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LV42

 夕暮れまでにボギーをお家に返さないといけないのに、すっかり話し込んでしまった。そろそろお菓子作りの練習を始めないと。


「じゃあシャナン様が出立される日も近いですし、先週と同じになりますけどドーナッツの予習にしときましょうか?」

「オッケー!」


 ボギーは急に張り切った調子で茶器を片づけて、家から持参した若草色のエプロンをいそいそと着こんでいる……なんか、ちょっと頬が緩んでるな。賭けてもいいがシャナンといちゃこらしてる妄想をたくましくしてるね。

 シャナンが村から出立するって「その日に合わせてお菓子をプレゼントするの!」と、ボギーの脳内はお熱がインフルエンザ並に上がってんだろね。


 でも、知ってる?

 春に王都に行っちゃうのはひとりじゃないんだよ?

 君はシャナンとの甘酸っぱい思い出を残そうと必死だけど、ボクとの思い出の余白も忘れずに残しておいてくれないかな? 王都の空の下、淋しさを慰めるために思い出された君との記憶が、人ん家のお客に悪態ついてる姿じゃ忍びないでしょう?

 そんな寂寥感に襲われつつも、少女のきゃわゆい夢を壊さぬよう、生暖かい目をソッと逸らした。

 オーブンの点検をしてたら「ちょっとー、オーブンはドーナッツに使わないでしょ」と、ボギーが唇を尖らせてる。


「いや、後で新作の菓子の練習に使うんですよ」

「それって領主様からの依頼のやつ? ……え、それおじさんが作るンじゃないの?」

「もも、もちろんですとも! ええ、ただ……わたしももう作れるんデス!」


 ……危ねぇ。

 俺が作る料理はすべて父さんから教わった~って、体なの忘れてたわ。

 まあ、学院については乗り気じゃないけど、新作菓子を作れっていう依頼なら話は別よ。ちゃ~んと村の名に恥じないような代物を考えてるから安心してちょうだいね。


「へー。ちなみにどんなお菓子なの?」

「スフレっていうんですよ。マグカップにメレンゲ仕立てのやわらかな生地にチーズとか入れたりして。色々なトッピングが可能なんですよ。お肉なんかを入れたりすれば、普通に夕飯の献立に並べる食事にもなるしね」

「……ふーん。なんかイメージが湧かないんだけど」

「スフレも一見地味~な感じですけど、マグカップにふんわりとココアブラウンの生地が盛り上がって、その上から粉砂糖をキラキラッとまぶすんです。そうすると雪化粧をまとったテラネ山のようでしょ!」


 と、ふっふ~んと立てた指を振ってみせたら、ボギーはイメージが湧かないのか小首をかしげた。まあ、実物を見れば一発なんだけど、これは食べてみないことにはわかんないからな。

 ンでも、女王陛下のためのお品だけあって、これはほんとにトクベツなのよ。

 このスフレの賞味期限はたったの数十分しか持たないのだ!


「数十分? って、そんな時間しか持たない菓子って、どういうのよ……?」

「へっへ~、それは秘密ですよん」

「…………あっそ」


 そこはウザがらずに、ちゃんと突っ込んで聞いて聞いて!

 スフレはほんと焼き上がりの最後まで目が離せんぐらい難しいんだからね!

 分量を違えたり、焼きが甘かったりすると、キレーに膨らまないし。かといって、焼き過ぎてもパサついた食感だったり、生地に穴が空いたりして見た目がおじゃんになるし!

 この絶妙なさじ加減と技術を凝らしても、ものの数十分程で息を抜くように萎んじゃうし。

 それ故に、注文を受けつけた後でないと最高の状態のまま、決して食べられないのだ。正に人がお菓子にあわせる高貴なお菓子なのだよ。


「それに、もしもこの高貴なスフレが話題にもなれば、いままでクォーター村に訪れなかったお客さんが増えるんじゃないかしらん? この菓子を食べるには村に訪れないといけないわけですしね!」

「あぁ……数十分しか持たないから村に来るしかないものね」


 そのと~り!

 女王陛下という身分だから、食べてヨシっていう美食は当たり前よ?

 村の名を強烈に覚えてもらえて、しかも村おこしのためにもなるのだ。

 これはまさに二兎を追う者は一兎も得ず――じゃなくて、一石二鳥とはこのことよ!


「……フレイって、こんな時まで村おこしのこと考えてるのね。ほんとに、マジメなんだか不真面目なんだか。でも、あたしもそっちにすればよかった~。女王様に献上されるお菓子を作れるってだけで、自慢ができそうじゃない?」

「とてもとても素人には無理ですって!? ってか、シャナン様にプレゼントする料理はドーナッツに決めたでしょ? もう絶対に変更はききませんからね!」

「べつに変えるなんて言ってません~」


 当り前だっつの。素直にカステラにすればいいのに妙な意地張っちゃって「美味しくて、見栄えがよくて、簡単なお菓子」って、リクエストに答えるに俺がどんだけ苦労したか。


「わかってるってば。ドーナッツももう何回も作ったし? これであたしもドーナッツマスターになれたんじゃないかしら」

「……素人に毛がはえた程度の腕前でなにを言ってんですか」


 粉をぶちまけたぐらいの失敗は失敗の内に入らないってぐらい、不器用なのよこの娘。そんな鼻歌を歌わんばかりの自信はどこから出てくるのかね?

