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LV51

 救出された俺は一日でも早く村に帰りたかったが、昼下がりを回っていたこともあってカルバチアに逗留するはめになった。

 夕暮れを前に、忙し気に行き交う人々の様子を横目に、クライスさんのキープしていた宿へ入ると、シャナンがいた。


「あ」

「…………」


 シャナンは口をぎゅっと真一文字に結び、いかにもな不機嫌顔。

 ……う、うわ~、何故こいつがここに。つか、なんか怒ってらっしゃる、よね?

 シャナンは、無言のままつかつかと近寄ってきたんで、俺は咄嗟にお買いモノにやってきたメイドさんに擬態してみたが、シャナンは顎を突き出したまま、無言でこっちの顔面をなぞるように睨みあげてくる。


「…………」

「な、なんでしょうか?」


 威圧感に負けて「てへっ」と、かわいさの演出をしたら、ほっぺたをギュっと掴まれた。 擬態がバレたぁ!? いや、変わってんのは格好だけで、中身は元のまんまだよ!?


「無事なんだな?」

「……え、まあ」


 若干頬がひりひりしますけど、それぐらいで変形はしませんがな。

 俺が撫でさすりつ頷いたら、シャナンは急に視線を逸らすと、無言のまま階上にいった……なンなのアレ。


「アレで心配していたのだよ」

「そう、ですか」


 なんかそれ以上に怒ってた感じがするけど。

 文句をつけようと手ぐすね引いてたら、俺があいつに気遣われるほど非道い顔をしてたとか? それはそれでショックだな。


「まあ勇者様! お早いお帰りで、ご用事はもう終わりになりまして?」


 宿の女将さんの上気した声で、重たい空気がちょっとだけ晴れた。

 応対しているクライスさんに断って、俺も部屋に上がりベッドに倒れると疲れがたまっていたのか、思いのほかなにも考えずに熟睡できた。




 ノックの音で目が覚めた時には日はすっかり傾いていた。

 眠たい目をこすりつつ、ドアを開けると両手に食事皿を抱えたクライスさんがいた。


「おぉ、起こして悪かったな。夕食の時間だしソッチの部屋で食事でもとな」

「ここで?」

「なにぶん、私が一階に降りると大騒ぎになるだろうしな」


 勇者の有名税はカルバチアの街でも支払いは苛烈なんですね。

 じゃ、どうぞ。と、部屋に招くとクライスさんに隠れてたシャナンも加わった。そして、三人で恐ろしく陰気な夕食を取った。

 女将さんが腕によりをかけた料理だけあったが、十分に味わうには冷めすぎていたし、魚醤の利いたキノコのシチューも重たすぎたし、それ以上に重たい空気の原因は俺のせいである。

 クライスさんはいつになく饒舌ぶって話を盛り上げてくれたが、しけった打ち上げ花火のように広がらず、むしろがんばる度にギシギシと不協和が露わになり、次第に寡黙になって料理を突っつくに任せた。

「部屋に戻ります」と、シャナンが腰を上げると、後は空の皿だけが残った。




 翌朝。出立の準備を終えた俺たちは朝靄に包まれた宿の前に集った。


「フレイも体調は大丈夫だな」

「ええ完璧です」

「そうか……もし良ければ、一日ぐらいは観光する時間は持てるが?」


 いや、俺如きのために時間を浪費してもらうのは申し訳ない。


「べつにこの街には遊びに来たわけじゃありませんから」

「そうか。なら村に早く帰ろう」


 クライスさんが馬上から出立を促すように軽く手を振った。俺は慌ててシャナンの馬に乗ろうと手こずっていたら、見かねたシャナンが手を引っ張り上げてくれた。

 そのまま馬上の人となって、カルバチアの入口へと差し掛かると、そこは川下から立ち上る霧に、あの巨壁を誇る門扉まで覆われていた。

 霧の中はいっそ幻想的な風景だが、肌を粟立たせるように寒かった。

 俺は静かに蹄鉄が石畳を刻む音だけを数えていたら、やがて川をぬけて空には我が物顔の太陽が顔をのぞかせた。

 街を振り返ってもそこはまだ霧に包まれていた。




 旅の初日から不快な出来事の連続だった。

 その原因は主にシャナンである。

 俺たちは同じ馬の背に揺られてるが、覗ける横顔は、寄るな、触れるな、話しかけるな、と大書してある。

 日頃から俺に対しては冷淡ではあるが、以前、俺に突っかかってた時期もそこのけに、シャナンの発する重圧が半端ねぇ。

 断固たる隔絶っぷりは、ちょっと泣けそうになる――とは露ほど思わないが「いい天気だなぁ」と、独り言を装って投げたボールを完スルーされたのには、繊細な俺のハートは少しく傷ついた。


