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LV?? とある騎士の罪の記憶。

 幸福に満ちた毎日に暗雲を告げたのは、実家から届いた手紙だった。


「なんて書いてあったの?」

「いや、大したことではないさ」


 後ろから覗き込むようにするヘルミーネに、私は笑って手紙を閉じた。そして、仕事がある、と言って自室へとこもると頭を抱えながら手紙を開いた。しかし、そこに記された文字面は変わることのない。

 ただ――長兄が死去した。という事実だけが淡々と記されていた。


 これが自分の身にどんな変化をもたらすか。

 私が実家の後を継ぐ報せではない。

 私が王都に騎士として残れたのは、長兄のスペアである次兄がいたからだ。

 長兄が、死んで、次兄が上がる。

 そして、三男もまた上がる――そう実家詰めのスペアとして。

 ……故郷を離れてから、一度として郷愁を覚えたことなどないのに、何故私を離そうとしてくれないんだ。



 昔の騎士見習いの宿舎では「夏になれば実家に帰れるのに」と、毎夜のように故郷の話題が上がり、そのたびに私は背をそむけていた。

 夏がこなければいい。実家が消えていればいい。

 そう思う自分は冷たい人間なのだろう。

 しかし、それのなにが悪いのか。

 ただの貧しい生活ならば、騎士見習いの厳しい訓練と、同じように我慢をしてみよう。だが、騎士見習いの生活と村の生活とは、根本的に違う。

 訓練を重ねれば、その先に名誉や安定した生活が手に入るだろう。しかし、村ではすべては徒労だ。いかな努力を重ねても先に通じる道など存在しない。


 ……だが、村に帰らねばならない。三男である私が王都にいられたのも、次兄がいたからだ。次兄には昔から私の面倒を見てくれた恩義がある。その唯一とも思える家族に背を向けることはできなかった。




 実家を飛び出してから10年以上も経つというのに、広がる風景はまるで絵画のようになにからなにまで変わってはいなかった。

 魔物によって荒れた田畑。

 貧苦にあえぐ領民たち。

 私はそれを横目にしながら、実家の屋敷をくぐると、曽祖父のいかめしい絵画の出迎えを受けた。当主となった次兄は、私やヘルミーネを笑顔で歓待してくれた。

 次兄は、この屋敷で暮らすといい、とは言ってくれたが、しかし、父の死に目にも帰らなかった私が、その家族の屋敷で暮らすのも厚かましく思い、兄に頼んで屋敷から離れた別邸を頂いた。

 ずいぶんと手狭である上、至る所からすきま風が忍び入る文字通りのボロ屋敷だが無理を言った手前仕方がない。


「……これはまともになるまで、しばらくはかかりそうだな。ヘルミーネ。君はそれまで屋敷に身を寄せておいてもいいが」

「べつにいいわよ! ここでの生活の基盤となるんだから、一からすべて作っていきましょ? ね、田舎暮らしも案外楽しいかもしれないし」



 次の日から、畑を耕す日々が始まった。

 貴族といえども日々の糧は、自分で得なければならず、農民たちを指揮をしながらも、自分の手で貧しい土地の開拓を拡げる。それは幼い頃には、嫌悪をしか抱けなかった仕事だが、ヘルミーネのためならばなんらの苦でもない。

