【Chapter/34 断てぬ、痛みよ】その2
ショウは淳朴に連れられて、ナギサの元へと向かった。木造の寺院の床からは木の匂いがする。一歩一歩足を進めるたびに鳴る、木の板の軋む音が静寂の中に響く唯一の音であった。淳朴はその足を止めて、目の前のドアを開けた。
そこは食堂のようだ。しかし、もう食事は終わったらしく、ナギサがテーブルを雑巾で拭いている。ショウの予想通り、ここもまた木の香りがした。相当な人数がこの寺院にはいるらしく、その分食堂もだだっ広い。
怪我は無かったのか、とショウはナギサに聞きたくなったが今は「おはよう」だけに留めておいた。
「おはようございます。何があったのかは分かりませんけど、この人たちが助けてくださったらしいですね」
「ああ、そうだな。手伝おうか?」
「じ、じゃあ、一緒にテーブル拭きをしましょ。二人なら二倍の速さでできますし」
ナギサがそう言うと、ショウはテーブルの上に置いてあった
「分かった。淳朴さん、俺も手伝います。ここにいるだけじゃあ、ただの寄生虫みたいになってしまいますから」
「ありがとうございます……ところで、ショウさん。朝御飯、まだでしたね、おにぎり用意しておきます」
「サンキュです。こっちの方が終わったら、また来ます。トイレ掃除から窓拭きまで……俺は中途半端にオールマイティーですから」
「これはこれは、頼もしいですね」
ショウはそう言うと乾いた雑巾を持って、それを近くの水場で濡らして絞り、食堂の方へと戻って行った。そこでナギサと合流し、二人でテーブルを拭くことにした。
「なぁ、ナギサ……」
「なんですか? ショウ」
「いや、どうやってダブリス級に戻るかだよ」
「……そうですね。今はここでお世話になっているけれど、いつまで続くか分からないですし。でも、ダブリス級が今、どこにいるのかが分からないので、なんとも言えません……」
「話、変えよう。今、考えるようなことでもないよ。じゃあ、もう一つ聞く。あの時、怖かったか?」
「あの時って、あの大剣を持ったアテナに殺されそうになった時?」
「そうだよ……少なくとも俺は、死ぬな……って思ったよ。でも、それ以外は考えられなかった。遺言一つ考えられやしなかったさ」
「私は……怖かったです。もう死ぬって思いました。私は意識を失わなかったんですし、遺言……いいえ、考えることはたくさんありました。生半可な決意をしただけでは、死という恐怖からは逃げられないって結論に至りましたよ」
「……そうだな」
「引きずられている間、死をじらされている感じで、とても不愉快でした。アスナさんの時の様に、サクッと殺してくれたほうがマシだった気がします。本当は怖いの。でも、戦いたくないって言ったら、ショウは困ると思って……それでハリボテの決意をしたんです。今から思えば、あれはハリボテ」
ナギサには……戦いが似合わないんだな。だから……こんなに。
ショウは雑巾を握り締めた。だが、ナギサにそれを気づかれまいと、すぐにやめた。そうこう、話しているうちに全てのテーブルを拭き終わったようだ。
「ふぅ……終わったな。ナギサ、俺は水汲んでくる。雑巾、絞らないと。床は終わったし……次は壁拭きだしな、たいへんだ」
「あ、私が行きましょうか?」
「いいや、こういう力仕事は男の物だよ」
ショウは井戸から水を汲み上げて、食堂の方に向かった。
「わっ!」
「きゃッ!」
拭いたばかりの床は滑りやすく、ショウは足を取られて転倒した。近くにいたナギサは汲み上げた水を直に被る。びしょびしょに濡れたその体。それをショウは申し訳なさそうに見つめていた。
「ごめん! 俺が……」
「大丈夫ですよ。ショウだって失敗はします……気にしないでください。これでショウを嫌いになるとか、そういうことはありませんので」
ナギサはニッコリとショウに微笑んだ。それを見たショウはドキッとする。水も滴るいい女……なのか、とショウは心の中で思う。それと同時に申し訳ないという気持ちも、大きくなってきてしまう。
何を考えているんだよ、俺は。
「おやおや、どうしたのですか?」
「淳朴さん。実は……本当にすみません!」
「いえいえ、ショウさん。気にしないでください。壁のほうは仲間にやらせておきます……。ナギサさんも風邪を引きますので、シャワーを浴びては?」
「いいのですか、私を?」
「はい。風呂場はここを右に行って、二番目の角を左に曲がればあります」
「じゃ……じゃあ、入らせていただきます」
そう言うとナギサは風呂場へと向かった。
「ショウさん。これはおにぎりです。どうぞ……」
「ありがとうございます……」
ショウはおにぎりにかぶりついた。中には何も入っていなかったが、塩が多めに入っていたので薄くは感じなかった。
「では、私は修行の方へ……何か御用があれば弟子に言ってくださいませ」
「はい……」
ショウは暇だったので右へ行って、そこにある庭園の景色を見つめていた。これほどまでの静寂はショウにとって久しぶりだ。庭園には真ん中にある岩、それを中心に広がっていく砂の波紋。シンプルではあったが、物足りないわけもなかった。岩に無数の物事が凝縮されているように見える。
「……シャワーの音……ナギサか」
しばらくしているうちに、シャワーの音はやんだ。
「ショウ! 着換えがないんです!」
「持っていくよ」
ナギサの声が聞こえた。ショウは近くにいた僧に客人用の着物を貸してもらい、ナギサへと持って行った。風呂場は湿気が物凄かったので、ショウは速く帰りたいと思っていた。無論、それ以上の理由もあるのだが……。
浴室へと繋がるドア。そこにナギサのシルエットが映る。ほっそりとしたスタイルに、流れる黒髪。直に見たわけでも無いのにショウは興奮してしまう。
はぁ……これだから女って……さぁ。
「はい、持って来たよ。近くに……置いとくよ……ってあぁ!」
「なんですか!」
「何だかわけの分からない生物が!」
「駆除します!」
ショウの目の前に一匹のサルが現れた。外惑星暮らしのショウにとっては見慣れない物で、その存在すらも知らないものだったのだ。まだ子供のようだった。ナギサは近くにあった桶を両手に持って、裸で浴室から出た。
「なんですか……サルじゃないですか! 可愛いですね」
ナギサはサルの存在を知っていたようで、怯える様子も無くサルの頭を撫でる。しかし、ショウが触ろうとするとサルは牙を立てて、ショウを睨みつけた。
そして次の瞬間……ショウは目を瞑った。
「ショウ、どうしたんです?」
「い、いや、服を着てくれよ……俺だって一応、男なんだよ」
「あーそうでしたね! すみません!」
ナギサは胸を手で隠した。ショウはしばらくそれを見つめていた。隠されているとはいえ、ショウにとっては慣れない光景であったことには違いない。
初めて見た……って俺はバカだ。
「あのー」
「ごめん! すぐに出るよ! この生物を頼むよ」
「あ、いえ、そんなに恥ずかしくないですから。……というか、慣れていますから」
確かにナギサはオリンストの中ではいつも裸だ。
「あーそうだったな」
ナギサが慣れていても、俺は……。
その若々しい肌色、それにあどけない表情。タオルで隠されているとはいえ……。写真で見てもそれほどのものではあるが、実際に見て見ると、これでもかなり刺激的なものになる。
「なんだか、笑ってしまいそうですよ。ショウの表情、おかしいですもん」
「そ、そんなにぃ?」
「はい。でも、いいですよ」
これが普通なのかもしれない。ナギサは普通の女の子であるべきなのか? オリンストに乗るような子ではないんだろうな、多分。