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LV?? とある騎士の罰。

 ヘルミーネが死んだ。

 報せが飛び込んできたのは、旅先の宿屋の一室だった。

「そんなバカな!?」と、私は叫んだが、孤独に震えた叫びは否定してくれる声もなく、無機質なまでの静けさが迫ってくるようだ。身の震えが止まらず、自分の身をかき抱くようにしてその場にうずくまった。

 だが、すぐにやるべきことを思い至った。馬鹿げた夜会服から旅装へ着替え、宿を飛び出して領地へと舞い戻った。

 私はヘルミーネは無事であると、信じて疑わなかった。

 これは、私に怒った彼女が仕組んだ狂言だ。きっと、慌てて領地に帰ると何食わぬ顔をして「お帰りなさいませ」と言ってくれる。

 そんな淡い期待は、裏切られた。

 だが、私は如何にして、物言わぬ身体となったヘルミーネと対面したか、いまでは記憶していない。憶えているのは、地中深くに穿った穴の深さと、桜色の頬から一変して青く冷たくなったヘルミーネの頬の色だけだ。



 葬儀が終わった。

 私がしたことはなにもなかった。ただ、自分こそが朽ち果てた幽鬼のように項垂れ、彼女に付随する様々な事柄を、なかば呆然と流されに任せていただ。

 私は彼女の寝室に入ると、そこの姿見に置かれた手紙を取り上げた。

 それは、私が旅先から彼女へと送った手紙だ。まだ封を切られておらない。

 そこには、流行病が薪を切らさぬように。と、結びには、先に犯した冷たい仕打ちへのすまなかった。と謝罪をした。しかし、どれも届かなかった。彼女を奪った病を退けられもせず、彼女に惨めな気持ちを味あわせたままに、逝ってしまった。

 私は手紙を閉じるとひっかき棒で暖炉へとくべた。

 その拍子に灰がもろくも崩れた。




 それから破滅の日々が始まったといっていい。

 ヘルミーネを亡くした痛みに絶えきれず、彼女の半身を求めて酒に逃げた。それも幸福を呼び戻すような、軟な酒精ではなく、度を越した火酒によって。

 グラスを手放す日はなく、卒倒して倒れることもざら。それでも朝から呑んで飲んでグラスを干した。

 なにもかも洗いざらい、消し去ってしまいたかったが、しかし、なにを消し去りたいのかわからない。


 それは至らぬ私自身か?

 我が領地のことか?

 それとも最愛の彼女のことか?


 しかし、そんな問いかけに答えなどありはしない。




 私は大貴族たちの開く催しに、以前よりも熱心に出かけた。酔いどれの身の置き場所などパーティ以外にないからだ。私は長年に親しんだ朋友のごとく大いに酒を喰らい、大いに放吟し笑った。

 あれだけ難しかった腹芸がいまでは易々とこなせる。もしも、彼らの金が欲しいなら、こびへつらってはならない。汝よ欲するならば、懐に大胆に手を伸ばせ。それは彼らの、ましてや私の金ですらない。だれのものでもないのだ。


 私は彼らの心を掴んだ。うわべっ面をなぞるのは、いまは容易い。

 すべてが上首尾に運び、大貴族にさんざんに無心して援助をしゃぶり、彼らの伝手を用いて雇った冒険者に辺りに蔓延る魔物どもを狩りつくさせた。結果、村には豊かさと平穏が訪れ、冬にでも餓死するものなどおらなくなった。

 夢にまで見た安定した生活。

 亡き父祖たちや、次兄が求めて永らく已まなかったものを、威厳を取り返した。彼らはよくやったと喜ぶだろう。なにもかもが、上手くいっていると。でも、それでも彼女がいないのだ。

 根拠の希薄に肥大した自信や、酩酊によるフワフワとした浮遊感は、その事実でもって地に堕ちた。




 あてどもない日々を迎えたある日、私は辺境伯の口車に乗せられるがまま、クォーター村を訪ねた。

 ここは我が領内と同じく辺境にあり、発展から取り残されていると噂だ。

 加えて、勇者殿の没交渉ぶりはさだけし有名で、よく大貴族たちの間でも、からかいのタネにされていた。

 村の内実はさぞかし苦しかろうと思いきや、意外にも村は活気に満ちており、領民は清潔な衣服をまとい、表情が明るく日常を心から楽しんでいるよう。

 なかでも、特筆すべきは宿屋だ。

 お目当てにしてたかすてらなる銘菓に加え「手乗り一角兎招き」なる珍妙な代物から、邪竜の焼き印が圧された木札まである。

 しかし、邪竜を持って魔物を払うだなんて、おもしろいことを考える。これで魔物を退けることなどできやしまいが、発想がユニークだ。宿屋の親父は素朴な顔立ちなのに、なかなか商才に長けてるな。人は見かけによらない。


