最北の街 ノースマルゴ(2)
天候が良かったこともあり、用意していた孤児院のバザー商品は午前中で全て売り切れた。今日の売り上げはここ最近の中でも一番だというシスターの言葉に、嬉しくて思わずニマニマしてしまう。
「いつもより早く終わったから、少しだけマーケットを覗いて来てもいいわよ」
「ほんとっ!?」
思いがけないシスターの言葉にフェリシアは目を輝かせた。念の為、お小遣いを持ってきてよかった。
「ええ、但し、必ず一人で行動しないこと。私たちは済ませなければならない買い物があるから、ルークの言うことを必ず聞くのよ。任せてもいい、ルーク?」
「はい、大丈夫です」
「頼んだわね。では、三十分後にこの場所で待ち合せましょう」
シスター達はどうやら、子ども達とは別行動するようだ。年長のルークにちゃんと従うよう念を押すと、人混みに速足で消えていった。今回一緒に街に来ていたフェリシアの一つ年上の孤児、ナディーンによると、「オトナの女にはいろいろあるのよ」ということらしい。
その場に残された孤児は四人。フェリシア、ルーク、ナディーン、そして四人の中で一番年下のケン。
四人は最初、あちこちの露店を冷やかして楽しんでいたが、広場の奥で大道芸が行われていると聞いて足を運ぶことにした。着いた先には円形に人垣が出来ており、その中央でカラフルな衣装に派手なメイクを施した芸人が見事なパントマイムを披露していた。
初めて見る大道芸にフェリシアは目を輝かせる。白い手袋をした手のひらをこちらに向けているだけなのに、まるで本当に見えない壁に閉じ込められているように見える。
二人の芸人が演じるそれはなにやらストーリー仕立てになっており、要所要所でドッと笑い声が起こる。
年末の孤児院の出し物でやったら面白いかも! と人垣の隙間から夢中になって覗いていると、隣にいたケンが袖を引いて来た。
「おしっこ……」
「えっ!?」
フェリシアとナディーンが顔を見合わせる。
「ケン、もう少し我慢出来ない?」
「ふぇ、ごめんムリ……漏れちゃうよぉ……」
先程まで楽しそうに笑っていたケンが今にも泣きそうになっている。
折角来たのに……とフェリシアがあまりにも残念な表情を浮かべていたためか、左隣のナディーンがさっと屈むとケンの手を引いた。
「あたしがケンをトイレに連れて行くよ。ルーク兄とシアは此処にいて」
「ナディ、駄目だ。シスターに一緒に行動するよう言われただろ」
「あら、平気よ。シスターは『一人で行動しないように』って言っただけ。ルーク兄はシアが迷子にならないよう見ていて」
「な、ならないよ! もう十歳なんだからね!」
フェリシアの膨らんだ頬をナディーンが面白そうにつつく。こういう時、たった一歳しか変わらない筈なのにナディーンの方が自分よりずっと大人びて見えて、なんだか悔しい。
「ねぇ、漏れちゃうよぉ……」
「わ、ごめん! じゃああたし行ってくるから!」
「ナディ! 危ないよ」
「平気! シアと違って、あたしとルーク兄はもう何度も来てるからさ。大人しく待ってるのよ!」
そう言うなり、制止するルークの声を聞かずナディーンはケンの手を引いて人混みの向こうへ駆けて行ってしまった。
「ついて行かなくてよかったのかな」
「よくはないけど……仕方ない。二人が帰ってくるまで此処で待っていよう」
既に二人の姿は人混みに消えてしまった。今更追いかけたところで、はぐれてしまう可能性が高い。
罪悪感を抱きつつ、フェリシアが再び広場の方に目を向けた時、背後から声を掛けられた。
「ルーク?」
振り向くと、青年が三人立っている。
見上げたルークの顔が一瞬歪んだような。
「その錆色の髪、すぐわかったぜ」
「よう! こんな所で会うたぁ、偶然だなァ」
「ひひ、道化師の勉強かぁ?」
話しかけてきた男たちの顔は整っており、着ている服も上等なものであるのに、どこか不潔で薄気味悪さが漂っている。派手な服のボタンをだらしなく胸元半ばまで開いて着ていて、片手には酒と煙草。正直言って、あまり近づきたくない雰囲気が漂っている。
ルークは彼らから庇うようにさり気無くフェリシアを背中に隠す。
「ああ……偶然です、ね」
心なしか、答えるルークの声が硬い。
「おいおい、オレ達友達だろぉ。敬語なんていらねぇっつったろ」
