お花の話
これは我が愛娘グレイが、花を咲かせる魔法を使うようになったきっかけの話である。
「おかーさま、これ、見て見て!」
それはグレイが五歳になったばかりの頃のことだ。
鈴を転がしたような愛らしい声に振り向くと、グレイが緑の魔石を掲げて立っていた。その魔石からは、何やら小さな花がにょきりと生えている。
「あら、かわいらしいお花。もしかしてこれ、グレイが魔法で咲かせたの?」
「うん! おとーさまにならってずうっと練習してたんだけど、さっきやっと成功したの!」
「まあ、すごいわグレイ! こんなに綺麗な花を咲かせるなんて、きっといっぱいがんばったのね」
わたくしがそう言って頭を撫でると、グレイは「えへへ」とはにかんだように笑った。それに合わせて揺れる赤い花びらが、彼女の心情を表しているようで愛らしかった。
五歳になったグレイは、我が夫ブランのもと魔法の練習をはじめるようになった。前から魔法に興味津々だったグレイは、魔法オタクな父のスパルタにも負けず、いやむしろ楽しんで魔法の訓練に取り組んでいる。この魔石に咲いた花も、おそらくその練習の一環なのだろう。
しかし花を咲かせる魔法を教えるだなんて、ブランもなかなか考えたではないか。赤ん坊の頃の一件もあってグレイが魔法を使うのを少し心配していたのだが、花の魔法なら危ない目に合うことはないだろう。
満足げにそう考えていると、グレイはにこやかな表情のまま、その花を差し出しこう言った。
「そのお花ね、おかーさまにプレゼントしたくて、がんばって咲かせたの。おかーさま、お花、すきでしょう?」
愛らしい笑顔とともに言われた言葉に、わたくしはひどく衝撃を受けた。
わたくしのために、がんばった? グレイが、わたくしのかわいい娘が、わたくしのためだけに覚えたての魔法を使ってくれた……?
「なん……っていい子なのグレイ……! わたくしのためにこんなにかわいいお花を咲かせてくれるなんて、お母様はとってもうれしいわ!」
「うれしい? よかった、おかーさまのすきなお花、これからもがんばって咲かせるね!」
「あああありがとうグレイちゃん……!」
感動のままグレイの小さな体を掻き抱くと、グレイはわたくしの腕の中でうれしそうに笑った。小さな体を抱きしめながら、こんなに優しい娘を持って、わたくしはなんて幸せなんだろうと心から思った。
……そう、この時までは。
その日からグレイは、まるで何かに取り憑かれたかのように花を咲かせる魔法ばかりを練習した。
時には最初と同じように魔石から草木を生やし、時にはすでにある植物を成長させ、「植物についてきちんと理解していたほうが魔法も使いやすい」という父ブランからのアドバイスに従って植物図鑑にかじりついて離れない日もあった。
そのおかげもあってか、グレイの魔法はぐんぐん成長した。はじめは子どもの小指ほどの小さな花しか咲かせられなかったのが、今では魔石を使えば大輪の花を咲かせられるようにまでなった。ブラン曰く、練習次第ではすぐに空中に無数の花を咲かせるようにまでなるとのことだった。それがどのくらいすごいことなのかはわからないが、ブランの自慢げな表情を見るにおそらく五歳児にしてはすごいことなのだろう。
ここまでひとつの魔法にのめりこんで大丈夫なの……? とは少し思ったが、わたくしは魔法に関しては門外漢だ。それに、成功するたび「おかーさまへのプレゼント!」と愛らしい笑顔で魔石つきの花を差し出されるものものだから、何も言えずそれを受け取ることしかわたくしにはできなかった。
(まあ、子どもってひとつのものにはまり込んだりするものだしなあ……)
ブランも何も言わないし、危ない魔法ではないし、このまま様子を見ていても大丈夫だろう。
わたくしはそう思い、花の魔法にのめり込むグレイを黙って見守ることにした。
そんなある日の朝。
「な、な、なにこれえぇええええ!?」
目が覚めてすぐに飛び込んできた光景に、わたくしは絶叫した。
いつもの寝室が、廊下が、窓の外が、このホワイト公爵邸のすべてが、茨の海に飲み込まれていたからだ。
「なに、どういうこと? 昨日まではこんなものなかったのに……!」
言いながら考える。何もなかったものが突然現れるなんて、原因は魔法以外ありえない。だが屋敷中を包むほどの茨を魔法で出そうなんて、そう簡単なことではない。
しかしこの屋敷には、それをやってのけるほどの魔法の素養を持つ者がいる——それも、ふたりも。
「グレイの仕業かブランの仕業か……まあ十中八九グレイでしょうけど。おそらくいつものように魔法の練習をしていて、やりすぎてしまったってところかしら」
