LV52
「雨、上がりましたね」
俺は両手をかざして雨粒を待ち受けるような格好で空を振り仰いだ。
銀糸のように軟い雨は、薄雲の切れ間から差し込む光にはかなく溶けてしまい、いまでは地面を黒ずむ後を残すばかり。俺は無言のままのボギーに振り向き「ほらっ」と、空を指さした。
「見てくださいよアレ! 空が透き通るみたいにキレーですよ」
「……そうね」
「晴れてよかったですよ~。王都まで後もうちょいって所なのに、濡れねずみのまま行きつくだなんて幸先が悪いですもの」
「…………話はいいから。手綱を握ってってば」
「えぇ? 大丈夫ですよ。わたしも馬にはずっと乗ってて慣れてきましたから」
「そういう問題じゃないの! 暴れて怪我したら危ないでしょう」
「まあ、ね。いっそ頭を打ったら違うわたしになってるかもしれませんしね」
「なにそれ」
俺が独りでに笑っていたら、ボギーは呆れ顔でこちらの外套を小突いた。視線を先へと戻すと、クライスさんが馬上から「おーい」と手を振っている。
「ついに見えたの?」
「でしょう、ね!」
と、軽く馬の腹を叩くと、ボギーの悲鳴が上がって勢いよく周りの景色が走っていく。すると、平原の彼方に浮かぶ王都の街並みがその姿をあらわした。
約一週間ぶりに村への帰還を果たした。村はいつもと変わらぬ平穏のままだった。
俺はしばらく宿の前で、見慣れた景色を眺めていたが「早く顔を見せてやりなさい」と、クライスさんに促されて、「ただいまー」と、ウチのドアをくぐった。
すると、カウンターの向こうで皿を拭いていた母さんが、信じられない。というふうな呆然とした顔をしたかと思うと、すぐに俺の元に飛んできて、感極まったように抱きしめられた。
……いや、ほんとに心配をかけちゃってごめん。
その日は涙や勇者様への感謝やらでいっぱいでぐしゃぐしゃになったが、自室に帰ってベッドに入るとまるで嘘のように眠りにつけた。
翌朝には、やってきたジョセフに無言で頭を撫でられて訓練にも参加した。こんな日ぐらいは、仏心で休みとしてくれてもいいだろうに。とは思ったが、これもジョセフなりの日常へ戻れという気遣いなんだろう。
「よく無事で帰ってきやがったな」
と、自警団のむさっ苦しい面にペコペコと頭を下げていたら、急にその首を掴まれた。
「フレイのバカーっ!?」
うわっ、な、なにッ!?
と、首に絡まる手を解きにかかると、ボギーの顔があまりに近くにあってギョッとした。
「え、ええ。な、なんでそんなに泣いてる、の?」
「バカッ! 心配したからに決まってるでしょ!? もうフレイってば最悪ッ!! もう信じらんない!」
「……あ、ああ、いやぁその」
「だからあんなのに気を許すなって言ったでしょ! あたしがどんだけ心配したかと思ってんのっ!?」
「え、ええ。心配かけてすみません」
「アンタなんかの心配なんかしてないわよ! バカフレイッ!」
え、えぇ? さっき心配したって、え、なに、その高速な手のひら返し!?
