LV191
懐から滑り落ちたナイフのように垂直に堕ちる影――
それから、咄嗟に身を投げ出せたのは、厄災から逃げるためではなく守るためだ。
「あぶないっ!?」
間に合え、間に合ってっ!
アレが、姫様を刺し貫くよりも早くっ!
そう強く願いながら、呆然としたまま影を見上げる姫様へと、思い切り駆け出す。
私だって、本音は落下する影から、一瞬でも目を切るのが恐ろしい。
――けど、その誘惑を断ち切れたのも、そこに姫様がいるからだ。
なら、やり切るっきゃない!
腕の腱が千切れるぐらい手を伸ばすと、その手が姫様に触れた。よしっ! と、歓喜の声をあげかけたけど、余韻に浸る間もなく姫様をかばいながら床に転がる。
これでひと安心!
にはならなかった。や、むしろ安全からは真逆にかけ離れてる。
だって、私が姫様をかばえば、それは必然的に落下する影の行路を遮るわけで。感じていた気配は、それで軌道を変えてくれる程、親切なわけもなく……それは、もはや明確な殺意となって、グングン、とこちらに迫ってきて――
「ったく、相変わらずてめぇは無茶してやがんのか」
えっ?
突然、現れたもうひとつの気配。
そしてぶっきらぼうな声。
それには聞き覚えがあった。
パチリ、と目を見開くと、うずくまる私たちを背にしてその声の主は襲い掛かってきた影と対峙している……ていうか、このガタイの良い背中って、
「アイゼン、先輩っ!?」
「てめぇの尻拭いなんざ、もうごめんだったんだが――なッ!」
――ギャンッ!?
と、先輩は気合いとともに蹴り上げると、影が悲鳴をあげてすっ飛んでいくのを、先輩は睨みつけながらも、こっちに手を差し伸べてくれた。
おぉ、なんという紳士な態度!?
そこに痺れるし憧れるぅ!
けど、先輩がなぜこんな似つかわしくない場所に? 普段のキャラからして、こういう堅苦しい場には出て来やしないの――あ、まさか……。
「先輩! ついに、ついに、マジメに生きることを決意されたんですね!」
「……頭打ったのか」
「打ってないし無事だしぴんぴんしてますよ!」
「なら口を永遠に閉じてろ」
先輩のことを褒めてるのになんて言い草ですかっ!?
てか、いつもだらしんなく制服を着崩してる人が、そんな刺繍縫いの黒フォーマルなスーツでビシッて決めた上に、トレードマークだったロンゲ銀髪まで短く刈っちゃってたら、マジメ君に変身するんだなぁ。ってだれでも、そう思いますって!?
「……ったく、てめぇの方がよほど不真面目だっての」
先輩は的外れなことをぼやいた。と思うと、急に視線を険しくして「それよりもアレに気を付けろ」と顎をしゃくった。
その向こうには、噴煙にまぎれていた先で、黒い人影が起ちあがる所だった。
あれが、堕ちてきた影の正体、に違いないんだろうけど……
「……なん、なんですか、アレ」
「さぁな」
人間、だと思う……けど、見た目はまるでコウモリみたいだ。
上から下まで黒ずくめの格好もそうし、病的に細い体躯もそう。手足だけが異様に長くて、猫背に丸めた背中を覆い隠すように、黒髪がまとまりもなく広げている。そんな無精な身なりなくせに、招待客を装ったんだか俯いた顔には、彫り細工が施された漆黒の仮面までつけている。
けど、間違ってもあんなの招かれた客じゃない。
その証拠に、コウモリはその爛々とした赤眼は姫様だけを睨み据えている。
……今日はつくづく、厄介な男に絡まれるわけね。
私は嘆息しながら、怯えたように後ずさる姫様から隠すと、コウモリは苦み走った口振りで「……ぅるさいガキ共が。よけいな邪魔をしやがって……」と、怒りに声を震わせていた。
「大人しく引き下がっていろ。私の邪魔をするなら、貴様らの命も、ここで無意に散ることになる……それが嫌なら、あそこの連中と同じように、さっさとここから去るのだな」
と、コウモリは嘲るように階段を指さした。そこの眼下に望めるダンスホールは、襲撃騒ぎに怯えた招待客らが、我先にと出口に殺到していて、上から見てもわかるぐらいの混乱状態だ。
私的なパーティだから。って、ろくに、警備もつけていなかったのか、助けに上がってくる騎士様もいやしない。
けど、そんなものにはなっから頼る気なんかないね! 騎士様がいなかろうが、姫様には私らがついているっての!
