LV ?? 宿の主
「いったいどうしたんですか。口を開けたままボーっとして」
「へ?」
「今日はずーっと上の空ですね。なにか食事も進んでないみたいだし虫歯でもあるの?」
「いや、なんでもないんだ。つい物思いにふけってしまって……」
「物思いってなにか心配事でも?」
「ううん、大したことじゃないんだ。ただ……」
「……ただ、なに? …………私の料理がマズいから、って言いたいんですか?」
「そ、そんなことないよぉ! ?か、母さんのご飯は世界一美味いよ!」
わしは目の前の皿にある料理を、勢いよく貪るとほらね? とばかりに示した。すると、目元の辺りに暗い影が差していた母さんは頬に手を添えて「もう貴方ったら世界一だなんて大袈裟~!」と、身をよじってた……ホッ。
どうやら、暗黒面に飲まれるのは防げたようだな。
わしは額に浮かんだ汗を軽く拭うと、ばつの悪い思いでふと、ちょうど真向いの母さんの隣の椅子に目をやった。が、そこが、欠けたような空席のままだった「まったく、父さんは!」という、声だけはしかと聞こえてくるようなのに。
「フレイがいないだけでこんなにも静かだったんですね」
「……あぁ、そうだな」
ポツリと呟いた母さんの声が、やけに寂しく思えてわしは殊更、大きく頷いた。さんざん、ごねるあの娘に「王都に行け!」と、叱りつけてはいたが、ひとりが欠けただけでこんなにも静かになるだなんてな。
フレイが王都に旅立って、もう三ヶ月も経っているのに、いまだにその空白には慣れがこない。
「あの娘も、とくべつに騒がしくも饒舌でもなかったのにね」
「だな」
「わがままも言わないし、とくにはしゃいだりもしなかったのに」
「だが、食い意地だけは張っていた」
「ほんとほんと「あぁ! 父さんだけひとつ多く食べてるッ!?」が、口癖でしたっけ」
「……あの食い意地の汚さはだれに似たのやら」
ふふっ、母さんが含み笑うと、それから無言でいると、咀嚼している音だけが耳について離れない。
「寂しいならもうひとり作りましょうか?」
「うえっ、えぇっ!?」
「あ、お洗濯はまだでしたっけ。貴方も早く食べちゃって。今日は領主様に呼ばれてるのですから遅れないよう気を付けてね」
「……ハイ」
「ゼリグさん。ゆうべはずいぶんとお楽しみでしたね」
「聞こえてましたか? いやいや、お騒がせしてしまって申しわけない……」
「ははっ、酔客どもに騒ぐな! なんて言っても聞きやしない。あまり連中を調子に乗らさんウチにサッサと追い返しちまっていいんだよ。その方が、客の奥さんたちに喜ばれるさ」
わしらは笑いあうと「それでは」と、お辞儀しつつ歩いていく。すると薪を割るスコーンと爽快な音が後ろからついてきていた。
彼はたしか自警団の方で、木こりをしながらも、ご近所に薪を売っているらしい。ひとり息子を持っていて……名はたしか、トビーといったか。
残念ながら、20年以上同じ近所で暮らしているのに、その子の顔はぼんやりとしか思い浮かべられない。わしが、彼に息子がいたのを知れたのはつい最近のこと。
わしの前の商売が高利貸しをしておった頃は、挨拶どころではなく無視され続けてきたのだ。こんな仕事をしてれば人に好かれるより、恨まれるだろうし構いやしない。と、高を括ってはいたが、こうして普通に挨拶をしあえるのは悪い気分はしない。
わしは晴れやかな気分で、領主館へとたどり着いた。その門戸を叩くと侍女長のハンナさんに迎えられて、執務室へと通された。この扉を何度もくぐってきたが、いまでも緊張をする。わしは、軽く咳ばらいをして、
「領主様。ゼリグ・シーフォでございます」と、呼びかけると、ふと開いた扉から「おぉ、ゼリグか。よくぞ参ったな」と、いつもの領主様が快活な笑顔で迎えてくれた。
わしは風に吹かれる稲穂のように、へこへこと頭を垂れつつ薦められた席へとちょこんと腰掛ける。
「急に呼び立ててすまなかったな。実はゼリグの意見をぜひ聞きたいと、ウチのジョセフが申していてな」
「……ジョセフ様が、ですか?」
「左様です」
わしはジョセフ様の厳めしい顔へと目を向けた。意見を聞きたいなんて、これは珍しい……いや、ジョセフ様は、わしが館に来られると、いっそ不機嫌なご様子で、昔はくびり殺されるのではないか? と、びくびくと震えていたものだが。
ジョセフ様は領主様にひけを取らぬような威厳ある感じでおもむろに口を開くと、
「実は、昨年にあたって拡げてきた開墾の成果が、予想よりも上回りましてな。豊作も相まって麦の方が大幅に余りまして」