「いえ、そういう訳には……」
「なぁに? ルークくんはオレに逆らうワケ?」
「いいえ……」
男は親し気に肩を組むが、その瞬間ルークの身体が警戒するように固くなったのが背中に貼り付いているフェリシアには分かった。
「ん? なんだよルーク、女連れじゃん」
ルークの後ろで様子を伺うフェリシアに気付いたのか、こんちわーと軽く手を振ってフェリシアに顔を近づけてくる。顔にかかる息が煙草臭くて思わず眉を寄せる。
そんなフェリシアの態度にはお構い無しで、ジロジロと観察するようにフェリシアの顔を見つめてくる。
「この辺の子にしては、結構かわいいじゃん。キミ、何て名前ー?」
「え……えっと……」
「キミも孤児?」
「……そうですけど」
「ふ~ん……オレ、キミみたいな生意気そうなカワイイ子大好きなんだよね~。キミのこと気にいっちゃったなァ〜!」
じぃっと無遠慮に自分の顔を見つめる男の視線はじめっとしていて、なんだか息苦しくなる。思わず助けを求めてルークを見ると、凄い速さで二人の間に身体を滑り込ませてきた。
「今日は俺が子ども達の保護者代わりでこれからシスターと待ち合わせなんで……すいませんけど、また」
会話に割り込むように早口で告げると、ルークはフェリシアの背中をぐいぐいと押し彼らから離れた。背中越しに、
「えーもう行っちゃうのー」
「ルークきゅん冷たくなーい」
「あたしを置いていかないで~! なんつってぇ~」
人混みの中でもはっきり聞き取れる程の声で馬鹿にしたような台詞が追いかけてくるが、ルークは足を速めるだけで決して振り返ることは無かった。フェリシアは縺れそうになる足を懸命に動かし、ルークに置いていかれないよう必死に背中を追う。きつく掴まれた右手が痛い。
「――ねぇ、ルーク!ルーク、ルークってば!」
何度目かの呼び掛けで、はっと我に返った様子のルークが漸く足を止めた。
「もう!速いよ!」
「ご、ごめん……」
バツが悪そうに眉を下げる。
「折角楽しんでたのにごめんな。まだ見ていたかっただろ」
「ん、私は別にいいよ。ただ、ナディたちが戻ってきたら私達がいなくて困るかも」
「あー………」
本当は、このまま元の場所に戻ってナディーンとケンを待つべきなんだろう。でも、なんとなく、ルークの様子から戻らない方がいい気がした。
「仕方ないから、先に元の場所に行ってみる?」
「そうだな」
もしかしたらナディーンは怒るかもしれないけど、シスター達との待ち合わせ場所にいれば会えないことはないだろう。
二人並んで歩き出す。街は相変わらず賑やかで、昼に近づくに連れ人も増えてきているように見えるが、先程までの弾んだお祭り気分はすっかり消えていた。
ちらりと横目でルークを見上げると、強張った白い顔をしている。
「ねぇ、ルーク」
「なんだ?」
「私、あの人達知ってるよ。あれって多分、領主様の息子とそのお友達でしょ?」
「なんで知ってる!?」
「だって一番偉そうにしてた人、グレーの髪に珍しい紫の目で、見るからにお貴族様だったじゃない。この辺りで平民に混じってフラフラする貴族なんて他にいないでしょ? 有名だもん。大きな声じゃ言えないけど、末の放蕩息子には領主様も手を焼いてる、って」
「……それも礼拝で仕入れた情報か?」
「まぁね」
すぐそばの飴細工の屋台に視線を送りつつ、なんでもない風に答える。
日曜礼拝の後の御婦人方の井戸端会議は、中々良い情報源なのだ。皆、手伝いの孤児のことなんて置物くらいにしか思ってないから、近くにいようとお構い無しで喋る喋る。時には赤裸々な夫婦事情も聞けたりして、教会と孤児院の敷地外に出ないフェリシアにとっては手伝いの際の密かな楽しみになっている。
だからといって、普段は別に、そこで得た情報を他の子ども達にべらべら話したりはしないのだが――。
「ねぇルーク。あの人達、やけにルークに馴れ馴れしかったけど……本当に友達なの?」
とてもそうは見えなかった、という言葉はかろうじて呑み込む。
「……俺の騎士団入りを後押ししてくれて、その縁でちょっと世話になってる、ってだけだ」
「そうなんだ……」
ルークの辺境伯騎士団入りを後押し? まともに邸に帰っているのかもあやしそうな、近所の奥様方に影でドラ息子と呼ばれる人間が?
