【Chapter/27 それでも君は】その1
「もっと……欲しいよ……」
「ダメだ……」
ソウスケは苦悩していた。ユーラリア攻防戦から二日経った。船はダブリス級の航路をたどって北のシベリアに向かっている。周りは純白の雪に覆われていた。吹雪のせいで視界も狭く到底、綺麗とは言えない景色。
このままではアスナを薬漬けにしてしまう。しかし、これほどの依存症をどうすればいいのだろうか? 軍医のスガモの話によればストレス障害も併発しているという。原因は依存症があるクシュードを我慢してきたから。その我慢が今、爆発してこのような状態にある。
「はぁはぁはぁ……無理だよ。我慢できないよ……ソウスケ!」
「ダメだ……」
それしか言えないソウスケは自分自身に苛立ちを感じていた。本当にこれぐらいしかアスナにできることはないからだ。
「ソウスケ! お願い! そうしないと私、おかしくなっちゃう!」
「…………」
ソウスケは無言のままアスナを取り押さえた。最近は睡眠導入剤を飲まなければアスナは寝られることができなくなってきた。これも一種の副作用らしい。そして、トイレで血を吐いたこともあった。これは浸食現象で細胞の組織の変化に耐え切れなくなった部分が溶けて口から出てくるもので正確には血ではない。
「助けてよ……夢の中でしか気持ちよくなれないじゃないの……もっと、もっとちょうだい!
もうソウスケの事、バカにしないから! もう奴隷だなんて言わないから! だから! だから……そうしないと頭が弾け飛んでしまいそう!」
「……これ以上、摂取したら君が死んでしまう!」
「そんなこと……どうでもいいのよ! 早く! 早く!」
「分かったよ……これだけだぞ」
ソウスケはポケットの中から二錠のカプセルを出してアスナに飲ませた。勿論、これはクシュートではなく睡眠薬だ。クシュートは本来は錠剤のカ形をしているが錯乱しているアスナは気づかなかった。
「ソ……ウス……ケの嘘つき。でも、ありがと……」
「…………」
ソウスケは眠りに着いたアスナをベットに運んだ。寝顔は幸せそうだ。寝顔を見て少し安心したソウスケはスガモのところに向かうことにした。スガモなら何かいい方法を教えてくれるかもしれない。そう考えたのだ。
「スガモ軍医、相談したいことがあるのですが……」
ドアを開けて医務室に入るソウスケ。スガモは仕事中にも関わらず彼の話を熱心に聞いてくれた。
「……ということなんです」
「これ以上、投与を続けてしまえば彼女は壊れてしまう。しかし、投与をやめれば彼女は死んでしまう。もう、後戻りはできないんだよ。ソウスケ中尉、アスナちゃんを助けられるのは僕なんかじゃない。君だ。君は彼女にとって大切な存在だ。そして君にとっても彼女は大切な存在。どこまでやれるかは分からない。でも、彼女を助けたいと思うのならこれからも投与を続ける。しかし、君にとって彼女がそれほどの存在でないのなら時間の無駄だ。投与をやめる。それは君の自由だ」
「僕は……アスナは僕にとって大切な存在です!」
「分かったよ。投与を続けることにしよう。必要以上の摂取は厳禁だ。彼女は薬を求めてくるだろう。その時は君がなんとかしてくれ。私にはできない。しかし、君ならできる。君に頑固たる意思があるのなら……私から言えるのはそれだけだ」
そう言うとスガモはデスクワークに戻った。
「ありがとうございます……もう少し頑張ってみます!」
「グット・ラック」
「そろそろ……ね」
イリアはアグラヴァイのコックピットの中でニヤリと笑った。回線をキョウジのマスティマに繋いで連絡を取る。
「そうだ。ターミナス級を脱出して中枢帝国の首都バルセラムにて渚のマキナヴとも合流する。いいな?」
「りょーかい。雷のアグラヴァイ起動!」
「黒金のマスティマ起動……」
マスティマとアグラヴァイは動き出した。勿論、発進許可は出ていない。近くにいた整備班の人々を踏み潰しながら。しばらくすると艦内にサイレンが鳴り響いた。真っ赤のライトに照らされた二機のアテナ。
「さてと……じゃあね、ターミナス級の皆さん」
アグラヴァイはターミナス級の外壁を大剣で叩き切り、そこから脱出した。マスティマもそれに連なり純白の雪山へと消えていく。マスティマのジャマーフィールドで二機のアテナの位置は特定されない。僅か二分の脱出劇。兵士たちの口は開いたままだった。
「なんだ! この揺れは!」
ソウスケは部屋に戻る途中に強い揺れに襲われた。
「ソウスケ中尉ですか! 今、マスティマとアグラヴァイが脱走しました! 至急、ハンガーに戻ってください! 現在、負傷者の手当てを最優先にしています!」
近くにいた兵士がソウスケの袖を強く引張り言った。
「分かった! 手を貸す! 現在、負傷者はどのぐらいいる?」
「死者が七名。負傷者が三十六名です」
そう言うとソウスケは返事をせずにハンガーに向かった。ハンガーには多数の負傷者がうめいている。腕部から激しい出血をしている者や、頭から血を流して倒れている者まで……。特に前者は酷く、切断をしなければ助からないほどだ。
「そういえばスガモ軍医の姿が見当たらないな……」
負傷者の数のチャックをしていたソウスケは仕事をすっぽかして医務室に向かった。
まぁ、軍医も過重労働だし……居眠りでもしているのだろう。起こさなきゃな。
しかし、ソウスケが医務室のドアを開けた瞬間、ソウスケのその楽観的な予想は覆された。軽々と……。そこにはアスナがいたのだ。その横にはナイフでめった刺しにされて倒れているスガモの姿が。スガモは既に息を引き取っていた。ナイフで複数回刺されたその腹からは大量の出血。腸が出てきている。アスナはそれを気にせずに薬棚においてあるクシュートを三錠ほど口にしていた。それ以上は瓶に入っていなかったらしく他の薬棚を探している。
「ソウスケ……」
振り返った彼女の服にはスガモの返り血で鮮血の紅に染まっていた。ユーラリア基地の市街地で買った真っ白なワンピース。これは彼女が迷いに迷って買ったお気に入りだ。普段のアスナが着るようなものではなかった。しかし、それはイメチェンだとアスナは言い張っていた。それが……。彼女の瞳からは一筋の涙が流れていた。
「私…………どうしちゃったんだろ? こんなもののために人殺しをしちゃった。おかしいでしょ……でもね、ナイフを刺しては抜くを繰り返しているとね、変な気分になちゃうの。それでね、それでね……」
「もうやめろ!」
彼女は既に壊れている。でも……。
ソウスケはアスナに駆け寄りぎゅっと抱きしめた。彼女のワンピースからポトリと血で錆びたナイフが落ちる。そして、床に刺さる。その真っ赤な鋼色は抱き合う二人を映していた。