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LV70

 突然、あがった悲鳴に俺たちは顔を見合わせた。


「なんの騒ぎだ?」

「あの声質からしてもたぶん女の子ですよね……なにかあったのかな」

「たぶん喧嘩じゃないですか。昼食時に騒ぐなんて腹ごなしが悪くなりますよ。せっかくのランチが台無し」

「……フレイの行動原理って、ごはん絡みが全部なのね」

「当然でしょ?」

「とりあえず行ってみるか」


 ハイ。えっと、たしかこっちは水飲み場の方だよな。と、俺たちはそちらへと向かうと、井戸場の前には「申し訳ありません!」と、額が地面につきそうな程に頭を下げる侍女生徒と、その子を甲高い声で怒鳴りつける貴族の男生徒がいた。

 なんだやっぱり喧嘩じゃない。まったく大人げないなぁ。と、眇めつつ頭を掻いてたら、ふっと、拳を振り上げる男子生徒に見覚えが。あいつ、どっかで……。


「いや、あれってもしかして……」

「顔見知りか?」

「……まあ、いちおう」


 うん。ってか、いまハッキリ思い出したよ。

 ……あーあ、これが俺の思い過ごしだったら良かったのに。つーか、こんな場所でなにしてくれてんだか、あのバカ。


「あれ、おそらく辺境伯の邸宅で見かけたお方ですね?」

「えぇ!? それって」

「辺境伯の、息子か……!」

「だと思いまよ。あの甲高い声には聞き覚えがありますもの」


 会ったって、言えない程度の面識だけど、前に辺境伯の敷地で迷ってたあずまやでもあぁいう風に怒り狂ってたからな。陰険そうな目つきもちゃんと覚えているし、それに、鞭打ちされそうになったことを、そう簡単に忘れられるかっての。

 シャナンはよっぽど驚いたのか額に手を添えてかぶりを振った。


「しかし、凄い偶然って……ワケでもないか」

「陛下によい土産ができた。だなんてほざいてたし、それであんな王城にまでのこのことはせ参じてたっしょ。アレって、あのバカ息子をよろしく、みたいな御心づけの件だったわけだ」

「……うん。そう考えると辻褄が合うね」


 はぁ。

 間接的にとはいえ、俺はあのバカ息子のせいであんな非道い目にあったわけだ。まぁ、いまとなっては過去の話なんだがね。

 それで、喧嘩の原因はなーに、ってあの井戸端に散乱した、水差しであったであろう破片や、あの辺境伯のバカ息子――の、ぐっしょりへたった茶髪を見れば状況は一目瞭然だな。

 まあ、どっちに原因があったかは知れないけど、ふん尿が入ってるわけでもないんだし、水を被ったぐらいであそこまで激昂することはないじゃん――と、メイドに水をぶっかけられて激怒した私が通りますよ。

 ……や、あれは向こうに悪意があったわけだしぃ。彼女のように謝り倒してるのをさらに面罵する気は俺にはないね。むしろ「大丈夫、怪我はない?」と、爽やかな気遣いでエスコートした後、口説きに入る。


「で、アレどうします?」

「捻るか」

「……捻るって、なにをですか」


 まさか、首ですか。

 そんな喧嘩ごときで大袈裟な。シャナン様も冗談が過ぎる――って、その眉間のシワがマジだと告げている……おい、なんでぐつぐつと煮え立った窯のように、俺より憤慨してるんだ。威圧感が半端ないよ、キミはちょっと落ち着け。ね、ボギーが怖がるから!


 ――なんて、俺たちがのほほん、としていた矢先に「ふざけるなよ、侍女の分際で」と、あの野郎は彼女に向けて手を振り上げかけていた。


「ちょ、おいっ」


 マズイ! 野郎女性に手を上げるなんて――と、俺も反射的に駆け寄ろうとしたが、その前にスッと俺の隣の気配が膨らんだ。

 と――


「ぎゃっ!」


 猫がつぶれたような声が上がり、シャナンに軽々と握り拳を後ろ背に捻られた辺境伯の息子の姿があった。

 おぉー、やっぱほんまもののヒーローは仕事が早いね。

 と、感心しつつ、こぶしを捻られた辺境伯の息子を、ドングリ目で見つめてる侍女に、「大丈夫、怪我はない?」と、口説きに入る体勢を取った。


「大変な目にあいましたね。でももう大丈夫ですよ」

「……は、ハイ。なんとか」


 侍女ちゃんはフーッ、と大きく息をついた。ふむ、そばかすが散ってて、美人ちゃんというよりかわいこキャラだな。そのおかっぱ気味の金髪とあいまって初々しい感じがする。彼女は、意外にも冷静に捻られた辺境伯のバカ息子を気遣うように、


「あの~、大丈夫ですか?」

「うるさい!」


 と、バカ息子は顔をキッと振り上げたのに、彼女はササッと俺の背に隠れる。シャナンは腕を固めると、さらに悲鳴を挙げて「お、オマエは、オレにこんなことしてタダですむと思ってるのかっ!」と、矛先を変えた。