「ちぇ、冷たいヤツだ」


 ってむくれてみたけど、考えてみれば最初にガンスルーを決めてたのは俺の方だった。その仕打ちを返されたとこで文句をつける筋合いにない。

 落ち込みつつも、出がけに宿の女将さんがくれたすもものような果実を取り出す。

「転がしておけば、村につく頃には甘くなるよ」と、言われてたが、我慢できずに青成を齧った。

 うん、普通に酸っぱい。





 気まずい雰囲気を引き摺ったまま三日目の夜を迎えた。

 その日の野営地は街道から外れた森の中だ。

 ある日、森のクマさんと出会わぬよう、完全に日の落ちたなかを俺たちは焚火を囲む。勇者がいるのだから滅多なことにはならないだろうが、連日クライスさんが焚火番をしていたので、シャナンが焚火番の役目を買って出た。


「父様も少し休んでください大丈夫です。寝ずの番ぐらいは僕にだってできます」

「……しかし、子供に起こさせていて、私が寝るのはな」

「旅をしてるなら、安全にはお互いに責任があります。それに父様が毎日寝ずにいる方が、かえってホントの危険が来た時に力が発揮できません」

「わかった。ならフレイ。今夜は悪いが、オマエ達で番をしてくれないか。それなら私も安心して寝られるしな」

「え!?」


 ……壮絶に気まずい罰ゲームなんですが。それは。

 言葉を濁して固まっていたら「そうか、そうか、それでは頼むぞ」と、クライスさんは勝手に頷いて、そそくさと天幕のなかに入っていった。


 …………………。


 始めっからこのつもりだったな……くぅ、勇者の魂胆なんて丸わかりだよ。どうせオマエラで話し合って気まずい雰囲気を解消しろってんだろう。ンないらぬお節介を働かせるぐらいなら、ちゃんと仲介までやって欲しいよ。ほら、見て? 向こうなんか視線すら合わせちゃくれないじゃない。

 ハァ。と、内心で大きくため息をつくと、焚火の前のシャナンの対面にソロソロと腰を下ろした。まるで昼間の再現のように俺たちの間には会話もなく、淡々と時間が過ぎていく。

 暗い森は静かで、シャナンの黒縁の瞳に映る焚火の灯りがチラチラと揺れていた。

 ……どーしょーこの雰囲気。ホントに会話が生まれねぇ。

 一発ギャグを披露して場をなごませるか? いや、ソッチのが難度が高いよ。


「さっさと寝ればいいだろ」

「え」

「さっきから、首を振ったりうなだれたりして。旅の疲れが溜まってるのなら、早く寝ろ。焚火の番は僕だけで十分だ」

「いやでもクライス様から頼まれたのにおざなりにできませんし」

「邪魔なんだよ」


 そのぶっきらぼうな言いぶりにカチンときた。


「邪魔って……それじゃ聞きますけど、どうしてこんな場所にのこのこついてきやがっておりますのでしょうかね?」

「べつに。僕が外の世界に出たがってることぐらい、知ってただろ」

「あっそ。領民が攫われたというのにずいぶん呑気な事で。あ~、確かに都会はスバラシイですもんねぇ。人もたくさんいて町は賑わって、辺境伯様の庭園は見事でしたし。あぁこんな素敵な服まで貰って厚遇されちゃって」

