【Chapter/39 月にて】その3
イリヤは一人、フィンクス級の艦内にある資料室にいた。いや、大図書館と言ってもいいほどの広さだ。本棚には第二始人類の頃の歴史資料、マナについて書かれた論文などの重要な資料もある中、小説や一般的な論文などもある。人は疎らだ。イリヤが座っているのは端の方。室内はやけに明るく、イリヤにとっては不愉快だった。
彼女は誰も寄せ付けないようなオーラを出しており、艦内で親しい者は渚ぐらいだ。唯一の友達、渚。誰も信用しようとは思わなかったイリヤだが、ふと彼女だけは信頼できると思ったのだ。同じ境遇なのだろうか? それ以上に、渚の包み込んでくれるような優しさに触れたいだけなのだろうか?
どちらにしても、自分はまた人を信頼してしまった。イリヤはそう感じてしまったのだ。それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない。ただ、この世界の中で孤独に生きるというのは、彼女にとって難しいことなのだ。
「……渚?」
「また、会ったね。隣、いい?」
「もちろんよ」
そうイリヤが言うと、渚は隣に座った。ナギサの髪は透き通りように鮮やかな黒。イリヤは自分自身と比べると嫌になってくる。
私、こんなに綺麗じゃないし……でも、まぁ、いいか。
「ねぇ、こんな世界、正しいと思う?」
渚は柔らかな声で言った。
「分からない……でも、私のような人間はいなくなると思うわ。戦争に振り回されて、不幸になった子よ、私は」
「たしかに争いは無くなるね。私もそれがいいと思ってる。でもね、アルベガスは世界を自分のものにしたいだけ。だけど、神名くんは違う。世界のことを考えていて、それでいて一度死ん……」
「分かってる。渚の信じている人は私も信じる。だって、渚は私の大切な人だもの……」
「ありがと」
渚はイリヤの頬に優しくキスをした。誰かに大切にされている、そうイリヤは感じた。家族がいた時も、家柄のこととかを教え込まれていただけで、家族にはさほど大切にされていた思いでもない。諸国連合に捕まっても、過酷な訓練ばかりで人と話したこともなかった。
誰も好きになっていなかった、イリヤ。今、初めて人を好きになった。それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない。ただ、この世界の中で私は孤独じゃない、と感じたのだ。
「あ、ああ、そ、その!」
「何? イリヤ?」
「あ、なんでもないわ。ただ、ちょっと嬉しかっただけ……」
イリヤは渚にキスを返した。
ショウは流星群の見えるところへ、ナギサを案内した。下調べしておいた甲斐があったというものだ、とショウは思う。そこは誰もいない丘。ここは自然公園だ。都会から一歩はなれたところにある、草木の匂いを感じることができる場所だ。周りには草木が生い茂っているが、目の前の視界を遮っているわけではない。
その丘からは都会が一望できる。もう夜で明かりが街に灯っていく。暖かな光が増えていく。一つ二つ、ポツポツと優しい音を奏でながら。しばらくすると、街は光に包まれた。覆いかぶさっている光のベールの下では、人々の営みが尚も続いている。
なんて綺麗なんだろ……な。
ショウは近くに座り込み、それを見つめていた。ナギサは空をずっと見上げたままだ。街の光が彼女を照らし。彼女の黒髪は風に揺れる。透き通ったその髪は、夜の闇に溶け込んでいるほど鮮やかな漆黒に染まっていた。
「この空の向こうに何があるんでしょう?」
ふと、ナギサは呟いた。その声は掠れていた。泣いているようにも聞こえた。
「分からない。分からないから、そう考えるんだろうな。俺たちは宇宙の中ではちっぽけな存在だよ。だけど、こうやって愛し合える。それって奇跡なんだろうな、やっぱり」
「その奇跡……永遠なんでしょうか?」
「へ?」
「永遠にこうやって、一緒に空を見られるんでしょうか?」
ナギサが掠れた声でそう言うと、ショウは立ち上がりナギサに寄り添った。そして、後ろから抱きしめる。優しく、包み込むように……。ナギサは必死に涙を我慢している。
「でしょうか? じゃなくて、やるんだ。永遠にするのは運命じゃない、俺たちがそうするんだ」
「ショウ……」
「もうすぐ、地球奪還に向けて大規模な作戦が行われる。俺たちも戦わなくちゃならない。だけど、共に生きて帰ろう。どちらかが生き残るんじゃなくて、一緒に永遠を手にしよう」
「生きて……帰る」
「だから、もう少し、こうやってナギサの温もりを感じさせてくれ。そうしないと、不安になるんだ」
「自分の道が正しいかって?」
「そうだよ……だからさ」
二人はしばらく目を閉じて、抱き合った。空には無数の流星群が流れていた。
【次回予告】
諸国連合による大規模な地球奪還作戦。
月に迫るエルヴィスの攻撃部隊。
各地に残された中枢帝国軍。
それぞれの運命が交差する、宇宙にて。
次回【Chapter/40 デスティニー・クラシス】