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LV60

 ……なんだったんだろう。あの意味ありげな微笑は。


 エレン陛下に置いていかれた俺は、かれこれ一時間近く応接室に待ちぼうけ。

 窓際に立ち、そっと講堂の方を見やっても、ここから様子は覗けない。

 ……あぁ、退屈という以上に不穏だ。

 こんな見知らぬ場所で、ひとりぼっちなのは誘拐された時以来な気がする。というか、あの時と同じでまたぞろ妙な事態に巻き込まれつつある気がするのよね。

 あんな微笑を投げつけられただけで被害妄想かもしらんけど、我ながら悪い予感だけは百発百中で当たるんだわ。

 陛下もどっちかといえば悪女顔だし、なんか企んでてもふしぎはないんだけど、それがなんだか見当もつかねぇなぁ。つか、俺も迷子になったワケじゃないんだから、解放してくれてたらそのまま帰れたのに!

 ヤキモキと部屋をうろついてたら、不意に廊下から物々しい足音が続いた。

 どうやら陛下が帰ってきたみたいだ。

 俺はソファに座り直して居住まいを正すと、ちょうどその時バーンと陛下が現れた。


「待たせたな。さぞかし退屈であったろう?」

「いえ、そんな」

「ウソを言うな。顔に書いてある」


 陛下は悠然とした笑みでちょんちょん、と苦笑する俺の顔を突っついてくる。


「しかし、その退屈は我の話を聴講してる者たちも同じだろう。入学の式典など、毎度変わらずの実のない話しを弁じてきたわけだ……さて、帰ってきて早々に悪いが、お主を返さねばならんな」


 ……あの、それはいいんですが。顔が近いです。

 きゃー!?

 ちょ、こっちにしなだれかかってくるの止めてー!?

 み、耳に息があたってるー!?


「あぁ? 残念。逃げられたか」


 陛下はクスクスと上機嫌な笑い声をあげ、渋い顔で控えてる老侍従に「勇者殿を呼んで参れ」と命じた。


「陛下……誠に申しあげにくいのですが、お時間の方が迫っております」

「いまのところ差し迫った政務はないはずだが」

「しかし、そうして貯めた仕事は――」

「時が惜しいというのならば、こうして問答をする時間も無駄なものだ。仕事が大事なら、我の要件を片づけるべく迅速に呼び出して参れ」


 老侍従は一瞬、顔に悲壮感を漂わせた。が、すぐに一礼して部屋を飛び出していった。……あの方の苦労が忍ばれる。


「あやつの仕打ちに気にしてるのか? ふふっ、べつに気に病むことはないぞ。ああして迷惑をかけた方が、ボケなくなるだろうて」


 変わりに高血圧や心臓病で早死にしそうですけど……。

 陛下は身づくろいをする猫のように澄ました顔で立ち上がると、対面のソファに座った。


 …………。


 ……この沈黙が重たい。

 でも、俺にはいたいけな老人を顎でもて遊ぶ妖艶な美女と、軽妙洒脱におしゃべりするスキルなんて持ち合わせてないので、気づまりな雰囲気に甘んじていたら、老侍従がすぐにクライスさんとトーマスさんを連れてきた。

 ふたりは俺を発見すると、瞠目して天を仰ぎかけた――が、すぐにその表情を打ち消して片膝を地につけた。


「……お久しぶりでございますエレン陛下」

「特に久しくはなかろう? 先だっての謁見の場以来ではな。しかし、急な呼び立てをしてすまなかったな。お主には色々と話したいことがある」

「はっ。なんなりとお申し付けください」

「そう固くなるな」


 陛下はクスッと微笑むと青い双眸を瞬かせたら、部屋のお付きの人らが一瞬で仕事の手を止めゾロゾロと外に出ていった。

 その機械的な様子を目で追っていたら、トーマスさんがこっちに非難がましい目を向けてきた。なによ。婦女子たちにボッコにされたのを恨んでるとか?


「……陛下、それで私に話とはいったい?」

「せっかちなことよの。時間が迫っているとはいえ、世間話を楽しむ余裕ぐらいはある。まあ、お主が我との話が苦痛であるなら、すぐにやめるが?」

「い、いえ、そのような……」


 クライスさんは盛大に動揺したが「冗談だ」と陛下は一笑に付した。


「そう緊張するな。我の話というのもなんてことない世間話だ――というのも、我の娘も早いもので年頃でな。今年からこの学院へと出すことになった。一応は国の学び舎にあっては、ただ花嫁修業のために通うわすつもりはない。できれば多くのことを学んできては欲しいが……しかし、例に漏れず娘はずいぶんな箱入りでな。同世代の者と親しむ機会などとんと持っておらず、それが我には少し気掛かりでな」


 息を切るとわかるか? と、目顔で問いかけたのに、クライスさんは「はぁ」と生返事で返した。


「恥ずかしい話しだが、多忙に任せて近頃は娘と話す機会すら持てない始末だ。親としては失格だが、これでも娘の将来についてはちゃんと道筋をつけてやりたい。だが娘が学院について、或いは自分の未来についても、どんな考えであるかも見当がつかない。だが、お主の子息の……シャナンと申したかな。彼は娘と同輩にあたるのだろう、これは運命の配剤によるものだ――」

「陛下それは!?」


 ハッと、何故かしらトーマスさんが浮足立ったが、陛下が一瞥を向けると、押し黙って下を向いた。

 ……え、なに? あのトーマスさんがビビッたようだけど。

 俺は戸惑って陛下に目を向けたが、その顔には常にも増した笑顔しかない。


「なにもとくべつなことを頼むつもりはない。ただ娘のことを気にかけてやってくれ、とご子息殿に頼んで欲しくてな」

「はぁ」

「勇者殿にかような親バカなを頼みにするのは気が引けるが、大事な一人娘のこと。大目に見てくれれば助かる。ともあれ、外聞の悪いこと故に”ここだけ”の話に留めておいてくれ」


 陛下はにんまりと笑みを深めると「頼んでばかりですまぬことだがな」と念を押した。



 ……ふむ。

 含みがある物言いばっかでハラハラしたけどようは――

「ウチの娘も学院に通うけど、世間知らずだからなにかとよろしくね」って言いたかっただけか。

 親バカって言うけど、ただの親同士の普通の挨拶じゃないの。

 ハァ~。もう心配して損したわ。ね、トーマスさん? って、おいおい、なんか顔が黒ずんでるけど、そ、そんなにも女性陣から受けた折檻がきつかったのか……?


「我の用事はそんなところだ――さてと、ずいぶん待たせてしまったが、こちらの娘をいい加減に返さねばなならんな。これはおぬしの連れのものであろう?」

「あ。はい、我が村の領民でして」

「顔を覚えておいて正解だったな。辺境伯を叱り飛ばした先の一席は子供ながら、なかなかの手並みであった」


 そ、そうすっか?

 うへへっ、陛下に褒められちった!


「かの娘が校舎で迷っていた様子でな。これから我の娘とは同輩になるだろうと思い、そこで拾ったのだ」

「あ、いえ、その者は学院には通わぬので。私もぜひに入学するよう強く薦めたのですが、見事に振られてしまいまして」

「先ほどに知ったよ。しかし、お主の周りには優秀な者が集まるのは、さすがは英雄の才であるな。これなら主の領は百年と安泰であろうの」

「ははっ」


 クライスさんが誇らし気にかしこまった。

「だが」と陛下は不意にその表情を消すと――続く言葉にピシリッとその場が凍りついた。


「……だが、いったいなぜ我が授けたはずの剣をこの娘が持っておるのだろうな」


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