LV193
血肉の浮かぶ傷口にぴとっ、と被さるようにガーゼが強く押し当てられた。その瞬間、ピキーンッと、剥き出しにされたような痛覚が右腕に走った。
「――――ぃっぅッ!?」
と、伝わってくる痛みに、私はもんどり打つように椅子から飛び跳ねた。が、間もなく、力尽きたスライムのように机に突っ伏した……し、沁みる。
私の右腕の皮膚が、ジュクジュクと鼓動を刻むように、シミ痒い痛みが責め立ててくる。そのあんまりな痛みに、妙な薄笑いや涙までも滲んできた。
それでも私がこんなにも苦しみの内にいるというに、あろうことか傷口に被さるガーゼはいつまでも剥がれてはくれない!
「先輩……、そのガーゼは、強く押し当て過ぎ、じゃない、です、かねぇ……!」
「かすり傷で大袈裟なヤロウだな」
「痛いもんは、痛いんだから仕方ないでしょう…………!」
グサッ、と突っ伏した私のド頭をひと刺しにした声に、反射的にギンッ、と顔を上げる。アイゼン先輩は、実におもしろくもない、と洟をならして消毒液の臭いで汚れたガーゼをつまみ捨てた。
「その傷の痛みは、すべててめぇのマヌケさが発端だろう。ドレスの裾を踏んづけ転んで腕をガラスで切るだの。どういうマヌケっぷりだよ」
「……ッ!」
「呪うんなら自分のマヌケさ加減やら、なんでも首を出す癖を呪うんだな」
「…………ハイ」
と、私は口をミッフィー縫いにして黙る。顔面から、ズサーッと滑ったワケじゃないが、いま私の顔は猛烈に赤いだろう。
あー、もう我ながら最低にカコ悪すぎ……折角、コウモリを撃退したってのに最後の最後になんでもないとこでコケるて。私はいつからボギーたん顔負けのドジッ娘にクラスチェンジしてたんだろか。
「あーあ。いつもだったら、魔術でひと撫でして治してもらえるのに」
「……てめぇの主人は魔術持ちか。ったく、こんな傷跡も残りやしねぇってのに犬を甘やかせやがって。普通の平民なんてのは、よほど手酷い怪我を負っても「癒しの奇跡」を授けられることなんてねぇんだ。教会に寄進する金が無いからな。それぐらい憶えとけ」
「…………」
先輩ってば口は悪いけど、案外面倒見がいい人ねぇ。なんて一瞬でも思ったがそんなの錯覚だと悟りました。
てか、人のことを、ドジッ娘みたいに詰ってるけど、貴方様の傷を消毒してあげたのは、どこのフレイ様だという話ですよ! その恩を忘れおって。
私が不満も露わに粗暴な白衣の天使を睨んだが、彼は仕事がはかどる。とばかりに気怠い仕草で、こちらの腕に包帯を巻いてくれる……結び目までクシャらないよう整えるとは、意外にも几帳面なお方。
私は結ばれ包帯の感触をスリスリ楽しむと、先輩は前かがみの猫背を矯正するように、だらしんなく椅子にそっくり返る、と――ジロッ。と、隣の席に目を剥いた。
「で、いつまでそこでダンマリを決めてる気だ」
「いや、初めてのふたりの共同作業だろうからな……と遠慮していただけだよ。まぁ、邪魔だというなら、我は即座にでも退散する用意があるが?」
如何する? と、悪戯っぽい眼が、私の頬をツンツンと突っついてくるけど、あの、それは、私らをここに連れてきたお方が言う台詞じゃないっすよ。陛下。
コウモリの襲撃を切り抜けたとはいえ、私たちの夜はまだまだ続いている。
騒動にひと段落がついた後、すぐに駆けつけた騎士たちの警護をうけ、私たちは王城へと移送された。クィーンガード氏が言うには事件の事情聴取と、私たちの身の安全を慮っての緊急処置らしい。
ソレ本当~? って、大いに疑わしいね。遅れて駆けつけてきた騎士たちに信用が置けないってのもあるけど、そもそも一般ぴーぽーな私まで護送する意味なくない?