「本当でございますか?」
「えぇ、これも、シャナン様の念入りな下準備のおかげでございます。領主様も、作られた計画を遅れさせてはならぬっ! と、珍しくヤル気に……いえ、そんなことよりも、その余った麦が売れて、少しばかりのたくわえがデキまして。ゼリグ殿には、以前から領民の借金の棒引きなどで無理を申しつけておりましたから、その穴埋めを」
と、言ってジョセフ様は銀貨のずっしりと入った袋を、わしに向けて差し出された。
「い、いえ、そのような畏れ多いこと、このようなお金はいただけませぬ……!」
「気にすることではないよ。さんざん迷惑をかけたのだからな」
……ですが。と、もじもじと渋っていたら、ジョセフ様は焦れたように「領主様が仰せだというに、受け取らぬかっ!?」と、喝をいられて、わしはあわててへへーっ、と平伏して袋を頂いた。
そうこうしてると、急にドアががちゃりと開き、エリーゼ様が姿を現した。奥方様は、少し弾んだ息のまま領主様に軽く接吻されると、疲れたーっ! と、机になにかの書物を投げ出すと、椅子に身を投げ出すように座った。
と、こっちに気づいたようで「あ、ゼリグさん。来ていらしたのね……お客様の前でお恥ずかしい」と、はにかんだように微笑んだ。奥方様は、あいかわらずのお美しさである。
「散らかしてしまって、ごめんなさい」
「いえ、これは……子供向けの教本ですか」
「そう。さっき授業を終えた所、もう、皆勉強よりも楽しいことがあるものだから、全然、話を聞いてくれなくて困ったわぁ……」
「左様ですか」
エリーゼ様は、やんごとなき地位にあるというのに、今年の春から新たに初めて、村の子供たちへの教育活動について、自ら教師役を買って出ていただいているのだ。そのお仕事はたいへんな苦労があるのだろう。
「……ウチのフレイのせいで、ご苦労をおかけしまして」
「あ。いいえ、そんなに縮こまらなくても平気ですわ。私もやりがいがあるし、楽しいのは私も一緒だもの。フレイちゃんやボギーちゃんがガンバってやってくれたことを、台無しにしたらあわす顔がないわ」
そう云われると、面映ゆい。わしはしばしば平伏していたら「そんなことよりちょうどいいわ! 話しておきたいことがあるの!」と、エリーゼ様は急にはしゃいだ声をあげて、ズイッと机に身を乗り出すようにした。
はて?
なにか、エリーゼ様の手が一瞬だけハート型を作ったような気がしたが。
……目の錯覚だろうか?
「ここに当事者たちが集まったんだから、いい機会だと思って! ねぇ、そろそろね。あの娘たちの結婚について、計画しなくちゃいけないと思うの!」
「結婚? だれのことだ」
「いやですね。ここにいる三家の子供たち、のことよ!」
「「「は?」」」
……三家の子供たち、とは。シャナン様、ボギー嬢、それにウチのフレイのことで間違いはない、はず。では、その結婚とはまさか!?
「そ、その、畏れ多いことですが、うちのフレイシャナン様が結婚される、と仰せで?」
わしが恐る恐る訊ねると「その通り~!」と、エリーゼ様は上機嫌に振り上げた指をかざした。
「あの子たちが帰ってくる時は、三年後でしょ? しっかり成人してるワケだし、ちょうどいいからいっそのこと帰ってきた時、三人で式をあげちゃわないかってね? まぁ第一夫人と第二夫人、という形になるけどボギーちゃんも一緒でいいでしょ、ね!」
「…………は、はぁ」
……事態が急展開すぎて、よく頭の理解が追い付かない。というか、ご肝心の当人たちの意志がまったく無視されているような……。
領主様も突然のことか、ぽかんとされて、ジョセフ様もむぅ、としかめっ面をされておられますが、その……。あ、ジョセフ様が奥方様に閉じていた重たいまぶたをゆっくり向けた。
「奥方様、その話を受ける前に、少しばかり確認を詰めねばなりません」
「なにを?」
「差し出がましいことですが、ウチのボギーにはこれ頭が固い物ですから。その立ち位置というものにはこだわることでしょう。……そうなっては、ご家庭内の不和が生じる恐れがございますし、是非ともウチのボギーには是非とも第一夫人という形にしていただきたく存じます……」
「そう? ん~、当人同士の問題があるけど、……でもいいわ。私もまず話を持ち掛ける時には、そういう運びとしましょう」
「ありがとうございます奥方様ッ!!」
ジョセフ様は、ハンケチを取り出して目元を拭った。それをエリーゼ様は、うんうん、と頷いている。
……あの、ですから、その前に肝心の当人たちの意志はどこへ?
