LV3
ないことを知った俺は小用を済ませて家に戻った。「間に合ったの?」と、笑う母さんに密やかな笑みを返し、自室のドアを後ろ手に閉じた。そして血眼になって”落とし物”がないか、と布団のなかからベッドの下まで、部屋中を捜索したが、当然のように探し物は見つからなかった。
なかば悄然となりながらも外に出ると「……チェリー……俺のボーイ」と”我が息子”に呼びかけつつ、昨日馬に襲われた道をフラフラと捜し歩いた。途中、足元を抜けていく不埒な風に「スカートとはこんなにも頼りない履き物なのか」と、なんども怒りがわきあがったが、どこかで生まれたてのスライムのごとくぷるぷる震えている我が息子を思うとなにもかもが虚しい……。
だが、ここに至っては認めるしかない。
俺は愛する家族を――息子を永遠に失ったのだ。
悲痛に胸打たれながら歩いて行けば、ふと川のせせらぎが聞こえた。
俺は悄然と川べりに降り立つと、そこで水面に映る自分に飛びかかり溺れ死んだ犬の童話を思い出した。その童話の意味するところは、欲をかくな、とも現実を直視しろよ、との教えでもある。
「いや、そんなわけあるかっ……!」
気弱った自分に活をいれて、乾ききった喉を鳴らした。俺は臆病者でも愚かな犬でもない!
ワッと意を決して水面を覗き込んだ。
そこには表情を青くした金髪ショートの幼女がこちらを睨んでいた。
「…………立派な、女の子ですね」
サーッって頭から血が抜けた。あ、ちょ、ヤバくね? ……意識がぐわんぐわんして、景色まで揺れてる。……と、とにかく落ち着つこう。って、軽く眩暈のした額に手を添えかけ、その手が小さかったことにギョッとした。
「小さッ!? てか、これ俺の手じゃねぇじゃんかッ!?」
どうなってんだよこれ。俺はいったいだれなんッ!
ねぇ!? だれか説明してよ、ちょっと!!
俺はだれともなしに呼びかけたが、だれも答えてはくれなかった。
そして、両手の制御できない震えが、急に怖くなって腕を抱えたままうずくまった。
水面に落ちる少女と目があって、
「オマエがッ!」
急激にわきあがった憤激を言葉に仕掛けて、止めた。
いやこれじゃダメだ。
なんだってちゃんと、見ないとわかんねぇよな。
まだ両手が震えるし怖いけど、感情の沸点が逆にぷつんと切れてちょっと落ち着いた。
俺は自分の頬をぴたぴたと叩いて、水面の少女をゆっくりと見下ろす。
川の流れに脈打つように揺れてるけど、ハッキリ見える。
そこには碧眼の少女が現れている。
”男だった俺”なんて映す価値もないというかのように。
「……現実は現実、か」
なるほどね。俺が逃げなきゃ彼女も逃げない。当り前な事実だけど、これ俺だわ。
……ハァ。って盛大に溜息をついて、項垂れた。
いや~、こんなのありかよ。
試しに頬肉をびろーんとしたりサラサラヘアーをクシャクシャとさせる。うん、なんだ。自画自賛だが、この子凄いカワイイな。鳶色の目がパッチリしてるし、鼻筋が通ったとこはお袋に瓜二つだし。父さんに似てないのは不幸中の幸いだな。
この上、猫耳やらしっぽなんかがついてないか、念入りに身体検査をしたけど”少女”という以上の異常は見当たらなかった。や、これ以上の異常があってたまるか。
「まさかの乙女転生ってないわ……」
おいおい、どうすんだよこれ。せっかくの俺の夢が。異世界で美女と戯れるという野望が、まさか俺自身が美少女でした。ってオチで頓挫ってありえなくない? いったいどうしてくれるのこれ? 責任問題だよこれ。
まさか逆ハーレムで俺に我慢しろって、俺にはそんな気は毛頭ないから! キャッキャッウホッウホッ! なんてぜったい認めねぇし。てか、なんなのこの仕打ち!? 普通は神様とか巫女さんが「ドッキリ大成功!」とか、書いたプラカードを持って出てくるはずでしょ? だれでもいいから説明しろや、コラッ!!
