LV188
私は独りマネキンチャレンジのように機能停止しながら、捕まれた右手をゆーっくりと振り返る。と、そこには歌舞伎役者みたいなゴージャスな赤毛の男が、魚の頭骨のようなマスク姿で立っていた……。
「こんばんわ。私の愛しい羊ちゃん? ダメだよ、暗くなってきたとはいえ足元には十分に気を付けなきゃ。キミが怪我をしたら、と考えるだけで、私の胸が張り裂けそうに痛むんだからね?」
イィーーッ、ヤァーーーーッ!
なんでこんなとこに、巻き舌兄が立ってるのよっ!?
人違いであればいいな~。と、あわい希望を抱いてたけどこのウザッたさは間違いなくジョシュアだ!そりゃ今回の企画発案者はルクレール家だしぃ、出席してるだろうなと思ってたけど!
や、もう、どーしてこうややこしい時にやってくるかなぁ! 大体、クリス様からシャナンとの関係を「如何なのっ!」と、問い詰められんのも謎展開なのに、こんなややっこしい相手まで面倒見きれないぞっ!?
私が怒りにひくひく、と頬を引きつらせてたら、ジョシュアが遠慮もなにもなく掴んだままの手に手を重ねてきやがる……いい加減、離せ。撫でまわされるのが、不快で嫌な汗が出るんだよっ!
「こんな素敵なレディたちに連れがいないなんて、ここの男どもは目が節穴だね。良ければ、私めがエスコートの任に与る名誉を――」
「結構です! わたしたちからしたら、むしろ迷惑ですし――」
「そんな迷惑だなんて。可憐な花を両手に持つなんて、男としてはむしろ名誉なことだよ。それがキミのような美しい方であっては尚更ね」
「…………」
遠慮じゃなくオ・マ・エが、迷惑だっっつってんの!!
って、いかん、一旦落ち着こう。頭に血が上ったままじゃ、魚の顔面に鉄拳をぶちこんでしまう。一時の怒りで行動しては、と姫様もそう反省されたばっかりじゃないの。私もやればできる子、私、できる子……。
「大丈夫。キミに恥をかかせるようなマネなどしない。今宵は一緒に楽しもう?」
「いえっ、結構ですっ! ……じ、実はもうパートナーの方を待たせておりまして」
私はさりげに腰に回されてきた腕を払いのけ、ね、ねっ! と姫様に目配せをする。と、振られたことに慌てながらも、こくこく、と首を上下させた。
すると、ジョシュアは「そうですか……それは残念だな」と、あっさり引いてくれた。……ふぅ、助かった。こんなヤツと踊るとか想像するだけで、じんましんが出るよ。
姫様とホッ、と安堵して見交わしていたら、残念そうに引き下がったはずのジョシュアの口元がニヤッ、と弓なりに笑っていた。
「しかし、可笑しいですな。キミたちにパートナーは居ないと、聞いたはずなんだけどね。羊ちゃん――いや、フレイ嬢に姫様?」
「……っ!?」
身バレしてるっ!? な、何故にっ!
私が愕然と目を見開くと、ジョシュアは愉快そうに笑うと、前髪を指で遊んでる。
「それは私の愛のなせる技――というより、種明かしすればあちらの麗人に教えられただけさ」
と、ジョシュアが軽く上顎を持ち上げて、邸宅の方へと指し示す。
なんだろか、と釣られて目を移せば、眩いぐらいの明かりのなかに、ポツンとふたつの人影が。だれ、あれ? と さらに顔を伸ばして見れば、テラスに縮こまり白旗を上げるトーマスさん、と、その隣で手すりにもたれてグラスを掲げるオオカミさんでした。
――陛下の仕業かーーいぃッ!
こんな厄介者を焚き付け、どーいうつもりよコンニャロメーッ!?
しかも呑気にグラスを傾けて高みの見物とか何様ーーッ!!
トーマスさんも「すまぬ!」って頭下げてないで、こっちに助け舟ぐらいだせやッ!?
抗議の意思をこめてぶん殴る仕草をしても、陛下はサロンから離れる気がないみたいにただ涼しい顔をしてる。
……あー、もうっ、助ける気配がないってのは、やっぱりジョシュアの言う通りに陛下の差し金だってか。けど、どういうつもりだってばよ!? 陛下が姫様の婚姻相手に、と押してたのは、シャナンだったはずでしょう。それがジョシュアと姫様との橋渡し役をするとか、こんな華麗なる裏切りはなくない?