「そうか。カステラが売れてさぞかし満足したんだろうな」

「ええ満足でしたとも!」


 強く言い切ったはずが喉元に熱いものがこみ上げてきて、語尾が震えぬよう夜空を振り仰いだ。

 あんな大事な物を明け渡したりして満足なんてできるわけないじゃないか。

 諦めや後悔や怒りが、胸のなかでグルグルと渦巻いて、それが溢れぬうちに目を閉じると――フッと胸になにかがぶつかってきた。


「泣くなよ」

「シャナン?」


 思わぬ声の近さにびっくりした。シャナンに抱きしめられていた。


「泣くぐらいに悔しいんだろ、それをどうして僕らに隠してるんだよ」

「…………」


 悔しいに決まってる。

 けれど、もう取り返せないってわかってるからだ。

 一度失われたものが、もう一度、同じ形で手に戻ってくるわけはない。俺にはどう足掻いても、途方もない財力と権力を持ったあの男に勝てやしない。

 あの男は一度、自分が欲したものについて、妥協も諦めもしないだろう。例えそれでどんなに人が傷つこうが、死のうが、袖についたパン屑を払うようになかったことにできる。できてしまう。俺に向けた残忍な目は、己の野心や欲望にどこまでも忠実なソレだ。

 勝手に辺境伯に挑んで、負けたってすっからかんになるのが俺だけならいい。ハンケチを噛みしめて笑って逃げれば。

 でも、村はそうじゃないのだ。たったひとつしかないのに、自分の我が儘で村に不幸を招くなんてできっこない。それも、人をしあわせにするであろう菓子が原因で、だなんて、俺には無理だ。


「村はたったひとつしかないのに、わたしの我が儘で村に迷惑なんかかけられない。あいつの脅しは洒落や冗談じゃなく、本気でやる目をしていた。だから、もう――」

「だからオマエが泣いて諦めるって? そんなのバカげてるだろ!」


 シャナンは俺の肩を掴むと、目を覗き込むように言った。


「まだなにも失っちゃいないまだ取り返せる機会だってある。なのにどうして諦められる。いつものオマエらしくもないじゃないか?」

「……だから! 村に迷惑が――」

「迷惑なわけがないだろ! 僕らは村人が卑屈な思いをしないで、普通に暮らせるようにって、ガンバってきたんじゃないか? そのオマエが無理だなん諦めないでくれ!」


 シャナンは怒ったように被りを振った。


「オマエが大事にしてきた物を投げ出して、それで村はいままで通り? そんなの違う!だれかが影で泣いて得ている平和だなんて、嘘っぱちだ! 頼む教えてくれ。僕がオマエにしてやられることを」


 わきあがる感情に押されるかのように、俺の両肩に縋りながらシャナンは言った。

 その真剣な顔つきに答えに窮して押し黙った。




「あ~、うん。これはただの独り事だが」


 静寂のなかに、急に飛び込んできたのはテントの奥からの間延びした声だった。


「クライス様?」

「いや、エヘンッ。これはただの独り事だが~、ただの小娘に守られねばならぬほどに、村は弱い物でも頼りにならぬ物でもないぞ~。まあたしかに、そこには頼りにならぬ領主がおるらしいが、そいつは仮にも勇者と呼ばれておるのだから、まさか少女の頼みなどを無下にするわけがない」

「だ、だけど!」

「もう決めたんだ。なにがあろうとも勇者としての能う限りを尽くしてでも、かすてらを取り返す。これは領主命令だ」


 領主命令ってなによそれ。

 全然、関係なくね。

 天幕の向こうに隠れている勇者様が、両腕を組んで独りで盛り上がってる姿が浮かび、ほとほと脱力したが「諦めろよ」と、なにかトンビに油揚げをさらわれたような顔のシャナンがぶっきらぼうに言った。


「僕らがなんと言っても聞かないし、父様は一度決めたことは意地でも曲げないからな」

「…………ですか」


 反対したってあの調子じゃ聞かないよね。

 ったく、あー、俺はバカみたいだわ。あんだけ泣く思いをして諦めたってのに。だけど、しゃーないよな。カステラはウチの宿が作ってるけれども、もう俺だけの物じゃないんだ。

 やれやれ、と軽く頭を掻いていたら、シャナンはいま気づいたというように抑えていた俺の肩から、引きはがすように両手を離した。


「オマエもいい加減に、すべて自分だけで抱え込もうとするなよ。これは村の皆の問題なんだから」

「わかってますよ」


 俺が苦笑して答えると、シャナンは焚火を後ろ背にしたまま黙然と腕を組んでいた。

 また空を振り仰ぐと、焚火に赤灼けた暗色の空に瞬く星がきらりと光っていた。

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