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LV54

 そして、扉は開け放たれた。

 開かれた場所は、この王国においてもっとも神聖にして侵さざる玉座の間。

 城下の騒ぎに慌てふためいていたらしい重臣らは、突然、闖入してきた物々しい格好の勇者やその周囲を固める騎士たちに唖然とした。

 クライスさんが堂々と赤カーペットの上を一直線に進むのに、やっと我に返ったのか、


「い、いったいこれはなんの騒ぎかっ! いや、ここをどこと心得てる!」

「我らが陛下の御前であらせられるのだぞ!」


 と、騒ぎ出したが、玉座の主が静かに、だが威厳高く「よい」と、退かせると、重臣はすぐに黙った。

 勇者が女王陛下の元に寄り、そして片膝をついて臣下の礼を取る。それは、敬愛する女王へと忠義を示す騎士、そのものであり、その景色はいっそ古代の叙事詩に刻まれたもののように美しくも幻想的なものだった。

 だが、その場に唯一似つかわしくもないがあるのなら、憎々しげに満ちた表情を張り付けた辺境伯が、勇者の傍らで両膝を震わせていたことだろう。


「なぜ、ここに?」


 と、辺境伯は追い払った野良猫を見るかのように、俺のことを憎々しげに睨んだが女王陛下の伸びやかな笑い声に口を結んだ。


「ふふっ、勇者殿がかように現れるのはいつ以来だろうかな? たしか先に謁見の機会を設けたのは、すでに10年は前だと記憶しているが……」

「はっ、領地と剣とを賜る機会をいただいた以来かと」

「ずいぶんと久しいものだな。後ろの小さき子らは其方の子息であろう? 我も歳を取るはずだ」


 鋭利なまでに蒼い双眸を緩めてクスクスと笑うと、その拍子に真珠のついたイヤリングが揺れた。


「しかし、如何に親しい勇者殿と言えども、この騒ぎについての説明はいただきたいな。このままだと、重臣どもが腰を落ち着けて仕事にかかれるものではないのでな」

「ハイ。この度は陛下の膝下を騒がせましてとんだご無礼を……しかしながら先ほど賊に襲われまして」

「賊とな?」

「ふん。たかが賊ごときでこの大騒ぎですか? 邪竜とは比べるべくもない小物ですな。……このようなことでご多忙であらせられる女王陛下の手を煩わせるなど、勇者殿の名折れではないか?」


 辺境伯はあからさまな厭味をぶっこみ、忌々しいといわんばかりに俺とクライスさんを睨みつけてくる。

 ケッ、そっちこそ勇者の登場で、泡を喰ってやがったくせに。

 だが、クライスさんも負け時と、睨み返すとその迫力に押されてか顔面を蒼白にした。


「へ、陛下との謁見の機会をいただけたのはワシの方が先だ! 衛兵に任せればすむ問題で、かように強引な割り込みをされては困る!? 子爵の要件も済んだのだろう。早くに帰りたまえ!」

「いえ、申し上げたきことは、他にもございます。私どもから、是非とも陛下にお受け取りいただきたいものがございます。それは、我が領内の娘――フレイ・シーフォが生み出した、カステラという菓子でございます――シャナン」

「ハイッ」


 後ろに控えていたシャナンが竜の意趣が設えられた木箱を掲げて、蜂蜜色のカステラを差し出した。これは村を出立する日に作った物だが、保存の魔力がこめられた袋に入れてきたので、一週間たったいまも新品と同様だ。

 こんな事態にならなければ、本来はスフレのお披露目の場だったんだけど……

 と、味わった辛酸を舐める思いでいたら、突如として、


「それは嘘だ、勇者は嘘をついている!」と、辺境伯はがなりたてた。

「陛下! お聞きください。その菓子を受け取ってはなりませぬ。あのかすてらは当家の物なのでございま――」


 身振りを交えて力説していた辺境伯は、急に息が詰まったかのように押し黙ると青い顔をした。その見開いた目の先には、世にも凍えるように冷たい表情をした陛下だった。


「辺境伯。我がいつ其方に発言を許した?」


 と、その冷やかな言葉にギクリッと、身を固めたのは辺境伯だけでなく、周りの人間もまた同じだったろう。関係ない俺もそのド迫力に背筋が震えた。

 声を荒らげていた辺境伯は急にギクシャクとした動きになって、


「……はっ、し、失礼を致しました!? し、しかし、ワタクシの口上の途中に、思わぬ闖入があったもので。無礼を働きました、ですが何卒! ワタクシに意見を表明することを、お許しいただきたい! いま、まさに当家の名誉が脅かされておるのです!」