……て、いかんな。こんなバカみたいなこと考えてもしょうがないって反省したばかりじゃないか。落ち着け自分。
異世界に飛ばされて戸惑ってばかりじゃいらんないよな。ていうか、いままで浮かれすぎてて真面目に考えてなかったのを反省するべきだよね。
俺はその後、急いで家に戻り家にある本を片っ端から読みあさった。
この世界の様相をみっちり調べ上げるために。
最初は、慣れない異世界生活に不安や支障があったけど、さすがに”フレイ”として、曲がりなりに9年も生きてたわけだから適応は上手にデキました。
懸案だった読み書きも、簡単な日常会話ならストレスなく聞き取れるようになった。
ま、これは俺の努力というより、母さんが日常的に教育してくれた結果である。母さんはうちに嫁ぐ前は貴族の傍系だったらしく、読み書き演算の教育を受けていたそうだ。これはホントにラッキーだよ。
そうして調べた範囲でわかったことだが、この世界は中世時代の封権社会に近いものがある。といっても、前の世界と比べると、魔物が闊歩してたり魔術があるってとこが最大の違いだけれどもな。
残念なことに、文明レベルだけは中世からは抜け出てはいないらしい。それは俺ん家の食卓を思い出していただければご納得いただけるだろう。
俺の暮らす村は「クォーター村」つって人口が500人程の小さな村だが、村民のほとんどは農家で、お世辞にもその生活水準は高いレベルではない。
村は「エアル王国」という国に属する騎士領であり、最北の地にある土地だ。
村の周りは王国でも有数の山脈である、テラネ山脈に囲まれていて、山から降りてくる風の影響からか、ここら辺りは寒暖差の厳しい土地である。
少し南に下れば、国でも有数の穀物生産量を誇るルカ平原が広がっているのだが、残念ながらクォーター村は平原の外れということもあって、肥沃な土地から外れてる。
ここら一帯も昔は王家の直轄領だったらしい。普通なら由緒正しき――なんて言葉もつけられそうなものだが、実際は開発のうまみがないのでだれも欲しがらず、仕方なく王家の物として捨て置かれてただけだという。
その使い用なんてさら非道くて、武勲をあげた騎士たちへの恩賞という名の迷惑物件として押し付けるだけ。
おまけにノースティア大陸の際とあってか、周囲は魔物が跳梁跋扈している。
ただでさえ貧しい領地を開発しようにも、最初の辛酸をなめる勇気も金も無駄、というわけで棄てられた地。化外の地。として見向きもされなかったTHE辺境である。
――っと、ここまでが「ノースティア大陸史」からの抜粋である。
俺は重たい辞書をそっと閉じた。
「……辺境スタートかよ。マジにきついわそれ」
いやさ、村の貧しさからして覚悟してたけど、改めて字面で示されると精神的にくるね。
夢いっぱいの異世界っ! なんて浮かれてなんていらんないよ。
……あ~、それにしても、これからしばらくは甘味ともお別れなのがキツイなぁ……。この世界じゃまだ砂糖は高級品みたいだし、貧乏なウチでは手に入れるなんて夢のまた夢だよ。
ってか、いまはもっと切実に自分の身の心配をしないといけない。
いまの俺は心は紳士だが身体はかよわい幼女なのだ。この世界の文明レベルからして、うっかり風邪をひいたのが、命取りってことも十分にある。前世で俺は失敗してるからな。
加えて、封建社会の常として女性の地位が、高いわけなかろう。
もしも、のほほんと無自覚に生きていたら、あっと気づいた時には田舎親父に娶られ、こんなド田舎で一生を迎えましたとさ――なんて悲惨なエンドを迎えるはめに……って、んなのはぜったいに嫌!!
せっかくの二度目の生なんだ、だれになんと思われようがハッピーライフの実現のためにもなんだってやる! そうだ。このしみったれた生活環境を抜け出すんだ。そのために前世の世界の技術やなんだろうが用いてやる!
まあ、俺は技術屋さんじゃないから、蒸産業革命めいたことはできないけど……しか~し、俺には強い味方がいる!
それは他ならぬ俺自身だ。
ふっふっふ、考えてみれば俺っちってば、異世界転生主だ。まさか、そんな高貴である者がこんなド田舎に埋もれる人材になるわけがなくない? そう、俺は運命に愛された男ないしは、女だ。
ならばそれ相応の才能とやらにも恵まれていて然るべきはず。おぉっ、そういえば! いま正に知性の面でその片鱗をうかがわせてるんじゃないの!?
……ヤッベェ、俺天才だわ。
そうだなぁ。俺の過不足のない成り上がり計画では、まずは魔術の修得をするのだ。
軽々と杖を振れば、這いよる魔物ども駆逐する地獄の業火が喰らい、そして、冒険者として各地方でとりあえず有名になっちゃう。そうして、人種も肌の色も多様美女を引き連れ、未知なる異世界の食材を用いて絶品の菓子を作り、ゆくゆくは俺は魔術を極めて男に戻る!
その魔術の天才にして、料理の伝道師……その名はフレイ・シーフォ!
クーッ!? こんなに痺れる展開があるだろうか!
「くっくっくっく、俺様の冒険はまだまだこれからよっ!」