と、ふて腐れてはみたけど、さすがに夜の王都を爆走する馬車から飛び出す勇気も陛下に逆らう蛮勇もなく、私は以前にも陛下と会談した懐かしの(占い師の館じみた)小部屋にへと招かれた。
……まぁ、この時点で取調官の顔が浮かんできたけど、それは私がエスパーである証明でもなく、陛下の悪ふざけに慣れてきただけでしょう。
「怪我の治療は終わったかね?」
「……えぇ、つつがなく終わりましたのは楽しく覗いてた方は存じあげてるかと」
「それは良かった」
私の嫌味をサラリと躱した――取調官――の陛下は優雅な微笑を浮かべ、長い脚を折りたたむよう対面に腰掛ける。重たいパーティドレスから、丈の長いナイトガウンに着替えていて、その寛ぎようも長い脚も素直に羨ま憎らしい……。
「あんまり手間取るようならと、治療師を待機させていたのだがね」
「いえ、わたし風情に勿体ない言葉を……」
ペコペコと恐縮したら、陛下は「そのドレスも残念なことをした」と、労しいとばかりに小首を振った。
「遠慮はしないでもいい。お主は身を挺して娘の命を救ってくれた恩人だ。それこそ感謝の思いが言葉でしか尽くせないのが歯がゆいぐらいなのだから」
「そんなのいいからさっさと帰らせてもらいたいね」
「ぶっ――」
私の本音がダダ洩れしたーっ!?
と、反射で口を抑えたけど、いまの発言それ私じゃないからっ!? 先輩だからっ!?まぁ、どっちであっても大問題だけどもねッ!!
「ちょ、アイゼン先輩っ! 陛下の御前で、なんたる暴言っ!?」
「うっせえな。てめぇも同じように思ってんだろ」
「そりゃそーですけども! 苦言を呈しても許してくれる相手かどーかとか、ちゃんと空気を詠んでくださ――――」
「静粛に」
「……ハイ」
私は口のミッフィー縫いを二重にして黙ると「こんな夜更けに騒々しいヤツでな」陛下は先輩に申しわけなさげにやに下がった。
……問題発言をした先輩よか、注意した私が悪いのですか?
理不尽な思いに歯噛みしたが、陛下は凄みをたたえた微笑は先輩に向けられた。
「賢者のご子息殿が帰りたいという気持ちはよくわかるが、事態は急を要するものだ。少々の不都合は我慢して欲しい」
「…………」
「もちろん、迎えの馬車ぐらいはこちらから用意させるが、貴殿のお父上には先に連絡をしておこうかね? まぁ、彼も息子を気遣うような、あたたかみのある親ではないだろうが、妙な心配されては互いに困るしな」
「………… …………」
「なんとか言ったらどうだね?」
お美しもお優しい陛下は、慈愛に溢れた笑顔で先輩に語り掛けた。けど、きっと私の心が汚れてるせいでしょうね。陛下の物言いが、ヤ、のつく商売の方々の脅し文句にしか聞こえないだなんて……てか。ふたりとも、似通った俺様系キャラ同士なんだし仲良くすればいいのに。
私はハラハラと気を揉んでいたら、やがて陛下も威圧するのが疲れたのか、フッと息を漏らして、
「まぁよい。賢者の子息殿も、帰りたいと希望だからな。フレイよ早く説明をしてやれ」
説明早う、と促された。
……なにが「まぁよい」なのかはサッパリわからないけど、求められたら断れない私だ。俺様系の切り替えの早さは、有難い。
私はあーで、こーで。と、コウモリ捕縛までの出来事を抜け落ちないようにひたすらに喋り倒すと、その説明が都合よく終わった頃、メイドさんが部屋に紅茶を運んできてくれた。こんな夜更けまでお疲れ様です。と、互いに会釈して茶を頂きます。
……はぁ、カラッ、カラに渇いた喉にお茶は潤しい。って和んでいれば、隣で置物と化していた先輩から「……なんなんだあの擬音は」と不評の声を頂きました。
擬音?
