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LV63

 は? 妙な臭い?

 ヘンだな。下駄箱があるワケじゃなし、臭いなんて感じないけど……。

 俺はなんともなしに、スンスンッと洟を鳴らしたて嗅いでみた。すると、赤毛の貴族の――テオドアと呼ばれてた彼女は「クッ」と、突然に口元を手で覆って吹き出した。


「やっぱり家畜の臭いがするかと思ったら、とんだ子豚が迷い込んでいたみたいねぇ」と、取り巻き共に嗤いかけた。

「えぇえぇ、たしかに。ワタクシもそんな気がしておりましたわ!」

「学院は清潔だと聞いていたのにヘンねぇ。いったいどこに迷い豚が入りこむ余地があるのかしら~?」

「ほんとに、臭いますわ。学院の事務員にちゃんと掃除するように申し上げねばなりませんこと」


 オホホホッ、と取り巻き共が醜悪な嗤いを唱和していた。


 …………。


 なるほど。

 彼女らは私をpig! と、罵っているワケだ。

 ふぅ、やれやれ。こんな子供じみた仕儀に喜んでおられるとは。

 怒りを覚えるというより失望を憶えますね。

 私はある種、期待をしていたのだ。この学院は貴族の通う園……。

 洗練されし貴族の流儀や作法に触れるよいチャンスである、と。

 だが、無作法に嘲笑う彼女らの振る舞いを見るがよい。これが洗練された貴族としての正しき振る舞いか?

 私が真の淑女を語るはおこがましいと知っている。だが、仮に顰蹙をあらわすならば、冷徹なる態度で手を打ち据えるだけでいい。

 ――軽く顎を引き、片方ずつの眉と唇を歪め、軽侮をもって見下す。それで十分であり、自ら汚い言葉を用いるなどもっての他だ。

 そして、この一連の私の所作が素晴らしくエレガントだったのは万人が認めることでしょう。

 なにせ本物のお貴族様が頬を恥辱色に染め、わなわなと震えていらっしゃるのだから。


「貴女はいったい何様のつもりなの!」

「こちらのお方はルクレール大公爵家が長女、テオドア・ルクレール様なのよ! そんなふてぶてしい態度をして、さっさと控えなさい!」

「たかだか卑しい侍従のくせにワタシたちにこんな無礼を働いて、無事でいられると思って!? 学院に抗議致しますからね!」

「……学院に抗議、ですか。はて。わたしがいったい皆様にどのような粗相を致しましたでしょうか?」


 私は疑問に両手を広げたが「その目と態度が無礼だというのよ!」と、取り巻きたちは掴みかからんばかりに激昂したが「皆さん」と、テオドアがひと言呼びかけるとスイッチが切れたように押し黙った。

 それに、テオドアは満足そうに微笑んだが、伏せたまつげの奥にある目はまるで笑ってはいなかった。


「ねぇ、貴女のお名前はいったいなんて仰るのかしら?」

「フレイ・シーフォと申しますが」

「そう。ワタクシはテオドア・ルクレール。この学院はワタクシも今年からだけど、貴女も初めてよね」


 と、テオドアはグロテスクな程にかわいらしく見えるように小首を傾げた。


「あら。てっきり男子の制服を着ているから、男の子だと思いましたわ……貴女ずいぶん自信がおありなのねぇ。そんな奇抜趣味をして平気な顔してらっしゃるんですもの」

「お褒めに預かりまして恐縮でございます」

「褒めてないわよ」


 テオドアは憮然と言い放つと、一切の表情を消してただこちらを静かに見据えた。

 喧嘩上等! と、負け時とムンっと胸を張る。

 睨み合いは、ものの数秒だったがフッ、とテオドアが先に逸らすと、

「お名前、覚えさせていただきましたわ」と、言って、取り巻きをつれて階段を上がっていった。


 ……ケーッ! いけ好かないやつ!?

 なに、あのムカつく貴族の典型みたいなぁ? たかが貴族ってだけで偉ぶっちゃって!

 あれじゃ将来ロクな人間になれないわよ。もう、ムッカツク!?




