LV66
寮への帰り道を歩きがてら、ふと思い返したのはヒューイとのやくそくの件。
よくよく考えてみれば、あらぬ偽名を使ってしまったのに、ぬけぬけと会うやくそくをしたのは、ちょっと早計だったかもね。
いや、ウソがバレるのを早めただけし、あの一回ポッキリの出会いとして終わらせとけば、後は「気のせいではございませんか、おほほ」で、すませられて、いらない気苦労も後腐れもなく済んだ気がする。
……どうしよう。このまま無視しちゃうかな。いや、一度、やくそくを交わした手前、とくに理由もなく反故にするのは人としてどうかと思うし。むぅ、悩ましいところだ。
ま、いまのとこは害はないんだし、バレそうになった時に姿を消せば問題はなかろう。
そう、思案にひと区切りをつけたら、ちょうど寮へとたどり着いた。
見上げても、相変わらず趣のあるボロである。
立てつけの悪い扉を苦労しいしい、ひき開けると食堂へ続く廊下は焼きたてのパンの香ばしい匂いでいっぱいだ。
スンスン、と子豚のように鼻を鳴らして吸い込めば、すり減ったお腹がグーっとなる。……ボギーを誘うべきかもしらんが、まあ後で来るでしょう。いまは失われたカロリーを摂取せねばならぬ。
廊下を渡り抜ければ、食堂へ続くドアの向こうはもう女子たちでいっぱいなのか少しく賑やかな雰囲気がする。
俺はドアを開けがてら、「おはようございまーす!」と、言ったが。
…………。
シーンとなった。
「…………失礼しました」
俺は扉をソッと閉じてその場で頭を抱えた。
……なんだ、なんなんだあの冷たい反応。
いきなり会話が不自然に止まったのは、たまたまで済ませてもいいけど、あのベーコンを喰おうとしてたあの三つ編みの子なんて、俺を見た瞬間に恐々とした目で固まって取り落としてたぞ。こりゃ、偶然じゃない。俺っちって相当に避けられてる……。
え、なんでなの!
まだなにもセクハラ行為なんてしてもいないのに、どうして!?
なんでスライムの群れにスライムナイトが混じったようなこの疎外感を受けなきゃならないわけ!?
……うぅっ、うわぁぁあああん、ボギーェえもーん!?
と、俺は泣きながら自室に飛び込むと、魔術鍛錬のための瞑想に耽ってたボギーにすがりついた。
「どうしたの。またシャナン様に負けたのが悔しかった?」
「今日は違うよぉお!」
他の女子たちに避けられてるという悲惨な現状を、至極憐れっぽく説明したのに、ボギーは同情するどころか、片方の薄目をチラッ、と開けただけでまた興味なさげに閉じた。
ちょっとぉ!
友達が陰湿ないじめの被害にあってるのに、どうしてそんな冷酷でいられるの!?
「いじめって大袈裟ね。挨拶をしても返ってこなかったってだけでしょ? そんなの無視して堂々とごはんを食べればいいのよ」
「嫌よそんな! わたしはもっと、こう和気藹々として食べたいの。独りでぼっちメシなんてメシがマズすぎる!」
「じゃあもっと人と溶け込む努力したら。日頃から男子っぽい制服を着てたりするから、引かれる原因になったりするんじゃない?」
「……またそれですか」
正直、聞き飽きたぜ。その台詞。
ボギーはなんか「貴女のその女子力を諦めないで!」とばかりに妙な使命感を燃やして、なにかにつけて俺のことを女装させようとしてくるんだよ。誕生日プレゼントにワンピを贈られてもてんで嬉しくないです。
てか、そもそも俺様のような紳士には、スカートなんぞ似合わないってなんべん云わせる気なのかしら。
「……だったら髪を伸ばして女子っぽくしたりとか」
「やだよぉ。長くしたら頭洗うのに面倒だし」
「なら素直にいじめられろ」
「非道っ!?」
俺にはいじめられる以外の選択肢がないの?
