王子様とはじめての冒険 前編
※グレイと王子様のお話(ふたりとも十代前半くらい?)
※前中後の3部で完結予定
※王子様視点
この国の第一王子であるぼく、シルバ・クリアネスが、婚約者であるグレイ・ホワイト公爵令嬢に初めて会ったのは、公的な顔合わせの場だった。
お互いの両親も交えてのお茶会だったため、ふたりきりで話す機会もなく——彼女についてわかったのは、稀有な髪色をしていることと、噂にたがわず聡明な女性であるということ。そして、紅茶を飲むその所作が、とてもきれいだということ……それくらいだった。
そのときのグレイ嬢への印象は、「婚約者としてこれ以上ない相手」——それ以上でもそれ以下でもなかった。
魔術の素養、美しい見た目、地位——どれをとっても彼女以上に未来の国母としてふさわしい女性はいないだろう。そのうえ地位や見た目を鼻にかけることも、王子という身分の自分に媚びを売ることもない彼女への印象は、むしろいいほうだったようにも思う。
そこに私情はいっさいなかった。「王子妃としてふさわしい」と、ただそれだけだ。
だから、「彼女ほどの人間を他家に渡すわけにはいかん」という父王からの言いつけにも、反発することなく素直に従った。素直に、彼女と交流を深めるために、今日だってホワイト公爵家へと赴いたのだ。
——の、だが。
なぜぼくは今、知らない森のなかにグレイ嬢とふたりきりでいるのだろう?
*
「も、申し訳ありませんわ殿下ああああああ!」
まわりには大小さまざまな木々。そこから差してくるやわらかな木漏れ日。時折聞こえる小鳥のさえずり——思わずため息が出るほどのどかな森の風景のなか、グレイ・ホワイト公爵令嬢は、その大きな目いっぱいに涙をためてそう叫んだ。
「お、落ち着いてグレイ嬢。この状況はきみのせいというわけではないのだから……」
「いいえシルバ殿下、あんなところに転移装置を置いたままにしていたわたくしがすべて悪いのです……! わたくしのせいで殿下をこんな目に合わせてしまうなんて……ううぅ……っ」
「ああ、泣かないでグレイ嬢!」
たまっていた涙がぼろりとこぼれるのを見て、ぼくは焦ってハンカチを差し出す。王国の紋章の入ったそれを、グレイ嬢はおずおずとしながらも受け取ってくれた。
——さて。なぜ一国の王子と公爵令嬢ともあろう者が、たったふたりだけでこんな森のなかにいるのか。
話は、今から数時間前にさかのぼる——
*
この日、ぼくは婚約者であるグレイ嬢との交流を深めるため、ホワイト公爵邸へと訪れていた。
城での初顔合わせとなるお茶会のあと、今度はぜひ公爵邸にと誘いを受け、今日がその約束の日だったのだ。
はじめは楽しくお茶をしていただけだった。グレイ嬢は聡明で機知に富み、談笑するだけでもとても楽しい時間を過ごせた。
そのうち、会話の内容がだんだん魔法に関することに傾いてきた。ふたりとも全属性を扱える魔術師であるし、彼女にいたっては父親が国一番の魔術師である。魔法に興味があるのは当然で、最近はどんな魔法を教わっただの、新しい魔術具を買ってもらっただの、そんな話題ばかりになった。
そしてその一環として、この公爵邸内に簡易ではあるが魔法の研究室があるという話を聞いたのだ。
王城にだって、魔法の研究室はある。入ったこともある。だが、あそこは宮廷魔術師たちの根城であり、ホワイト公爵が扱うような魔術研究とは毛色が違う。
国一番の魔術師であるホワイト公爵の私設研究室……そんなもの、一介の魔術師として興味をひかれて当然ではないだろうか? ぼくは、その研究室へ入らせてほしいとグレイ嬢に頼み込んだ。
主である父公爵が不在なためか、はじめは渋っていたグレイ嬢だったが、王子である自分の頼みは断れないと考えたのか、自分の管理している範囲内なら、と最終的には承諾してくれた。
案内された研究室は、王城の研究室とはまた違った機材や素材が数多く取り揃えられていた。どうやらグレイ嬢は今、魔法そのものよりも魔術具に対して興味が強いらしい。彼女が管理しているエリアには魔術具に関する資料が多くあった。