泣きわめいてるボギーのご機嫌を取るのに、訓練どこじゃなくなったが、ジョセフから文句も飛んでこない辺り、なんだかんだと孫娘には甘いのかな。
「さて。昨日はゆっくり眠れたかな」
「はい。おかげさまで……あの、今回はクライス様たちに感謝しても――」
「気に病むことではない、私では助けにならなかった」
クライスさんはそう謙遜をしてゆったりと瞠目すると、次にまぶたを開いた時には強い眼差しとなっていた。
「それで腹は決まっただろうな?」
「ハイ。カステラはもうわたしが勝手にどうこうする物じゃない……たとえどんなことがあっても、必ずカステラは取り返します!」
「決まりだな! だが問題は如何にしてかすてらを取り返すか、だが……穏便なところで、焼き討ちなどはどうかな」
「…………」
「冗談だよ。冗談!」
……いや、冗談を言うタイミングを考えて。たがが緩むんならまだしも、隣のジョセフやシャナンはガチ止めるために腰を上げましたよ。
ジョセフはごほんと、気を取りなすように咳ばらいをして。
「しかし、取り戻すといっても、具体的にどのような手段を用いるのです? 悔しいことですが、かすてらの製法がすでに相手にわたっている以上、我々がどのような手段を用いたとして、その所有権は揺るがぬものだと思われますが」
「…………うっ」
耳が痛いというか、人の意気を挫くようなこと言うなよ。
まあ、事実だけど。
「いや辺境伯の狙いを考えればそうとも言えないはずだよ、ジョセフ」
横からシャナンが釘さすように言った。
「辺境伯の治めるカルバチアは、西国や南方諸国からやってくる様々な貿易品で財を為した都市だろ。まさか、そこの主がかすてらをその品目に加え小遣いを稼ごう、なんて思うはずもない。やつが目をつけたのは、金銭以外でのなにか他の目的があるはずだ」
う~ぬ。菓子が貿易品にならね、みたいな評価は悔しいけれど、シャナンの言い分には頷ける。あの辺境伯って相当金には汚そうだけど、でも逆に金意外には信奉することってなさそうなんだけどな。
「その辺境伯の狙いとは」
「僕も事の次第は、父様からのまた聞きなんで確信はできませんけど。やつの言動から、その目的まで大体にわかりましたよ」
「ほんとにぃ!?」
いや、俺もすぐ目の前でいたけど、気に掛かることって……なんかあった?
首をかしげていたらクライスさんが、ふむ。と顎に手をやって、
「辺境伯が気になることを申していたな。今度お目にかかるのは王都だ、なんだとか」
「ええ。それでかすてらが”手土産”だと言っていた――んですよね」
「なるほど」
クライスさんだけでなく、ジョセフも得心がいったと深く頷いた。
……あ、あの、置いてけぼりが独りいるんですが。と、親からはぐれたひな鳥のごとくキョロキョロしたら、まだわからないのかよ。と、呆れたシャナンが口を継いだ。
「だから、やつはかすてらを献上する気なんだよ――――女王陛下に」
「ボギー。そこだと邪魔になるからこっちへ」
「……は、はい。すみませんシャナン様」
旅装に身をつつんだ小男にぶつかりそうになったボギーの手を引き、シャナンがかばうように横についた。
王都には数十万の人が住むだけあって、入城に関する様々な手続きは不要らしく、俺たちは難なく入場をした。
それでも入り口の鋼門の間は、行き交う人波は絶えることなく続いている。
20メートルはあろうはずの幅広な大通りに避難したはずが、そこも凄まじい混雑がしてまるで渋谷のスクランブル交差点の様相だ。
まあ、元シティボーイの俺様は混雑に慣れてるとはいえ、田舎暮らしのふたり組は人の群れ面食らった様子で、あわわ、と着いてくるのも必至なようだ。
「クライス様、目的地まではまだ?」
「いや、もうすぐだ」
そうなの?
ずいぶん入り組んだ路地に差し掛かってるけど……まさか、道に迷った?
