LV81
ぱらぱらっ、と窓を叩く音に目が覚めた。
俺はまぶたをこすりながら、包まったタオルケットから身を起こすと、まだ寝入ってるボギーを起こさぬよう、閉じたカーテンをそっと開いた。すると、ポツリポツリ、と鈍色の空から強い雨粒が窓ガラスを叩いていた。
「今日は雨、か」
そういえば、もう雨期に入る季節だった。王都はしばらくは、憂鬱なお天気続きらしい。
これから洗濯物が、俺のド頭の上に吊るされるのねぇ。部屋干しは、湿気と匂いがこもって嫌なんだけどなぁ。
って、文句を言ってもしゃーないけどね。ウチの寮では食事と外回りの掃除以外、すべて生徒の自主性に任されてるのだ。ならば、自主的に干物生活を満喫しよう、と思っても、鬼曹長のボギー様が目を光らせてるので、当然のように自堕落とは無縁なのだ。
俺に部屋を与えられないばかりか、自主性すら剥ぎ取るのかッ! と、憎きボギー様の寝顔をベッドにかじりついて睨み据えたが、
「……や、かわゆい顔して寝てますなぁ」
「フレイが早起きなんて珍しいことするから雨が降るのよ~」なんて、ボギーはツッコムこともなくベッドでスヤスヤと夢の中。
あぁ、こんなにも無防備な姿をさらされてると、顔に落書きしてやりたい衝動が……!って、ぜったいにやらないけどね。
日頃から寝坊助な俺がそんなことしたら、怒髪天を衝く程に叱られる上、落書きを仕返されるのが目に見えてるもの。一瞬の笑いと、百倍になって返ってくるスリラーと等価交換するなんて、全然、割に合わないわ。
ああ、恐ろしや、恐ろしや。
こんなことバカを考えるのも退屈なのがいけないのよねぇ。
「あ、そういえばシャナンとの朝稽古は……どうなんだろ」
や、毎日、暗黙のうちに付き合ってるんで、雨の日にはどうする? なんて決まりごとがないんで、行くべきか否か迷うよな。
小雨の時に強行したこともあったんだけど、さすがに今日のこの雨脚だと中止だよね。……って、あの素直クール君だと、そう断言できないのがツライ……。
ン~、まだ稽古の時間にはちと早いとは思うが、向こうは行ってるんだろうか。
…………。
はぁ、しゃーないなぁ。
王都に来る時、クライスさんからいただいた雨合羽を羽織ると、雨の中を歩いて行った。ザーッ、と降り注ぐ雨粒はさっきよりも強く、水の浸透は防ぐはずの雨合羽をしても、肩のあたりはすでにぐっしょりしてきた。
……これが、安物のせいなのか、単に性能の問題なのか知らないけど、合羽の意味なくね?
しょーがなく、肩から頭の上にかざして、走っていけば、いつもの公園についた。
と、
ひゅん、と風切り音がした。
「…………やっぱり」
と、俺は合羽を上にしながらげんなりとした。いたよ。あいつ。
もうずぶ濡れになりながら、木剣を振ってるわ……。
「おーい、なにやってんですかーい」
「…………」
しかも聞いちゃいないし。もう、シャナンのよくあるクセだな。集中しすぎると、世界に入っちゃうヤツ。こうなったら、近づくのも危険だし、見てるしかないのよね。いや、ここまで来てなんだが、俺も雨天中止! て、止めるつもりだったんで、剣は持ってきてないんだわ。
止めるのを諦めて、俺は少し離れた木立ちにもたれて、見学をした。
しかし、シャナンの剣舞は見ごたえがある。
跳躍したと同時に一閃された刃の音。
リズムよく刻まれる切り払い。
ぬめった地面であることを感じさせない足捌きはダンスのようだ。
俺はしばし、その踊りに呆然としていたら、やがてシャナンは最後に「ヤッ」と、裂帛の声を上げて剣を振うと、フーッ、と大きく嘆息しながら、剣を収めた。
やれやれ、やっと満足したか。
俺は「おーい」と、叫ぶと、こっちに気が付いたようで、驚いたように目を丸くすると近寄ってきた。
「……オマエ、こんな日になにやってるんだ?」
「そりゃこっちの台詞ですよ!」