 私は彼女に勇気づけられながら、仕事に打ち込んだ。しかし、傾けた努力の程、見返りの果実を得ることは敵わなかった。


「貴族の付き合いがこれほど面倒だとは思わなかったなぁ……いまにして思えば、兄貴も上手いこと渡ってきたもんだよ」


 次兄はいくらかくたびれた口調で、そう嘆いてみせた。

 長兄が亡くなり、次兄に領主としての椅子が回ってはきたが、椅子の居心地を喜んでる風でもない。むしろ、領地にいる時間さえ少ない。

 吹けば飛ぶような零細貴族は、大貴族との付き合いが絶えては息もできない。

 彼らから回されるいくつかの利益があって、日々の生活が成り立つのだ。

 新たな領主となった次兄は、その大貴族たちに顔を憶えてもらうため、日夜国中を奔走して回っていた。なので、次兄の代わりに、私が農地の耕作を指示していた。


「それで初春の間に計画していた耕作の手はどれほどに拡げられたのだ?」

「芳しくない」

「そんなにか?」

「こうも男手が足りないと耕作地を拡げるにも難しくてな……」

「……そうか。今年も餓死者が出るだろう。予めに覚悟をしておかなければな」

「すまない。私の力不足だ」

「力不足はオレも同じだろ? そんな頭を下げずとも、オマエはよくやってくれてるのは知っている。それに、頭を下げてたって名案が浮かぶものじゃないさ」


 次兄はやけに達観したようにそう言った。


「……こうなると、いよいよ頼りなのは辺境伯殿だけか。前にパーティに呼ばれていただろう? 感触はどうだい」

「感触もなにも、男爵の顔なんぞろくに覚えてないさ。パーティだなんて気軽に言うが、あれはそんな大層なものじゃないよ。おべんちゃらに夢中で美味いメシが出ることすらないんだぜ……ったく、オマエは貴族の集まりを軽く思ってやしないか?」

「そんなの想像もつかないよ。詩作にでも励むとか?」

「ぷっ、なんだそれ、傑作だな!」


 と、次兄は吹き出した。


「ハハハっ! いまどきの子供でも貴族なんて生物に夢なんか見ちゃいないぞ!」


 と、終いにはけらけら笑いだした。

 ……無論、私もそこまで夢見がちでなくただの冗談だ。しかし、こうも子供みたく無邪気に笑われると、冗談で言ったつもりでも気分が悪い。

 次兄は笑いながら眉尻をそっと拭うと、こっちを宥めるように手をぷらぷらさせた。


「冗談だよ。ははっ、まあ、直におれの言っていることも、その立場も理解できるようになるさ。この椅子に座るのがオマエに変わるのもそう遅くはないからな」

「そう捨て鉢になるなよ」


 我ながらヘタな励ましを言った。次兄の笑う仕草が妙に切なくて胸につまった。

 思えば私が父に叱られた時やなにか迷った際、真っ先に頼ったのはいつも次兄だった。長兄は歳も離れていたし、父に似て頑迷な人だったからだ。

 その次兄がスペアとして家に置かれたあげく、家の重荷に押し潰されようとしている。

――私はそれを知りつつも、なにすることもできず次兄は春に亡くなった。

 そして、私が次期当主という枷をしいられた。





 ミルディン・マクシミリアン家が当主として初陣を飾る機会は、間もなく得た。

 それは晴々しい行事でもなく、大貴族の個人的なパーティの催しだ。

 私は主催者たる辺境伯とのお近づきを得るべく、干したグラスを持ちながら、何時間もホールで立ち尽くす。

 パーティ上のマナーでは、目上の者へとお声かけなどできず、ただ彼の関心を向けられるのをただ待つしかない。

 これが当主としての顔見世披露の場ともなるが、この一貴族の開くパーティにあっては、男爵の地位など平民と同じだ。

 私の周りには同じようにたくさんの貴族たちが棒立ちしていた。皆はさぞかし不機嫌であろうに、そのことを腹のそこに隠しながら、いつぞやか掛けられる、辺境伯殿の言葉を待っている。

 私はようやくに辺境伯殿と挨拶する機会をいただいたのも一時間は過ぎたあたりだ。


「ようこそ、我がパーティにお越しいただいて……はて、失礼だが貴殿は?」

「私はマクシミリアン家が当主のミルディンと申します」

「あぁ、そういえば貴殿の兄君とは親しくしていたよ。若いのに惜しい方を亡くされて。今宵は楽しんでいってくだされ」


 辺境伯は固い表情を作ると、すぐさま笑顔を張り付けてよその来客へと向けた。

 たったのこれだけで、今回の初陣の舞台は終わりか。

 その手ごたえのなさに拍子抜けはしたが、正直なところホッとした。

 たったアレだけのやり取りで、周りの視線が集中する。男の世界は嫉妬の世界とは言うが、こんな世界に身を置きたくはない。


 そも、この白亜の宮殿からして、我らが住む世界とは次元が違うように思える。

 魔術の灯にきらめく大理石のホール。宝石をちりばめた白磁の壺。金糸で織られた織物。いったい、どこからこの富が生み出されているのだろう。

 富の輝きに眩暈を憶えながら、竜の牙でこさえた手すりを上れば、そこはさらに絢爛な雰囲気が待ち構えている。

 その大広間の真正面には台座があり、そこの楽士たちは、一心に満ちた表情で穏やかな音色を奏で、その音色に身を預ける若い連中が、まるで自分がパーティの主役であるかのように華やかしい舞踏を披露している。ここには、神経質に襟を直して歩くものなどだれもおらないのだ。