「へえ、ではこの暖房魔術具の開発にはきみも関わったのかい?」
「ええ、といってもお手伝い程度ですけれど。形にしたのはお父様ですわ」
「発案したのは公爵夫人なのだろう? ホワイト公爵家は全員が優秀な魔術師なんだね」
「まあ、シルバ殿下に褒めていただけるなんて、うれしいわ」
——そんな会話をしながら、室内の案内を受ける。中にはグレイ嬢自ら開発したという魔術具まであった。彼女が優秀な魔術師であることは知っていたが、まさか自分と同い年でここまで成果をあげているとは……自分も彼女の隣に立つ者として見習わなければと心に決めた。
と、そこでひとつの魔術具が目に入った。今まで見たことのないその魔術具も、おそらく彼女が開発したものなのだろう。ふと興味がひかれ、それに手を伸ばしながらグレイ嬢へと声をかけた。
「グレイ嬢、この魔術具はなんの魔術具なんだい?」
「え? ——っし、シルバ殿下、それに触れてはいけません!」
「へ————?」
焦ったような声が耳に届く頃には、ぼくはすでにその不思議な装置に手を触れたあとだった。
瞬間、ぐらりと視界がかたむく。ぐにゃりと目の前が歪むと同時に、グレイ嬢の必死な表情と、こちらへと伸ばされた細く小さな手が目に入った——
——そして、視界が正常に戻るころには……ぼくたちはなぜか、ふたりそろって知らない森のなかに立ちすくんでいたのだった。
「…………………………は?」
思わず声が出る。王子らしからぬ間の抜けた声ではあったが、許してほしい。むしろ、この状況でこれだけしか声を発さなかった自分を褒めてほしいくらいだ。
目の前には、大小さまざまな木々。そこから差し込んでくるやわらかな木漏れ日。少し冷たい空気。時折聞こえる鳥のさえずり——
森だ。
誰がどう、どこから見ても、自分が今立っているのは、自然あふれる森のなかに違いなかった。
さっきまで研究室にいたはずの自分たちが、なぜかいきなり森のなかに移動しているなんて——
(なぜ、なんてそんなの、原因はひとつしかない。さきほどグレイ嬢に止められたあの魔術具……あれ以外にないだろう)
ぼくは、何かわからないものに不用意に触れてしまったことを後悔しつつ、すぐそばでまだ呆然としているグレイ嬢に声をかけようとした。
不測の事態とはいえ、自分のつくった魔術具のせいで王子もろともこんな森に飛ばされたのだ、おそらく自責の念に駆られているだろう——そう思って彼女を振り返り、「グレイ嬢、」とその名を呼ぶと、
「…………………す、すごいですわあああああああ!」
——やけに興奮した声と、表情が返ってきた。
「まさかヒトの転移に成功するなんて……っ! すごいですわ、ヒトを転移させることができる魔術具なんて、前代未聞ですわよ! ヒトどころかモノすらも安定して転移させられなかった未完成品だったのに……!」
「ぐ、グレイ嬢……?」
「あれ、でも今あの装置は改良のために内部の陣を書き換えていたはず……? なぜ発動したのかしら? そもそもヒトを転移させられるほどのマナはあの場にはなかったはず……しかもふたりも……」
「グレイ嬢!」
「あっ殿下! 殿下はどう思われます!?」
「ど、どうって……!? いや、今はそれどころではないだろう……!?」
きらきらしい笑顔を浮かべるグレイ嬢に、こっちが面食らう。
(いや、きみ、この状況で何を喜んでいるんだい……? というか、グレイ嬢ってこんな性格だったっけ……!?)
自分が知るグレイ嬢は、もっと上品でつつましい性格だったはずだ。彼女とはまだ数度しか顔を合わせていないが、少なくともこんな異常時に魔術具のことで頭をいっぱいにするようなひとではなかったはず…………いや、待てよ。
(そういえば聞いたことがある。彼女の父君であるホワイト公爵は普段は聡明で優秀な人間だが、重度の魔法オタクで魔法に関することには性格が変わると……そしてその娘であるグレイ嬢は、性格がそのホワイト公爵にそっくりだと……!)