わたくしはひとつため息をついて、とりあえず寝室を出ようと立ち上がった。マロンか、できることならブランと合流したいのだが……これでもかと茨の張り付いた寝室の扉を見て、はやくも心が折れそうだった。
「くぅっ、蔦が絡んで扉が開かない……! マロン、マロン、近くにいる? わたくしの声が聞こえて!?」
扉の中から叫ぶが、返ってくる声はない。どうしたものか……壁に張り付いて屋敷の様子を伺ってみる。誰も身動きが取れない状況なのか、どれだけ耳を澄ましてもなんの音も拾えなかった。
(このままでは埒が明かないわねえ……)
そう頭を抱えていると、ひとつの「音」がわたくしの耳にやっと届いた。
「——ぉか……さま……————……おとうさま——!」
「グレイ!?」
それは紛れもなく、グレイの泣き声だった。涙に濡れた声で、わたくしやブランのことを呼んでいる。
「グレイ、グレイちゃん!? どこにいるの? わたくしの声が聞こえる!?」
「……お、おかーさま……!? ふ、ふえぇええ……っ!」
「グレイ、わたくしはここよ! ……っもう!」
本格的に泣き出したような声に、わたくしは焦りだす。強く戸を引っ張るが、やはり扉はビクともしなかった。
と、そこで気づいた。これがグレイの魔法だというのなら、この茨は魔石から生やしたものなのではないか? グレイはまだブランのように、何もないところに花を咲かせる魔法は使えなかったはずだ。
(——やっぱり! あったわ、緑の魔石!)
そう思いあたりを見回すと、茨の根本に大小さまざまな魔石を見つけた。
(よかった、これならわたくしでもこの茨を消せる……!)
魔石に生えた植物は、その魔石に含まれるマナをエネルギーとして育つ。つまり成長の過程で魔石のマナを使い果たしてしまえば、あとは枯れて消えてしまうのだ。今までグレイにもらった花たちもそうして消えていった。
だからおそらくこの茨たちも、マナが尽きるのを待てばいずれ消えるのだろうが——
「泣いているグレイを前に、悠長に待っていられるものですか! いくわよ——『吸収』!」
わたくしは魔石のひとつを手にとると、そのマナを『吸収』しはじめる。すると茨はみるみるうちに枯れ、消えていった。
よし、読み通りね——そうひとり頷いて、ほかの魔石からも次々『吸収』していく。扉に絡まる蔦が消え去ると同時に、寝室から飛び出した。
「グレイ、どこにいるの!? わたくしよ、お母さまよ!」
手当たり次第『吸収』しながら、グレイの居場所を探る。長い廊下は寝室以上の茨の海に沈んでいて、根本の魔石を見つけるのにも一苦労だった。
「おかーさま……おかあさま!」
「グレイ!」
そうして茨をかき分け進み、やっとのこと見つけたグレイは、自室ではなくなぜか廊下のど真ん中で蔦に絡まり動けなくなっていた。茨の棘に当たったのか、白い肌にはいくつか傷がついている。
彼女の姿を認めると、わたくしはすぐにその周りの茨を消し去った。ふらりと倒れこんでくる小さな体を抱き留める。
「グレイ、大丈夫!? 可哀想に、こんなに傷だらけになって……」
目線を合わせるようにその顔を覗き込む。真ん丸な目と目が合うのと同時に、グレイは火がついたようにわっと泣き出した。
「ご、ごべんなざあああい……っ! お、おうち……っおうちのなか、ぐ、グレイが、めちゃくちゃにしちゃったぁ……っ!」
グレイはそう言うや否や、わんわんと声を上げて泣き始めた。泣いているせいで聞き取りにくいが、「ごめんなさい」と「もう二度としないから」という言葉を、何度も繰り返している。
魔法が失敗した悔しさと、そのせいで屋敷を茨だらけにしてしまった罪悪感と、ひとり身動きができない心細さと、やっと母親に会えた安堵と——さまざまな感情が詰まった泣き声は簡単には収まらず、グレイはそのままわたくしにしがみついて泣き続けた。
わたくしは、やっぱりグレイの仕業だったのね、と心の中だけでつぶやいて、それを表に出さないように努めてグレイの白黒の頭を撫で続けた。
本当は、グレイを見つけたらしかりつけてやるつもりだった。何が目的でこんな魔法を使ったのか、意図してやったことではないとしたって、こんな危ない魔法は二度と使ってはいけないと諭すつもりだった。
だが、こんな風に泣かれてしまってはそうはできない。グレイ自身が心から反省して後悔しているのは十分伝わっている。これ以上わたくしが何かを言う必要はないだろう。それならわたくしがすべきことは、この子を宥め落ち着かせることだ。
「大丈夫、大丈夫よグレイ。こんな茨、なんてことないわ。ほら、見てご覧?」