あぁ、コウモリを撃退した場面の事ですね。ご安心を。私としても常日頃から尊敬してる先輩の活躍を余すことなく伝えるためと恥を忍び、
「ズガガーン!」
「ガッキーン!」
て、臨場感あふれるサウンド付きでご報告をしたのです。私の努力は、先輩も聴いててご存じのはずで……え、それがご不満? いやいや「相違ないか?」と、陛下に問われても生返事で返していらしたくせに。
というか、先輩こそなにをしでかしたのですか。なにが? って、またスッとぼけて。陛下にあんな値踏みされて睨まれるとか、よっぽどのことをしでかしたでしょ! え、なにもしてない? って、またまた……。そうやって煙たげにすること自体、裏があるって自白し――あ、陛下がこっち見てる。
「な、なんでございましょう」
「……いや、なんでもない。重ね重ねになるが報告ご苦労であったな」
「いえ、どうも……あの、それよりクリス様のご様子は、どうでしたでしょうか? 先に別れた時に落ち込んでらしたので、気掛かりで」
「あぁあの娘か。べつにお主が心配することはないよ。さすがに命を失いかけたのがショックだったのか表情は冴えなかったが。受け答えはしっかりしていたし、あれはアレで強かな娘よ」
「……そ、そうですか。安心しました」
ふぅ。良かったぁ。
いつ、聞くか悩んでたけど、ずっと気掛かりだったのよね。
さすがに送迎の馬車は、姫様と別々だったし、私が話しかけても「大丈夫ですから」と、繰り返すだけで、ずっと上の空のまま顔色も蒼白かったからね。
「じゃ、気掛かりも解消されたし、帰りましょうかね」
と、私はそのままの流れで笑顔で腰を浮かしたのに、陛下はぞんざいに椅子を指さしてお座りを命じられた……まだ、なにか?
「そう嫌な顔をするな。質問はひとつで終える。端的にいえば今回の襲撃の件をお主らはどのように考えておるか気になってな」
「考えって……まぁ。危なかったなぁ、としかないですが……」
「バカ丸出しの感想だな」
「うっさいですよっ!?」
辛辣なツッコミを入れる時だけ息を吹き返さないでいいから!
先輩はそこでふて寝しといてくださいな!!
「ふざけてないで頭を働かせてくれ。愚劣な襲撃犯がうちの娘を襲った――と単純な事件だが、そう容易く片づけるには気になることが多い。どうして、あれだけの人混みの会場で娘を簡単に見分けられたのか」
「……それは」
「だろ? 娘の容姿にも疎いだろうに、仮面で容姿まで隠してたあの娘を、ヤツは的確に狙ったのだ。きっと、いや確実にアレを手引きした者が、いる」
……そう考えるのが妥当ですよね。
警備のためにあんな奇抜な仮面を用意したのに、あれだけ容易くかいくぐられたのだ。すべて偶然で片づけられやしない。
少なくとも、ヤツが、いつ、どこで、姫様の正体が知れたか――仮に情報が漏洩したとすれば、どこか――は、知っておかないと、おちおち枕を高くして眠れないか。
……けど、怪しい。そんなの会場に居たかなぁ。まぁ、失礼なヤツなら隣で金剛力士像みたく険しい顔で黙ってる先輩を筆頭に、ジョシュアやその他諸々の言い寄ってきた男共の顔がうじゃうじゃと思い出せるが。って、
……あ、いた! 怪しいヤツがっ!
蔓バラ仮面の男っ!
自分は、共和派の頭目だとうそぶいてた白髪の男がっ!
