LV65
「……フレイ。オマエなにか怒ってやしないか?」
「どーしてそうお思いになりますの?」
「…………いや、とくに理由は、思い当たらないんだが……」
「ならわたしが怒るワケはありませんね」
そう言い捨てると、ウフフッ、と、笑いながら鋭く木剣を振り下ろした。
それを剣で受けたシャナン様のお顔が引きつってらっしゃる。
今日はふしぎと剣捌きが冴えているわぁ。あんだけ敵わなかったシャナンがむしろ威圧されたようにタジタジとしてるもの。いったいどうしてかしらん?
「あまり集中ができないんじゃないですか――それじゃ今日の朝稽古はこれまでということでよろしいですよね」
「……あぁ」
なにか話しかけたそうな顔のシャナンに木剣を放り投げて、いつもよりあっさりな訓練を終えた。サッサと踵を返して歩いていく。
こんな軟弱者と話す舌など、私は持ちあわせてはおりませんからね。
大体、何故私が怒ってるんだと誤解するのでしょうか。
べつに「シャナン様が朝の稽古を所望されてるのよ!」と、ボギーに叩き起こされたとて不満ではないし、性悪な巻き舌女に絡まれたとて、広~い心で許してやってもよろしいです。
しかし、出会ったばかりの女に、デレデレと鼻の下を伸ばした男なんて見下されてしかるべきだと思います。まあ、これは私の怒りではなく、ボギーさんへの友情の証しと思っていただけて結構ですが。
プラプラと、散策をしながら寮へと続く遊歩道を進む。
ときおり木の梢から朝鳥のさえずりが降りきて、なんとも心地よい朝だろう。
学院の敷地内だってのに校舎の裏手には小さな湖畔やら、森までついているって、どんだけ貴族様は恵まれてるんでしょう。こんな都会にこんな長閑な場所があるなんてないでしょ、普通。
空に向けて伸びをしながら進むと、前の方にひとりの男子が立っていた。
あら、あっちも朝の散歩かな。
この長閑さだものねぇ、そりゃ怠け者でも気まぐれに出歩いてみたくもなるわ。
どれ、朝の挨拶でもしよっかな。
「おはよ――」
「いいから、放っておいてくれって言っただろ!?」
声をかけたら、振り向きざまに叫ばれて、ギョッ、と固まると、いきなし面罵してきた相手の男子もびっくりした顔で「っと、……女の、子?」と、固まった。
そいつは、俺が男っぽく髪を短くしたり、短パンにシャツ姿なのに、戸惑った様子だ。しかし、彼の方こそ、女子と見まごうような中性的な顔立ち。クセっ毛気味なモスグリーンの髪型から、ちょっと陰気君な雰囲気がかとなく伝わってくる。
そのドングリの眼やら、色素の薄い唇をギョギョッとばかりに開いて固まっていたのだが、こちらをジロジロと眺めるやに、白かった頬には急に紅が差したようになって、彼は慌てた様子で、クセっ毛な襟足に手を添えて小さく頭を下げた。
「ご、ごめん。人違いをした。許せ、……いや、許してほしい」
「いいえ、こちらの方こそ」
気にしてないっすよ。
だれもいないと思ってたとこで、急に声掛けされたらびっくりして大声出すよね。
お互いに気にせずでおきましょうよ。
では。と、行きかけたら彼の方が慌てて、こっちを呼び止めてきた。
「き、キミはこんなとこでなにをしてるんだ?」
「えぇ?」
……朝稽古の帰り?
って、我ながら男子力が高すぎる帰来があるな。てか、まだ学院に入学して早々にして武術の稽古に熱心って、どーいうキャラだよ……初対面だからこそ、あらぬ誤解を受けぬよう誤魔化しておくべきだろうか?