得も言われぬ不安感に、俺たちは顔を見合わせたが、それを尻目にクライスさんはやけにはしゃいだ様子で「おぉ、ついたぞ!」と、宿屋の看板を指し示して歓声を挙げた。
そして、頑丈そうなドアににじり寄ると独りでズカズカと乗り込んでいく。
「……あんなにはしゃいだクライス様を見るのは初めてデスね」
「僕もだ」
ぽつねんとシャナンが頷いたが、置いてかれるのもアレなんで大人しく続く。すると、目に飛び込んできた景色に、俺は思わず笑ってしまった。
だって、そこは冒険者が御用達――と、言うかのように気だるげな顔でたむろする冒険者たちやエールと紫煙の匂いから、イカツイ親父がカウンターの向こうで皿を磨いてるのまで、と。どこからどこまでも典型的な冒険者宿をしてたからだ。
「やぁ、俺の子猫ちゃんたち。久しぶりだね~、元気にしてた?」
「トーマス様!」
チャラ男っぽいのが奥から手招きしてる。と思ったら、トーマスさんだった。
いやー、懐かしい。と、近寄ればすでにカウンターについたクライスさんは煽っていたジョッキを干して、ぷはぁ! と一息ついた。急いでたのは酒が呑みたかっただけかよ。
「ようこそ王都へ――いや、ようこそ俺たちの城へ。惡党退治の算段をめぐらすならここしかないって場所だろ?」
「確かに」
はにかんで同意したら、カウンターから「だれがオマエの城だよ」と、宿の親父が軽口を腐したけど、その肩は楽し気に揺れ、寝起きっぱなで顔色の悪い冒険者たちも、正体に察しがついてか隣の仲間の肩を掴んでは耳元でひそひそと囁きあっている。
勇者人気は都会でも健在か。
「トーマスさん、ここでは」
「わーってるって。上に部屋はキープしてあるから。じゃ、親父。また後で」
店主に合図を送ると、俺たちはキープしていた二階の一室へと上がった。
「さて。これでゆっくり話ができるね。って、先に受け取った手紙で事情は概ね知ってはいるけど。辺境伯のヤロウにいいようにやられたんだって?」
「……ハイ、面目ございません」
しゅんと項垂れたら、ボギーに背中をさすられた。トーマスさんは「気にしなさんな」と言った。
「ヘタに意地張ってたら怪我してたかもしらないんだ。正しい判断をしたよ。辺境伯とは何度か会ったことあっけど、相当に手癖の悪いヤツだからね。勇者のおひざ元に盗みに入るほど、命知らずとは思わなかったけどな」
「あぁ。やつには然るべき報いを受けさせねばなるまい」
「……オマエがそう言うと、辺境伯が逆にかわいそうに思えるんだが」
眉を潜ませて凄んでいるのに、トーマスさんは頬を引きつらせた。
……勇者の逆鱗伝説ってのも、相当に恐ろしいぶっ飛んだ逸話がありそうですな。
「話を戻すと――、少年の読みはドンピシャだったぜ。辺境伯のやつはこそこそと、女王陛下との面談の機会をセッティングしてるって話だ。やっぱやつの狙いは名誉にあったみたいだぜ」
「……やっぱり。シャナン様の読みが当たったんですね」
「当たって欲しくもない読みでしたけどね」
「しかし、これでハッキリしたろ。辺境伯の目論みは陛下のご威光をかさにして、かすてらを奪うつもりだ」
ですね。辺境伯はおそらく、公衆の面前で陛下に献上をして、カステラの所有者だと高らかに宣言をし「陛下に認められた物」と我が物顔でいばる気だろうさ。
「トーマス様。陛下との拝謁の機会は」
「あ、あ~。うん。ソレな……もちろんアポなら取れたけど…………辺境伯の後だけど」
はあぁあああっ!?
「辺境伯の後にアポを取ったって意味がないんですがソレは!」
「いや、俺も会談をねじ込むのに色々と頑張ったのよ! でも先に埋められた日程を弄るのまでは無理なんだってば!」
「それでも、後出しに出張ったって意味がないでしょ! 辺境伯より先んじないと、ただでさえ立場が弱いのに、向こうの主張がすんなり通っちゃいますよ!」
「如何しましょう、シャナン様?」
「やはりここは襲撃――」
「子爵。オマエは黙ってろ頼むから」
「……あぁー、こうしてる間にも辺境伯に先を越されるかもしれないんでしょ! なら、無駄でもなんでも、王城に行きましょう!」
「そうだな。行くだけ行ってみるしかないか」
シャナンはクライスさんに向かって頷くと、そのまま立ち上がって行こうとした。
そこに「ちょいと、待った」と、トーマスさんが手で止めると、懐のマジックボックスから制服を取り出した。
押し付けられた服を拡げれば、白のラインで縁どられた黒色ジャケットにズボンまでついていた。その肌触りからして上質な物なのがわかった。
「な、なんです、これ?」
「俺が昔に着てた学院の制服! 女王陛下と面会が叶うにしても、旅装束のままだとまずいでしょ。そいつならオフィシャルな場でも大丈夫な格好だからさ」
「相変わらずそういう準備だけは抜群にいいな」
「だからクライスは黙ってろっつの! おら、シャナンも持ってきてんだろ? 時間がねぇんだからオマエらは出ろって早く!」
「……いや、貴方もでしょ」