聞きたいことは色々あったが、ルークがそれきり渋い顔で黙り込んだので、結局それ以上踏み込んで話を聞くことは出来なかった。
その後、世間話をしながらシスターに言われた通り待ち合わせ場所で待っていると、シスター達と一緒にナディーンとケンもやってきた。
どうやら、トイレの帰りに私達と別れた場所に戻ろうとしていたところ、偶然シスター達に出会ってしまいそのまま連行されたらしい。結果的に待ち合わせ場所で先に待っていて正解だった。
引率のシスター達には別行動を取ったことに小言を言われてしまったが、それで前回のように暫らくマーケットの同行メンバーから外されるということはなさそうで、フェリシアは密かにホッとした。
***
「ただいま、シスター・セレナ!」
「おかえりなさい、フェリシア、ナディーン、ケン、ルーク。その様子だと楽しめたようね」
院に帰ると、シスター・セレナが出迎えてくれた。どうやら、子ども達のことを心配していたらしい。シスター・セレナも来れば良かったのに、と思ったが、そういえば、生まれた時から此処で暮らしているのに、フェリシアはシスター・セレナがマーケットに行っている姿は見たことがない。
(人混みが苦手なのかしら?)
ふと浮かんだ疑問は頭の隅に追いやる。まずは今日の報告をしなくては。
「うん、楽しかったよ! 大道芸見たんだ! パントマイムっていうんだって。凄いんだよ! こうやって、階段昇るふりしたりねー」
「すんごいの! ホントに壁があるみたいなんだよ!」
「ケンはトイレに行っちゃってあんまり見てなかったけどね」
「シアちゃんっ! それは秘密にしてよぉ!」
ケンと一緒になって身振り手振りで話していると、にこにこと話を聞いていたシスター・セレナが首を傾げた。
「あら、ルーク? 具合でも悪いの? 顔色が悪いわよ」
シスター・セレナが額に手を伸ばすと、ルークはそれを思わず、といった様子でさっと避けた。
「あ……お、俺ちょっと疲れたから部屋で休んできます。夕飯の支度はちゃんと手伝うので」
「え、ええ、わかったわ」
そそくさと去っていくルークの背中を見送って、シスター・セレナは振り返った。
「ねぇ、今日何かあった?」
「え、別に何も無かったよ。ねぇ?」
ナディーンが不思議そうに首を傾げ、フェリシアに視線を送る。
街で偶然辺境伯の息子にあったことを、フェリシアはまだ誰にも話していなかった。別にルークに口止めされたわけでもないのだが、なんとなく口に出しづらかったのだ。
少し迷ったけれど、ここで変に隠すのもなんだかおかしい気がして、答える。
「あー……特に何かあったわけじゃないけど、領主様の息子とその友達二人に声を掛けられてた。何事もなく別れたけど、なんか、なんとなく嫌な雰囲気で……その後からちょっと元気がない、かも」
「ルークが?」
「えっ、そうなの?」
シスター・セレナが眉を寄せるのと、ナディーンが驚いたのは同時だった。
「ほら、ナディはケンをトイレに連れて行ってたから」
ナディーンが、あーあの時かぁーと呑気に呟いている向かいで、シスター・セレナはなんだか難しい顔をしていた。
「……彼らに具体的に何かされた訳じゃないのね?」
「え、はい。やけに馴れ馴れしくて、酒と煙草臭かったけどそれ以外は、別に……」
(名前とか聞かれたけど、教えてないし……大丈夫よね?)