 しばらくどころかずいぶん待たされた後に、ようやく女教諭がやってきた。遅ーい。と、文句をつけたいところだったが、四苦八苦しながら机と椅子をガタガタ運んでこられたので、私が持ちます。と買って出た。

 ひーふー、言いつつ三階にまで机を運んだ。すでに授業が始まってるのか廊下はずいぶん静かである。

 女教諭さんは「失礼します」と、軽くノックをして1-Aの教室の引き戸を開けた。


「――してありまして、ぬ? これはモルガン女史。どうかしましたかな」

「授業中に失礼します。こちらの彼女が」

「……あぁ、例の新しい生徒ですか。こう言ってはなんですが、急に受け持つ生徒を増やされては困りますぞ。せめて事前にご説明をいただかぬと」

「仰るとおり。それはワタシも同じ思いですわ」


 女教諭さんと、恐らくはクラスの教諭とが愚痴っていたが、ハッ、と女教諭さんが、我に返ってか「さぁ、授業が始まるから貴女も机を運び入れて」と、手招きされる。

 話し込んでたのは先生たちでしょ~?

 と、教室に足を踏み入れ――唖然とした。

 ……なんか、妙なオッサンがいる。

 いや、クラス表を持ってるから、おそらくウチの教師なんだろうけれども、不機嫌な面やら、げっ歯類のように出っ歯にブサイクなのはいいとしても、その金髪の巻き毛を横に流してんのはマジでなんなん?

 ……学院の採用基準に、見た目チェックは入らなかったのかよ。

 こんなの師と仰ぎたくないんですが。


「こら、さっさと席につかんか!」


 と、乱暴にどやされて、大いに戸惑いながら後ろで手を振ってたシャナンたちの方へ近寄る……その教室の中ほどにいたテオドアを軽やかに無視して。



「あー、それではー、また始めから挨拶をさせていただきます。ワタクシは今日から皆様の教師を務めます、モーティス・バッガと申します。わずか一年という短い期間ではありますが、ワタクシの務めは、皆様に貴族に相応しい知識と素養を身につけていただくこと。そして、栄えあるエアル王国に貢献をなされる人物になられることであります。

 そのためには、ワタクシの努力のみならず、皆様方のご協力と向上心とが合致せねばその務めは果たすこともできませぬ。努々の努力と精進を怠らぬよう願う次第でございます。――がっ!?」


 モーティスはくわっと目を見開き「いいか、侍従どもッ!!」と激昂した。


「本来なら貴様らごとき卑しいぃ身分の者には、こぉんな勉学と人としての嗜みなど学べることなど不要であるのだぞ! それを、陛下のありがた~い、思し召しのおかげでその恩恵にあずかれこと、その幸福を、いつ、何時、何処、にあっても、故国にご恩を感じて涙せよ! ……それと、いいか、くれっぐれも! 学院の品位と、ワタクシの評価を落とすようなマネをしてみろ! 独房にいれて、永遠と我が国の正史を暗唱させるまで刷り込んでやるからな!!」


 ………… ………… ………… …………


「こほん。それではホームルームを始めます。まずは自己紹介をお願いいたします――それでは出席順からどうぞ」


 モーティスに促されて一番右端の席の子から始まった。


「ハイ、当家は王国の東方の国境を守護する役目を授かりまして――」


 と、自己紹介が始まった。

 ンだが……なんか、こう、俺が想像してた授業風景には、ちょっと遠くね?

 なんで、あの子自分の名前を言わないで、その父祖の功績ってやつばっか語ってんの。ってか、一番最後にボソボソッと、趣味だけ言って着席って……おいおい。

 前世の学校だったら、即効痛いヤツ認定されて新学期デビューに失敗してんだろ。

 まあ、周りの反応も浮いた風でもなく、普通な感じだし、……これが貴族学院との文化の違いってヤツなん?


「ハイ、それでは後ろの席の」

「え?」


 と、隣席の侍従の子に移るか、と思いきや、モーティスは後ろの席の貴族を指した。

 それに気づいたシャナンが立ち上がって、


「モーティス先生。その隣の彼はまだ紹介を終えてませんが……」

「あぁ? 侍従にそのような機会をもうける必要はありません」

「え?」


 モーティスはふん、と洟を鳴らして無下に言った。

 ……なんだ、そりゃ。俺たち侍従には自己紹介の機会すら設けてもらえないのかよ。


「勘違いをしてはいけませぬよ。貴族と侍従とはたとえ最愛の友であろうとも、永久に越えられぬ壁があるのです。彼らとは常に適切な距離を保って接するもの。その不可分を越えて、気安い態度を許しては彼らがつけあがる」