「伯がそこまで言うなら発言を許可しよう」

「ありがとうございます!」


 辺境伯は恭しい仕草で頭を垂れてみせた。

 が、こちらをゆるりと振り帰った顔には、先ほどまでの謙虚さが姿を消していた。

 まるで仮面を付け替えたかのように青白かった頬に生気が戻り、元の残忍な表情でこちらを告発するように指さした。


「勇者殿は先ほど、陛下に菓子を献上されると申されました。しかし、勇者殿の話しには嘘がある。それは彼の領地の娘が作った――と申しますが、それは明らかな虚言であります。なぜなら、かすてらとは我がローゼンバッハ家に伝わりし秘伝の菓子であるのです!その証拠にこちらをご覧ください!」


 辺境伯もその手にずっと抱いていた小包に入ってたのは、やはりカステラだった。


「チッ、やっぱりか」

「……ですね」


 シャナンが苦々しい顔でボソッとささやいた。

 予想通りだよ。

 辺境伯のヤツ、陛下のお墨付きでもってカステラを自分のものにする腹だったな。


「同じ形状と名を持つ物が二つとな……其方の言い分では、勇者殿が盗みを働いた。とそう申すのか」

「いえ、邪竜を葬るほどご高名な勇者殿が、そのような犯罪に手を染めませぬでしょう。大方、そちらの娘が、勇者殿をたぶらかしたのです。実はつい先日、恥ずかしながらワタクシの屋敷に忍び込まれまして……」


 よくも、いけしゃあしゃあと言ってのけるな!

 侵入もなにも、俺はアンタに誘拐されたんだろうがッ!?


「辺境伯殿にしては、いささか礼節にかける振る舞いではございませぬか? 我々のことを格たる証拠も示さずに、人をたぶらかすだのと申されるなど、貴殿の発言が正しいという証拠にはならないだろう」


 俺がプリプリと心中で怒り狂っていると、すかさずクライスさんが指摘したが、辺境伯は「そんなことか」と鼻をならして一蹴するように、カステラを掲げて見せた。


「ご覧ください。我がかすてらの輝くような金色を! そちらの品とを比ぶればその差は一目瞭然ではないか!」

「それが証拠ですか? 色合いの違いなど、卵や砂糖の違いでいくらでも変わるものではないか」

「ならば聞くが、そこの卑しき娘の仕事はなんだ? ただの田舎宿屋の娘ではないか。それが、どうして陛下に献上されるような菓子が生まれるのかね。普通に考えれば辺境の地にかように格調高き菓子が生まれるはずがない」

「それこそ無礼な決めつけだ! かの土地がローウェル家に下地される前、王家の土地と知ってのことか!」

「ワタクシはただ、陛下から賜れた領地を活かせぬ貴殿の才覚を指摘してるだけだッ! 貴殿は宮廷内での噂を存じないから、そうぬけぬけと大きな顔をしていられる! 英雄として召抱えられたくせに、その後の国への貢献は無いに等しいじゃないか!?

 いったい、貴殿が叙任してから、どれだけ国庫に税をおさめた? 申しわけばかりの麦と街の賊。そのあげく偽物のかすてらだと?

 ――ハッ! それで、陛下への忠心を語るなど片腹痛いわ。国のなかで、勇者としての働きを見られるのは何時になることやら――――」


「黙れ!」


 シャナンは握りしめた拳を払って、辺境伯に怒鳴り返した。


「さっきからぐだぐだと下らないことばかり! フレイや父様に非礼じゃないか! 二人とも村のためにどれだけ尽力してるか、オマエは知らないからそんなことを言えるんだ!二人への暴言を、即刻に取り消せ!」

「口だけならばどんな戯言でも言えるわッ! 自らの潔白を主張するからには証拠のひとつや二つ、お示し願いたいものだな子爵殿!」




「証拠ならございますが」


 独りごとのつもりで呟いたが、謁見の間にはことさら通ったようだ。

 しかし、重臣らはいま俺に気づいたとばかりに胡乱な目をしていた。それに気づいてか、辺境伯は額に青筋を浮かせたままに、フンっと皮肉に頬を吊り上げた。


「卑しい娘が身の程をわきまえよ。オマエごときが居て良い場所だと思うてか!」

「辺境伯様に言われずとも、ここは神聖なる陛下のおられます場所。わたしのように卑しい身分の者がいるに相応しくないのは存じ上げております」


「なにを……!」と、いきり立つ辺境伯をいなすように軽く見据えて黙らすと、俺は視線を外して女王陛下に向けて深々と一礼をした。


「我らが親愛しておられる領主様が、あらぬ疑いをかけられたまま口を閉じることはできかねます。しかるに、陛下のお許しがございますれば、わたしの口から今回の騒動についての誤解を解く機会をいただきたいと願います」