「そうだな。仲間とは言えるかどうか定かじゃないが、蔓バラの男が怪しいのは間違いなかろうて――なぁ、賢者の子息殿は、どう思われるかね?」
陛下は淡々とした声音をして言えば、先輩は左目だけを開けて「さぁな」とウンザリしたようにかぶりを振った。
「さぁな。とはどういうことだね?」
「情報が足りな過ぎて、答えようがないって意味だ」
「そうか? 我々には状況を鑑みれば、その男は怪しいと思えてならないのだがね」
「なら本人に問い質せよ。オレたちを襲ってきた黒ずくめの野郎にな」
「残念ながらそれはできない。彼は死んだよ」
「は」
サラッと告げられた事実に、私は思わず身を乗り出した。が「護送中に舌を噛んでな」と、陛下は変わらぬ微笑で続けた。
「重罪を犯した者の末路はわかるだろ? いずれ絞首刑に処すつもりだったが、その前にヤツは自分で命を絶った。そして、それが仲間の存在を疑う理由でもある。裏返せば我々に引き出されては都合の悪い情報があるワケだ。それは他に仲間がいて、その存在を秘匿するためにね。これはうがちすぎだろうか?」
「……アンタはさっきからオレになにを言わせたいんだ」
「いいや。ただ娘の安全を保証するものが欲しい。そう願うひとりの親だよ」
先輩は眩しげに細目にして陛下を仰ぎ見たが、すぐに真剣なまなざしを切って椅子から勢いよく立ち上がった。
「そいつは、全部アンタの取り越し苦労だ。王座転覆の企みをしてる連中が、わざわざアンタの犬の所に顔出しにやってくる理由はない……それがオレの知ってるだけの答えだ。これで満足だろ?」
怒気の滲ませながら、先輩は荒々しく扉を占めて出て行った。私は竦めていた身を翻し、涼しい顔で茶器を傾ける陛下に歩み寄って目を合わせた。
「失礼を承知で申しますが、陛下の仕打ちはあんまりではございませんか」
「なにがだね?」
「……なにがって、すべてです。アイゼン様はクリス様の命を救った恩人であることをお忘れで? 手を取って感謝こそしても、心無い言葉を浴びせて。あれでは犯人扱いと同じじゃありませんか?」
「お主のなかでの我の評価はずいぶんな高値のようだが、もっと人を見る目を養うのだな。よからぬ男に騙されて捨てられないか、心配にもなる」
「ふざけないでマジメに応えてください」
ふたりには、私の知らない”なにか”がある。
あの冷め切った応酬を見れば、だれだってわかることでしょ。その詳しい事情なんて、知らないし、知りたくもないが、あんな態度であたるのは、虐めと一緒だ。
なによりも公平を重んじる陛下が行う仕打ちなんて。私には陛下がおよそ行うことだと信じられない。
私は机に手を触れたまま、前のめりにして返事を待つ。けど、陛下がくれた答えは苦言でもなければ、長い沈黙だ。
しかし、煙たがれても、私はいっこうに構わないかんね。こんな長い夜の最後に、モヤモヤしたまま帰れるもんかい。
そうまつげを伏せった陛下をジッと見据えれば、その頬がクシャと緩んで苦笑いが浮かんできた。
「……お主も大概にしつこい女だな。トーマスが、決してフレイの恨みを買うマネをするなと言ってた意味が理解できたよ」
「それは、よかった……で?」
「そう怒るなわかっているよ。賢者の子息殿には、また別の機会をもうけてこの度の非礼をちゃんと詫びる。それでよろしいかな」
「……そうですか。不十分だ、とわたしは感じますけど、それでよしとします。たとえ、ふたりにどういう諍いがあろうとも、わたしは陛下も先輩のことも信じております故」
伝えたいことは伝えられましたわ。私はニパッ、と笑顔をして「夜分遅くまで失礼しました」とお辞儀をして行こうとしたら「――フレイよ」と、陛下に呼び止められた。なんです。
「お主が示してくれる信頼は率直に嬉しい。だが、これだけは覚えておいて欲しい。あの時、あの場所にいたのは我も一緒だったんだよ。だが、我は娘が命の危機にあっても、そこに駆けつけようともしなかった。トーマスや警護に守られ、いち早く無事な場所に向かう。そしていまも不安を感じてる娘の近くにいてやることもせず、こうして子供を脅しつけているだけ。それが王族という血筋の呪いだ。いつでも平静かつ無事でなければならない。とね」
「……陛下?」
「気にするな。単なる苦言と愚痴を混ぜこぜた、そう世迷い言よ。でも、今日ほどお主に助けられたことはない、感じてるのは紛れもないことだ……ありがとう。娘の命を助けてくれて」
思いもよらなかった優しい言葉に、思わず気の抜けた返事が零れた。陛下は含み笑うと、
「今日は、もうおやすみ」と、額に軽く触れるだけの口づけを落として、私を手放すようそっと離れた。




