LV83
学院には数多くの摩訶不思議な規則や伝統がある。それはとくに愉快な一日というでもないのに「ごきげんよう」と、挨拶をしあうことやら、トイレから備品の使用にまで一々が貴族用と、侍従用とが別けられている――などなど。
その多くの弊害ってのは、大体、お貴族様が快適に過ごせるため、俺ら侍従が一方的に我慢を強いられるのが多かったのだ。
だが、快適に日々を過ごしてるはずの貴族が泣く程に非道な規則が、つい先ほどにまで存在していたとは夢思わなかったけれども……。
「ママーッ!?」
「アァ、デュランちゃん! こんなに痩せてしまって!?
「……ママ会いたかったよぉ!」
「ええ、えぇ、よく我慢したわね! ……ワタクシもずーっと会いたかったワ!?」
「…………」
その貴族の親子は滂沱の涙を流しながら、二度と離さない。とばかりにお互いをひしっ、と、抱きしめ合っている。
まだ早朝を迎えたばかりの学院の正門には、そんな感動的な再会の場面を繰り広げてる親子は「ママ」「パパ」「坊や」「娘よ!」と、性別も問わず、無数に散見されている。……つーか、なによこの阿鼻叫喚の図。そこらの公園にいる鳩のつがいより多いんじゃないの?
今日という休日は、新入生が学院に入学してほぼ二ヶ月目のこと。
学院のおかしな規則のひとつに俺ら一般生徒――てか、新入生たちは、この学院からの外出の一切を禁じられ、まさしく缶詰め状態のままである。
それはもちろん、外部からの面会や侵入も禁じられていたのだが、しかし、今日を境にして、閉ざされていた学院の正門が今日に解放されて、ンで、マザコンども――あ、いえ……家族愛の深い方々が、ああして集まったようなのだが。
……まぁ、関わらないでおくのが無難だ。と、堅く決意して俺は見知った顔がないか探してると、向こうの方から「フレイちゃ~ん! こっちこっち!」と、ぶんぶんとしっぽを振るわんこがごとくはしゃいだ男が俺の名を連呼していた。
……恥ずかしいから止めて欲しいんだけど。って、あの人って俺が嫌がってるのを知れたら、逆に嬉々としてはしゃぎだすこと請け合いだろう。
ならば、サッサとあの口を未来永劫――とはいわないが、一時も早く閉ざすべく笑顔の中に殺意をこめながら、トーマス氏に近寄った。
「……おはようございますトーマス様。久方ぶりですが御変わりがないご様子ですね」
「ワォ! キミこそ変わりがなくてお兄さん安心したよ。その受け答えもすっかりお嬢さま風味になってんじゃない? それとも、俺との距離が微妙に空いちゃったから遠慮しちゃってるのかな?」
「…………いいえ、それよりこんな朝早くに、これはなんのマネですか?」
と、握りしめた拳でクシャクシャとなった手紙を渡した。そこには」俺とデートしよう!」と、いう一文だけが記されていた。こんな色ボケた手紙を出してくる知り合いはひとりしかいないから、思い至ってここに来たんだけど、それは間違いだったかもしれない。
「……うぅん、それよりも。キミがこうして来てくれて、その笑顔を見ただけで俺は胸がいっぱいだな。なんか君と会う時に、なに話そうって考えたけど、それが全部すっ飛んっじゃった」
…………。
その色ボケた返答に、軽く眩暈がした。
……ウザイ。深刻にウザいぞ。
なんだか、以前に別れた時よりもさらに腕を上げたそのウザさ、テオドア一派に鍛えられた私の忍耐力も、その切れ味の鋭さには膝を屈します。
しかし、そのお力の秘密はきっと周りのすすり泣く親子たちに、妙な対抗意識によって得られたものでは? それとも、私の見知らぬところで頭でもぶつけられたの?