「あぁ、すまない。自己紹介もせずに、不躾だっただろうかな。ぼくはヒューイ・ラングストンだ。今年からこの学院に通うことになった新入生だ」
「……失礼ですが、お貴族様で?」
「もちろん。キミは?」
「えぇ、と――ワタクシ、テオドア・ルクレールと申しますわ」
「ルクレール? それはずいぶんな名家のお方ですね!」
……我が対抗意識よ、なぜかような場面でしゃしゃり出てきたか?
「失礼ですが。あまり覚えながないな、以前どかのパーティでおみかけしたことがありますか?」
「おほほっ、まぁまあ。それなりに?」
……クッ、しょーもないウソついちまったぜ。ボロが出る前に引き上げたいとこだが、ウソぴょ~んと、かわいしく云っても「ぼくを騙したな!?」と、怒られるのもヤだし。こんな些細なる交友関係なんだし、知らんぷりで自然消滅するのを待つか……。
「そうか。では改めて、お目にかかれて光栄です。って、堅苦しいのはよそうか。キミも新入生なんだろ? 気持ちの好い朝だよね。ぼくもつい眼が冷めてしまったから、こうして散歩に出かけたんだ」
「へぇ、それはそれは結構なお趣味ですこと、おほほほっ」
口元に手を添えて、グルグルと盛大にねじを巻きつつ、声をも巻いた。危うく舌を噛みきりそうになったけれど。
……喋りにくいことこの上ないのに、テオドアのヤツよくこんな喋り方を素でしてられんなぁ!
「ワタクシも同じような
「そっか。ぼくらも気が合うかもね?」と、ヒューイはクスッ、と小さく微笑んだ。
「ほほっ、散歩だなんてまたおじいさん趣味な――え、えぇっと、古風なお趣味をお持ちですことで」
「古風ってほどかな? 初めて言われたけど……」
「それはもう。同じ年頃の子なら、もっと活動的な遊びに夢中でしょう。ソリだとか雪合戦だとか、後クソガ……あぁ、いえ、親しい男友達だと剣術が楽しいみたいで。ワタクシもよくよく付き合わされるのですわ」
「剣術? 女性のキミにそんな乱暴なことさせてるのかい!?」
っと、ヒューイは顔を険しくして、俺の手を取った。
……おい、どさくさに紛れてなにをしてんだね。
「あっ、し、失礼」と、ヒューイはパッと身を離すと、照れたように微笑み、
「でもたしかにぼくは活動的っていえないかも、ね。こうして外に出るのも滅多にないから……この学院に来るのも、ちょっと楽しみにしてたんだ。キミもわかるだろ? ぼくらみたいな貴族だと、四六時中を侍従たちが周りに居着いて、なにかやろうとすれば「そんなことはなさいますな!」って、怒られるだ。
だから、さっき、キミに怒鳴ったのも、侍従が後をつけてたのか、と思って」
「そうだったのですか」、
「……周りの者たちは、ぼくに良くしてくれてるのはわかるんだけど、なにか息が詰まってしまうんだよ。だから、ひと目を気にしないで、こうして散歩できるだけで嬉しいんだ」
……ふーん。不足がないお貴族様でも、悩みがある、というか、いや、逆に不足がないからこそ不満なんだろうか。
「そうですか。お独りの時間を邪魔して申し訳ございませんでしたわ。ワタクシはこれで消えますので」
「いや、待ってよ……あの、キミさえ良かったら、またこうして会えないかな」
「えぇ?」
「うぅん、無理にとは言わないけど! ……この同じ時間にだったら、コッソリ抜け出せるし、立ち話程度だよ。ダメかな?」
……う~ぬ。
まぁ、そんぐらいだったら構わない、かな。と、曖昧に頷いたら、ヒューイはパァッと顔を輝かせて「ほんとに、やくそくだよ!」と、喜んでる。
「えぇ、やくそく致しますわ。……それでは今日の所はこの辺で」
「うん、ぼく待ってるから」
木立ちの脇に佇むヒューイに、俺は静々と腰を折って別れの挨拶をした。
……ハァ。声を巻き疲れたわいな。