「しかし、当人たちの意志はどうするのだ?」と、領主様が、わしの思いまでを代弁したかのようにぽつりと呟いたのを聞き洩らさなかったのか「なにを仰います貴方!?」と、エリーゼ様が叱責を飛ばした。
「あんないい娘たちが、ウチに嫁いでくれるというのに、貴方はそれになんの不満がおありなの!?」
「い、いや、でも、」
「でも、もなにもございません! あの奥手なシャナンがあの娘たちを口説くなんてできまして? ことが運ぶに何十年もかかってどうしますか! ならいっそのこと我々が外堀を埋めて城攻めまでやってあげなきゃしょうがないじゃないですか!?」
「……そ、そうなのか?」
「左様です」
と、なぜかジョセフ様や、いつの間にやらきていたハンナさんまでもが重々しく頷いた。……う、うぅむ。あのジョセフ様が、納得されるのだから、そういう道理であるとも思えてくる……が、それは気のせいだと、わしの理性が訴えかけてくるんだが、しかし……。
「でしょ? 恋愛はこれ戦と同じ。敵にも味方よりも、先んじてことを制するべし。ですわ!」
「……なるほど!」
領主様はくるりと丸め込まれてしまった。エリーゼ様はいつものたおやかな雰囲気には似つかぬ、ニヤリ、とした笑みをすると「さぁ三年後の式に向けて、完全なる計画を立てましょーっ!」と、号令を発した。
……なにやら、とんでもないことになってしまった。まさか、ウチのフレイが貴族の家に嫁ぐなどと。いや、ウチの母さんは涙を流して喜び、賛同するだろうがフレイの説得は骨だろう。
その辺は、エリーゼ様も憂慮されていて「逃げ道をどう潰していくかが肝心」と、まるで魔物退治のノウハウを語るようにしていた。……ほんとに、大丈夫なのか。それに、領主様は「しかし、それでは姫様が」とか、呟いていたが、なんのことであろう?
フレイの、説得。という難題に、わしはしばらく呆然とした心地で暮れ色に染まる村を眺めていった。
井戸端にはより集まった村の奥さん方がいて、朗らかに談笑しながら農具の泥を落としている。通りを走り抜ける子供らは「かすてらのおじさん」と、笑顔で挨拶をしてかけていく。
いつも顔を伏せて足早に歩いていった時には、気づきもしなかったものたちばかりだ。
川沿いの上流からモクモクと立ちのぼる銭湯の煙を、ぽかんとした気分でそれを見やっていると、改めてあの子がもたらしてくれたものの多さにびっくりする他ない。
昔から、目に入れても痛くないほどかわいくて、素直で優しい子だった。でも「……どうしてわたしだけ虐められるの」と、泣いてばかりいたのに。
「……わしは、非道い親だったな」
そんな、泣きはらしてるフレイに、かけてあげる言葉すらなかった。幼いわしも、その寂しい身の上は同じだったのにだ。
わしは代々続く、高利貸しで、わしの父親も、爺さんも、口癖は「金は稼いで稼いで稼ぐもの!」と、強欲だった。
そのおかげで、いまより貧しい村では飢饉のときには身売りもする家があり、借金の元手がわりに人売りをして金に替えてきた。わしは暗い思いで、村から出て行く少女たちをも何人も見送ってきた。
それが代官が現領主様へと変わり、無理な取り立てなどもできなくなって、貧しさと隣り合わせの日々だったのだ。
そんな折、フレイがいつからか、変わった。
虐めないで。とばかりにいつも物怖じしてたフレイが急にハキハキと語るようになり、目つきも悪く、少し口も悪く、そして、大いに態度もでかくなり、意地汚くなった。
なかでも、喰い意地の悪いことは、凄まじくて夕飯のおかずを無思慮に喰っていたら、舌打ちをして、「父さん! 人のピタ餃子を喰わないの! てか、もう三個も喰ったでしょうが!?」と、ぼんやりしてるわしをなじるようにまでなった。
「どうしてわたしが縮こまってなくてはならないのか」と、ふっ切れたかのように。
ウチの爺様たちと、フレイとはまるで似つかわしい所がないが、唯一の類似点はそこである。それは貶すではなく、生きることへの活力に満ち溢れていたのだ。
……翻して、わしはどうなんだろう。
幼い頃から友達もひとりとてできず、爺様方の商売を嫌悪していたくせに、そのくせいつまでもそこに寄り掛かって生きようとした。
考えて見れば、いまの商売にしても向けてくれる人のやさしさも、わしがいま生きている場所は、フレイがひとつずつ作り上げてきた上に、成り立っているのだ。
このままそれに甘えていていいのだろうか?