 ま、いっか。ただスタンダードなリング形はさんざんに繰り返したし、同じのだけだと俺もつまらんからな。ツイストやチュロスなんて目先が変わった種類をやってみよう。

 俺たちはイチから生地を捏ねあげて、物の数分でドーナッツ生地の出来上がり。

 うむ、ヘタだ、ヘタだ。と小馬鹿にしてたけど、ボギーの手並みもずいぶんと上がったものだな。使い終わったボールを床にぶちまけたりしてたのが懐かしい。この分だと、ひとりでやらせても問題なくね……と、思っていた俺が阿呆でした。


「……どうやってやるの?」

「えぇ!?」


 さっきドーナッツを形成する手本を見せたっしょ!?

 隣でなにを見てたんよ。

 ったく、しょうがないなぁ。


「手本をちゃんとよく見て。両手で生地を持ったら、こう両手首を逆に捻るようにして。ね、簡単でしょ」

「う、うん!」


 ボギーはそれこそドーナッツに穴が空くほどに見やると、手に持つ生地をキュッと捻らせた。が、両手首を同じ方向に回している。

 ……それじゃ一生ツイストがかからんわっ!!


「なんで両手首を同じ方向に回してるんですか! 一方を右に回したら、もう一方は逆!せっかくの捻じれを戻してどうする!?」

「か、軽く失敗しただけでしょう! いいじゃない、まだやり直しきくんだし!」

「やり直す程に難しくもないでしょ……ったく、魔術は上手く扱えるのにどうしてそんなヘタなんだか」


 こんな調子でシャナンの出立の日にはまともなのがデキるのでしょうか。至らぬ弟子の仕儀を見て、暗雲のような不安感が胸に広がってきたでござる……。


「……あの、シャナン様に菓子をプレゼントするのは止めにしません? ね。ボギーもちゃんと上達してから、差し上げた方がいいんじゃないかしら」

「嫌よ! この機会を逃したら三年間もずーっと料理がヘタなやつって、思われたままじゃない!」


 いやいやっとばかりに栗色の頭を振って絶叫した。

 ……やはり黒歴史はシャナン絡みか。

 ンでも、べつに焦る必要はなくない? 料理ベタな印象を持たれても、三年後に上達した姿を見せればいいじゃないの。

 ほら、これはあれだ。モヒカン頭のヤンキーが、実はおばあさんに席を譲ってあげる優しい人だった。って具合に、元のマイナス印象をプラスに裏切るギャップ効果みたいな?


「それは見た目の話でしょ! あたしはそんなマイナス印象を持たれることが嫌なの! できればいますぐにでも撤回したいの!」

「正真正銘のヘタクソなんだから見栄を張――」


 ボギー様に物凄い目で睨まれたので口を閉じた。

 ……ちっ、俺ともあろうものが繊細な乙女心ってやつを傷つけちまったようだな。

 ともあれ、やる気に満ち溢れてるのは結構なことよ。

 俺も料理の指導に、一層のこと力が入るというもの。

 なんせ、ボギーが我が弟子とあらば、マメチ先輩の孫弟子にもあたる。その先輩の名を汚しては、不肖の弟子としては申し訳が立たぬ。


「ほらほら、捻じれの成形を終えたら生地が戻らないよう形を整える!」

「……はい」

「だからチュロスを作る時はもっと細目にしないと!? 油が爆ぜて後がタイヘンなことになりますよ!」

「……ハイハイ」

「ったく。もう魔術は上手く扱えるのにどうしてそんなヘタなのか……」

「うっさい! 魔術は関係ないでしょ!」


 すみませんね。ルサンチマンが満載で。

 ボギーは急にしょげたように俯いて、調理器具を無言でガチャガチャと洗いだした。

「ボギ~」と、呼びかけても振り向いてもくれない。

 ……ちょっと、からかいすぎたかしらん。

 プレゼントする菓子にかける想いってのも、わからなくはないからな。それに、気丈な振りをしてってけど、シャナンがいなくなるってのはショックだろうし。ナイーブになってたのをからかったのはまずかったかもしんない。

 


 気づまりな雰囲気のまま、油をいれた鍋を火にかけて、寝かしていたドーナッツ生地をそこに投入する。しばらくしてカラカラと揚げ物の良い音が響いてきた。

 ……あぁ、油ものを揚げる音って、どうしてこんなに美味そうなんだろ。と生唾を呑みつつ、色が変わって上がってきたヤツを引き上げる。


「ハイ、出来上がり。これボギーのですよ」

「……全然形が違うもんね」

「そんなことないですって。ほら、シャナン様もきっとお喜びになる味に仕上がっていますよ」

「…………」


 ボギーは無言でツイストドーナッツを受け取って、熱々なそれをふー、ふーしながら捩じりにパクッと喰いついた。

「やっぱり美味しい」と、雲っていたボギーの顔がパァーッと輝いた。


「でしょ? これなら絶対にシャナン様にも喜ばれますよ」

「うん……ありがとう」


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