まあ、女子にいじめられるのはある種の恍惚感が得られる役得ですが、愛のないいじりはごめん被りますな。ってか、女子の園に潜り込んだのだから、イチャコラ暮らしを希望します。
「ちょっと、あたしのベッドで寝ようとしないで」
「……は~い」
人が愁嘆場にくれていたのに、その舞台にベッドはダメみたいだね。
そうだよね。
牢名主様に与えたまわれた領地は、四畳半にも満たない部屋の隅っこ。昨日は、そこにカーペットを敷いて、うっかり私物を転がして「はみ出てんだろうがワレッ!」と、叱られぬよう、線引きした箇所に大きい荷物をあてがい、俺の安眠をもたらしてくれる大切なベッドとして、タオルを何枚も重ねたのだ。
そうすると、なんということでしょう!
こうして寝転がったって、部屋の堅い地面のひんやりとした感触が余すことなく伝わり、その背骨には更なる過重と疲労が蓄積していくことでしょう。
……やっぱ、寝台ぐらい欲しい。
「……まぁ、いまデキうる限りの精一杯とは、こんな感じですからね」
「トイレ砂ぐらいなら用意しあげるわよ?」
「ペット扱いかよ!?」
自分だけぬくぬくとやわらかなベッドに寝転がりおってからにぃ!?
しかし、こういういじりなら全然オッケーよ。ボギーさんには私への愛が溢れている……はず、だから。
でも不本意であっても、しばらくはこの相部屋で暮らすんだからなぁ。この狭さは如何ともしがたいとはいえ、居住空間を活かすべくなんとかリノベして、この領土を根気よく開拓していきましょう。
「まったく、文句ばっかり言うんだから。ねぇ、そーいえば、シャナン様との朝稽古はどうだったの? 見たところ怪我はしてないみたいだけど」
「うぅん、今日は楽勝っすから。シャナン様もきりきり舞いにしてやったんすよ」
へへん、と得意気にどや顔を決めたら、ボギーは半眼になって「……サボってたんじゃないでしょうね」と、声を低くした貴女様こそ、私への信頼度が低すぎやしませんかね。
「疑り深いなぁ。ちょっとはわたしの腕を信用してくださいよ。ふっ、わたしの剣の才能がようやくに開花したってことです。この分ならいますぐ村に帰ってもジョセフさんを倒せるかも。フハハハッ! 勇者より一歩先んじるのは、このわたしだっ!」
「……いや、無理だと思うわよ。ってか、もうシャナン様が倒してるし」
「えぇ!?」
ちょ、待てよ。ジョセフが負けたって!?
い、いったいいつのことよソレ!
ジョセフと決闘する時は、いつも俺とシャナンのタッグマッチだったっしょ。俺は倒した記憶がないし、シャナンがひとりで倒したってワケ?
そんなバカなッ!?
「そ、そんなの認められやしませんよ! あんだけ苦労して、ジョセフ退治の栄冠はシャナン様が独り占め――なんて、それこそわたしだけほんとにほんとの骨折り損のくたびれ儲けだジャン!?」
「あたしに文句言わないでよ」
唇を尖らして機嫌を損ねたボギーに「ちゃんと説明してよぉ!」と、食い下がると渋々といった感じに、
「……だから、フレイが誘拐されてた時よ。あの時、クライス様がカルバチアに向かわれる時、足手まといだから、って宥めてもシャナン様はついてくって聞かなくて。……で、ウチのおじい様を倒せばついてきてもいいから、って……こと!」
「…………」
そうか。俺のいない間にそんな出来事があったとは。
……でも、それって、つまりジョセフ倒すのにシャナンがひとりで十分だってことよね。うわっ、俺って相当の足手まといだったってことかよ!? おい、おい。今日にもシャナンをきりきり舞いにさせて喜んでる俺っていったい。
――ン?
「…………」
あら、不意に身体が底冷えして妙だなって震えてたら、いつの間にやらボギー様の目が氷点下のごとくに冷たくなってる……。
な、なにがあったの? 私はボギー様にいつものように常春の暖かな笑顔を取り戻していただくべく「えへっ」と笑ったら、瞬間的に拳が飛んできた。
ぎゃっ!?
「い、痛! いきなりなにを」
「うっさい! フレイのバーカ!」
といって、ボギーは部屋から怒って出て行った。
……ば、バカって。なんだよいきなり。
ジョセフが負けたからって俺に当たるって筋違いな。江戸のかたきをナポリで討つみたいに尚早、相手も国も違うでござるよ。
とほほ、と俺は頬をさすりながら、ボギーさん待って! と後を追った。




