LV46
日が暮れると街道沿いに馬車を停め、野営して夜を明かした。
焚火を囲んでもそこに会話などなく、ぼそぼそとシケたような黒パンと歯が折れそうなぐらい固い干し肉を齧るだけ。
寝る場所もラバースーツの姉御が馬車を占有して、放り出された俺ら三人は地面にごろ寝して過ごした。
夜闇に乗じて逃げ出そうと機会をうかがってはみたが、後ろ手に縄で縛られ簀巻きにされてはその機会すらなかった。
そんな腹立たしい旅程を三日程繰り返した後、ようやく旅の終点だ。
俺は慣れぬ馬車旅にすでにグロッキー状態。夜中の間ずーっと拘束されてちゃ、疲労がたまる一方だ。
日中はさすがに「血の巡りが悪くて死なれちゃ困るわさ」と、居丈高な姉御にも許され拘束は解かれているが、馬車移動をしてるなかでは身の不自由は変わらない。
スプリングの効かない揺れる車内では、舌を噛まぬよう顎は閉じたままだし、隣に居座ってるに至っては喰い逃げ犯人である。
……こんな輩に情けない格好をさらしてたまるか! と、ダルマのごとく厳めしい顔で「ぬぅ」と、不機嫌な唸りを上げて疲れを隠していたら、ふと、道を行き交う人の往来が増えたことに気がついた。
身を乗り出してわずかな隙間にへばりつくと、ちょうど坂の上を登りつめたところだ。おかげで遥かな道の先まで望め、街の城壁と陽にきらめく川面と、そしてミニチュアのように小さな家々が並んでいるのが見えた。
「……あれは街ですか」
「そうだ。交易都市カルバチアぐらいは聞いたことあるだろう」
かるばちあ?
あぁ、前に地理の本を読んだことあるし、ウチの村人も足りない食料や雑貨品を買い付けに出かけたりして、なにくれとなく縁が深い街だ。
カルバチアはエアル王国内では、北部地方有数の大都市であり、交易で栄えた都市だ。ここだけでも数万の人が暮らしていて、ちょうど西の都市国家群へ向かう通用門の街として栄えているって話だ。
覚えの怪しい知識を裏付けるように、街の入り口である橋のたもとには入場許可を待つ、行商人たちの車列がずらっと列をなしていた。
しかし、誘拐犯がこんなにも堂々と街の正門から入ろうだなんて、厚かましい連中よ。
……だが、チャンスだ。
俺は隣で腕を組んでいるオッサンを横目にしつつ、その機会を待った。
そして、俺たちの馬車へ向かって門衛が、
「次!」
と、叫ぶと同時に、俺はかすかに身を起こしかけると、オッサンに腰を強く引かれた。
「余計な騒ぎを起こさぬほうがいい」
「……いまさら首の心配ですか」
「私は気にしないが、御者台のふたりは気にするだろうな。彼女を甘く見ない方がいい。門衛にこの馬車の持ち主を明かしたら、君が騒いだところで無駄なことだ。皆が彼女の方へつき、君の覚えと待遇が悪くなるだけだ」
「…………」
「なにをしている?」
馬車のドアが開かれた先に、門衛が怪訝な顔をして立っていた。
「なんでもないです」
俺は曖昧に笑って誤魔化して腰を下ろした。訝しんでる門衛に御者台に座る姉御が乱暴に書状を投げつけると、門衛はムッとした顔をしたが、文字面に目を向けると弾かれたように「どうもお疲れ様でございます!」と敬礼をした。
馬車は街中を快調にひた走った。
できれば、街の風情がどんなものかでも見学したかったが、景色は相変わらず制限されている。しかも人の喧騒があまりに近いんで、馬車にぶつかりやしないか、と他人事ながら冷や冷やものだった。
でも、次第に街の喧騒が遠のいていったかと思うと馬車が不意に止まる。
そこは道の先が途切れていた。
ここが終点?
と、俺は怪訝に眉をひそめたが、姉御が手旗で合図を送ると、道の脇に立っていた塔の衛兵がキビキビとした動作でハンドルを回すと、途切れていた道の上から、キリキリと音をたて跳ね橋が下がってきた。
そうしてできた道の先を進むと、白亜の宮殿が姿を現した。
……なんじゃこりゃ?
馬車から降ろされた俺は、あんぐりと口を開けてその宮殿を見上げた。
宮殿は支柱からなにから、すべてが汚れのない純白色をして、まるでタージマハルみたいだだ。しかも、特筆すべきは、その宮殿の広さよ。
ここまで跳ね橋を越え、敷地を馬車で数分は走ったのに、その全景がわからん程に広い。てか、デカすぎよこれ!