「そう思うのならば黙っ――」

「発言を許そう」


 辺境伯はその言葉を予期してなかったのか、パクパクと金魚のように口を開け閉めして口をつぐんだ。俺は陛下に「感謝いたします」と、一礼をすると、口をさしはさむ余地を無くした辺境伯にニッコリと微笑んだ。


「しかし、辺境伯様には感謝を致せねばなりませんね。カステラをかように高く評価されるなど光栄なことでございますから」

「はぁ!? よくも盗人がぬけぬけと! いいか、貴様がどのような詭弁を弄しようともかすてらは我が領内にて生まれたものなのだと! それともなにか? 偶然にも姿かたちや名前までも瓜二つな同じ物が存在してるとでも申すつもりか!」

「いいえ。そんな偶然はございませんでしょう。しかし、偶然というのもふしぎですね。いったいどうして辺境伯様は、今日という日に、陛下にカステラを献上される運びになったのでしょう? 代々に伝わる菓子ならば、もっと以前から陛下の元にあってもおかしくないのでは」

「そ、それは、息子が学院に就学するのを機に陛下に献上しようと決めていただけだッ!それを貴様が……!」

「なるほど。辺境伯様にお伺いいたしますが、わたしが盗みに入った、と仰せなのはいつのことでしょう?」

「貴様はそんなことも忘れたのか! つい、先日のことだろうに!」


 なるほどなー。


「……語るに落ちたな」

「なに!?」

「いえ、なにも。それですと妙なことになるのです。わたし共のカステラはすでに陛下に献上されているのです。一年も前に」


 辺境伯は一瞬、呆気にとられたように固まった。が、物凄い勢いで陛下を振り返ると、その陛下がなにも語らずに見守っていた。

 肩がくつくつと上下したかと思うと、やがて狂ったように身をよじって笑いだした。


「ハハッ、ハッ!? 貴様の言う証拠とは、よりにもよって、陛下におありだと? ハーッハッハッ、ハこんな笑わせてくれる話はないわ。厚かましい娘だとは思っていたが、こうまで虚言を弄すなどとは、縛り首をも覚悟してのことかッ!?」

「決まっておりますでしょう? 陛下がお口にされたものなのですから、正しきお言葉は陛下がお持ちのはずです」


 震えが立つような心地のまま、口上を述べきると、俺は深く瞑目しながら頭を下げた。もう、泣いても笑っても陛下の御心がすべてを決するのだ――

 まるで神の宣託を待つかのように、祈りながら答えを待った。



「そこな娘が言う通りだ。我はかすてらというものを食した憶えがある」


 陛下は一切の感情を含めず、事実だけを持って答えた。その途端に「うそだ」と、かすれた声とともにドサッとなにかが崩れる音がした。

 自らの力の根源である魔力がついぞ失われたかのように、辺境伯はその場に両膝をついて薄い唇を青く震わせていた。


「柔らかであり、タイヘンに美味であったと記憶している。あぁ、伯にはそれだと我の舌が嘘をついてるか、勘違いかとその根拠を求めるかな?」


 と、陛下はかわいらしくも小首をかしげた。自らの繰る言葉がどんな顛末を導くかと、知り尽くしているだろうに、怯えきった辺境伯を見下ろす青い瞳はむしろ慈愛に満ちているように見えた。


「持って参れ」


 陛下の呼びかけに、奥の間に控えていた侍女が函は携えて現れる。それは先にシャナンが掲げていた竜の意匠を凝らした物と同一品だった。

 ……やれやれ。これでしばらくはトーマスさんには頭が上がらないな。

 前に村を出る時に”ビッグな著名人”に渡すように、とお願いしたあのお土産。

 それがまさかここまでな人だったなんてな。



 くず折れた辺境伯に一瞥を向けるでもなく、シャナンは居住まいを正すように背筋を正して「陛下」と、改めてカステラを差し出した。


「ここにローウェル家から陛下の元にご献上の品を持参致しました。是非ともお受け取りいただきたく思います」

「それは重畳だ。またあの味を楽しめるとなると嬉しいものよ」

「お褒めに預かりまして、身に余る光栄です……しかし、同じ物をまた渡すだけでは陛下に対して申しわけが立ちません故に、他の品もご用意いたしています」

「ほう? そちらの品だけではなく、まだあるとな?」

「ハイ、これは我がローウェル家が用意したものでなく、そこのフレイからの忠心の証しでございます。彼女は「是非、陛下には宮廷でもカステラを味わっていただい」と、そう願っており、かすてらの製法を陛下に献上したいと」

