王子様とはじめての冒険 中編
※グレイと王子様のお話
※前中後の中編
※王子様視点
「ひとまず、ここがどこかを把握できればいいのですが……あたりを散策した程度じゃ何もわかりませんわね。森なんて見た目はどこも同じですし……」
「いや、そうとも言えない。このスプルの木はクリアネス王国の南方に多く見られる木だ。王都周辺の森もほとんどがこの木で構成されている」
「ということは、そう遠くには飛ばされていないと思ってもいいのかしら? 少なくとも、王国からは出ていないはずだと」
「ああ、おそらくだけれどね。それに、あの転移魔術具は未完成品なのだろう? それなら、遠くまでヒトを転移させるのはむずかしいんじゃないかな」
「たしかに……」
あれからぼくたちは、どうにかこの森を出る手立てはないかとあたりを散策しはじめた。
お互い森に出るような服装ではないため、舗装されていない道は少し歩くのにも苦労した。特にグレイ嬢は軽装ではあるがドレス姿だ。少しでも歩きやすくなるよう、彼女の前を歩き道をつくる。
「そう遠くまで飛ばされていないとするのなら——手はあるかもしれません」
そんなとき、グレイ嬢がそう言い出した。その言葉に驚き、「いったいどうやって?」と問うと、
「転移魔術を使うのですわ。転移でここまで飛ばされたのだから、同じく転移で戻ればいいだけです」
「はっ……!? だ、だが転移魔術は複数人の魔術師でやっと行えるものだろう……!? こんなところで、たったふたりでどうやって……!?」
「こんなところだからですわ、殿下。転移魔術がひとりでは行えない理由は、端的に言えばマナ不足のせいです。どれだけ魔術の素養があっても、ひと一人で一度に扱えるマナには限界がある……そして転移魔術には、その限界を超える量のマナが必要なのです。転移魔術が複数人でしか行えないのはこのためですわ」
それは知っている。転移魔術は実践こそしたことはないが、知識自体はあるのだ。
だからこそ、そんなものをこの場でやろうと言い出すグレイ嬢を理解できなかった。ここにいるのはまだまだひよっこの魔術師がふたりだけだ。ぼくらだけで転移魔術を使うなんて、どう考えても不可能——
「ま、まさか……」
「そのまさかですわ。マナ不足の解決法は大きく分けてふたつ。ひとつは複数人で魔術を行使すること。そしてもうひとつは、周囲のマナ濃度を上げること……後者は人の多く住む街中ではほぼ実現不可能ですが、ここは森のなかです。そして森のなかには必ず——」
「『マナ溜まり』がある……その近くに行けば、自然とマナの濃度は上がるはず、ということだね」
「ええ、そのとおりですわ」
グレイ嬢は、そう言ってにっこりと笑った。
なるほどたしかに、彼女の言うことは理にかなっている。
『マナ溜まり』とは、簡単に言えばマナの源泉のようなものだ。森や海など自然あふれるところに必ず存在し、その周りには人里の数倍以上のマナ濃度になっている。
だから『マナ溜まり』の近くまで行けば、ぼくらふたりだけでも転移魔術を使える可能性はある。魔術に関しては彼女のほうがぼくよりも詳しいはずだ。そんな彼女ができるというのなら、できるのだろう。
だが——
「だが、問題はある。『マナ溜まり』の近くには——」
「魔物が集まりやすい——ですわよね? そればっかりは、ここが魔物の森ではないことを祈るしかありませんわね」
そう言って彼女は、へにょりと形のいい眉を下げた。
「でも大丈夫……たとえ何が現れても、わたくしがあなたを守りますから」
*
そうしてぼくたちは、『マナ溜まり』を探すため森のなかを歩きはじめた。
マナの濃いほうへと足を進めれば、自然森は深くなる。途中、木の幹に大きな噛み跡を見つけごくりと唾をのんだ。やはりこの森にも魔物は生息しているのか——ぼくはいつも腰に下げている短剣にそっと手を伸ばし、グレイ嬢は気配遮断の魔法をかけてくれた。
魔法で気配は遮断できても、足音や草を踏みつける音は消し去ることができない。できるだけ音を立てないよう気をつけながら、奥へ奥へと足を進める。
どれだけ歩き続けただろうか——少しだけ開けた場所へ出た。ここが森の最奥なのだろう、樹齢何百年だろうという、大人が数人集まっても囲めないほど太く大きな樹木が、そこにはそびえ立っていた。
「これが、この森の『マナ溜まり』か……」
その大木からは、普段は感じられないほど強いマナがあふれ出ていた。
ぼくとグレイ嬢はお互いに目配せし合うと、さっそく転移魔術の準備に取り掛かった。
地面の少し開けた場所に、拾った小枝で転移陣を描きはじめる。実践こそしたことはないが、知識だけはあるのだ。陣を描くことならできる。
だが、そこでふと思い出した。
(そういえば、転移魔術というものは、現在地の座標が必要ではなかったか……?)
自分の知る転移魔術は、転移陣に現在地と転移先、ふたつの座標を組み込むものだ。転移先はともかく、現在地の座標がわからない今、転移魔術は使えないのではないか……?
