LV37
咄嗟に身を投げだした判断は間違いじゃなかった。
――ブォオンッと凄まじい風圧が、さっきまで首のあった場所を掠めていくのを感じる。その近しすぎる死の錯覚にドッと冷や汗が溢れた。あのまま棒立ちしてたら、間違いなく俺の首が枯れ枝のようにポキッと折れてたよ。
「なんど言わせるかっ! 上体だけで剣を避ける者などどこにいる! しかと眼を見開いて相手の動きを見極めぬか!」
(……ンな無茶な。ってかマジで俺を殺す気かよ……!?)
頬が知らず知らずにぴくぴく引きつってた。
凄惨に目を見開いてるジョセフに剣先を構えて睨み合う。ふっとこちらの息の切れ間に、ジョセフの膝がブレた。
――来る。
と、意識した瞬間、逃げだしそうになる身を無理くり前へと持っていく。
避けようたって、これまでの経験から無理だってわかりきってんだっ!
なら、迎え撃つまで!
振りかぶったジョセフの剣をかいくぐり、懐へと入った。
イケる!
そう、勝利を確信した瞬間――右手に灼けるような痛みが走った。「ぐぅ」って、言葉にならない悲鳴を泣かせ、手から木剣が零れた。右手を抱えこむように悶絶する。
……な、んでや!?
たしかに、ジョセフの剣を避けたのに、どうしてそれが右手の上腕をぶち抜くってのよ。……マジ、ありえないぐらい、痛い、痛い痛い……つか、寒いのに汗が止まんねぇ!
うぉおん、と苦悶にのたうってると、ずんぐりとした巨体の影がぬっと出てきた。
……へ? あ、あのまさか、嘘っすよね?
「踏み込みが甘いとなんど言わせるかっ!」
「ぎゃー!?」
とどめとばかりに俺の背を強かに打ち据えて、今日の俺たちの挑戦は終わった。
「……大丈夫か?」
「……大丈夫とは言い難くもありつつ生きてます」
「そうか」
シャナンはくてんと首が折れたみたく俯いた。さすがにあれだけのシゴキは初体験らしいな。
「今日はこれまでとする」っと、ジョセフは清々しいまでの無傷で稽古を終えた。敗者にかける言葉などないわ。と、奥に下がってったが、そらそうでしょうね。二対一でこのザマなんだもの……あの齢にあの体形ときてあの剣の鋭敏さは異常よ。
「こんなのは訓練とはいえないわ……!」
治癒の魔術を行使しながら、エリーゼ様は冷たい怒りを湛えているかのように言った。
俺の二の腕はぐでんとして力が入らないのは、エリーゼ様の見立てでは骨がぽっきりいっちゃってるからだそうだ。
「ですね、これは訓練じゃありませんから」
「フレイ!」
キッ、と険を強くした眼差しを俺はかぶりを振って受け止めた。
「ジョセフは悪くありません。わたしが森に入りたいと、無茶を言ったから、彼もやりたくもない勝負をやってくれてるんです。ですから、彼を怒るならまずわたしを怒ってください」
この剣幕じゃジョセフに抗議に走りだしかねないからな。俺がせめてものクッションにならないと、非難されるジョセフが可哀想だ。
エリーゼ様は、俺の目をじっと覗き込んだが、目を逸らさないでいたらやがて「ハァ」と大きくため息をついた。
「こんなボロボロの貴女を責めれるわけないじゃないの」
「……すみません」
心配をおかけしまくって申し訳ない。てか関係ないシャナンまで巻きこんでしまった。
今回のジョセフの鬼しごきは、俺が原因なんで責任を感じます……。
母さんに説得された後、領主館に飛び込んだ俺は、クライスさんに魔物狩りへの参加を申し出たのだ。もちろん、俺が魔物相手に戦えるレベルじゃないことぐらいわかってるけど、なんていうか、そこに留まっちゃ変われないからね。
模型の件でまざまざと思い知らされたのよ。俺が甘えてたってことに。
これが優れたアイデア――というものを、シャナンたちに押し付けてきて、そのアイデアに理解を示さないふたりを石頭だ。と思っていた。
けれど、それが間違いだよな。
特異な頑迷な人間ではなくて、こっちの世界の人間からすればそれが普通の反応なのだ。俺が元いた世界の常識と、こっちの世界の常識とは違うんだもの。