背中にたらりと冷たい汗が伝う。グレイ嬢は、そんなぼくに気づいた様子もなく、まだぶつぶつとさきほどの魔術具について何か考察しているようだった。
(ま、まあいい。これでこの原因はさきほどの魔術具だということがはっきりしたのだから……)
さきほどの魔術具は、やはり転移の魔術具だったようだ。こんなところに飛ばされたのはグレイ嬢にも不測の事態だったようだが、それでも彼女が作ったものには違いない。それならば、戻る方法だって彼女にはわかっているだろう——
ぼくがそう思い、それをグレイ嬢に伝えると、
「………………え?」
ぽかんと口を丸く開いて、
「あ…………」
さあっと顔色を青くして、
「ご…………ごめんなさああああああああい!!!」
……そう叫んだのであった。
そして、冒頭に戻る。
*
「うっ、うっ……ごめんなさい、わたくしのせいで……」
グレイ嬢は、渡したハンカチを濡らしながら何度もぼくに謝った。そんな彼女に、ぼくもまた「きみのせいではないよ」となぐさめの言葉を返す。
あの転移魔術具は、現在グレイ嬢が開発中の未完成品だったらしい。しかも、あの装置は「あらかじめ設置したふたつの装置間でモノを転移させる」というものらしく、ヒトを転移させる能力はないはずだった(そもそも、現在ヒトを転移させることのできる魔術具は存在しない。転移魔術は何人もの魔術師を使って行う高等魔法なのだ)。
だというのに、なぜかぼくたちふたりはあの魔術具によってどこともわからない森のなかに飛ばされてしまった。対となるもう片方の装置は、公爵邸内にあったはずなのに。
グレイ嬢いわく、改良のため書き換えた魔法陣が考えもしなかった方向に作用してしまったのではないか、とうことだが……。
「とにかく、一国の王子と公爵令嬢がそろって行方不明なんて一大事だ。どうにかしてこの森から出ないと……いや、まずここがどこかの把握からはじめるべきか……」
気をとりなおし、まわりをぐるりと見回しながらそう言う。当たり前だが、前後左右どこを見ても樹木と雑草だらけだった。
(こんななんの目印もない場所から、どうやって脱出すればいいんだ——?)
当たり前だが、森の出口がどちらかもわからない。運よく森から出られたとして、ここがどこなのかもわからない。そもそもここがクリアネス王国なのか、それすらも不明だ。
いったいどうすれば——顎に手を当て思案していると、グレイ嬢がぐっと目元にたまった涙をふき、こう言い放った。
「シルバ殿下、ここはどうかわたくしに任せてくださいまし!」
「任せるって……グレイ嬢、何か策はあるのかい?」
「いいえ、何も……。ですが、もとはといえばわたくしが作った魔術具が原因ですもの。わたくしが解決するべきですわ」
さきほどまでとは打って変わって、グレイ嬢は強い瞳でそう言った。
(彼女ほどの年齢の令嬢なら、こんな状況に立たされたなら戸惑い泣きくれるのが普通だろうに——)
そんな彼女の責任感の強さが、純粋に好ましいと思った。知らず、口もとに笑みが浮かぶ。「それならきみに任せようか」ゆるんだ口もとからそう言葉を発しようとしたところ、
「それに、わたくし、お母様から言いつけられておりますのよ。『殿下を虜にしなさい』って。この場をわたくしのちからでなんとかしたら、殿下はわたくしのことを少しは好きになってくださるでしょう?」
続いた彼女の言葉に、心が冷たく凍るような感覚がした。
——ぼくのことを、虜に?
それは、今まで何度も向けられてきた感情だった。王子という身分、親から継いだ美しい見た目。それらはすべて、人の下心を惹きつけてやまないものだった。
だから、心の底でそう考えている者なんて、今も昔も身のまわりに掃いて捨てるほど存在する。めずらしいことじゃない。だけれども——
(なんだ、彼女も結局、彼らと同類だったわけか……)
心に重くのしかかるその感情が、『失望』という名前だということはわかっていた。慣れた感覚だ。だけど同時に、数度しか顔を合わせていないグレイ嬢に対し、失望を感じる自分に驚きもした。彼女はほかの女性とは違うのだと、心のどこかで期待していたのだ。
(——まあいい。グレイ嬢がどんな女性だったとしても、彼女が婚約者として望ましい人物であることは変わりない。今はとにかく、ここを出ることだけを考えよう……)
ぼくはそう思い直し、はりきって両の手を握りこむグレイ嬢を振り返った。
やわらかなその笑顔が、さきほどまでとはまったく違って見えた。