 私は急に身の置き場がなくなったような気がして、華やかな広間から離れるように壁際へと張り付いていた。

 すると、フワッと鼻先をいい匂いがかすめた。

 なんだろう、これは? と、芳しい匂いに誘われ広間から出ると、そこにはずらっと長テーブルが並んでおり、その清潔なテーブルクロスの上には彩りに満ちた豪勢な料理が山のように並べられていた。

 私はしばらくその場に呆気にとられていたが「そこのお席は空いていましてよ?」と、席についていた若いご婦人に促され、私はギクシャクと会釈を返すと席に座った。

 どうやら自由に席についてもよいらしいが、べつに腹が空いてるワケじゃないが……。と、戸惑いながらもならべられた料理に目を釘付けにされた。


 仔牛肉のカツレツ、シェーブルチーズ、熟れた季節の果物、海魚の揚げ物に、上質な白パン。どれもこれも、ウチの領内にては食せない物ばかり、それが溢れんばかりにいっぱい。

 私は恥も外聞もなくがっついた。

 ナイフでも切れるほどやわらかなカツレツは、血が滴るレアであり、村で潰して食した老牛と比べるべくもない。上質な油で揚げた海魚は、サクッとした衣を破ると、美しい白身がホロホロと口のなかでとろけてしまう。

 どれもこれもが、めちゃくちゃに美味い。美味すぎた。

 一心不乱にその豪勢な食事を楽しむと、皿についたソースを白パンでぬぐって、ようやく満足をした。そして大きく息をつくと背もたれに身を預けた。

「美味い食事などあるか」と言ってたくせに。こんなにもあるじゃないか。

 次兄もこんなすぐバレる嘘をつくなんて。と、私は思い至ったことに気づくと、急激に心が冷えた。


 次兄は嘘をついたんじゃない。

 ただ、食べなかったんだ。

 これらの料理はすべて罪でデキている。だって、そうだろう。ここにある富の源泉の多くはどこから産まれている?

 泥と汗にまみれて、日々の労苦を田畑にささげている農民たちだ。その彼らが生活は決して裕福でもなく、むしろ毎日の食事にも悩ませているのに、どうして自分たちだけが満足に食事できるのだろう?

 私の前に、姿見が置かれてあったらそれは醜い姿であっただろう。




 領内に戻るといつものようにヘルミーネが迎えてくれた。

 浮かない顔で答えていると、彼女は軽く眉を潜めたが、明るい顔を作って「お疲れでしょう? すぐに食事ができますよ」と言うのを聞いて思わず礼服を脱ぐ動きを止めた。


「……すまないが、いまは腹がすいてないんだ」

「そうですか? でもなにも食べないのは身体にさわりますよ。量を少なくしますから、ちょっと準備に――」

「今日はそういう気分ではないんだ」


 私は自室へと引きこもった。脳裏をよぎるのは、ヘルミーネは悲しげにまぶたを伏せて姿と「そうですよね。田舎料理だと口に淋しく感じますものね」と、いう言葉だった。

 ヘルミーネに当たるつもりなどなかったのに、パーティでの、自分が犯した”失態”が思い出されたのだ。むしろ、彼女の料理に値しないのは私の方なのに……。

 そんな、自らの情けない思いを感じながらも、心の片隅では怖れてもいた。

 彼女の料理と宮殿で食べた料理を比べて失望を抱く自分に。



 翌日、私はヘルミーネと顔を合わさず、次なる招待を受けた貴族の元へと赴いた。

 ヘルミーネに謝る機会は永久に失われたのだ。


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