 しかし、彼が村をここまでに発展させたワケでもないだろう。

 なにか、我が領地に活かせる点はないか、と探し歩いてはみたが、少し調べた程度ではヒントすら見当たらない。


「これはひょっとして、神々に愛されている者とそうで無き者との差かな?」


 最近多くなった独り言をつぶやき、私は皮肉に頬を吊り上げた。

 まるで己の振舞いを神の配剤のせいにするようじゃないか。バカバカしい。と、その場に寝ころぶとそっと目を閉じた。こんな場所にまでやってきてまだ決心がつかぬ自分は案外に臆病だ。


「あの、こんにちわ」


 声に振り返ると、川原には宿屋の娘が佇んでいた。

 私は、遠ざけるつもりでぶっきらぼうにしたのだが、彼女は去る気配もなく、さらには「妻の形見だ」と、ペンダントを示すと、彼女はこちらの身を案じるように、おずおずとしだした。

 ……なにか、妙な気遣いをさせてしまったかな?

 しかし、妙な子だ。

 子供にしては気の利いた物言いや、老成した様子。そして、小鳥のような鳶色の瞳。

 まるでヘルミーネに似てる所はひとつもないのに、なぜか彼女を想いだす。

 彼女の得も言われぬ魅力に誘われるように、料理についての私見やら、家族に囲まれてしあわせな彼女に嫉妬していたことなどを、ついペラペラと口を継いでいた。



 つい挑戦的になったが、彼女の菓子をあげつらったのは本心でもあった。

 私はもう料理を楽しむなどできない。酒におぼれてからなにを食べても、舌がなにも感じないのだ。

 それにかの忌まわしき失態の他にも、ぼてっとした腹をした中年貴族が、分厚いステーキを、しあわせそうに頬張るのを見て、心の底から激しい憎悪が沸き上がった。怒りに任せて彼に掴みかかったが、プツリと糸が切れたかのように、平静を取り戻した。

 男はぎょっとした素振りをしたが、悪い冗談だと解釈したようで「踊りのお誘いならば、ワシにではなくそこのご婦人を捕まえては如何かな?」と、言った。

 私が黙っていると、やに下がった笑顔を浮かべて、逃げるように去って行ったが。



「とにかく、わたしが納得しませんから、サッサと来る!」


 私が渋っていたら、彼女はなぜかしら怒り狂って、宿屋に私を引っ張っていった。

 見事な手際でオーブンに菓子を投入したら、そこから離れもせずいかにこれがスバラシイオーブンかを得意気に語って聞かせてくれる。

 しかし、日々の生活を考えれば、砂糖よりもっと大事な物がいくらでもあるだろう。

 私になんぞに構って貴重な砂糖を用いる必要もないのに。

 だが、こんな少女に同情をされたのに、ふしぎと嫌な気はしなかった。

 彼女はやけに楽し気だったし、そういえ、彼女も――ヘルミーネも人並み以上にお節介だった。



 そんな物思いにふけっていると、オーブンからバターを溶かしたあの芳しき香りが店内に満ちてきた。彼女は「どうぞ」と、厚手の布巾でもった熱々の乳白色のカップを置いた。

 私は微笑む彼女を見て、まだ湯気を立ち上らせてるスフレを見た。

 その料理からは、貴族に抱いた怒りは呼び起こされなかった。

 匙をいれてひと口を頬張る。



 美味しい。


 こんがりと焼かれた生地のサクッとした食感。

 その下に隠れたやわらかな色合いの生地のなめらかさ。

 あれだけ熱せられたはずなのにシットリと水気を帯びていて、口のなかに広がる控えめな甘味とほのかに香るチーズの酸味。

 いままで感じられなかった私の舌が、甦ったかのように深い味わいに溺れた。


 だが、それ以上に驚いたのはこの料理を素直に味わえたことだ。

 どうしてだろう?

 あの宮殿で披露された料理となにが違うのか?



 それは考えるでもなく、答えは少女の顔に書いてある。

 少女のほころばせた笑顔には、野心もなくただ自分の料理でだれかに喜んでもらう。

 その一心だった。


「これは優しい味だな」


 と、自然と口を継いでいた。彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした。

 私はもうわかったのだ。

 もしもあの時、もう少しだけ賢明であったならば、私は胸を張って宮殿の料理よりも、ヘルミーネの料理の方が、いま頂いている料理のようにやさしい味だと答えられただろう。

 ――かえすがえすも残念だ。

 自分の勇気のなさが、ヘルミーネを踏みにじってしまったこと。そして、暖かな記憶を想いださせてくれた彼女に――仇をなさねばならないことも。

 私が彼女の背に立つと、振り返ったその鳶色の瞳が動揺したように揺れた。飛び立たぬうちに泣き声を上げぬうちに、なにかに強く願いながら彼女の首を絞めた。

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