「もういいでしょう。彼女は十分に謝罪している。それ以上を求める必要はないはずだ」

「そんなことオマエが決めることじゃないだろッ! オレのことをレオナール・ローゼンバッハと知っててそんな生意気なことを言うつもりか!!」

「名は関係ないでしょう。いや、むしろ名を重んじるのであるならば、なおさら冷静になられるべきだ」

「オレに生意気を言うなっ!」


 腕を捻られながらも、レオナールは器用に地団太を踏んだ。

 ……逆に面白いよこのガキ。


「だから関係ないやつは引っんでいろよっ! こいつはオレにワザと水をふっかけてきたんだぞ!」


 シャナンが目顔でチラッと確認すると、侍女ちゃんはぶんぶんと横に首を振った。

 その隙にレオナールは捻られた腕を振り払うと、薄い唇をわなわなと震わせてシャナンを睨み上げて「このオレに不敬を働きやがって! オマエらには相応の報いを受けさせてやる!」と、怒りに声を震えた。

 なんか、騒ぎのせいで周りに暇な連中が集まってきたな。ただ、皆辺境伯という高い身分の子供とあってか、遠巻きにするだけで止めに入る気はないらしい。


「……チッ。顔も見たこともない、貴様はどこの貧乏貴族だ。えぇ、名を名乗れよ!」

「シャナン・ローウェルと申しますが」

「勇者!?」


 さすがに名だけは知ってたのか、ギョッ、とレオナールは怯んだ。

 だが、シャナンはその表情の変化に構うことなく「君は」と、そばかすの侍女ちゃんに訪ねた。


「は、ハイ、あたしはアルマ・ティンジェルと申します……その、お付きのお方は……」

「ハッキリ言え! そいつにオマエがやった粗相を謝罪させてやるからな!?」

「エアル、です……」

「はっ!?」

「……クリスティーナ・クラウディア・フォン・エアル様です」




 …………。


「つかぬことをお伺いいたしますが。それってこの国の王女様だよね?」

「……ハイ」


 そばかすの侍女ちゃんは逆に申しわけなさそうに迷いながらこくりと頷いた。

 ……うわぁ~。王女様の侍女に噛みつくって、とんでもない非礼だな。こいつ命があればいいけど。と、俺は心配した素振りをしつつ、ニヨニヨとレオナールの蒼白になった顔を楽し気に眺める。

 さしものヤツも、女王陛下に楯突いたことはマズイとわかる知能はあったようだ。

 だが「そ、それがどうしたんッてんだよ。えぇっ! オマエが無礼を働いたってのは消えない事実だろうが!?」と、逆切れしだした。

 ……おいおい、そこで矛を収めておけよ。


「それでは彼女の主にこの件は伝わることになるでしょうが。構いません?」

「ッ!」


 シャナンに冷静に突っ込まれると、レオナールは声を詰まらせた。

 やれやれ。

 すっかり落としどころがなくなって、引くに引けないみたいだな。まったく、プライドが高すぎるのも厄介だな。



「――この騒ぎは何でしょうか」


 と、急に声がかかった。

 俺たちは一斉に振り返ると人垣の群れが割れて、その奥からひとりの白に近いプラチナロングヘア―の少女がこちらに近寄ってこられる。アルマは「く、クリスティーナ様!」と、蒼白になって畏まった。

 ……その反応に、周りがキンッと閉まった雰囲気。

 もしかしなくても、あれがアルマの主の王女様、か……うん、たしかに女王陛下に瓜二つだね。それにまだ幼さがある顔立ちだけで、立ち姿に威厳がかとなく感じる。


「それで、この騒ぎは何でしょうか。だれか説明をいただけませんか?」

「は、ハイ。実は――」


 と、アルマが我に返って耳打ちをしだしたら、レオナールはさらに蒼白になって唇まで紫になった。

 耳打ちが終わると、静々と目を閉じていたクリスティーナ王女妃は「左様ですか」と、吐息を漏らすように呟いた。そして、レオナールへと向かい軽く頭を下げた。


「この度は、私の侍女がレオナール様にタイヘンな非礼をしたようで。侍女の罪は私の罪。アルマに成り代わって、レオナール様に謝罪を致します。申し訳ございませんわ」

「……い、いいえ、は、ハイ。それで、構いません」


 と、レオナールは赤い顔で口ごもったが、クリスティーナ王女はそれに気づかぬのか、の端整な顔を隣に控えていたシャナンに差し向けた。


「――勇者様にも、とんだご迷惑をお掛け致しましたわね」

「いえ、私はただ通りかかっただけでございますから。迷惑を被ったワケでもありません。それではこれで――」

「ちょっとお待ちを――」


 去ろうとしていたシャナンを呼び止めたクリスティーナ王女は、トロけるような笑顔を浮かべていた。

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