「魔物は怖いもの」だなんて、この世界に住む人間なら常識なのに、それに俺は気づけなかった。それは”俺は異世界に居たから”っていう奢りがあったせいだ。
いくら白い目を向けられても、理解されないアイデアに拘泥し続けて、バカをしでかしてしまったのだ。どんなに優れたアイデアでも、人に受け入れられなければ意味がないってのに。
「……というか、むしろ謝らなければならないのは、むしろわたしの方です。あんな無理なお願いを申し出なければ、シャナン様までこんな傷を負うことはなかったんですから」
「べつに構いはしない。僕にとっては元々ジョセフは越えなければならない壁だ」
おぉ。俺より非道い大怪我をおいつつ、サラッと言ってのけちゃう辺りイケメンだわ。その分、絞ったタオルを顔に当ててやってるボギーには真剣に睨まれたが。いや、それでも原因の半分は君のおじい様ですから。
「しかし、アレが本物の実戦というやつか……他の団員と相対してる時と、まるで気迫や殺意が違うぞ。クソッ、あれだけの力量の差があるだなんて!」
「……ですよねぇ」
ってか、殺意の波動がビンビンに伝わってきて、立ってるだけでチビりそうだよ。
しかも、俺を相手にした時だなんて、より一層のヤッてやる感が増大されてるんだが、……俺、そんな恨まれるようなことしたか!?
「ジョセフから一本、取ってみせよ――って、結構な無理ですよねぇ。あ、もしかして、クライス様はわたしに諦めさせるために言ったんですかね」
「あら? うちの人はそんな回りくどいことはしないわよ。あの人がそう言うってことは、越えられる壁だと本気で思っているのよ」
……ほんとですか~それ。
毎日のように刃を交えてますけど、とても越えれる壁とは思えないんですが。
「悔しいが、技量の差は明らかだからな……いままでと同じやり方では絶対に勝てない」
「ですねー。なにか策を考えませんと」
シャナンは治ったばかりの右手で、ぶんぶかと悔しそうに獲物を振った。
(……力勝負じゃ勝てないってわかりきってんだよな……)
いままでの作戦は至ってシンプル。
技量も力もダンチなシャナンを矛として、技量の劣る俺は矛を活かすための牽制役だ。
けど、ジョセフの死角をいくら突っついても、スキなんか生まれた試しがない。大概の負けパターンは、焦れたシャナンが突撃して玉砕。あるいは俺の仕掛けをバッサリ破られて終了。
「作戦は間違ってはいないと思うのですがねぇ……」
俺のなまくら刀では弾かれるだけだし、シャナンのスピードを活かすしか勝利はない。でも、その一本の活路を、軽々とジョセフの剣が遮ってくれる。まったく教育熱心にも程がありすぎ。
「エリーゼ様、ジョセフが嫌いなものを存じ上げませんでしょうか。あるいは弱点とか」
「さぁ、ないと思うけど」
「じゃあ……落とし穴を仕掛けてみるか」
「ば、バカ言うな」
と、言いつつも一瞬、心が惹かれたようだな。どもったシャナンの心の隙をつくべく、ひっそりと耳打ちをする。
「いやいや、それも兵法のウチですって。戦いは生きるか死ぬかの真剣勝負。陥没だけで不足だったら、刀身がいきなり折れるとか、靴に画鋲を仕込むとか色々とやりようがございますよ~」
「……あたし、おじい様に身辺には気を付けるように、と言っておきます」
「ちょ、ボギー!?」
「ふたりとも。そんな不正を許しませんからね」
えぇ!? エリーゼ様までそんなぁ。それぐらいのハンデぐらいは必要でしょ? だって、私女の子だしぃ?
「僕までこいつと一緒にしないでください。そんな卑怯なマネには走りませんから」
「あ、非道~い。わたしにだけ罪をなすりつけようと!」
「罪もなにも、オマエが勝手に――」
「ほらほら、ふたりともまだ傷が癒えてないでしょう? ……まったく貴方達ときたら揃いもそろって男の子みたいなんだから」
なんて、エリーゼ様は嘆くようにかぶりを振られてしまった。
いや、でもでも少しぐらいハンディを負ってくれてもよく……ダメですか。そうですか。




