#019「ツイオク」
@脱衣所
真理「グスン。もう、お嫁に行けない」
帝釈「そんなに落ち込むなって。あたいも悪かったよ。まさか、気付いてないとは思わなかったんだ」
真理「まぁ、その点に関しては、わたしも帝釈さんをからかったので、引き分けだと思います」
帝釈「そうだな。水に流そう。だけどさ、マリー。その服を渡したのは誰だ?」
真理「不動さんです」
帝釈「それじゃあ、ここで働けって言い出したのは?」
真理「それも、たしか不動さんだったと思います」
帝釈「そうだろう。それが答えさ」
真理「どういうことなの?」
帝釈「その優秀なオツムで、じっくり考えろ。そこまで馬鹿じゃないだろう。それとも、肩の上にあるのは、枕に乗せる置物なのか?(心配だから、そばに置いて守ってやりたい。だけど、女として意識したくないって男心が、どうして解んないんだろうね、この子は)」
真理「わかったわよ。よく考えてみます。だから、帝釈さんも考えて」
帝釈「ハイハイ。あたいの場合、休むに似たりだろうけど」
真理「もぅ。そうやって逃げるのは良くないわ。アラ?」
真理、帝釈の脚に注目。
真理「その傷、どうしたの? とっても痛そう」
帝釈「ん? あぁ、コイツか。痕は残ってるけど、もう痛みはしないよ。廃仏毀釈で、富士山から引き摺り降ろされたときに出来たんだ。文明開化、明治維新って奴さ」
真理「ごめんなさい」
帝釈「何で謝るんだい? まぁ、気持ちは察せなくもないけどさ。でも、あたいは、実行した人間を、もう怨んでないし、移り変わりは、現世の常だから。気に病むなよ、マリー」
真理「……強くて、逞しいですね」
帝釈「落ち込んでても、何にも改善されないからな。――そろそろ、向こうの爺さんも上がったんじゃないか? あたいは勝手に帰るから、謝りついでに挨拶してきな」
真理「そうします。それでは、わたしはお先に失礼します。お気を付けてお帰りください」
帝釈「あいよ。安全運転を心掛けるよ」
*
@桜の間
真理「先程は失礼いたしました」
水走「気にしなさんな。元気があって何よりだ。若さの証拠だよ。枯れるのは、まだ早い。――それより、宿代の代わりといっちゃ何だが、そこの背負子に芋を詰めて持ってきたんだ。受け取ってくれ」
真理、リュックの蓋を開ける。
真理「マァ。こんなに、たくさんも。ありがとうございます」
真理、蓋を閉め、肩紐を持つ。
水走「ちょいと待ちなさい。まさか、その身体で背負うつもりじゃなかろうね? ソイツは、目方が五、六貫あるんだ。若いお嬢さんが持てる代物じゃない。たしか、厳つい兄ちゃんが居ただろう? 彼を呼んで来なさい」
真理「(不動さんのことね。)ハイ。すぐに呼んでまいります」
*
水走「アタシは、水走与作っつう者だ。東京府東京市神田区で生まれ育った、正真正銘の江戸っ子だよ。若い頃は、赤坂を中心に車引きをしてたから、東京の地理には明るいつもりだ。そこのけ、そこのけ、あたりき車力の車引き様のお通りだいってな。円タクや市電、乗り合いが広まるまでは、毎日大忙しだったんだぜ?」
真理「ヘー。人力車の車夫をなさってたんですね。(なるほど。足腰が丈夫な訳だ)」
水走「東京も、すっかり変わっちまったもんよ。盆暮れに還るたびに、あまりの違いっぷりに驚いちまう。竜宮城から帰って来た浦島太郎の気分だな。明治の十五区から昭和初期に三十五区になって、戦後に二十三区になったんだけどよ。アタシに言わせれば、江戸川や葛飾は東京市ではなかったし、世田谷は論外だと思うね」
真理「どちらも今では、東京の代名詞になってますけどね」
水走「まったく、その通りでさぁ。明治は遠くになりにけり。――オッと。頭の固い爺さんの繰言に、若いお嬢さんを付き合せるのは、これくらいにしておこう。忙しいだろうに、引き止めてしまって悪かったね」
真理「いえ、とんでもない。貴重なお話を伺えて、勉強になりました」
水走「そうかい。それじゃあ、お勉強ついでに問題を出そう。どんぶり勘定という言葉は知ってるかい?」
真理「ハイ。細かい計算を抜きして、適当にお金を扱うことですよね?」
水走「そうそう。さて。この言葉の語源は何でしょう? ヒントは、アタシの若い頃の仕事と関係があるってことだな。まぁ、車引きに限らず、大工や左官にも言えることだがね」
真理「えー、何でしょう。丼鉢とは関係無いんですか?」
水走「違うんだな、これが。まっ。ゆっくり考えなさい」