まぁ、シャナンのことだけを考慮すれば、陛下に切られるのは、望む所だけれども、しかし、聡明な陛下が押す相手が、あのバカ兄貴というのは……姫様の反応を見る限り、無いでしょう。
「ご機嫌麗しゅうございます姫様……」
と、ジョシュアは姫様に向けて片膝をついた。けど、ドン引きして後ずさった。
……仮面で隠れた表情が、はっきとわかるぐらい嫌がってるよ。こんな庭先でそんな大層な挨拶をされたら、迷惑この上ない。
しかもよりによって、母親からこんな瑕疵物件みたいな婚約者をあてがわれたら……私だったらそのまま蹴り飛ばして家出します。
私は姫様に深々と同情していたが、ジョシュアは忠犬のように声を弾ませると、
「いち早くご挨拶に駆けつけたかったのですが、遅れた無礼をお許しください。なにぶん、この人混みとお姿では気づくのが遅れて……しかし、ここで姫様と出会えるという幸運に恵まれて、私はそれこそ胸が詰まるくらいに嬉しいこと」
「……そう、ですか」
「所で今日のお召し物は姫様にしては珍しい色合いですね!」
あぁ、姫様のお召し物に茜色のドレスを選ばれるのは珍しい。いつもは純白のドレスでパーティに挑んでおられるけど、今日ばかりはどっかの一族とかぶるな。
ジョシュアはニヤニヤ、と「私に合わせてくれた」と、勝手な解釈をしてるようだけど、姫様の曇る表情からして、早とちりというにも程があるというのか、厚かましいな。
「姫様は社交界の華とも称されておりますからね。そのドレスも、実にお似合いで――あ、そうだ。今度、妹にもぜひドレス選びの仕方でも教授してやってください。あの娘ときたら、いつも私のマネだか知らないが、赤色しか選ばなくて。いや、いつも私の後をついて来て可愛いものなのですが……そろそろ兄離れさせませんと。きっと姫様の指南があれば、あの娘にも良い勉強にもなります」
「……テオドア様がワタシのことなどに興味なんてありませんでしょう」
「いや、うちの妹に限ってそんな……」
姫様は顔を俯かせたのに、ジョシュアは慌てて咳ばらいをして取り繕うように話題を変えた。
「……あぁ、失敬――私はずっと姫様にお伝えしたいことがございまして。私事で恐縮なのですが、学院を卒業してからすぐ、騎士団に志願するつもりなのです!」
へー、そうなんだ。
何気にジョシュアが剣術テストでいい成績だったのは記憶に残ってるけど、ロクに剣も扱えない連中相手にだした結果なんて、べつに誇る栄華でもなんでもない。
それこそ騎士団なんて平民、貴族も問わずに人気の就職先だから、全国各地から人材募集をかけていて、倍率は凄まじく高いことで有名だしね。そもそも入れるの? ってぐらいだけど、……まぁ、姫様に「志願する!」と豪語するぐらいだから、自信だけはあるんだろう。その自信の正体っていうのも、たぶん親のコネだろうけども。
「騎士という存在はこの国を守護していくという重大な務めを負ったもの……ともすれば、日々の鍛錬からして毎日が命がけな訓練が続くこととなる」
私が冷たい一瞥を向けてるのを尻目に、ジョシュアは昂ぶった様子で右手を握りしめた。姫様と別れる悲しみと決意を表してるつもりなんだろうけど、身体が横にクネクネしていて気持ち悪い……コイツの正体は深海魚じゃなくクリオネか。
「しかし、私は如何なる苦難にあろうとも、耐えうるつもりです。それはなにより王家への忠義のため……そして貴女のために」
ジョシュアはキリッと、誇らし気な表情を作り、その場に跪くと姫様に差し出すように手を伸ばした。
……あ、なんか嫌な予感。と、戦慄を憶えつつ気になって覗けば、手元には小箱が。
その中身って、もしかして――
「これをお受け取りください。私から貴女に贈る――エンゲージリングを!」
………… …………。