きっとソレですね。笑顔を見ただけで胸がいっぱいなんて、私は笑顔なんて浮かべてないのに、そのような幻覚が見えるだなんて。
いずれにしろ、脳細胞に深刻なるダメージの痕が見受けられまスし、今日は早いですがもうお休みになられてはいかがですか。
「……それはそれは、さぞかし積もる話がおありでしょうね。それならいますぐに、シャナン様たちをお呼びしてまいります」
と、色ボケた脳内幻覚に悩む患者様を他に押し付けるべく、俺はくるりと踵を返したのだがその肩にぺしっ、と力強く手を掛けられた。
「それより先にキミに話しておきたいことがあるんだ」
「静かな場所で話そうか」と、やくざめいた脅しと、肩を強力に掴まれたその手に誘われ、俺たちは学院から離れた高級レストランに立ち寄った。
まだ、早朝に近いのでウェイターも開店準備に忙しんでたところ「店、開けろよ」と、トーマスさんに無理強いされて、厨房に慌てた様子で駆け込んでいった。
彼らも相当に困惑してたが、英雄の頼みも無下にできなかったのか、支配人らしい男が「どうぞお席の方でお待ちを」なんて、もみ手している。いや、無理なクレーマーは叩き出せよ。おいっ。
やくざ的手法でちゃっちゃと席を確保したトーマスさんは、支配人に大らかに笑って、「さあさぁ、お兄ちゃんのおごりだよ! なんでもジャンジャン注文しちゃって!」と、のたもうた。
「そうですか、では水で」
「そんな遠慮しないで。お兄ちゃんは、美味しくごはんを食べる子を見ると、しあわせな気持ちになるんだ。ね、俺の顔を立てると思って! ほら、ドサーッと頼んでいいよ!」
「いえ水で」
俺はにっこりと言ったら、トーマスさんもにっこりとした。
こんな甘い誘惑にほいほいと乗る私ではありません。
てか、トーマス様がしあわせを感じる瞬間とは、いたいけな少女に厄介事を押し付ける時ではございませんかね。
その余裕ぶった微笑の裏にはなにか煤けたような硝煙の臭いと「キミに逃げられてしまったら困るんだよ!」という、仕事に追われた係長っぽい雰囲気を感じる。
俺たちは、テーブルの下でしばし無言の蹴り合いをして皮肉の押し問答をしていたが、やってきたウェイターに「コース料理をふたり分!」なんて、注文をしくさりやがった。
「…………ハァ。今度はな~んの面倒事をわたしに押し付ける気で?」
「おいおい人聞きの悪いなぁ!」
「面倒事を押し付ける、ってとこには否定しないんですね」
「だって、俺の面倒事じゃないもん。キミもどっぷり首元から腰のあたりまで関わってるじゃない。てか、キミがこの学院に入学させられた理由。知りたくない?」
……そう、来ますか。
女王陛下の奸計のせいで、学院に放り込まれたんだもの。知りたいは、知りたい。知りたいが、知った上で自分になにができるか知れないし、謎は謎のままに永久に知ったかぶりをして、蓋をして埋めて過ごしていくのもまた人の道である。
私はそういう悟りのを開いたので、そんな話は知りません。
見ざる聞かざる言わざる。
これが人生をつつがなく過ごすための処方箋ですからね!
「フレイちゃん。現実逃避はダメだよ」
「いいえ、わたしのなかではこれが現実なんです。今日、トーマス様にメシを奢られることなんて一切が空想の産物。きっと現実のトーマス様は遠い旅空の下、風にからから言わせる、物言わぬしかばねとなられておりますことでしょう……」
「……非道くねそれ? せめて無事でいさせてよ」
いいえ、それは叶わぬ願いです。
教会に遺骨なり遺灰を持ってきてくださいませんと、復活はかないませんな。
というか、正直な話し、いくら自分の関することとはいえ、この二ヶ月余りの間にようやく慣れてきた生活に、煩わしい事情を持ち込まれても有難迷惑なのよね。
「もうこんだけ生活に慣れてきたのに妙な煩わしいこと持ってこられましても」
「しょーがないでしょ? 俺も早くに来たかったけど学院の規則には逆らえないってば。ってか、さっきまでの校門前の風景、凄かったよなぁ。いや、俺が通ってた頃にもよくああいう生徒がいたの覚えてるよ。アレが、ウチの学院の伝統で通称、嘆きの門つーの」
「……嘆きの門」
昔から続く伝統を、先輩から受け継ぐでもなく無自覚に継承しているとは。さすが貴族学院……って違うか。しかし、トーマスさんもやけにお詳しいですね。あ、ひょっとして、トーマスさんも、伝統を受け継いで流した涙をママァンの胸で拭いた顔ですか?
「……その目、俺のことマザコンとか思ってる? ご想像を裏切って申し訳ないけど、違うよ。ってか、いつの時代も変わらないなぁ。ああして過保護に育てられてきた貴族ばっかで、ママァンと離れるのがツライってのかね。よくわからないな」
「……寂しいってこと? でも、お金持ちの貴族様は、学院の正門の外の、外苑に別宅を持ってるんでしょ。そっちで会うことも禁止なんですか?」
「あぁ、無理無理。前に、親の方が「息子の侍女として入学させろ!」とか、バカ言い出したりして禁止になったんだよ。その家にあがらせたら、なにかと理屈をつけて、帰らないし。前に生徒たちの方も、集団ぐるみでの逃走事件が勃発したりしてね。それでああいう規則になったんよ」
と、やれやれ、とばかりに肩をすくめてみせた。
……新入生が40過ぎのママァンって。なによその毎日がセルフ授業参観は。尚早、学校行事である意味がないな。
しっかし、つまりアレ? 俺が生活用品もこと足りない生活を強いられてたのは、つまるところ結局、貴族生徒たちのせいだってか。
ったくもう、テオドアといい、あいつらは……! って、なかには裕福な家に仕える侍従達もいたんで、そうは言えないけどよ。
しかし、嘆きの門ね。いつかあの門扉の解放をめぐり、教諭や生徒父兄たちにより聖地奪還の闘争でも起きやしないか心配だな。
「ま、そんな楽しい楽しい世間話は後に置いておこうかな?」
「…………」
シメシメとばかりに微笑んで口を濡らすトーマスさんに、俺はそっと視線を外した。
あぁ、外は俺の心を写したかのようにどんより雲。そして、目の前には、笑顔でワインを口にするキザ紳士。……心躍らぬでぇとの定番ジャないか。