「……こんなことを考えていても、埒が明かないことだがね」
わしが、デキることなんてフレイが帰ってくるまで宿を潰さぬように、というぐらいしかない。
自分の宿を見上げていたらふと、「……粥」と、小さい声がした。うまっ、と振り返ると、見慣れぬ少女がもじもじとして近寄ってきた。まさか、こんな田舎で物乞いか?
「お粥? お腹が空いたのかい?」
「……うぅん、痒いの。背中が痒いの」
あぁ、粥。ではなく痒いのか。ははっ、バカな勘違いだ。
どうやら手が届かない位置があるらしい。それ、後ろに回って掻いてやろうとして、近づいてギョッとした。その首元が、みみずばれのように赤くなっている。……これは非道いな。
「これは掻いたら逆効果になるだろう。あまり触れぬ方が良い」と、わしは顔をしかめて少女の手を下ろさせると、
「……でも、痒いの」と、泣きそうな顔をする。しかし、なぁ。と、頭を悩ませていたら小荷物を抱えた母親らしき女性が走ってきた。
「あぁ、こんなとこに! ウチの子がご迷惑をおかけして! ……あの、貴方は」
「はぁ。いえ、ここが我が家でして。それより、その娘の肌は病気でしょう? ……早く、治療してやらないと」
「……えぇ、実は前にもエリーゼ様に治癒していただいたんですが、またぶり返したようで」
と、憂いた顔で身をよじっていた娘の頭を撫でてやっていた。
「そうですか。ならば、また治療を」
「ハイ。これからお願いに上がりたくて。……もう、治ったと思って目を離していたら、油断してましたわ……やっぱりフレイちゃんの言う通りでした」
「フレイ?」
「えぇ、これ汗疹だそうで。魔術で治しても、環境が悪いとまたぶり返すから、清潔に。あと、村の銭湯をタダで使って――と言われてまして。……でも、内は隣村では遠いので、とてもとても時間が取れなくって」
それでは、と、親子は律儀に挨拶をしていった。わしはそれを軽く手を挙げて答えつつ、頭をフル回転させた。
わしは、久しく覚えなかった、その思いついた計画への興奮と胸の高鳴りに、肌が粟立つように鳥肌が走った。
その思いつきは「銭湯を隣村へと作れないか」と、思ったのだ。フレイは口を酸っぱくして言っていたのだ。「病は不潔と、沈んだ気からやってくる!」と。だから、口煩い村のご婦人方をけしかけて、村をどんどんと清潔へとしていったのだ。
それを、多くの人にも、あの親子にも伝えたい。あの沈んだ少女の悩みを消してあげたい、と。
この思いつきを実現するには、どれだけの障害がある?
――隣村の、建設地の用地とその建設費用、あるいは隣村の領主の建設許可、あるいはヤル気のある番頭の教育に、運営費の捻出か。
……どれもこれも、難しいかもしれない。だが、わしにはこれが。領主様からいただいた――いや、返済いただいた金がある!
これを用いても、せいぜいが建設費にしかなりやしないだろう。運営費のあてにしたら、即、破産だ。ならば、他に商売を拡げてゆくしかない! あの娘が「前に銭湯つきの宿屋があればなぁ」と、こぼしていたことはしかと、覚えているのだ。
そうとも。これはフレイの二番煎じにしか過ぎやしないことだ。しかし、そんな親の見栄なんかちっぽけなことだ。
わしはいてもたってもおられず、家に飛び込むと目を丸くした母さんに叫んだ。
「母さん聞いてくれ! わしは商売を始めるぞ?」
「え、ほんとに?」
「応とも!」
と、胸を張って答えたわしに、驚いたまま母さんは目を丸くしたまま声も出ないようだ。
母さんにはまた迷惑をかけるだろう。しかし、わしはやはり、爺様や親父に似て強欲の罪を負っているのだ。フレイを当てにして生きていたくない。あの娘には少しでも自慢に思われたいのだ。あの娘が帰ってくるまで後、三年。たったの三年しかない! それまでに、自分になにができて、どこまで届くのか。不安はある。それでも、悩みなんて些末なことだ。いずれにしても、フレイが帰ってくるんだから。