そう思いちらりとグレイ嬢を見やれば、彼女は感心してしまうほどよどみない手つきで陣を描いていた。その姿にほうと息をつく。
(さすがホワイト公爵家の令嬢……グレイ嬢のことだ、きっと何か策があるんだろう。もしかしたら、ぼくが知らないだけで座標のいらない転移魔術が存在するのかもしれない)
ぼくはそう考え、それよりもまずは陣の完成を急ごうと再び作業に集中した。
「——できましたわ!」
グレイ嬢の高らかな声とともに、転移陣が完成した。
「それでは気配遮断を解きます……急ぎましょう、シルバ殿下。このあたりにいるのが気配に鋭い魔物なら、わたくしたちの存在にすでに気づいているかもしれませんわ」
「ああ、そうだな」
ぼくはグレイ嬢にうながされるまま、陣の真ん中に立った。さきほど陣を描くために使っていた小枝を手に持って。杖代わりだ。杖などなくても魔法は使えるが、ないよりはいいだろうと考えてのことだった。
グレイ嬢はそんなぼくを見て、「これはいいですわね」と微笑んで同じ小枝に手をかけた。
「転移魔術自体は、わたくしがかけます。殿下はその発動時に使うマナを集めていただけますか?」
その言葉にぼくが頷くと、グレイ嬢は詠唱を開始した。ふたりを囲む陣がほのかに発光しはじめる。
ぼくは術に集中する彼女にできるだけ多くのマナが届くようにと、大木からあふれるありったけのマナをかき集めた。
グレイ嬢の詠唱は続く。陣から放たれる光が強くなる。濃い濃度のマナが体中をめぐって、魔力酔いしてしまいそうなほどだった。
詠唱が終わる。大量のマナが送られた陣が、今までにないほどの発光を見せる。術が発動するのだ——
そう思った瞬間だった。
ガサリ。
乾いた音が耳に届いた。「グルルル」といううめき声が続く。
ハッとして振り返る。大木の影からのぞくふたつの目と目があった。
四つ足の大きな体躯に、鋭い目と牙。こちらを警戒し毛を逆立てるあの生き物は——
(フォレストウルフ……!? よりにもよって、ウルフ系か……!)
それは、森に棲む魔物のなかでも獰猛な部類の魔物だった。
魔法の発動を察してか、今はまだ周囲を徘徊しているだけだが、何がきっかけでこちらに襲いかかってくるかわからない。
「グレイ嬢、魔物が来ている。はやくこちらへ——」
「——ええ、大丈夫ですわ。術はもう完成しましたから」
ぼくが声をかけると、グレイ嬢はそう言ってともに握っていた小枝から手を離した。「え……?」驚く間もなく、彼女は一歩うしろへと下がる。そこはもう、転移陣の外側だ。
何かがおかしい。背中につめたい汗が流れた。
魔法陣を使った転移術は、陣のなかにあるモノを移動させる魔法だ。だが、今陣のなかにいるのはぼくひとりだけ……グレイ嬢は今、自ら陣の外へと出たのだから。
このままでは転移するのは自分だけだ。嫌な予感がする。
「……シルバ殿下は、きっとご存知ですよね。転移魔術には、現在地の座標が必要だということ。だけど今、わたくしたちにはそれを知る術がない——」
淡々と語る彼女の声が、まるで知らないもののように感じた。少しうつむいた彼女が今、どんな表情をしているのか読み取れない。
「だから、わたくしがここに残り、座標の代わりになります。……大丈夫ですわ、転移先にはお父様がいるはずです。そして父なら、殿下が戻ればその魔術の痕跡からこの場の座標を割り出せます。——それに、殿下の前だから少し格好つけちゃったけど……わたくし、まだヒト一人分しか転移させられないのですよ」
そう言ってやっと顔を上げたグレイ嬢は、やさしい笑顔を浮かべていた。
その表情に、ぼくはすべてを悟る。彼女は最初から、こうするつもりだったのだ。自分ひとりだけがこの森に残り、ぼくだけを転移させるつもりだったのだ——
目の前が真っ白になった。転移術が発動しはじめたのだ。
ぼくだけが転移で戻り、ホワイト公爵のちからを借りて彼女を助けに戻る——それはたしかに、合理的な判断に思えた。とれる手段の少ない今、ベストな選択であるようにも思う。だけれども——
背後でウルフの吠える声がする。さきほど見た鋭い牙を思い出す。
(彼女を置いていく? こんな、どことも知らない森のなかに? あんな、獰猛な魔物がすぐ近くにいるこの場所に——?)
「——大丈夫ですわ、シルバ殿下。あの程度の魔物、マナのあふれるこの場ならわたくしのほうに分がありますから。……だから殿下、あちらに戻ったら——はやく、助けに来てくださいね」
体が光に包まれる。術が発動する。
狭くなる視界に見えたのは、グレイ嬢のおだやかに微笑む顔と——そんな彼女に襲いかからんとする、一匹のウルフの姿だった——