わたくしはそう言って足元に転がっていた魔石を手に取り、そのマナを『吸収』してみせた。茨はみるみるうちに生気をうしなって、最後には消えてしまった。グレイはその様子をきょとんとした瞳で見つめている。
「ね? これくらいの魔法、わたくしにはすぐに消してしまえるのよ。貴女はとんでもないことをしでかしてしまったと思っているのかもしれないけれど、これくらいなんてことないわ。ブラン——お父様ならなおさら簡単に消してしまえるでしょうね」
「そう……なの?」
「ええそうよ。だってお父様は、この国いちばんの魔術師だもの。貴女の失敗くらい、簡単に取り戻してくれるわ」
だから大丈夫よ、そんなに泣かないで。魔法を二度と使わないなんて言わないで。
頭を撫でながらそう言うと、グレイはほっと息をついた。目尻についた涙を拭ってやる。グレイはくすぐったそうに身を捩ると、もう一度小さく「ごめんなさい」と呟いた。
「……あのね、ほんとうは、こんなふうにしたかったんじゃないの。おうちのなかぜんぶに、お花を咲かせたかっただけなの。あさ起きてお花がいっぱい咲いてたら……おかあさま、よろこんでくれるんじゃないかって、おもって……」
ポツリポツリと言われた言葉に、わたくしはやっとグレイがこんな魔法を使った理由を思い知った。わたくしのためだったのだ。そういえば、グレイがこのお花の魔法を使うのは、いつだってわたくしに花を贈るためだった。
少し考えればわかることなのに——ただこの子をしかりつけようと思っていた自分を恥じた。
「そうだったの……。ありがとう、グレイ。わたくしのために、またお花を贈ってくれたのね」
「でも、しっぱいしちゃった……」
「うん、失敗してしまったわね。だけどね、グレイがわたくしのためを思って魔法を使ってくれたってだけで、お母様はとてもうれしいのよ」
「うれしい……?」
「ええ、とてもうれしい。グレイがしてくれることはなんだってうれしいわ。……ねえグレイ、またわたくしにきれいなお花を贈ってくれる?」
わたくしがそう言うと、グレイは一度きょとんとした顔をしたあと、ぐしぐしと目尻に残った涙を自分でふき取り、不器用な笑顔を浮かべて言った。
「もちろんですわ」
*
そのあとまもなく、事態に気づいたブランが屋敷中の茨を消し去りわたくしたちふたりを迎えにきてくれた。どうやら前日から研究室に籠っていて、屋敷に起きている事態に気づくのが遅れたらしい。
グレイはブランにも一通り謝り、事を収束してくれたことにも礼を言った。が、当のブランはそれを気にするどころか、何やら今回グレイの使った魔法は「魔石同士をリンクさせ魔法を連動させる」というまだ教えていないはずの中位魔法が使われていたらしく、「やはりうちの子は天才だ」と上機嫌でおしかりのひとつもなかった。
しかし、その教えていない魔法を使ったせいで、グレイ自身望まぬ結果が生まれてしまったわけで……。グレイはこれがきっかけで、「父の許可を得ていない魔法は勝手に使わない」「新しい魔法を覚えたい場合は父に相談する」という約束をすることになる。
だいすきな魔法に関することに制限を設けられることになったが、グレイはそれに反発することなく素直に従った。それどころか、今までよりずっと真面目に魔法の訓練に臨むようになった。
そして数か月後——
「お母さま、これ、見て見て!」
「ん? どうしたの、グレイ——」
鈴のような愛らしい声に振り返ると、目の前にきれいな花びらが散らばった。その後ろにうれしそうな笑顔のグレイを見つけて、彼女が魔法でその花を出したのだと知る。
「まあ、グレイったらもう宙に花を咲かせられるようになったの?」
「そうなの! ほんとうはもうちょっとまえからできたんだけどね、安定してだせるようになるまでお父さまの前いがいではつかっちゃいけないって言われてたから。どう、きれいでしょう? お母さまにプレゼントだよ!」
「ありがとう、グレイ。とってもうれしいわ」
わたくしが言うと、グレイは目の前の花に負けないくらい愛らしい笑顔で言った。
「うん。お母さまがうれしいと、グレイもうれしい!」
そうしてまた目の前に花が咲く。ぽぽぽぽんと次々咲いていく花々がグレイの心情を表しているようで、こっちまで幸せな気持ちになった。
——これが、彼女が花の魔法をよく使うようになったきっかけの話である。
グレイはこの日を境に、うれしいことや楽しいことがあると宙に花を咲かせる魔法を使うようになった。失敗の経験が彼女に何かしらの影響を与えたのか、それとも単にお花が好きなだけなのか、それはわからない。
だけどこの花の魔法を見るたび、わたくしは毎回グレイからお花をプレゼントされている気分になって、とてもうれしい気持ちになるのだった。