呆れる前にこっち入ってくださいよ。と、雨合羽のなかに招じ入れようとしたが、なぜかシャナンはギョッとして「いい、いいから!」と、サッと身を引いた。
「いいもなにも風邪ひくでしょうよ」
「……どうせもうずぶ濡れだ。オマエこそ濡れるだけだぞ」
でもなぁ。こういうのってある種、人情の問題でしょ? こう、雨に打たれた子犬に、傘をかざしてやるみたいな? 俺がしつっこく迫ったのに、シャナンが終いには怒るので仕方なく諦めた。
まぁいいや。
それよりも、ようはこんな日に来させないようにさせればいいんだものね。
「これから雨期だっていうのに、これ毎日やるんですか? 雨の日には中止でいいでしょうよ。いつか手痛い風邪をこじらせますよ」
「いいんだよ。こういう雨の日にはいい訓練だ。実戦ともなれば、悪天候であっても戦いを余儀なくされる場面がいつ訪れるかわからないんだからな。その時、この経験がきっと役に立つ」
「……その戦いの前に体を壊して死んでたら、実戦も訓練もないっすよ?」
「ふん。その程度で壊れる体だったら、それまでだってことだ」
……あぁ云えばこういうヤツ。と、呆れていたら、案の定、小さくくしゃみをした。
「云わんこっちゃないっ、風邪をひいてぶっ倒れたらそのツケを支払わされるのはだれだと思ってんですか?」
「……それは、わかってる。オマエには感謝してる」
「はっ?」
…………。
いま、なんと、仰いましたこの方?
オマエには感謝してる。
オマエに、感謝!?
「ちょ、シャナン様いまの台詞をもう一度! 文字興しをしたものを額縁にいれて記念として永遠に飾らねばなりませんっ!?」
「だれが言うかっ!」
えぇっ? さっき言ったじゃないのぉ。ねぇねえ。
って、にししっ、と意地悪く揶揄ってたら、赤ら顔で睨まれた。ちぇっ、そんなに怒ることないっつーのに。
「……言っておくが、オマエ、のことだけじゃないからな。そこにはボギーも含めてのことだから」
「わかってますよ。とくにボギーは一番ね」
「だな……その、ふたりとも学院で浮いてたりしないだろうな?」
「……ま、人はだれしもが強く独りで生きていかねばならんものですよ!」
浮いてるのは俺だけだなんて、言えやしないよ。と、涙が溢れぬように微笑をして上を向いていたら、シャナンがぽつりと、
「貴族のことが嫌いか?」と、言った。
「え?」
振り返ると、いつもの仏頂面が貼りついていて言葉の意味がよく呑み込めなかった。
「いつも食堂に付き合わされたり、テオドア嬢に当たられたりってしてるからな。だから、貴族のことが嫌いになっても、ふしぎはないだろ?」
「いえ、べつにそういうワケでは……」
「僕に気を遣わなくても正直で構わない。むしろあんなことがあったんだから、嫌っても当然なはずだからな」
「……辺境伯のことですか?」
たしかに思い出す度に、不愉快を噛みしめることがしばしばだけど。
でも、貴族全体に対して俺が含む所はないよ。
あの体験だけで貴族のすべてだと断ずるなんてことはしない。
「べつに……わたしはクライス様やトーマス様のことをよく存じ上げておりますから」
「ほんとに?」
「ほんとに」
念押しに重々しく頷くと、シャナンはしばらく俺の顔を凝視してると、突然フッと微笑を漏らした。
「そう言ってくれると助かるよ。ありがとう」
「……感謝もなにもわたしは普通なこと言っただけだし、シャナン様に感謝されるいわれはないですが」
「僕が伝えておきたかったんだよ。一応これでも貴族だから。ここに来ても、オマエにも色眼鏡で見られてもしょうがないことばかり起こっていたから。それが違うってのは、嬉しかったよ」
「……さい、ですか」
いや、シャナンが貴族全体をまで背負うみたいなことしなんでもいいだろうに。クソ真面目だなぁ、相変わらず。
「辛気臭い話はこれぐらいにして、もう帰りましょう」
「あぁ」
と、頷いて顔を上げたシャナンは、ニッコリと笑って頷いたのだった。