「フェリシア、その時貴方きちんと帽子は被っていたのよね?」
シスター・セレナがずい、っとフェリシアを覗き込む。
シスター達の話では、フェリシアは貴族だった生みの親に色も顔立ちも瓜二つらしい。
孤児院の他の子供達には綺麗だと羨ましがられるストロベリーブロンドの髪は、平民には滅多に――というか殆どいない。孤児がそんな色の髪を晒していれば面倒なことを引き寄せ兼ねないと、今日のように外出する際や人目につく場所に行く際には必ず帽子を被り、中に髪を入れ込むように、ときつく言われている。
本当は髪を染める粉というのがあるらしいのだが、高価な上に一度染めると二度と元に戻せないのだとか。
孤児のフェリシアにはそんな粉を買うお金はない。それに、ストロベリーブロンドの自分の髪を見る度に、自分を産んで間もなく亡くなったらしい母親との繋がりを感じられる気がして、出来ることなら無理に染めることはしたくなかった。
「ちゃんと被ってたよ! 髪の毛も出てなかった!ね、ナディ」
「そうね」
「ならいいわ」
慌ててフェリシアが答え、ナディーンに同意を求めると、ナディーンもうんうん、と頷いてくれて。シスター・セレナはホッとした様子で息を吐いた。
「それにしても、ルーク兄って領主様の息子と友達だったのかぁ。領主様なら見たことあるけど、あのおじさんの息子ならルーク兄より大分年上なんじゃない?」
ナディーンはどうやら兄という存在に憧れがあるらしく、孤児院で年長のルークをルーク兄と呼ぶ。孤児院の滞在歴ならフェリシアもナディーンより長いのだが、流石に年下のフェリシアを姉と呼んではくれない。
領主様は年に一度、どうやら元の身分が高いらしいネイサン院長に挨拶に来るので、孤児たちは皆顔を知っている。がっしりとした体型の壮年の男性で、髪の色はダークブロンド、瞳は今日会った息子と同じ紫色をしている。
「うん、どっちかって言うと、シスター達との方が年が近い気がするよ」
「領主様と似てるぅ?」
「結構似てる。領主様の筋肉を半分にして、ちょっとナヨっとさせた感じ」
「ははっ!ナヨっとしてるんだ」
言いながら、フェリシアは、そういえばルークは彼らに『ちょっと世話になってる』とは言ったが、彼らを友達とは言わなかったな、と気がついた。
「コラ。あなた達、そんなの外で聞かれたら大変よ? 貴族の怖さを舐めたらいけないわ」
「「はーい………」」
ウィンプルを外せばどこぞの貴族の令嬢に見えるシスター・セレナに言われると妙な迫力があって、二人は大人しく謝罪した。
尚、その日の夕食を食べた後にこそっと、今日一緒に街に行ったシスター・マーサがシスター・セレナに紙袋を渡しているのを目撃したフェリシアは、『オトナの女の事情』とやらが気になって突撃しかけたが、慌てたナディーンに止められた。
ナディーンによると、あの別行動の時間シスター達は生理用品や女性用下着など、大っぴらに欲しいというのが憚られる物を購入しているらしい。幼児体型で初潮も迎えていないフェリシアはてっきり、特別なお菓子でもこっそり購入しているのかと勘ぐっていたのだが、「もうじき貴方もお世話になるんだからね?」と、とっくに初潮を迎えているナディーンに叱られ、反省したのであった。