「ほう? それは真か。せっかくに作り上げた菓子であろうに、貴殿らがそこの娘の技術を好き勝手に渡すつもりかな」


 女王陛下はスッ瞳を細めていた。ローウェル家が、俺からカステラの技術を横取りする気なのか、と暗に問うているんだろう。

 でも、それは決してシャナンの独断でもなく、俺もそう願ったことだ。もしも、カステラを取り返せなければ、せめてもにそのレシピを公開する。それと、取り戻せても陛下に譲渡するつもりだった。


「いえ、フレイの思いは承知しています。殊更に卑下するつもりなどありませんが、しかし、我が領内は事実として田舎です。……それは、そのことが私はいつも心のなかで恥じていました。その揺り動かせない貧しさに。

 けれど、気づいたのです。貧しいからと嘆いたところで何も変わらないし、それは善し悪しの問題ではない。ただ現実がそうあるだけです。これは我らが努力だけでは変えられぬ、神の配剤というべきものでしょう。しかし、そこで暮らす人々が、そのことによって引け目を抱えて生きるべきじゃない。

 フレイも――彼女も、貧しい身の上ですが、素晴らしいアイデアを持っていても、埋もれてしまった人々や無数のアイデアがあるかもしれない。ほんの少しの知恵と勇気があれば、きっと成功が待っていただろうに。

 このかすてらが陛下の御名によって認められれば、そういった人たちにとって、なによりの励みとなり、ひいては国を富ます力になるはずです」


 一息にそう言い切ったシャナンの振舞いの途中にも、重臣たちはその言葉に賛同するように頷いたり、感嘆したようなうなり声が響いた。彼らからすれば、二人目の勇者が再臨したような思いだったのかもしらない。

 けれど、驚いたのは俺も同じだ。その仏頂面の奥に隠されているけど、シャナンが村を好きだなんてことはよく知っている。でも、口に出せば笑われそうな、青臭い考えをこんな場所でさらけ出すだなんて、やってのけるとは思わなかった。

 ……いや、けど勇者の息子ってんなら、当然かもな。

 こういう、困難な状況でも投げ出さないってのが、きっと勇者の条件なんだろうし。

 シャナンは「差し出がましいことを申しました」と、頭を下げたが、陛下は愉快そうに顔を傾けて微笑んだ。


「気に病むことではない。幼い勇者が自領への思いを語るものを嗤う輩は、この場にいる資格は持たぬであろう。しかし、ふふっ。我に土産を差し出したと思うと、次にはそれを手放せと言うか。まあ、よい。そこの娘も承知しておるなら、そのように取り計らおう。自分の懐のことだけを考える諸侯には、発奮してもらわねばならんからな」

「あ、ありがとうございます!」


 シャナンは頬を幾分上気させて俯くと、隣に寄ったクライスさんが優しい顔をして肩を叩いて労った。

 それに女王陛下もクスッと微笑み「勇者殿はよい後継ぎを得たな」と、告げて散会を促すように玉座から立ち上がった。その去り際に、しっぽを丸めた犬のように気配を小さくしていた辺境伯を目敏く見つけ「あぁ、辺境伯。其方の献上した土産話は愉しいものであったな?」と、意地悪く微笑んだ。

 辺境伯は、ギクリとすくみ上がると、そのまま退出をしていった。

 ……そんなナリを見れば、あんな程度の輩に怯えてた自分が情けなくなるわ。と、俺は少しく肩をすくめてたら、シャナンが戻ってきた。


「どうだ。オマエの望んだ結末に近づけたか」

「まあ……概ね」


 最高の結末!

 な~んて、褒めちぎるのも癪なのでしたり顔で頷いたら、シャナンはえらく満足そうな、勇者に似た笑顔で優しく微笑んだので、私の心臓がまるで捻りつぶされたスライムのようにキュンッと音をたてた気がした――が、しかし、それはまあ恐らくというか、たぶん往々にして。

 気のせいだろう。

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