて行かれた。理由を聞いたら、この部屋だけが防音だから、と言った。沢山のニンゲンガ共同で暮らすこの場所に、プライバシーはないに等しい。

 孤児という立場故か、幼い頃から機微に敏いフェリシアは余程の話なのだろう、とその時点で察した。


 そして、シスター・セレナから実の母親のことを聞かされたのだった。

 

 フェリシアの母親はシスターらに見守られる中、無事に修道院で出産した。生まれた子どもに《フェリシア》と名付けると、産後の身体が回復するのを待たず、そのまま迎えに来た役人に王都に連れて行かれた。

 別れ際に、自身の髪を一房とペンダントをシスター・セレナに託していったそうだ。

 大切なお守りだから人から見えないよう、服の下に隠して肌見離さず持ち歩くように、と昔からシスター・セレナに言われていた古ぼけたペンダントの意味が漸く分かった。母が自分に遺した唯一の形見だったのだ。


 母が連行された後、風の噂で母の死の報せを聞いたシスター・セレナはネイサン院長の許可を取り、修道院裏手の墓地に母の墓を作ったという。勿論、土の下に埋葬すべき遺体は無いので、代わりに母が残していった遺髪を埋めたそうだ。


 シスター・セレナははっきりと言わなかったけれど、修道院裏のあってないような墓地とはいえ、母の墓を認めさせるのは相当な苦労をしただろう。何せ王家によって罪人とされた人物の墓だ。それもここを発つときに髪を残していくなんて、きっと母が死ぬことは()()()()()()()()()()()()()なのだ。そんな母を一人の修道女として弔おうとしたシスター・セレナには頭が下がる。


 だからフェリシアは、シスター・セレナに感謝している。フェリシアにとっても、顔も知らないフェリシアの母親にとっても恩人だ。いつかその恩を返せたらいいのだけれど。


 フェリシアは自分が他の孤児たちと比べ、恵まれている方だと、きちんと自覚している。

 父親はどこの誰かも知れないし、母は王家に裁かれるような罪人でその顔すら知らない。

 修道院で産み落とされてからはずっと、人生の大半を孤児院で過ごして来た。


 それでも、少なくともフェリシアの母親は《幸福(フェリシア)》と名付ける程度には我が子(自分)を愛していたし、きちんと墓――たとえ埋まっているのが遺髪だけだとしても――もある。

 修道院で産まれたお陰で正確な自分の誕生日も分かるし、これまで命の危機に晒されたことはない。孤児院での生活自体は厳しいものだが、ネイサン院長の目が行き届いていることもあって、理不尽な暴力を振るわれたり、始終暴言を浴びせられるようようなことはない。

 家族がいなくとも、同じ孤児の子どもやシスター達に囲まれた生活で孤独とは無縁だった。


 孤児達の中には、自分の誕生日さえ分からない子どもも沢山いる。そういう子は皆、春を誕生日とすることになっている。だから孤児院で暮らす子ども達の半数は皆、春生まれ”だ。ルークやケン、妹分のリリーもそう。

 貧しさのあまり両親に棄てられたり、酷い虐待の末に孤児院に引き取られる子もいる。両親の顔などいっそ知らない方が幸福な場合もある、ということを、心も身体も傷ついた孤児が増える度にフェリシアは学んでいた。


 だから母親の墓(此処)に来るのは半年に一度、人の少ない早朝だけと決めている。此処で暮らす親を亡くした孤児達の中に、親の墓がある子は少ない。あったとしても、ノースマルゴの治安ではそうそう結界の外に墓参りには行けない。

 だからこそ自分が墓参りする姿をあまり見せたくないし、見られたくもなかった。 


「お母さん、私、十歳になったよ。大抵のことは一人で出来るようになったよ。半年で背も伸びたよ。オトナの女……にはまだなれてないけど、きっともうすぐだよ。次に来るときはもう子どもじゃなくなっているかもよ」


 いつも通り、簡単に報告して立ち上がる。


「それじゃお母さん、また半年後に来るね」


 長居は無用と軽快に去るフェリシアの背中を死角から深碧色の2つの目が見つめていた。



読んでいただきありがとうございます。

次話は明日6時更新です。

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