「尻尾巻いてカエレってのは、こっちの台詞よ! そんなちゃっちい脅しでわたしたちが怯むと思ったら大間違いだっての!」
「飼いならされた犬がキャンキャンと」
「なんだとぉ!? アイゼン先輩に蹴っ飛ばされて、泣いてたんはソッチでしょっ!?」
「……いいから。てめぇは下がってろっての」
ムッカ~ッ! と、拳を固めて向かいかけたら、先輩に引き戻された上に、呆れたようなジト目で釘を差された。
だってだって、あいつが私のことバカにするんだもん!
って、先輩に言いつけるようにコウモリを指したけど、やつはなんか気が抜けたように棒立ちしてる。あれ? どうした?
「アイゼン? ……そうか。貴様は賢者の子息。ハハッ、そうかっ!」
コウモリは、突然、弾けたように高笑いをしだした。
……な、なにあの癇にさわる笑い。
急に気が触れたの、か。
「賢者の息子よっ! ならなおさら私の邪魔だてをする理由などなかろう! エアル王家の、忌まわしき冷血姫の娘を庇いだてる義理もあるまい! 貴様の母親は、それこそ毒婦レリアナの汚名を着せられて殺されたんだからな!」
「殺され、た」
……って、先輩の母親が。まさか陛下に殺された、って。
え、ど、どういう意味?
私は戸惑いつつ姫様を振り返る。コウモリのハッタリだ、と否定して欲しかったのに、姫様は口ごもりながら目を合わせようともせずに、逸らされてた。
つまり、それは……コウモリの話が、本当って、こと? ……た、確かに、トーマスさんも賢者の話をする時には、奥歯に物が挟まった感じでいた記憶があるけど、にしたって殺す殺されるなんて、そんな――
「遺言はそれだけか?」
アイゼン先輩は軽蔑しきった瞳でコウモリを睨みつけながら吐き捨てると、かぶりを振るように腕を払った。
「くだらねぇ御託を並べやがって。勝手に同類に含めるな。さっさとてめぇを片づけて帰りたいんだ……死ぬ準備が出来たなら掛かってこい」
……先輩。
そう、か。陛下と賢者とに、対立やら因縁があっても関係ないよね。
先輩がコウモリの甘言なんぞにたぶらかされるはずがない。なんたって、先輩は私やらシャナンたちを助けるために、おせっかいを焼いたりするような人なんだもの。
私は、姫様に「大丈夫ですから」と、安心さすように笑いかけると、そのまま先輩の隣に並んで臨戦態勢を取った。
すると、コウモリは浮かべてた薄笑いを引っ込めると、変わりに言いようもないぐらい剣呑な空気を発しだした。
「……賢者の子息が王家の犬に成り下がりおって。そんなにも権威にすがりつくか。哀れだな。もはや、この国には未来などない。腐り果てた王家を取り除き、新しい秩序を築かねばならないのが、わからんとは……まあいい。さっきは後れを取ったが、もう二度目はないぞ……王女の娘の命は今日ここで私が貰い受けるのだからなっ!」
コウモリは、まるで霧の奥に浮かぶ彫像のように、
すぐそこの床に突き刺さったなにかを引っこ抜く。それはやつと一緒に落ちてきた物だ。
「……って、氷の斧?」
いや、穂先が槍のように尖ってるし、ハルバードってやつか。
しかし、不恰好な武器なのに、その刀身は刃こぼれひとつなく美しく透き通っている。それは魔術で作った代物だろうが、あれを掲げ持つコウモリの姿にゾッとした。
つまり、やつはアレを抱えて落ちてきたんだ。
頭上から振りかぶって、ぶん殴る――
言葉にすればあんまりにも単純な暴力だ。
けど、私たちをズタズタに引き裂くことなど容易かっただろう。
つくづくアイゼン先輩には頭が上がらないや。
けど!
そんな恩義いっぱい先輩に、厚かましくも思うところなんですが!
いま一度お力添えをお願いします!
「先輩っ! やつのあの武器はただの氷のようですよ。なら、先輩の魔術でもって、ちゃちゃ~っ、と溶かしてやってくださいっ! そうすれば、このわたしが取り押さえてやりますから!」
打てっ、ファイアボール!
なーんてな風に、的確な指示を出した――はずなのに、なぜか先輩の眉間は、これまで以上に深いシワが寄っていた。
ちょ、ど、どうしたんすか……?
「俺がいつ、魔術を使えるつったよ」
……はぇ?




