#005「ゲタバキ」
@大浴場
真理「騙したわね、不動さん」
不動「ヒト聞きが悪いことを言うな、川添。お仕着せが無いと出来ないのは、お客様相手の仕事だけだ。それ以外は、その服で充分に働ける。口じゃなくて、手を動かせ」
真理「うぐっ。ハーイ」
――時間を遡ること、二時間以上前。案内は本館から別館へと移り、服を洗濯するランドリーや、シーツやカバー、バスタオルなどを保管するリネン室がある一階を見て回ったあと、われわれは二階の大浴場へと向かった。ここまでは良かったのだが、大日さんのアリガタイ話は、脱衣所の竹編みの籠から、エジソン電球のフィラメントは京都の竹を使っているという話に発展していた。その何度目か判らない説法に、わたしはスッカリ気力を奪われ、とても一人では事態の収拾が付かなくなっていた。不動さんは、そんなわたしの惨状を見るに見かねて解放してくれた。……それに関しては感謝してるのだけど、今、わたしを顎で使っている高慢チキな態度は気に入らないわ。
真理「ところで、ここのお湯は、どこから湧いているんですか?」
不動「質問なら、あとで支配人にすれば良い。微に入り細に穿ち、懇切丁寧に教えてくれるだろう」
真理「あっ、いえ。ザックリした情報だけで良いので、不動さんの口から教えてください。わたしには、大日さんの話は詳しすぎます」
不動「あの長話を目当てに来る物好きも居るんだけどな。――本館の二階へ、もう見てきたか?」
真理「(どこの世界にも、物好きな御仁は居るのね。蓼食う虫も、何とやら。)ハイ。極楽と地獄を眺めてきました」
不動「それなら、話は早い。蓮の池から清冽な冷水を、血の池から煮えたぎる熱湯を引いてるんだ。それで冷水を、熱湯を通したパイプで温めて、そこから掛け流すようになってるんだ。適温にするのは、この下のボイラー室だ。これで満足か?」
真理「ヘー。凄い仕組みですね。でも、そんなダイナミックに使い捨てて、お水やお湯が涸れることは無いんですか?」
不動「ここは常世だぞ。旱魃も無ければ、豪雨に見舞われることも無い」
真理「あっ、そうでしたね。つい、現世の基準で考えてました」
――そう。わたしが、いま居る場所は、いつまでも終わりを迎えることなく、すべてが永遠に続く世界なのです。デッキブラシで浴槽を擦り続けるという、地道で現実的な状況に、そのことをウッカリ忘れてしまうところでした。常世に染まってしまう前に、早いところ現世にかえらなくちゃ。
修羅「オーイ。いつまで掃除してるのさ。もう、夕飯の時間だぜ?」
不動「もう、そんな時間か」
修羅「もう、そんな時間なんだなぁ。ダイさんとミーくんが待ってるから、オイラは先に戻るよ。ちゃんと伝えたからな、フーさん」
不動「あぁ、ご苦労。――道具を片付けてキッチンに行くぞ、川添」
川添「あっ、ハイ」
――そういえば、ここへ来てから、まだ飴玉一つしか食べてなかったっけ。アー。それに気付いたら、無性におなかが空いてきちゃった。何が食べられるんだろう。楽しみだわ。ん? ちょっと待てよ。
川添「常世の住民でも、お食事を召し上がるんですね」
不動「まぁな。俺たちは仙人じゃない。現世と違って、別段食わなくても死に到ることはないんだが、食事には生命維持以外の意味合いも強いからな。肉体的必要性が消失しても、霊魂の精神的欲求は無くならないものなんだとさ」
川添「後半は、大日さんの言葉ですね?」
不動「あぁ、そうだ。もっとも、俺が最初に聞かされたときは、いまの百倍以上の語彙を駆使して説明されたけどな。――片付いたな。ご苦労さま。それじゃあ、急いで向かおうか。汗水垂らして働いた後の食事は格別なんだ」