「……適切な、距離?」


 シャナンは訝しむように呟いたが、モーティスは重々しく頷いた。


「左様です。責任ある身分の者とそうで無き者との違いです。……まあ、その点について、よくよくこの学院にて学びを得ていけばよろしいでしょうな」


 シャナンは不服な顔をしながら黙り込んだが、モーティスはそれ以上に応えるつもりなく「次」と先を促した。





 ようやく最初の授業の終わりを告げる鐘が鳴った。足早にモーティスが教室を後にした途端、俺は「うへぇ~」と、思いっきし羽を伸ばして机に突っ伏した……たった一時間なのに、この疲労っぷりよ。

 いや、授業自体は、この学院の成り立ちや優秀な貴族を輩出する――という高潔な精神とやらを訊いてるだけなんで楽だけれども、授業中の姿勢がほんとに疲れるの。

 少しでも猫背をしたら「その態度はなんだーっ!?」と、教諭が飛んでくるから、背中に定規をいれたように立てるしかないから。

 それが平等なら厳しい先生ってだけで笑ってられんだけど、貴族様相手にはしおらしいくせ、侍従相手には「おい、こら!」と罵倒から入ってくるような、ロックなお方だ。

 ……ったく、朝っぱらから妙なのに絡まれたり、ヘンな先生だったり、ついてね~。と、腰をトントンと叩いてたら、


「フレイ。授業の方はどう?」やけに疲れた顔をしたボギーが来た。


「ボチボチって感じですかね。ボギーも疲れた口ですか?」

「まだ元気よ……ってか、隣り凄いね」

「……おぉ」


 俺の席のすーぐ後ろの席は、キャーキャー、と騒ぐ女子たちに溢れて、まるで池の鯉にエサを投げ入れられたような様相。そのエサとやらはシャナンだ。

 こういう風に学院デビューを楽々こなしちゃうヤツっているよねぇ。


「……シャナン様は、その、モテるのは知ってたけど……王都でもこうなんだね」


 と、ボギーはなぜかシュンとなった。

 そんな落ち込まないでよ。中身はともかく、スラッとした感じのイケメンだし。普通に黙ってたらモテるのはわかってた反応でしょ。

 まあ、シャナンの周りにいるのは貴族の女子だけってのは驚きだけど。それがわかるってのは、女子の右袖の部分には、貴族だけがつけることを許された三つ葉のワッペンがついているのだ。

 しかも、隣のクラスやもしかして、上級生と思しき姿まであるのは、勇者人気もここに極まれりって感じでムカつくんだが……。

 と、その様子をしげしげと眺めていたら、




「ごきげんようローウェル様」


 聞き憶えのあるいや~な声がした。

 俺は突っ伏していた机から振り仰ぐと、ちょうど俺の席をテオドアが素通りしていく。騒いでいた女子たち、急に静かになって、女子たちが一歩身を引いた隙間を、テオドアならびに三人のお付きの侍女たちは、ズカズカと埋めた。


「……うっわぁ。あいつらシャナンにまで絡みに行くのか」

「え、知り合い?」

「永遠に知り合いたくなかったけどね」


 と、顔をしかめてたら、テオドアはシャナンへ向かって「ごきげんようローウェル様」スカートの裾を掴んで伏し目がちにお辞儀をした。


「ああ? たしかルクレール家の」

「嬉しい。覚えていてくださったのですね。改めて、ルクレール公爵家が娘のテオドアと申しますわ。以後お見知りおきくださいませ」

「どうも丁寧なご挨拶を。僕になにか用事ですか?」

「いいえ。用事というほどではございませんが。せっかく勇者と名高い子爵様と、同じクラスになられたのですから。色々話をお聞きしたいと思いまして。お声をおかけした次第ですわ」


 テオドアは憧れの英雄に感激したかのような笑顔を振りまいた。

 なんか、漂白剤で一晩漬けたように邪れのない笑顔だね。うん。先に「豚野郎!」呼ばわりされなければ、俺も魅了されていたかもしれない。

 でも、騙されないで。シャナン様ー!

 あんなスライムも殺したことのない笑顔をしてますが、そいつだけはダメですーっ!!

 俺は頭の上で手をバッテンさせて合図を送ったが、シャナンは「ハァ?」と困惑顔。

 いや、だから、その性悪だけはぜったいにダメですってば!?


「シャナン様?」

「あ、いえなんでしょう」

「いいえ、不躾な頼みになるかもしれませんが。もしよろしければ昼食をご一緒に?」



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