と、俺がたじろいでいたら、「ほら、さっさとおしよ!」と、姉御に小突かれた。
へいへい、と宮殿の入口へと差し掛かると、その奥から使用人たちがそぞろ歩いてきた。皆、伏し目がちにしていた使用人らのなかで、ひとりだけ偉そうに胸を張ったカイゼル髭の初老の男は、こちらに慇懃な仕草で腰を折った。
「これはこれはミルディン・マクシミリアン卿。お早いご到着でございますな」
「その名はここでは止めていただこうか」
オッサンはぴしゃりと言い放つと、カイゼル髭はいくぶん気分を害したようだが、顔のシワの内に本音を隠すように取り繕って、俺たちを邸宅へと誘った。
邸宅に足を踏み入れると、目に付く物すべてが贅を凝らした物ばかりだ。
かすかに乳香の匂いが漂うエントランスは、白磁の壺に絢爛たる花々が咲き誇り、階段を支える支柱は絡み合った双竜の意趣を模していており、まるで富そのものを支えるかのよう。
高く頭上からは、嵌め込まれたガラスに遮られることなく陽の光が差し込み、真正面の階段の踊り場にはきらびやか額縁に飾られ、貴族らしき傲岸な男がいかめしい顔をして額に収まっている。
……つか、村の領主館と比べて、この格差ときたら。
と、そのあんまりといえば、あんまりな宮殿に頭が痛む思いがして手すりに寄り掛かったが、それを支えた物まで大理石である。
「おい、そこの娘よ。オマエごときが触れてよいものではないわ」
「っ!?」
カイゼル髭がジロッと睨まれた。
……んだよ、もう。ちょっと触っただけじゃん
てか、人のこと不躾にジロジロと見て。どっちが非礼だよ、こら。
俺がカイゼル髭を挑戦的に睨んだら、向こうは不意に視線を切って、そこにいた年若いメイドのふたりに、
「これを無様でない格好に繕うように」と、命じた。
「えぇ?」
と、思う間に間に、俺はまるで借りられた猫のように両脇をメイドに固められた。
無口なメイドの案内で、俺は邸宅から外に出された。
前庭を抜けて裏手へと回り、いくつもの建物が並ぶ隙間をズカズカと進む。
なんだか、さっきの豪奢な宮殿とは裏腹に、細い道を抜けるたび、生活に無用な華美さが抜けていき、建物は雑居然とした雰囲気へと変わっていく。
でもヘタしたらどれも村の領主館より立派なので侮れないのだけど。
しかし、地方の一都市でこれなんだから、王都なんかはこれの比ではないだろうなぁ。と、軽いカルチャーショックに眩暈を覚えた。
けれども、不可思議なのは、その建物の中から人の気配はすれども、子供の叫びも犬の遠吠えもしない。どこか薄ら寒さを感じていたが、実際に湿った空気が前の方から漂ってきていた。
不意にメイドの足が止まった。その小道の先に井戸が見える。
どうやら、ここが旅の終着点らしい。
……しかし、どうにもイヤな予感がする。
俺は警戒しながら、じりっと後ずさるとメイドは安心させるようにっこりとほほ笑んで「足を出しなさい」と、言った。
なんだそれだけか、とホッと油断をしたのが間違いだった。
不意に、彼女がニヤリと悪意のある顔に変じたかと思うと、俺の後ろに回っていた片割れのメイドが、俺の頭上から水をじゃぶん、とかぶせてきた。
「あら、キレイになったわね」
と、彼女らはくすくす笑った。
……なるほど。
ずいぶん手荒い歓迎だが、彼女たちの意図はよくわかった。
おそらく豪奢な邸宅に似つかわしくない、汚い娘を消毒してやろうということだろう。しかし、私が汚く見えるのは、4日にも及ぶ拉致監禁生活のせいだ。無論、事情を知らぬであろう彼女たちが、その罪を負う必要はない。だが、こんな卑しいふるまいに及ぶ理由にもならない。それに口の端をニヤニヤ歪めるのも下品だ。
私が憮然としてると、期待した反応が得られなかったのが不満か、もう片方のメイドがムッと顔をしかめて「いいから早くその汚い服を脱ぎなさいよ」と、手を伸ばしてきた。
その手を軽く捻りあげると「キャッ」と悲鳴を上げた。
もう片方のメイドが水桶を放り捨てて「なにするのよ!」と逆上して向かってくるのを滴る水滴を払うように睨みつけたら、ギクリと身をすくめた。
「ろ、ローゼンバッハ伯のメイドに手を上げるなんて!? 何様のつもり?」
「左様でございますか。これはご無礼を働きまして」
私は慇懃にわびて悠然と微笑んでやった。
「しかし、客人に対して頭から水をかけるとは、カルバチアの街ではかような風習でもあるのでしょうかね?」
「きゃ、客人!? あ、アンタなんかただの下働きでしょうが!」
ふたりのメイドはおもしろいぐらいに顔を真っ青にした。
正解は誘拐された娘だ。
しかし、下働きか誘拐された娘か、でいえば客人により近いのは後者だろう。
いずれにしろそんな誤りを正す必要もないが。
「なるほど。貴女たちは早とちりでこのような振る舞いをなされたわけですね」
と、笑みを深めたら、彼女たちは悔しそうに押し黙った。
しまいには下を向きながら、
「わ、わたしたちはただ、汚れを落とせと言われただけで……」と、言いワケにもならないことをブツブツとやりだしたので「もういいです」と遮った。
「旅の汚れを落とさせるつもりならそう仰ればよろしいでしょうに」
メイドたちに清潔なタオルを用意させ、差し出された服をひったくった。
だが、用意されていたのはメイド服だった。
……なんだ、この悪夢の総仕上げのような仕打ちは。
いや、メイドに不埒なマネをされたからといって、メイド自体に恨みはないし、むしろ大好物です。でも女物を避け続けてきた俺様が、こんな場面で、しかもメイド服だなんてハードルが高すぎる!
「……あの、男物はないんですかね?」
「えぇ? あ、あなたはお、男だったのですか!?」
メイドは妙に気色ばった声をして、俺のことを赤い顔でちらちらと見てきた。
なんの勘違いだよ。
「違います。ちょっと普通ではないただの女子です」
と、告げるとメイドたちはなにかがっかりしたように「ありません」とだけ答えた。
諦めて服に袖を通すと案内された部屋に通された。
俺は独りぼっちになった。




